犬追物手組
至徳元年十一月十六日 / 冊子 126頁
山田忠経伝に載る犬追物手組として、至徳元年十一月十六日に行われた犬追物の組分けと参加者、各人の得点を列挙した記録。
SEARCH THE ARCHIVE
『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
434 件 (全巻)/ 1–50件を表示
ページ 1 / 9
至徳元年十一月十六日 / 冊子 126頁
山田忠経伝に載る犬追物手組として、至徳元年十一月十六日に行われた犬追物の組分けと参加者、各人の得点を列挙した記録。
至徳二年十二月十五日 / 冊子 129頁
加治木鹿屋仁右衛門文書に伝わる犬追物手組として、至徳二年十二月十五日の参加者を組別に掲げ、各人の得点を列挙した記録。
文亀三年七月廿四日 / 冊子 580頁
文亀三年七月二十四日に催された犬追物の編成表。島津忠昌家臣ら参加者を複数の組に分け、各組の射手名、持分、人数を列挙することで、競技当日の対戦・射礼の組合せと、家中武士が担った役割を確認できるようにした手組書。
文亀四年三月廿二日 / 冊子 584頁
文亀四年三月二十二日の犬追物について、島津備前守・豊後守ら各組の射手名と持分を列挙した手組書。
永正十四年九月十五日 / 冊子 614頁
永正十四年九月十五日の犬追物について、初日一番の射手と射数を列記した手組。
慶長十一年十一月廿五日 / 冊子 95頁
慶長十一年十一月二十五日の犬追物手組を記す項目。本文は先行する手組記録と同文であるため省略された旨の注記を伴う。
慶長十一年十一月廿五日 / 冊子 95頁
慶長十一年十一月二十五日の犬追物手組の別記。本文はNo.280の記録と同文であるため省略された旨を記す。
慶長十一年十一月廿六日 / 冊子 95頁
慶長十一年十一月二十六日の犬追物手組を記す項目。本文は後掲のNo.284と同文であるため省略された旨の注記を伴う。
慶長十一年十一月廿六日 / 冊子 96頁
慶長十一年十一月二十六日の犬追物手組を記す項目。本文はNo.285の記録と同文であるため省略された旨の注記を伴う。
慶長十一年十一月廿六日 / 冊子 97頁
慶長十一年十一月二十六日の犬追物手組を記す項目。本文はNo.288の記録と同文であるため省略された旨の注記を伴う。
慶長十一年十一月廿六日 / 冊子 97頁
慶長十一年十一月二十六日の犬追物手組を記す項目。本文はNo.287の記録と同文であるため省略された旨の注記を伴う。
慶長十一年十一月廿七日 / 冊子 97頁
慶長十一年十一月二十七日、犬追物三日目第二番の手組を記した一覧。殿以下の射手名と組合せ・割当てを示す。
慶長十一年十一月廿七日 / 冊子 97頁
慶長十一年十一月二十七日の犬追物手組を記す項目。本文はNo.292の記録と同文であるため省略された旨の注記を伴う。
慶長十一年十一月廿七日 / 冊子 97頁
慶長十一年十一月二十七日の犬追物手組を記す項目。本文はNo.291の記録と同文であるため省略された旨の注記を伴う。
慶長十一年十一月廿七日 / 冊子 98頁
慶長十一年十一月二十七日の犬追物手組を記す項目。本文はNo.296の記録と同文であるため省略された旨の注記を伴う。
(慶長十一年)十一月廿八日 / 冊子 99~100頁
慶長十一年十一月二十八日、犬追物に際して守るべき作法と心得を列挙した覚書。馬の立替え、序破急、縄際での射方、弓・鏑の扱い、犬や他の射手への配慮、検見・相談、借用品の返却などを細かく定める。
元和七年十二月四日 / 冊子 774~775頁
元和七年十二月四日に行われた犬追物について、各番の騎射手と馬数を配した手組。島津家久を検見とし、喜入島津大炊助らが喚次を務める編成を記す。
元和七年十二月五日 / 冊子 775頁
元和七年十二月五日の犬追物について、矢懸次第と各番の騎射手・馬数を定め、島津家久が検見し、嶋津大炊助らが喚次を務める手組を記す。
元和七年十二月七日 / 冊子 775頁
元和七年十二月七日の犬追物について、矢懸次第と各番の騎射手・馬数を定め、川上嶋津十郎左衛門尉らが検見・喚次を務める手組を記す。
安永二年十月(朱、日なし) / 冊子 394頁/原整理番号 1105/整理ID 1105
犬追物は近来、形の稽古がなくなっているが、当家に伝来したものであるから捨て置くべきでないとする。新たに稽古場ができたので、まず専ら形を稽古し、修練のうえ式を取りまとめ、御覧になり得るよう整えることを求める。以後も稽古を続けるよう命じ、川上庄八郎に出精して指導させ、この趣を稽古人へ申し渡すよう指示する。末尾は朱の安永二年十月、左中。正文は家老座にある。伝来の武芸を復興するための稽古と将来の御覧の準備を定める。
年月日未詳 / 冊子 94頁
犬追物が鎌倉幕府以来の武家故実で、島津忠久から代々継承されたことを述べる島津家久譜の記事。家久襲封後初の犬追物を十一月二十五日から二十七日まで三日間行い、続けて射手の組合せと教命書を掲げるとする。
年月日未詳 / 冊子 774頁
島津家では嫡子が六、七歳になると犬追物を催し騎射を始めさせる祖先以来の佳例があり、六歳となった虎寿丸(後の島津光久)のため、家久が自ら検見して初騎射の手組を定めたことを記す系譜記事。
年月日未詳 / 冊子 249頁
島津光久関係の犬追物手組。初日の第一組について、射手と騎馬の組合せ、および四角の外を回る順序を定めた編成表である。
年月日未詳 / 冊子 250~253頁
犬追物の手組を記した詳細な編成表。島津家一門・家臣について、初日各番の射手名、騎馬・馬役、組ごとの人数と配置を列挙し、四角の外を回る順序も定めている。犬追物実施時の参加者構成と進行順を示す記録である。
年月日未詳 / 冊子 253頁
犬追物の諸役者注文。初日から二日目までの各番について、射手・騎馬の組合せを列挙し、日記、幣之役、弓・太刀・鞭、犬放し、犬懸、狼藉時の兵具奉行など、競技運営を担う諸役と担当者を定めている。
寛永廿一年三月十三日 / 冊子 328頁
寛永二十一年三月十三日の犬追物手組。一番の外囲次第について、射手・騎馬の組合せと順序、検見役・喚次役などを列挙した編成表。
寛永廿一年三月十三日 / 冊子 328頁
寛永二十一年三月十三日の犬追物手組。一番の囲次第について、射手・騎馬の配置と検見役・喚次役・日記役・幣之役などの担当者を定めた編成表。
独立年月日記載なし(目録は安永二年の記事群) / 冊子 384頁後の無頁番号折込(題記384頁)頁/原整理番号 1083/整理ID 1083
「造士館・演武館絵図折込み」とする題記に続く施設配置図。垣で区切った敷地の中に、聖堂と門・杏壇、講堂や御座の間などの諸室、文庫二棟、供所などを描く。文教施設に隣接して剣術稽古所二棟、鎗術稽古所、射手屋と射場、犬追物稽古場、周囲の馬乗場、馬見所・御膳所・目附詰所などを配する。中門・小門、石橋を伴う門、外周の通りや城山方向も記し、建物ごとの柱・部屋、庭・通路・垣のつながりを示す。神農堂については建物とは別に「神農堂地」の表示がある。文教・祭祀と武芸の施設を一つの敷地配置として把握できる図で、創建記事の「左図」に対応する。
子正月(補収した末尾、年号・日不記) / 冊子 329頁/原整理番号 465の3/整理ID 465-3
犬追物の式日に郷犬を引き越す者へ押しかけて犬を買い受け、品物を交換する者があるとの話を受け、当時の士風に沿わず不可然として、そのような行為を一切しないよう命じる。当座は別に取締掛を設けて厳重に扱い、支配下へも周知させる。元切片で欠けていた次段右端の「子正月」を補収して確認した。犬追物の手順や取締実行を補わず、御用をかたる取引への指示として整理する。
年月日未詳 / 冊子 163~164頁/原整理番号 114
「羅山子撰」とある犬追物記。正保三年四月七日、薩州太守島津氏が老少を招いた犬追物について、竹柵と馬場の寸法、御座と射手・検見・喚次の配置、犬を放って射る順序や勝敗の定めを述べる。前件の日記ではなく催事の構成・作法を記した文章。
是歳冬十一月十三日(安永四年の文脈) / 冊子 475頁/原整理番号 1308/整理ID 1308
この年冬十一月十三日、重豪が演武館で犬追物を初めて講じ、射手の上班・次班・下班・論犬の班と、検見・喚次が、それぞれ定められた法に従ったと記す。これを代始の大追物とする。小字注は浄國公に触れて、長く講じられず犬追物場だけが残っていたが、この時再び講じたことを説明し、實予意也と結ぶ。重豪の代での復講として整理し、犬追物自体をこの日に初めて創設したとはしない。
「寛永廿一年」十月七日 / 冊子 357~358頁
北郷久加・新納久詮の連署書状。津田平右衛門が上使として参り、将軍の御鷹で捕らえた雁を島津光久が拝領した慶事を伝える。併せて犬追物稽古について古法を守るよう命があり、その趣旨を関係者へ申し下すよう指示する。
寛政8年2月1日・17日(本文) / 冊子 115頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書0348
斉宣公御譜に、厄年に当たる斉宣のため鏑流馬を行った経緯を記す。犬追物師家川上十郎左衛門親香と他の犬追物人員が、稲荷社前で鏑流馬を行って除厄を祈ることを請い、斉宣が許可した。寛政8年春2月朔日に実施し、17日には親香らに命じて城南中村別荘の騎射場でも再び行わせた。この日は斉宣が臨観し、騎馬・服装は朔日と同じだったとする。印刷348の記事は目録348の除厄記事に対応し、旧入力の鷹・鶴拝領標題を分離する。
至徳元年11月26日~慶安元年9月28日(犬追物記録)/後続系譜は元文4年まで / 冊子 469~479頁/原整理番号 15-1
島津氏久・忠国・立久・忠昌ら歴代当主の時代から、至徳元年十一月二十六日以降に行われた犬追物について、実施日、飫肥・福島・志布志・鹿屋・江戸王子などの会場、平田氏と伊地知・島津・北郷・本田・種子島氏らの手組を年代順に列挙し、慶安元年九月二十八日までを記録する。平田家が本名字『小松』を称さなかった事情、丸内二つ引を陰陽に見立てた陣幕紋として太郎左衛門代まで用いた由緒も付す。後半は平田氏諸流の系譜で、渋谷勢退治・平松岩剣・新納山城・高麗陣などでの戦死・戦功、知行・地頭職、婚姻・養子、没年・法名を記し、御記録所の照会に応じて旧記・系図・聞書を突き合わせた系図改訂記事を経て元文四年まで続く。
応永二年二月廿九日 / 冊子 158~159頁
応永二年二月廿九日の犬追物について、伊東氏・島津一族・湯地氏・野村氏・鹿野屋氏などの射手を左右・組別に配した手組一覧。
応永二年二月廿九日 / 冊子 159頁
川上志摩家に伝わる応永二年二月廿九日の犬追物手組で、伊東氏・島津一族・稲津氏・野村氏らを組別に配置し、各人の担当数を記す。
応永廿三年二月廿八日 / 冊子 295頁
応永二十三年二月二十八日に行われた犬追物の手組を、殿方・射手方などの組別に列記した記録。島津・蒲生・吉田・平田・安楽・柏原・市来ら参加者の配置と人数を示す。
応永卅三年二月廿八日 / 冊子 336頁
犬追物の射手を組分けし、島津氏一族・蒲生・平田・伊作・市来など各参加者の足数を記した手組。
文安三年二月日 / 冊子 414~415頁
文安三年二月に行われた犬追物の手組を記し、各組の射手・配置と検見役などを列挙する。陸奥守を中心に、島津・本田・村田・伴・祢寝・新納・肝付らが参加した。
宝徳三年九月八日 / 冊子 426頁
宝徳三年九月八日の犬追物について、島津忠国以下の参加者を組別に配し、それぞれの定数を記した手組。
宝徳四年五月十四日 / 冊子 426~427頁
宝徳四年五月十四日の犬追物について、島津氏・鹿屋氏らの参加者を組別に配し、各人の定数を記した手組。
享徳三年九月廿日 / 冊子 429頁
享徳三年九月二十日の犬追物について、島津氏・肝付氏・餅原氏らの参加者を組別に配した手組。
享徳三年九月廿三日 / 冊子 430頁
享徳三年九月二十三日の犬追物について、島津氏・肝付氏らの参加者を組別に配し、各人の定数を記した手組。
康正二年三月八日 / 冊子 431頁
康正二年三月八日の犬追物について、島津氏・市来氏・肝付氏らの参加者を組別に配し、各人の定数を記した手組。
寛正七年正月十七日 / 冊子 453~454頁
島津立久をはじめ、鴨津氏・蒲生氏・伊東氏・伊地知氏・大寺氏・村田氏ら犬追物参加者を左右の組に分け、各人の騎数を列挙した手組。
寛正七年二月晦日 / 冊子 453~454頁
島津立久の犬追物について、鴨津氏・伊東氏・蒲生氏・野村氏ら参加者を組み分けし、各人の足数を列挙した手組。
寛正七年二月晦日 / 冊子 459頁
鹿屋氏文書に伝わる犬追物手組で、島津立久を中心に鴨津氏・伊東氏・蒲生氏・野村氏らを左右の組に配し、騎数を列挙したもの。
寛正七年二月晦日 / 冊子 459~460頁
飫肥で行われた犬追物について、島津立久を中心に鴨津氏・伊東氏らを左右の組に分け、各人の騎数を列挙した別の手組。
文明四年二月五日 / 冊子 474~475頁
犬追物の手組として、島津氏一族・蒲生氏・長野氏・伊地知氏・平田氏らを組別に配し、参加者名を列挙したもの。
文明五年三月廿六日 / 冊子 476頁
島津立久の御屋形入りに際して行われた犬追物の手組として、島津氏一族と家臣を組別に列挙したもの。