落合重次書状
(天正20年)4月2日 / 冊子 541頁
落合重次が、長く書状を送らなかったことを詫び、鷹之巣の件で朱印を受けたものの、椎葉山に以前からの主張があるため下向を延引していると伝える。先に使者を遣わして根拠を調べ、前年に置いた鳩もこの便で渡してほしいと頼み、朱印を持参したので受け取るよう四名へ求めた。
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(天正20年)4月2日 / 冊子 541頁
落合重次が、長く書状を送らなかったことを詫び、鷹之巣の件で朱印を受けたものの、椎葉山に以前からの主張があるため下向を延引していると伝える。先に使者を遣わして根拠を調べ、前年に置いた鳩もこの便で渡してほしいと頼み、朱印を持参したので受け取るよう四名へ求めた。
(寛永九年)十一月十五日 / 冊子 327頁
松倉重次が島津家久へ、先の使者への厚遇に礼を述べ、自領で預かっていたオランダ人関係者が逃走したため、島津領内での捜索や琉球・島原への照会に協力を得たことを謝した書状。今後、彼地へ人を派遣することにも触れる。
二月廿九日 / 冊子 52頁
片山重次が、城中で初めて対面した指宿内蔵助の戦功を称賛した書状。指宿が敵二人の首を切り捨てた手柄は比類なく、自身も敵一人を切り捨てたものの首を取らなかったことを悔やむと述べ、薩州衆の前日の働きも報告する。
十二月二日 / 冊子 147頁
入来院重次が入来院尾州の人々に、本名字の回復について祁答院播磨守を頼み、一書を得て本意を遂げたことへの謝意を述べた書状。源左衛門尉の一門となったことを老齢の身の満足とし、礼が遅れたことを詫びる。
四月十三日 / 冊子 147~148頁
入来院重次が下村左衛門尉に、以前和泉へ赴いた際の面談を懐かしみ、系図を書写して送られたことを多年の本望として深く感謝した書状。系図を末代の重宝とし、今後も必要時には相互に披見し、隔心なく交誼を続ける意向を述べる。
十月三日 / 冊子 437頁
上使の水野藤右衛門を通じて、将軍の鷹が捕った鶴を下賜し、上意の詳細は使者が説明すると伝えた阿部忠秋・阿部重次連署書状。
十月廿日 / 冊子 437頁
No.987と同文であるため、本文を省略した阿部忠秋・阿部重次連署奉書。
十一月朔日 / 冊子 438頁
No.990と同文であるため、本文を省略した阿部忠秋・阿部重次連署書状。
二月朔日 / 冊子 439頁
前日の火事の際、島津家の者が増上寺へ出動したことを将軍が聞き、機嫌よく思し召した旨の上意を伝えた阿部忠秋・阿部重次連署奉書。
正月十三日 / 冊子 459頁
若君への年頭祝儀として使者を派遣し、太刀一腰・馬代黄金十両を献上したことが披露され、格別の仕合せであると伝えた松平信網・阿部重次連署書状。
正月廿三日 / 冊子 460頁
翌日の増上寺参詣は後住が未決定で、寺内も混雑しているため、将軍は紅葉山御仏殿へ参ることになり、諸大名は増上寺へ参詣しなくてよいと伝えた阿部重次書状。
四月廿一日 / 冊子 469頁
近日中に公家衆へ暇が与えられるため、翌日から当月中は諸大名の供足を出さなくてよいと申し渡した阿部忠秋・阿部重次連署覚。
五月七日 / 冊子 469頁
参向中の公家・門跡衆をもてなすため、天候がよければ翌日に能を催すので見物するよう上意を伝え、六つ時ごろの登城を求めた松平信綱・阿部重次連署書状。
五月廿七日 / 冊子 471頁
月初が近いため、翌二十八日の礼は行わず、出仕にも及ばないと伝えた阿部重次書状。
七月六日 / 冊子 472頁
日光普請が無事完了した祝賀として翌日に能を催すので見物するよう上意を伝え、五時ごろ登城するよう求めた松平信綱・阿部重次連署奉書。
八月廿七日 / 冊子 474頁
月初が近いため、翌二十八日の礼は行わず出仕にも及ばないと伝えた阿部重次書状。
十月二日 / 冊子 477頁
又三郎が上使を通じて将軍の鷹の雲雀を下賜されたことを喜び、礼を申し上げた入念な対応を台聞に達すると伝えた松平信綱・阿部重次連署書状。
十二月十二日 / 冊子 480頁
島津光久から薩摩産の蜜柑を贈られ、披露のうえ受納されたことを伝えて謝意を示した阿部忠秋・阿部重次連署書状。
文禄2年5月25日 / 冊子 699頁
秀吉から拝領した帷子二つと御朱印一通を送り、受領後に請状を返すよう求める。 あわせて朝鮮在陣地の「御仕置」に関する朱印状と、処罰条項を記した三人連署の朱印状も同封した、複数の重要文書と拝領品の送達を知らせる連署状。
十月廿日 / 冊子 443頁
異国の大船が奥州・九州沿岸を漂海しているとの注進を受け、領内の浦々で日常的に警戒し、陸地へ上がった場合は捕縛して状況を報告するよう上意を伝えた連署奉書。
十一月朔日 / 冊子 444頁
伊東大和守・秋月長門守領内沖に異国船二艘が漂泊し、その後薩摩領岸良沖で石火矢を数発放って行方不明となったとの注進を上聞に達し、入念な報告を将軍が喜んだ旨を伝えた連署書状。
二月廿三日 / 冊子 461~462頁
改年の祝意と将軍方の健康を喜ぶ島津光久の書状を受け、いずれも平安であると伝え、使者を介した祝儀を上聴に達して満悦された旨を通知した連署書状。
十月廿五日 / 冊子 478頁
将軍が八月二十七日にその秋初めて王子へ出御したことを喜んで使者を派遣した島津光久に対し、将軍は機嫌よく各地へ鷹狩に出ていると伝え、薩摩産の魚二種の献上も披露された旨を通知した連署書状。
十二月廿一日 / 冊子 481頁
将軍方の健康を案じて使者を派遣した島津光久に対し、機嫌よく過ごしていると返答し、捕らえた鶴一羽の献上を披露したところ喜ばれた旨を伝えた連署書状。
年月日未詳 / 冊子 711頁
享禄四年四月・六月の合戦で、入来院上総介、東郷重貞、寺尾重次らが戦死したことを記す。
永禄十二年正月三日~十一月廿七日 / 冊子 210頁
永禄十二年に島津方で戦死・討死した者を月日別に列挙する。正月三日から十一月二十七日まで、三月十八日の蒲池越中守ら、五月二十三日・二十五日の伊地知重次、貴島源五郎ら、多数の家臣・従者の名と一部の戦場・討死事情を記す。
年月日未詳 / 冊子 266頁
殉国名薮の記事。慶長十五年四月九日の久保権兵衛重次をはじめ、島津以久に仕えた猿渡左近、肝付治部左衛門兼家、日高大炊左衛門重勝ら、主君に従って殉死した家臣を列挙する。
「寛永十九年」正月十四日 / 冊子 184~185頁
川上久国・新納久詮が国元の重臣らへ、長野金山を公領に差し出す願いについて、江戸城で松平信綱・酒井忠勝・阿部忠秋・阿部重次らから忠節を賞され、その年は従来どおり採掘し、翌年以降は改めて指図を受けることになったと報告した連署書状。永続的な拝領ではないため、当年の利潤を借銀返済に充てるよう勧め、系図の扱いについても触れている。
正月廿四日 / 冊子 438頁
台徳院徳川秀忠の遠忌に際して軽罪人を赦免するため、領国各地の該当者を放免するよう上意を伝えた松平信網・阿部忠秋・阿部重次連署奉書。
四月廿一日 / 冊子 469頁
翌日に能が催されるため見物するよう上意があり、五時ごろ登城するよう伝えた松平信綱・阿部忠秋・阿部重次連署奉書。
(文禄2年)5月27日 / 冊子 700頁
泉又太郎が軍役を果たさなかったため、本来は成敗すべきところ命を助け、知行を没収して小西行長に預けるという秀吉の朱印状を受け取ったと報告する。 島津義弘が処分命令を謹んで承知し、秀吉へ謝意を伝えてほしいと両使へ依頼した返書案。
(寛永十一年)七月廿三日 / 冊子 440頁
古田兵部少輔の家来が不義により死罪となり、その妻子が在所から欠落したため、諸国を捜索し発見次第捕えて引き渡すよう命じた三名連署の申渡書。
七月十六日 / 冊子 441頁
島津光久が無事に暇を与えられ、海陸を経て領国へ帰着したことを喜び、その報告を上聞に達したところ念の入った対応だと将軍が喜んだ旨を伝えた三名連署書状。
正月廿六日 / 冊子 460頁
島津筑前守を使者として申し上げた件と、御服拝領を喜ぶ旨を了承し、さらに礼の使者を派遣した入念な対応を上聞に達したと伝えた三名連署書状。
三月二日 / 冊子 462頁
大納言の病気が早く回復したことを喜び、使者を派遣した島津光久の入念な見舞いを上聴に達したところ、将軍が喜んだ旨を伝えた三名連署書状。
三月五日 / 冊子 463頁
九条摂政に関する出来事を受け、将軍の様子を案じて島津光久が使者を派遣したことについて、入念な対応を将軍へ伝えるとした三名連署書状。
三月六日 / 冊子 463頁
亀松の病状を案じた島津光久に対し、すでに本復したので安心するよう伝え、入念な見舞いを上聴に達したとする三名連署書状。
三月六日 / 冊子 464頁
将軍方の健康を案じ、伊勢兵部少輔を使者として砂糖漬三壺・鰹節一箱を献上したことが披露され、使者を御前へ召し出して入念な見舞いを満悦された旨を伝えた三名連署書状。
三月六日 / 冊子 464頁
亀松が病気から早く本復したことを喜び、使者を派遣した島津光久の入念な対応を上聞に達した旨を伝えた三名連署書状。
三月七日 / 冊子 465頁
大納言の病状を案じて使者を派遣した島津光久に対し、すでに本復したので安心するよう伝え、入念な見舞いを上聴に達したとする三名連署書状。
三月八日 / 冊子 466頁
大納言の病気が早く本復したことを喜んで使者を派遣した島津光久について、その厚意を上聴に達し、将軍が喜んだ旨を伝えた三名連署書状。
三月八日 / 冊子 466~467頁
将軍が頭痛のため正月二十四日の御堂参詣を延期したと聞き、病状を案じて使者を派遣した島津光久に対し、すでに快復して前月二日に増上寺へ参詣したので安心するよう伝えた三名連署書状。
三月十一日 / 冊子 467頁
大納言が軽く患って年頭の礼を延期したと聞き、様子を案じて使者を派遣した島津光久に対し、すでに快復しているので安心するよう伝え、厚意を上聴に達するとした連署書状。
五月十九日 / 冊子 470頁
翌二十日に能を催すので見物するよう上意を伝え、息子又三郎を同道して六つ半時ごろ登城するよう求めた三名連署奉書。
七月六日 / 冊子 472頁
暇を得て帰国する際、将軍方の様子を伺うため江戸に家臣を残したことについて、将軍はいずれも機嫌よく、城廻りにも二度出御したので安心するよう伝え、入念な対応を上聴に達したとする三名連署書状。
七月廿日 / 冊子 473頁
将軍方の健康を案じて使者と目録記載の品々を献上した島津光久に対し、いずれも機嫌よく、進物を披露したところ入念な対応を喜ばれた旨を伝えた三名連署書状。
八月五日 / 冊子 474頁
将軍が眼病から早く快復したことを喜び、使者を派遣した島津光久に対し、その入念な見舞いを将軍へ申し上げると伝えた三名連署書状。
十二月六日 / 冊子 474~475頁
翌朝、二之丸で御茶を下されるとの仰せが出たため、六時ごろ登城するよう命じた三名連署奉書。
十月朔日 / 冊子 477頁
将軍方の健康を案じて使者を派遣した島津光久に対し、いずれも機嫌よく安心するよう伝え、薩摩産の二種の進物を披露したところ丁重な対応を喜ばれた旨を通知した三名連署書状。
十月十六日 / 冊子 479頁
将軍が病気から快復し、九月十七日に内宮へ参詣したことを喜び、使者を派遣した島津光久の入念な見舞いを上聴に達したところ、将軍が喜んだ旨を伝えた三名連署書状。