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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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31 件 (全巻)/ 1–31件を表示

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前編2-No.2432記事確認度 高

北郷久隆譜

天文十一年六月十八日、豊州家が平坊へ出軍して忠相に援兵を求めたため、北郷久隆が二百人の兵を率いて平坊へ出張し、軍務に従った。

登場人物
北郷久隆、北郷忠相、豊州家
宛先
—
キーワード
北郷久隆譜、北郷久隆、北郷忠相、豊州家、平坊、援兵、二百人、天文十一年
前編2-No.2433記事確認度 高

庄内平治記

天文十一年六月十八日、平坊へ出軍した豊州家の求めに応じ、忠相方の北郷久隆が二百人の兵を率いて援軍に赴いたことを記す。

登場人物
北郷久隆、北郷忠相、豊州家
宛先
—
キーワード
庄内平治記、北郷久隆、北郷忠相、豊州家、平坊、援軍、二百人
附録2-No.1356文書確認度 高

伊東祐修書状

秋の合戦について諸軍衆の疲弊を踏まえ、豊州家を仲介に北郷氏と新納氏が和融するよう提案する。三俣数か所と吉松の処置をよく勘案し、今秋の弓箭を休止して将来も堅固に相談することを求めた伊東祐修書状。

登場人物
伊東祐修、北郷忠親、八代長門守、長倉隼人正、豊州家、新納氏
宛先
北郷次郎殿
キーワード
伊東祐修、北郷忠親、豊州家、新納氏、和融、停戦、三俣、吉松、弓箭、軍勢疲弊、仲介
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID J33:16系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

豊州家系図

豊州家の系図。島津忠国から忠昌・久逸らへの系譜、法名、役職や居城を示し、帖佐・平山城をめぐる一族の経歴を傍注する。

登場人物
豊州家、在忠園、亨杢自忠園、忠昌、帖佐勧輿叛、久逸降語、太守忠園、久豊
宛先
式部大輔久逸起兵伐新納近
キーワード
豊州家系図、系図・由緒、寺社・宗教、領地・地頭職、鹿児島、豊後、福昌寺、志布志
前編2-No.2431記事確認度 中

北郷忠相譜

天文十一年閏三月、北郷忠相方が北原領の森田・西栫、山田・木野・牛谷の作毛を荒らして敵の兵糧基盤を攻撃した経過を記す。鹿野屋・蓬原方面で北原・志和池勢と激戦となり、双方に多数の死傷者を出した略奪・野戦の実態を伝える。

登場人物
北郷忠相、北原氏、豊州家、志和池衆
宛先
—
キーワード
北郷忠相譜、北郷忠相、北原氏、森田、西栫、山田、木野、牛谷、鹿野屋、蓬原、合戦
追録7-No.無番号_0140その他文書旧記雑録暫定版確認度 高

島津久長祭文

No.2704の附属資料「の10」、島津丹波久長が献じた祭文。冒頭は天保四年四月八日、重豪の霊柩が本府城北玉龍山へ帰葬したことを記す。臣久長は国老の一員として一家とも大きな恩を受け、それを報いるすべが分からず永い悲しみを抱くと述べる。中陰の日に茶菓などの供えを備え、霊へ告げる。続く韻文は、清和の貴胄、文武、領域を鎮める威と民への恵み、晩年も忘れない子孫への配慮、三位と長寿を讃える。幽冥への別れ、祭場の霊旗、残る英風、永く隔たる幽明に千行の涙を流す臣の哀痛を詠み、「尚饗」で結ぶ。本文注は豊州家とする。帰葬の記述と中陰日の献祭、領主の讃辞と臣の報恩・悲嘆を分け、具体的な供物の数量や祭文献上の時刻を補わない。

登場人物
臣久長(島津丹波久長・豊州家)、大信公(島津重豪)
宛先
大信公の霊(島津重豪)
キーワード
2704の10、無番号0140、島津久長、島津丹波、豊州家、国老、島津重豪、大信公、四月八日帰葬の記述、城北玉龍山、中陰日、茶菓供え、祭文、清和貴胄、文武、威徳、三位、子孫への配慮、報恩、幽明、霊旗、尚饗
後編3-No.261記事確認度 高

豊州家歴・平山氏系図(対馬守久清譜)

『豊州家歴・平山氏系図』所収の「対馬守久清譜」によれば、平山久清は文禄元年春に島津義弘が朝鮮へ渡海して以来、その側を離れず従軍した。慶長二年七月十四日の唐島海戦では、朝鮮救援に来た明国軍船数十艘を日本諸将が争って撃破し、唐島を焼いた際、久清が敵一人の首を取ったと記す。

登場人物
平山久清、島津義弘、明国軍、日本諸将
宛先
—
キーワード
豊州家歴、平山氏系図、対馬守久清譜、平山久清、島津義弘、唐島、明国軍船、朝鮮出兵、首級、軍功
追録3-No.193-3文書旧記雑録暫定版確認度 高

豊州家等名字名乗申渡書

豊州家などの諸家について、寄合格かどうかや嫡子・二男の別を踏まえ、用いる名乗り字を申渡す。

登場人物
—
宛先
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キーワード
豊州家等名字名乗申渡書、島津氏庶家の名字・名乗り申渡しの総則。個別十二件は193-1~193-12
附録2-No.1404記事確認度 高

豊州家系図抄(一)

島津季久を祖とする豊州家一流系図。忠廉・忠康以下、加治木家への養子相続、寺院住持となった者、串良戦死・飫肥での父子切腹、島津朝久へ続く嫡流の官途・婚姻・生没年を記す。

登場人物
島津季久、島津忠廉、島津忠康、島津朝久、島津守興、島津忠朝
宛先
—
キーワード
豊州家、島津季久、島津忠廉、島津忠康、島津朝久、加治木、串良、飫肥、切腹、養子、寺院、系図
附録2-No.1405記事確認度 高

豊州家系図抄(二)

豊州家六代朝久以後の系図。島津義弘の嫡女を母とする久賀、島津家久の庶子で朝久後室の領地を継いだ忠弘、松平定行家などへの婚姻、久次・久美以下の生没年・母方・養子関係を記す。

登場人物
島津朝久、島津久賀、島津義弘、島津家久、島津忠弘、島津久美
宛先
—
キーワード
豊州家、島津朝久、島津久賀、島津義弘、島津家久、島津忠弘、松平定行、婚姻、領地相続、養子、系図
前編2-No.903記事確認度 高

豊州島津季久譜

豊州家元祖の島津季久について、応永二十年に久豊の三男として生まれ、母は上原氏の女で、のち修理亮・豊後守・越後守を称し、帖佐瓜生野に居住したことを記す系譜記事。

登場人物
島津季久、島津久豊、上原氏
宛先
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キーワード
豊州島津季久譜、島津季久、島津久豊、上原氏、豊州家元祖、応永二十年、帖佐、瓜生野、系譜
前編2-No.1556記事確認度 高

島津忠廉譜

豊州家二代忠廉譜として、文明十五年八月廿一日の笠懸に参加した忠廉と一門・家臣らの名、役割、系譜上の注記を列記する記事。

登場人物
島津忠廉、伊集院尾張守、河上左近将監、伊地知越前守、桑波田右馬助
宛先
—
キーワード
島津忠廉譜、豊州家、島津忠廉、笠懸、家臣、一門、役割、系譜、文明十五年
後編4-No.1710文書確認度 中

島津忠広一流系図

島津忠広が義弘の長女御屋地の所領を受け、朝久の二男でありながら延宝五年に光久の命で豊州家を離れ忠朗の次男に準じられ、元禄十六年に没して萬山孤峯大居士と号したこと、および子孫を示す一流系図。

登場人物
島津忠広、島津義弘、島津光久、島津忠朗
宛先
島津忠広
キーワード
島津忠広一流系図、島津義弘、御屋地、豊州家、島津光久、島津忠朗、萬山孤峯大居士、延宝五年、元禄十六年
後編5-No.309文書確認度 中

島津朝久一流系図

島津朝久を祖とする豊州家の系譜を示し、久賀・忠次・藤次郎・久守・久邦・久元らの続柄を図示する。注記では、書状中の藤次郎を久賀の長男とする。

登場人物
島津朝久、島津久賀、島津忠次、藤次郎、島津久守、島津久邦、島津久元ほか
宛先
—
キーワード
島津朝久、豊州家、島津久賀、藤次郎、島津久元、系図、系譜
追録1-No.1739系譜抄旧記雑録暫定版確認度 中

島津忠広系譜抄

市正忠広譜中に、忠広が初め御屋地の養子となり豊州家の二男家として一家を立てた後、延宝六年二月十六日に光久の命で豊州家を辞し宗室の庶流へ復帰して、平兵庫忠朗の次弟として三男家に準じ一家を立てたと記す。延宝七年四月六日に家老職を辞し、元禄十六年八月三日に死去する。

登場人物
島津忠広、島津光久、島津忠朗
宛先
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キーワード
島津忠広、島津光久、島津忠朗、豊州家、宗室、庶流、一家創設、系譜、死去
附録2-No.1359記事確認度 高

北郷忠相譜

天文十四年、飫肥の島津忠康が伊東氏の攻撃で危急となり、北郷忠親が救援して竜酒谷城へ入ったこと、忠康の後継として豊州家を継ぐため時久へ北郷家督を譲ったこと、二十余年にわたり飫肥を守って伊東氏と戦った経緯を記す譜。

登場人物
北郷忠親、島津忠康、北郷時久、伊東氏
宛先
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キーワード
北郷忠親、島津忠康、北郷時久、伊東氏、飫肥、竜酒谷城、救援、豊州家、養子、家督、長期戦、系譜
附録2-No.1409記事確認度 高

島津久元一流系図

島津帯刀久元一流の系図。久延・久共の生没年と家老就任、久年・忠雄・久名以下の婚姻・養子関係、豊州家久邦への養子相続などを記す。

登場人物
島津久元、島津久延、島津久共、島津忠雄、島津久名
宛先
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キーワード
島津久元、島津久延、島津久共、島津忠雄、島津久名、家老、養子、豊州家、婚姻、系図
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:109系図・都城臣上原甚左衛門家旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

都城臣上原甚左衛門系図

都城臣上原甚左衛門家について、上原宮内左衛門の父・長門守以来の北郷氏への奉公と近世の子孫をたどる系図。父祖は豊州家に仕えて飫肥へ移り、北郷忠親が豊州家を継いだ後に北郷氏へ臣従したと伝え、宮内左衛門は永禄元年三月十九日、北郷時久に従って肝付氏と恒吉宮ヶ浜で戦い死亡し、法名を長阿弥陀とする。宮内左衛門の戦死後、時久の許可で養子となった野崎丹後左衛門入道正金の嫡子は、天正年間に旧地回復の使者として二十八人を率いて飫肥へ赴き、文禄元年には北郷忠虎に従って朝鮮へ出陣した。さらに慶長五年茶園尾陣で没した齊次郎、元和元年に北郷忠能に従い大坂へ出陣した尚保、尚貞・尚盛・尚明・尚時・尚純・尚次・尚侍・尚政・尚常らの出生・没年、法名、婚姻・養子関係を収め、末尾に元禄七年の再撰書出から抄出した略系を天保七年七月に伊地知季安が記したと明記する。

登場人物
上原宮内左衛門、上原長門守、北郷忠親、北郷時久、肝付氏、野崎丹後左衛門入道正金、北郷忠虎、齊次郎、上原尚保、北郷忠能、上原尚貞、上原尚盛、上原尚明、上原尚時、上原尚純、上原尚次、上原尚侍、上原尚政、上原尚常、伊地知季安
宛先
—
キーワード
都城臣上原甚左衛門系図、上原宮内左衛門、上原長門守、豊州家、飫肥、北郷忠親、北郷氏、北郷時久、永禄元年、肝付氏、恒吉宮ヶ浜、戦死、長阿弥陀、野崎丹後左衛門入道正金、養子、旧地回復、二十八人、北郷忠虎、文禄元年、朝鮮出兵、齊次郎、茶園尾陣、尚保、北郷忠能、大坂出陣、明暦三年、法名、出生没年、婚姻、元禄七年再撰書出、略系、天保七年、伊地知季安
前編2-No.2490記事確認度 中

樺山玄佐自記

豊州家の当主の病と後継問題をめぐり、樺山玄佐が北郷讃岐守・伊集院氏ら関係者の奉公と主張を記した自記。家督・相続を誰に認めるか、旧来の勤仕をどう評価するかを先例に照らして検討し、一族間の争いを避けるための処置を論じる。

登場人物
樺山玄佐、北郷讃岐守、伊集院氏
宛先
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キーワード
樺山玄佐自記、樺山玄佐、北郷氏、伊集院氏、家督、相続、先例、奉公
後編1-No.119記事確認度 高

日向記巻五

新山城落城後、豊州家の要請を受けた島津貴久が島津忠将を大将に三千の援軍を飫肥へ送った記事。十二月二十三日、伊東勢との激戦で島津方の物頭らが討たれた一方、伊東方は百九十八の首級を挙げたとする。

登場人物
伊東義祐、島津貴久、島津忠将、奈良原長門守、春成兵庫、梶原藤七兵衛、伊東相州、上原式部
宛先
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キーワード
日向記巻五、飫肥、島津貴久、島津忠将、伊東義祐、援軍、十二月二十三日、首級
追録1-No.44記事旧記雑録暫定版確認度 高

平山久守家系由緒

豊州家豊前守久守譜中の記事。久賀の命により、対馬守久清の出自、朝鮮渡海から関ヶ原までの義弘への奉公、右馬頭久武の戦死後に久清を後継とした経緯を述べる。島津氏の支流ではなく平山を称する者も多く、姓氏の同異を知る者は少ないとして、その疑義を裁定した左近将監久守の証書と久清の記を掲げる。

登場人物
島津義弘、島津久賀、島津久清、島津久守、平山氏
宛先
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キーワード
島津義弘、島津久賀、島津久清、島津久守、平山氏、養子、系図、家系由緒
追録1-No.1756記事旧記雑録暫定版確認度 高

島津久邦鶴拝領礼使記事

豊州家豊後久邦譜中に、久邦が延宝七年正月元日、鶴拝領の御礼使として武城へ参り、二月十五日に将軍家へ拝謁したと記す。元禄四年四月二十五日の死去も記載する。

登場人物
島津久邦、徳川家綱
宛先
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キーワード
島津久邦、徳川家綱、鶴拝領、礼使、江戸、拝謁、死去、記事
追録7-No.無番号_0146報告書旧記雑録暫定版確認度 高

篠原善助・相良甚太夫吟味書(支族家格・跡目先例)

左近の跡目と家格・連名順位を検討するため、篠原善助と相良甚太夫が支族諸家の成立・相続先例を調べた第一の吟味書。御誕生後ほどなく夭折した男子、御七男左近、御八男為次郎らの位置を示したうえ、大玄院在世中に行われた支族・諸士の家筋吟味以後の制度を参照する。一門方四家、準一門、豊州家・永吉家・佐多家・佐土原家などについて、二男以下の分家、別腹の長男、家督相続、養子、断絶後の再興、地頭職・番頭・御側役等への任命、太刀着座・家格一所持格の付与、知行・宅地・役料の給付を時代順に列挙する。元禄・享保・正徳・文化・天和・宝永・享保・寛政などの先例を引き、家の新設が血統順位だけで一律に決まらず、当主の功績、先祖の由緒、当時の役職と家格、養子・実子の関係、家督継承の事情を伴うことを示す。左近家を新設する場合の家格・席次をどこに置くか、先例と現在の一所持家の配列に照らして慎重に伺う。天保五年午九月二十日、篠原善助・相良甚太夫。全家系を現代的な系図へ再構成せず、本文が跡目判断の根拠として挙げた先例群として保持する。

登場人物
篠原善助、相良甚太夫、左近、中将、大玄院、浄国院、寛陽院、島津但馬・遠江・久馬・図書・主計・右門・求馬・新納浪江・樺山権左衛門・喜入多門ほか支族諸家
宛先
中将ほか取扱向
キーワード
篠原善助、相良甚太夫、左近跡目、支族家格、連名席次、一門方四家、準一門、一所持格、二男以下分家、養子相続、断絶再興、家督、地頭職、知行宅地、太刀着座、家筋吟味、天保五年九月二十日
附録2-No.1006文書確認度 高

島津光久判物

豊州家の養子となったものの知行が少なく、当時は私領扱いで別知行がないと聞いたため、黄門へ伺ったうえで光久の持高から五百石を与え、当面の知行とすることを認めた島津光久判物。

登場人物
島津光久、島津忠広、黄門
宛先
島津忠広
キーワード
島津光久、島津忠広、養子、知行、五百石、判物
附録2-No.1354記事確認度 高

北郷氏系図抄(一)

北郷忠相の子忠親と孫時久を中心とする北郷氏系図。忠親が都城の家督を継ぎ、父忠相が高城へ移ったこと、忠親が島津豊州家忠康の養子として飫肥へ移る際に時久が北郷家督となったことを記す。

登場人物
北郷忠相、北郷忠親、北郷時久、島津忠廉、島津忠康
宛先
—
キーワード
北郷氏、北郷忠相、北郷忠親、北郷時久、島津忠廉、島津忠康、都城、高城、飫肥、養子、家督、系図
附録2-No.1410記事確認度 高

平山氏系図抄(一)

豊州家庶子の平山氏系図。島津季久流から忠廉・忠康・忠朝へ続く家系、松山居住と官途、加治木家への養子、忠智が肝付兼続討伐に向かう途中で肝付兵に斬られたことなどを記す。

登場人物
平山忠廉、島津季久、平山忠康、平山忠朝、平山忠智、肝付兼続
宛先
—
キーワード
平山氏、平山忠廉、島津季久、平山忠康、平山忠朝、平山忠智、肝付兼続、松山、加治木、養子、戦死、系図
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID D:180-2覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

伊地知季安覚書

伊地知季安の覚書。本田兼親と税所氏の争いに関する先の文書を解説し、豊州家の時代の帖佐平山城、清水・吉田への移動などを挙げて経緯を検討する。関係者の年齢や移住時期も照合する。

登場人物
伊地知季安、御屋形一一奉、忠昌、外孫本田玄賀
宛先
取構
キーワード
伊地知季安覚書、領地・地頭職、軍事・武具、儀礼・贈答、清水
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID J33:15系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

山田聖栄系図目安

山田聖栄の系図・目安を引き、豊州家の成立と島津忠国の時代の家中の出来事を記す。伊集院氏による平山城襲撃、餅田・平松らの動きも述べる。

登場人物
山田聖栄、忠園、忠国
宛先
園公御舎弟嶋津出羽守有久
キーワード
山田聖栄系図目安、系図・由緒、寺社・宗教、領地・地頭職
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID J33:17文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

行脚僧雑録

『行脚僧雑録』からの抜書。島津氏の家督と豊州家の関係をたどり、平山城をめぐる忠康・久逸らの戦闘や城の移動、家臣の所領・由緒を記す。

登場人物
行脚僧雑録、護御屋形嶋津之又三郎、忠園、立久、法名宣徳院、忠昌
宛先
嘗守護御屋形嶋津之又三郎、法名宣徳院、佐城
キーワード
行脚僧雑録、寺社・宗教、領地・地頭職、軍事・武具、鹿児島、薩摩、日向、田布施、指宿、清水