村田経定・川上久朗連署状
(永禄七年)十一月廿七日 / 冊子 136~137頁
村田経定・川上久朗が日向国飫肥境の和談について、使者三人との折衝内容を詳しく報告した連署状。末吉・城郭・伊東氏の守護称号や旧判物をめぐる異論を整理し、大友・島津両家の合意と上意に基づく無事成立を求める。
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(永禄七年)十一月廿七日 / 冊子 136~137頁
村田経定・川上久朗が日向国飫肥境の和談について、使者三人との折衝内容を詳しく報告した連署状。末吉・城郭・伊東氏の守護称号や旧判物をめぐる異論を整理し、大友・島津両家の合意と上意に基づく無事成立を求める。
(永禄三年)十月四日 / 冊子 79~81頁
永禄三年十月四日から二十七日まで、幕府上使伊勢貞運が末吉へ下向し、島津・伊東両氏の飫肥をめぐる和平を調停した経過を樺山善久が日次で記録する。島津方は飫肥を公領として伊東へ渡さないことを主張し、上使との会見・返答・贈答を重ねた。
明和二年四月二十一日 / 冊子 85頁/原整理番号 181の68/整理ID 181-68
東郷源五が四月二十一日、左中様へ首尾を報告する。四月十五日に日光の旅館へ、御使者此面の案内によって参上し、昨晩到着した旨を届けた。松平右近将監への取次を務める川井左傳から、追って申し上げる旨を承ったと記す。到着の案内を本人が勤めた経過と取次の応答を示す。四月十五日の参上・届出と、二十一日の首尾報告を分け、昨晩は到着届の時点の前夜として扱う。
明和二年四月二十二日 / 冊子 90~91頁/原整理番号 181の79/整理ID 181-79
日光山百五十回忌法会の終了に際する表向と御内證の祝儀について、宮之原甚五太夫が四月二十二日に首尾を報告する。公方へ差し上げる御文には若君・萬壽姫への祝儀も書き入れるよう差図があり、御前様が昨日二十一日、御文で祝儀を述べたところ、その日のうちに返事を得たと記す。検討の本文は、太守の表向献上と御内證から女使を立て御文で祝儀を述べる件を挙げ、正徳五年の百年回忌法会を参照する。浄國院の表向の勤め、月光院から鯛一折を女使で献上した例、御守殿への先例照会と川井を通じた御本丸表御使衆への伺いを載せる。その伺いに続いて御内證からの勤めは不要との差図や太守の勤めがない旨の記載がある一方、御前様から公方・御臺・若君へ鯛一折ずつを女使で献上し、萬壽姫にも祝儀を述べる例を記す。霊龍院から月光院等への祝儀、八重崎御局から御本丸へ伺った首尾も載せる。先例に関する記載と、二十一日の御文による祝儀・即日返事という当件の首尾を分けて示す。
宝暦十三年四月十二日(目録。本文は四月十三日) / 冊子 979頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書2791
重豪が四月十三日、十八日の妻の大奥参上に伴い、自身と妻の御礼を使者で申し上げる方法を伺う。朱注には有川勇馬が御用番酒井と西丸周防守へ申し出て指図を得たとあり、十四日に御年寄八重崎を女使として本丸へ出し、公方・御台所・若君・萬壽姫君への礼について松嶋から返答を受けたと記す。御前の登城を断って八重崎による御礼を認められたこと、御守殿からの礼も同様に扱うことを付記する。川井が御使として登城し、松嶋から返答を受けた経過と、以上の御礼を留守居から御用番・西丸へ申し上げたことも記す。
明和三年十月廿八日 / 冊子 147~148~149頁/原整理番号 344/整理ID 344
高橋此面が、太守の側に召し仕える女性を求める経緯を五名へ内々に報じる。太守は国元で妾を召し仕えず、子の早い誕生が肝要とする。去年江戸発駕前、淨岸院の意向を受けて国元で伺ったが、太守の思召により取り止めていた。当七月、淨岸院から家及び家中上下の安心のため、御前にも追々めでたいことはあり得るが国元での子の出生が肝要、江戸での召仕いは無用という意向があり、川井を介して御前へ伝えた。奥向に養子沙汰の風説があることを不都合とし、太守へ内々に申し上げ、国元での召仕い・子の出生の話を御守殿へ伝える。御前側から紹介する人をめぐる話や、御守殿上臈が太守の意に入れば国元へ進める案を記す。留守居から瀬尾・中嶋を介して甘露寺家へ申し込み、当月十五日に京都を出立して来月十日頃に出府する積りと知らせたが、遅延・差障の話があり、大番目付玉利半助も出府を催促している。眞含院方へ田沼能登守を介して頼む別案、御前・八重崎から二階堂蔀が承知し家老中へも伝える話、病気による長期暇願等の事情を述べる。去年から京都へ内談照会し、甘露寺前大納言の娘を蘭橋方の由緒によって部屋に客人分として置く案を御守殿へ申し上げた。しかし太守はいずれにも合点せず、当分は奥向に置かず、出府後に意に入れば国元へ進めることとし、相応の部屋を立てるには及ばないという。詳細は別紙で追って知らせ、まず荒増を報告する。十月廿八日付、高橋此面署、五名宛。年は明和三年の朱注で、重豪公御譜中、扣正文は家老座にあると記す。
明和三年十二月十三日 / 冊子 149~150~151~152頁/原整理番号 346/整理ID 346
高橋此面が、太守の側に女中を召し置く相談と甘露寺前大納言の娘綾姫の取次を詳しく報じる。去年までの思召で一度取り止めた後も希望はあったが、言い出す遠慮があったと内々に承知し、瀬川・川井を介して淨岸院へ申し上げた。淨岸院は喜び太守・御前へ伝えたが、御前の世話による人の話には差支があり、太守の思召に叶わず急な召抱えが難しいため、国元の人を含め候補を探す。去年京都で瀬尾治兵衛・中嶋利兵衛が町田幸太郎・伊集院覺左衛門へ内談照会し、横山權右衛門にも知らせた。綾姫の器量、京都での取廻しの評判、禁裏内侍所の見合について聞き、御守殿へ報告した。太守の意に入らなければ御守殿上臈として召抱え、旗本との縁付けや帰京の望みがあれば本人の望みに従わせるという条件を記す。瀬尾・中嶋を通じた国元差越し・来春差越しの予定を甘露寺家へ知らせ、御前・八重崎・中奥御年寄への伝達、淨岸院と御守殿の承知や意向を述べる。白石探隱の差越し、權右衛門・覺左衛門の見分、瀬尾・中嶋の調整に触れ、太守へ直接見せる人数等を相談する。甘露寺家が既に治定とする一方、途中の変更が難しいという話もあり、御守殿上臈、蘭橋由緒の部屋の客人分、国元女中、帰京という複数の扱いを検討する。表向きは客人分と称するが堂上方に先例がないとの説明もあり、到着後の思召に従う書付返答、従前の話との異同を細かく伝える。綾姫を来春長く当地に置くのは都合が悪く、妾としての召仕い・国元差立てを急ぐ意向と家老中の希望を記す。京都で軽い藝子を拾った等の雑説があるというが、高橋は実情と違うとして、瀬尾・中嶋が綾姫の姉で田鶴宮様御上臈の方と長く対面し由緒を確かめたことを報じ、別冊の親類付を送る。女中方へ内々に申し上げるかは判断次第と結ぶ。明和三年十二月十三日、高橋此面署、五名宛。扣正文は家老座にあるとする。
年月日未詳 / 冊子 347頁/原整理番号 44
年譜が、伊東の侵入から長く対立した島津と伊東の間を、幕府が伊勢備後守貞運を派遣して和解させようとしたことを記す。十月に貴久は末吉で貞運を賓客として迎え、忠元・樺山幸久・肝付弾正忠兼實・川井豊前守らが応対した。忠元らに功が多かったという。
「永禄三年」十月七日 / 冊子 347~350頁/原整理番号 45
伊勢備後守の下向に伴う島津・伊東間の和議交渉を、十月七日から十七日にわたり記す筆記。貴久らは上意への奉公、所領の沙汰、日向の和平、飫肥の境界と退陣を話し合う。伊東方が三国守護職を受けたとの説に対して、島津側は守護職の証文と先例を示し、仲介者が理解するまで応答を重ねた。酒宴・衣服の交換・刀剣や道具の贈答、境界料所の扱いも記す。末尾では縁組の風説を否定し、伊東との和平と所領問題を扱う調法を備後守に依頼する。
(永禄三年)十月廿八日 / 冊子 350頁/原整理番号 46
伊勢貞運が新納・樺山・肝付に、帰国後の和議の取りまとめを依頼する書状。和議が延期しているため飛脚を出し、伊東方の請書と入道殿種々の件を厳重に扱うよう求める。料所の件では意向を承り、召集する住民にも通知したいとする。下知などの調整を受けて貞運が飫肥へ向かい、豊州側も来ること、双方の年寄衆を派遣して大方で取りまとめる会合を相談する。
明和元年 十一月晦日(年は朱注) / 冊子 36~38頁/原整理番号 128/整理ID 128
島津左中・高橋此面の連署状。十一月晦日付、朱注年記は明和元年で、目録は久金・高橋種寿とする。前日の老中連名奉書により廿八日朝六半時、重豪が熨斗目長袴で登城し、白書院で官位の御礼を述べ、土岐美濃守の取次ぎと輝高の処置で西丸でも御礼を済ませたと報告する。公方様へ太刀一腰・馬代金一枚・縮緬十巻、御台様へ白銀五枚・干鯛一箱、若君へ太刀一腰・馬代金一枚を献じ、老女七人へ白銀三枚ずつ、表御使衆四人へ二枚ずつ、若君附へ三枚ずつという贈答記載がある。岩橋・御乳人も記す。老中・板倉勝清・若年寄への御礼も記す。内証の御勤について本丸へ川井を送り、公方・御台・若君・万寿姫へ御礼を述べ、前例のない官位祝儀も、浄岸院の懇望により許されたことを伝える。公方へ香一折と重豪の直文、浄岸院への依頼献上、本丸からの差図、御前様から公方・御台・若君への香一折ずつ、万寿姫への口上、老女七人へ銀三枚ずつ、客会釈衆等へ銀二枚ずつを記す。長崎奉行宛の書状・祝物は後で照会するとする。口宣等の老中奉書を阿部飛弾守へ届けるため、高橋七郎種央と右筆小倉仲之丞知澄を来月九日に京都へ遣わし、官物・進物を先例通り手配するよう京都留守居へ申し送った。近隣国への通知、内輪祝物の取替え、家老・諸士への祝儀、女中方からの便書についても依頼する。出典注は全上・扣正文在家老座。