近衛前久書状
九月廿九日 / 冊子 1~2頁
少将殿が公家となった場合の犬追物の装束について、折烏帽子・掛け・直垂・行縢の色や着用例を詳説し、小笠原流の弓馬故実と、衰退した犬追物が島津領に残る名誉を述べた近衛前久書状。
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九月廿九日 / 冊子 1~2頁
少将殿が公家となった場合の犬追物の装束について、折烏帽子・掛け・直垂・行縢の色や着用例を詳説し、小笠原流の弓馬故実と、衰退した犬追物が島津領に残る名誉を述べた近衛前久書状。
十月四日 / 冊子 2頁
九月二十九日に細島へ着いたものの順風がなく滞留しており、出船できなければ陸路で上洛すると報告し、京都・大坂の仕置や上方静謐の情報を伝えた書状。
十月晦日 / 冊子 2~3頁
山口直友が島津義久(龍伯)へ、佐土原城の処置について島津方の内意を本上州と協議し、島津右馬頭が城を請け取ることになったと報告する。庄三太と引渡しを相談し、自身の使者を右馬頭に添えて下向させたほか、又四郎の伏見在府、右馬頭の子の関東下向を早急に進め、さらに和甚兵を派遣すると伝えた書状。
二月十一日 / 冊子 3~5頁
近衛前久が島津義久へ、鷹の羽虫・羽乱れの治療法として薬の調合、灸点(図示)、餌となる小鳥や避けるべき畳表・山鴫などを詳説し、珍しい鷹の秘蔵を勧めた。あわせて自身の病状と下国願望、馬具の輪乗りにも触れた長文書状。
七月十九日 / 冊子 6頁
先年の立願成就を祝い、法螺五口を贈られたことに謝し、祈念の巻数と守札を進上して、武運長久と領国繁昌を祈ると約した書状。
二月朔日 / 冊子 6頁
好便に際して遠路のため詳しく書けないことを残念がり、略儀ながら扇を贈り、心中は後便で改めて伝えるとした近衛稙家の書状。
年月日未詳 / 冊子 6頁
前日の立寄りと酒の持参を大いに喜び、酔って正体がなく返礼の使者が遅れたことを詫び、返礼は不要であると伝えた親密な書状。
九月八日 / 冊子 6頁
重陽の祝儀として小袖二重が到来したことを喜び、詳しくは長谷川右兵衛尉守知と玄旨細川藤孝から伝えるとした朱印状。
十二月廿八日 / 冊子 7頁
歳暮の祝儀として呉服三点が到来したことを喜び、詳しくは石田治部少輔から伝えるとした朱印状。
(天正十五年)七月十日 / 冊子 7頁
領内百姓から刀・脇指を取り集めて多数を差し出したことを賞し、尽力を評価するとともに、詳細は石田治部少輔に申し含めた直書。
年月日未詳 / 冊子 7頁
端午祝儀に関する豊臣秀吉朱印状四通の宛所・日付・印判を列挙した目録。
「慶長三年」六月十三日 / 冊子 7頁
領国内にいる唐人・日本人の漆喰塗り職人を早々に探し出して差し出すよう命じ、浅野弾正少弼・増田右衛門尉にも申し含めた朱印状。
年月日未詳 / 冊子 7~8頁
徳川家康の御内書について、年頭・陽春などの祝儀に関する日付、印判、宛所を列挙した目録。
三月廿八日 / 冊子 8頁
長期の在陣を労い、矢工新四郎が前年に受けた厚意を謝し、再び下国する同人への配慮を依頼した書状。
五月廿八日 / 冊子 8頁
高来・島原方面での勝利を祝賀し、その意を伝えるため書状を送り、『新勅撰集』一部を贈って愛蔵を願った大友義統書状。
八月廿九日 / 冊子 8頁
久しく音信がなかったところ書状が届いたことを喜び、飫肥方面の案件がまだ決着していないと聞いたため、時機を見て無事解決するよう助言すると伝えた書状。
六月廿八日 / 冊子 9頁
入洛の祝儀が領国の事情で遅れたことを詫び、太刀一腰・馬一疋・黄金百両を進上し、喜入摂津介季久と相談のうえ披露を依頼した書状案。
六月十六日 / 冊子 9頁
日向産の若鷹を所望する件について御内書が下され、小袖を拝領したことを伝え、その意向に沿って取り計らうと述べた細川藤孝書状。
(天正六年)九月十二日 / 冊子 9頁
島津方の使者と入洛支援の意向に謝し、毛利輝元との今後の協議を望む一方、大友義鎮の策動で毛利方の帰洛が妨げられているとして、豊前・筑前境での戦闘と島津軍の日向進出を求めた連署状。
十一月廿八日 / 冊子 10頁
逍遥院の歌書と栄雅の詩歌を探し出せないため、まず両人の短冊を送り、島津領の乱劇を案じて来春の助力を約し、贈られた机・硯箱を秘蔵すると謝した書状。
十月三日 / 冊子 10頁
一色方面を念頭に置きながら事態が進まず日を空費していることを残念がり、相手方の動静をうらやむ心情を伝えた島津義久の書状。
六月三日 / 冊子 10頁
御一門への編入と御紋・裏書の許可、太刀一腰・馬一疋の拝領を深く謝し、返礼として太刀と馬を進上して披露を依頼した書状。
十月二日 / 冊子 11頁
勅命を受け、九州で続く領国境界争いを裁定するまで敵味方双方が弓箭を止めるよう命じ、従わなければ成敗すると警告した直書。
正月廿日 / 冊子 11頁
大仏造営用材の調達を伊集院・島津図書らに厳命するよう求め、あわせて巣鷹を当年中に差し出せるよう尽力を命じた朱印状。
(天正廿年〉十二月二日 / 冊子 11頁
島津方の分領処置を細川藤孝と相談して進めたことを認め、代官所の法度を上方同様に整え、船木の件も同様に処理するよう指示した朱印状。
十二月十八日 / 冊子 11頁
鹿児島への無事到着を喜び、緞子二十巻と皮衣一領の遠路からの贈答に謝意を示し、詳細は石田治部少輔から伝えるとした直書。
二月十八日 / 冊子 12頁
島津義弘が鹿児島へ参上するとの知らせを受け、加世田訪問や奥州殿の意向も含め、二十日頃に鹿児島で会合して相談する日程を打ち合わせた書状。
二月廿三日 / 冊子 12頁
霧島山での行事・普請に適する来月六日・二十二日・二十四日の吉日を示して同意を求め、般若寺への指示と、出水の鍛冶に作らせた品の進呈について述べた書状。
三月三日 / 冊子 12頁
年頭を祝い、喜入氏の番立時に託した伝言が届いたことを確認し、島津義弘が境目で勝利したことを祝賀した書状。
十二月十三日 / 冊子 13頁
提示された条件を受諾したとの報告と、今後は下知に従い無二の忠節を尽くす旨の誓紙を喜び、末永く変わらぬ厚遇を約した書状。
二月廿五日 / 冊子 13頁
大屋形の命を受けて諸所へ軍事の手配を行い、兵庫頭と又六郎の役割について判断を求め、自身も明後日には出立すると伝えた書状。
正月十一日 / 冊子 13頁
年頭を祝い、恒例の品々と羽一尻・杉原十帖の贈答に謝し、こちらからも返礼品を送ったことを伝える書状。
十二月十七日 / 冊子 13頁
歳暮を祝い、親しい間柄として恒例の書状を送り、翌春には互いの吉事を早々に言祝ぎたいと述べた書状。
六月十四日 / 冊子 14頁
敵方が数十艘の兵船を率いて指宿方面へ来襲した際、頴娃山城守が寄持衆と自ら戦い、多数の敵を討ち取った武勇と軍忠を賞した書状。
八月二日 / 冊子 14頁
ある事件をめぐり大乗院が立腹・退屈していると聞き、重大事なので五日ほど熟慮するよう諭し、自ら赴くか使者を通じて相談すると伝えた書状。
年月日未詳 / 冊子 14~15頁
年頭の祝意を重ね、親子同然の関係や又七の心掛け、老境で海辺に暮らす自身の近況を語り、複数の書状への返事と扇・櫛などの贈答を頼んだ私的色彩の強い書状。
二月二日 / 冊子 15頁
飯野での越年の労苦をねぎらい、近日中の境目への出張に備えて軍衆を催促し、十分な人数を集めるよう命じた書状。
五月六日 / 冊子 15頁
伊勢大神宮造営に関する献物と使書を受け取り、長年の隣国防衛への尽力を述べつつ、銀子千両余を奉加して武運長久を祈った書状。
二月五日 / 冊子 15~16頁
年頭を祝い、祝儀として使者・書状・太刀・馬が到来したことへの謝意を述べ、今後の交誼を願った書状。
二月八日 / 冊子 16頁
年頭を祝い、書状・太刀・馬の到来を喜び、返礼として太刀一腰と緞子一端を送った書状。
正月十四日 / 冊子 16頁
改年を祝い、恒例の賀書・太刀・馬が到来したことを喜び、今後の交誼を願った書状。
十一月十八日 / 冊子 16頁
見舞いのため遠路から飛脚を寄越した厚意に謝し、当地は当面異状がないことを知らせ、詳細を伊勢弥八に託した書状。
九月十三日 / 冊子 16~17頁
真幸境での勝利を祝い、書状と脇差一腰の贈答に謝し、今後の防戦と兵船の渡海を求め、手火矢一丁を送った書状案。
十月廿八日 / 冊子 17頁
芦北方面への出動に際して一陣の保持を頼み、格別の助力で安利を得たことを謝し、出水に滞留して返礼が遅れた旨を伝えた書状。
八月三日 / 冊子 17頁
方角からの廻文をただちに届けた誠意を賞し、今後も忠勤を遂げれば特に感賞すると約した感状案。
十月三日 / 冊子 17頁
入来院氏文書に伝わる島津義久書状。本文はNo.21と同文のため省略され、一色方面の情勢停滞について述べる。
年月日未詳 / 冊子 17~18頁
百姓の飢寒と貧富への配慮、奢侈な建築の禁止、農閑期の使役、賞罰の公正、讒言の排除、正直による統治など、領主が守るべき二十箇条を示した捉書。
正月三日 / 冊子 18~19頁
徳川家康への参上、家康の私宅訪問と諸奉行への案内、種子島鉄砲や砲術の所望、血判誓紙による忠誠確認など、一連の交渉経過を島津家久・義弘へ伝えた覚書。
(文禄三年)十一月二日 / 冊子 19頁
島津家久が参上して神載により心底を示したことを賞し、義久側も今後別儀はないと約束した書状。
(慶長八年)二月十九日 / 冊子 19頁
秀頼への奉公と関ヶ原前後の大垣出陣・敗走を振り返り、島津家久が上京して公儀と交渉し下向を実現した才覚を、国と家の繁栄の基として称賛した書状。