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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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18 件 (全巻)/ 1–18件を表示

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追録6-No.2404その他文書旧記雑録暫定版確認度 高

重豪が富之進の急婿養子の申入れを承知した旨を奥平方へ伝える

奥平大膳大夫が病気のため万一に備え、妾腹の女子へ重豪の二男島津富之進を急婿養子として迎えたいと申し入れた件について、重豪側は酒井縫殿頭からの申入れを承知し、その意向に任せるので奥平方へ伝えるとする。朱注は七月二十五日に酒井を通じて受け、二十八日に相良壱岐守を介してこの口上書を奥平方へ遣わしたと記す。幕府への願書とその許可とは区別される。

登場人物
島津重豪、奥平大膳大夫、島津富之進、酒井縫殿頭、相良壱岐守
宛先
奥平大膳大夫方(相良壱岐守経由)
キーワード
奥平大膳大夫、島津富之進、急婿養子、内諾、口上書、酒井縫殿頭、相良壱岐守、七月二十五日受領、二十八日伝達
追録7-No.1358書状旧記雑録暫定版確認度 高

青山忠裕書状(要之丞婿養子祝儀)

重豪公御譜中・正文在文庫。要之丞殿(家斉男注)が右衛門督殿(田安斉匡注)の婿養子となるよう仰せ出されたことへの祝儀として、鯛1折を献上した件を披露したところ一段御仕合であったと知らせる。文化11年朱注、正月廿三日、忠裕判、松平榮翁宛。口裏の青山下野守忠裕と在口裏朱注を区別する。婿養子決定の具体日や婚礼済は補わず、要之丞の後年名へ置換しない。目録は青山忠裕書状で、入力の「害状」を修正する。

登場人物
青山下野守忠裕、要之丞(家斉男注)、右衛門督(田安斉匡注)、松平榮翁
宛先
松平榮翁
キーワード
要之丞家斉男・右衛門督田安斉匡婿養子仰出祝鯛一折、正月廿三忠裕判榮翁口裏青山下野守
追録7-No.1359書状旧記雑録暫定版確認度 高

松平乘保書状(要之丞婿養子祝儀)

全上。要之丞殿が右衛門督殿の婿養子となるよう仰せ出されたことへの祝儀として鯛1折を献上した件を披露したところ一段御仕合であったと知らせる。文化11年朱注、正月廿三日、乘保判。次の下段に続く松平榮翁宛、口裏の松平能登守乘保・在口裏朱注まで連結する。前書1358の家斉男・田安斉匡という人物注は本書の独立注ではないため、原呼称で採録する。養子決定への祝儀と書状発給日を分け、婚礼完了とはしない。

登場人物
松平能登守乘保、要之丞、右衛門督、松平榮翁
宛先
松平榮翁
キーワード
要之丞右衛門督婿養子仰出鯛一折披露、正月廿三乘保判榮翁口裏松平能登守乘保上下段二頁
追録3-No.810記事旧記雑録暫定版確認度 中

桂勝之、幕臣三枝守英の養子となる記事

桂織部久祐の二男桂権九郎勝之が、幕府の許可を得て三枝丹波守の婿養子となったことを記す記事。四月十八日付。

登場人物
桂勝之、桂久祐、三枝守英、島津吉貴
宛先
—
キーワード
桂勝之、桂久祐、三枝守英、婿養子、幕府許可
追録6-No.976-11覚書旧記雑録暫定版確認度 中

児玉早之丞覚書―浄岸院親類関係の問いと御守殿の回答

浄岸院の親類について確認したい事柄を記し、付札の回答を朱書で残した覚書。寿光院は清閑寺前大納言の兄弟と聞くが、妹であったかを問い、付札には妹とある。冷泉侍従宰相と藤波三位については、浄岸院の兄弟のうち冷泉家・藤波家へ嫁いだ方々との続柄を尋ね、両人の「御懐様方」が浄岸院にとって姉か妹かを問う。付札は、実方の妹久姫が冷泉家へ嫁ぎ、当冷泉侍従宰相・藤波三位・留姫の三人が生まれたこと、冷泉家の次男が藤波家へ婿養子に入ったことを示す。勘解由小路権大夫を「御又娚」とする記載に対しても、浄岸院の兄弟の孫に当たるのか、誰の家の孫なのかを問い、付札には勘解由小路家へ嫁いだのは姪の留姫とある。末尾に辰十二月十九日、児玉早之丞の署名。御前へ差し上げたところ、御守殿年寄へ問い合わせがあり、付札で返答されたので朱書で記録したと付記する。

登場人物
児玉早之丞(原署、目録は児玉実門)、浄岸院、寿光院、清閑寺前大納言、久姫、冷泉侍従宰相、藤波三位、留姫、勘解由小路権大夫、御前、御守殿年寄(原表記大少藤)
宛先
正文は御前へ差し上げた記録。付記に「兼役園橋の御方へ」の表記あり
キーワード
実方・養方の親類照会、婚姻・婿養子、付札回答
追録7-No.1549系譜旧記雑録暫定版確認度 高

定穀系譜抄(近秘野抄・斉宣公御子)

近秘野抄、見出しは斉宣公御子。定穀にヨシの傍記があり、初名久博、勝之進、千松、刑部大輔、隠岐守を掲げる。文化十四年丁丑六月二十九日江戸生、母は島津樺嵐久迅の養女、実は橘川次郎兵衛時吉の女と記す。天保三年壬辰正月に久博と名づけ、七月二十日に松平隠岐守定通の婿養子となり、八月二十八日愛宕下邸へ入る。十月に千松、十二月に刑部大輔へ改め、天保六年乙未八月に隠岐守へ改めたと記す。1548の斉興系図と本件斉宣見出し、母の養父名久尹/久迅の表記差を残し、本文の出生年月日・婿養子・入邸・各改称を別段階として採録する。

登場人物
島津斉宣(見出し)、定穀ヨシ(久博・勝之進・千松・刑部大輔・隠岐守)、島津樺嵐久迅、橘川次郎兵衛時吉女、松平隠岐守定通
宛先
該当なし
キーワード
近秘野斉宣公御子定穀ヨシ初久博勝之進千松刑部大輔隠岐守文化十四丁丑六月廿九江戸生母島津樺嵐久迅養女実橘川次郎兵衛時吉女天保三壬辰正月名久博七月廿婿養子定通八月廿八愛宕下十月千松十二月刑部六乙未八月隠岐
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:10系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

鎌田政香家略系図

田布施士・篠原諸左衛門政盛家の庶流にあたる鎌田政香家の略系図。鎌田氏四代清重の二男・篠原清時から十代、篠原政明の二男に発する一流とし、政実は嗣子のない鎌田家へ婿養子として入り、実は上井薫兼の五男で上井覚兼の弟だったと記す。政徳・兼安以下の出生・没年、鬼塚・鎌田・曽木・義岡・伊集院諸家との養子縁組、婚姻をたどり、馬越・清水・小林、田布施・串木野、郡山・平松・中郷・坊津・清敷・帖佐などの地頭職、御使役・近習役を列記する。政親は島津綱貴・光久に近侍し、政興は島津吉貴から名・詞花集・伽羅三種と二重十文字紋を拝領して大御目付役を務め、寛保三年の隠居時に政恒が家督を継いだ。

登場人物
篠原政盛、鎌田清重、篠原清時、篠原政明、鎌田政実、上井覚兼、上井薫兼、鎌田政徳、鎌田兼安、鎌田秀吉、鎌田政光(政有)、鎌田政喬、鎌田政吉、鎌田政武、鎌田政辰(政方)、鎌田政平(正友)、鎌田政親、鎌田政信、鎌田政興、鎌田政恒、島津綱貴、島津光久、島津吉貴、伊集院久東
宛先
—
キーワード
鎌田政香家、篠原政盛、篠原清時、鎌田政実、上井覚兼、婿養子、地頭職、御使役、近習役、島津吉貴、詞花集、伽羅三種、二重十文字紋、大御目付役、鎌田政恒、家督相続
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:11系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

宮之原通直家略系図

宮之原主膳通直家の略系図。『宮之原家譜』などを引き、畠山重忠の四男重俊、その子重弘が延応元年八月十一日に日州飫肥の宮之原へ下着し、地名を家号として諸県郡北郷を領したという由緒を掲げる。一方、重氏以前は系譜が欠け、古譜・文献にも確証がないため、伝承する「重」の一字を根拠に重氏を始祖としたとの考証を、明和三年に司譜官・息長清純が記す。重尚は福山氏からの養子で島津綱久の近習を務め、剣鱗紋を拝領した。重陳を経て江田国重の三男・重行(通貫)が婿養子となり、近習・船奉行・使番・御用人・山川地頭・組頭・勘定奉行を歴任する。通興は奥御小姓、郡奉行、高奉行、使番、江戸留守居、近習、側御用人、寺社奉行を務め、野田・大根占・頴娃の地頭となった。通直は目付・使番・御用人・寺社奉行・大御目付を経て、市来・伊作・高岡地頭、御勝手方家老・表家老に進み、天明七年に隠居した。

登場人物
畠山重忠、畠山重俊、宮之原重弘、息長清純、宮之原重氏、宮之原重尚、島津綱久、宮之原重陳、島津綱貴、江田国重、宮之原通貫(重行・秋山)、島津吉貴、宮之原通興(重治・冬山)、佐多久達、大山貞長、宮之原重賢、宮之原通直、島津久金、島津久徴
宛先
—
キーワード
宮之原通直、畠山重忠、宮之原重弘、日州飫肥、諸県郡北郷、息長清純、系譜考証、宮之原重尚、剣鱗紋、婿養子、宮之原通貫、宮之原通興、近習、江戸留守居、寺社奉行、大御目付、家老、地頭職
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w7:22-2系図・酒匂氏左衛門尉家/軍歴・伝来什物・家例復興旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

酒匂氏左衛門尉系図

酒匂氏左衛門尉家の系譜・軍歴・伝来什物の家例を記す。新左衛門尉から治部少輔へ続き、日州目白坂で戦死した人物を置く。源左衛門尉は鎌田尾張守政年とも称し、島津義久に仕え、伊集院忠朗・島津忠将の移動に従った後、永禄四年七月十二日の竹原山合戦で忠将とともに戦死し、配下三十余人も討死した。景宗は義久から正嫡と認められ、肝属郡串良など八町を知行したが、肝属一郡が伊集院幸侃へ与えられると子らは蒲生、のち出水へ移った。景政を猶子、景明を婿養子とする家督継承、後裔の婚姻・早世・地頭職も載せる。酒匂家伝来の観音像と『天之御母衣』は、家督者が千日潔斎・七か月別火を行って一度拝し、太刀・樽肴を献じて藩主へ披露する家例であった。景明・景義の代に中断したが、景安が旧例復興を訴え、宝永元年三月三日に儀礼を再興し、宝永五年閏正月十六日には忠久伝来什物を収めた筥蔵の小番を代々務めるよう命じられた。

登場人物
新左衛門尉、治部少輔、源左衛門尉、鎌田尾張守政年、島津義久、島津忠久、伊集院大和守忠朗(孤舟)、島津右馬頭忠将、新次郎、景国、景政(志摩之助)、景近(彦兵衛)、彦左衛門、景宗(次郎・新左衛門尉)、町田出羽守久倍、本田因幡守親治、島津図書頭忠長、伊集院幸侃、景明、景義、景安、島津綱貴、酒匂景堅、景春
宛先
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キーワード
酒匂氏左衛門尉家、日州目白坂、源左衛門尉、鎌田尾張守政年、島津義久、伊集院忠朗、島津忠将、竹原山合戦、永禄四年七月十二日、三十余人戦死、景宗、正嫡、肝属郡串良、八町知行、伊集院幸侃、蒲生、出水、猶子、婿養子、観音像、天之御母衣、千日潔斎、七か月別火、太刀・樽肴、景安、家例復興、筥蔵、小番
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:105系図・前田七郎右衛門家旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

前田七郎右衛門家系図

前田右近・大炊之助・太郎四郎以下をつなぐ前田七郎右衛門家の系図。兼門の条は、寛永年間に自宅から火を出して証書などを焼失したため、右近より前の祖先は分からないと明記する。兼次が宮里壹岐正親義方に召し出された際の養子関係や、兼治が佐藤諸左衛門信實の婿養子となったことを記し、兼浮・兼貞らの出生年月日、官途、居住・婚姻先を続ける。女子の佐藤・河野・谷山吉井・堀之内・松下・鎌田・入佐家との関係や、養子を兄弟とする記述もあり、証拠文書の喪失と継承の事情が系図自体に刻まれている。

登場人物
前田右近、前田大炊之助、前田太郎四郎、兼門、兼次、兼治、兼浮、兼貞、佐藤諸左衛門信實、佐藤次郎兵衛、宮里壹岐正親義方、久木田喜左衛門、松下賀兵衛忠之、堀之内慶賀忠清
宛先
なし(系図)
キーワード
前田七郎右衛門家系図、前田右近、兼門、寛永年間の火災、証書焼失、右近以前不明、宮里壹岐正親義方、兼治、佐藤諸左衛門信實、婿養子、兼浮、兼貞、伊集院、谷山、女子婚姻
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:513系図・系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

肝付源六左衛門家系図

串木野の肝付源六左衛門家系図。上世の出所は不明とし、僧元院・善行院・大仙坊・連光院を掲げる。大仙坊は本名を飛騨といい脇に居住、平左衛門は内之浦に居住したと記す。大仙坊に男子がなかったため休六を婿養子とし、以後、兼明(三左衛門)・兼次(五郎兵衛)から円次・仲七・三吉らへ至る母方・婚姻を列記する。

登場人物
僧元院、善行院、大仙坊、連光院、平左衛門、休六、兼明、兼次
宛先
—
キーワード
肝付源六左衛門家系図、串木野、僧元院、善行院、大仙坊、連光院、飛騨、脇、内之浦、平左衛門、休六、婿養子、兼明、兼次、円次、仲七、三吉
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:515系図・系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

肝付五左衛門家系図

内之浦の肝付五左衛門家系図。樋脇士・肝付善行院の三男平左衛門は元来清敷衆中で、約五十年前、平田豊前が内之浦地頭であった時に内之浦へ召し移されたという。兼寛に男子がなかったため白坂五左衛門篤盈の次男を婿養子とし、兼通(五左衛門)と名乗らせ、万次郎へ続く系譜を記す。

登場人物
肝付平左衛門、兼寛、兼通、白坂篤盈、万次郎、平田豊前
宛先
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キーワード
肝付五左衛門家系図、内之浦、樋脇、肝付善行院、平左衛門、清敷衆中、平田豊前、地頭、兼寛、白坂五左衛門篤盈、婿養子、兼通、万次郎
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old3:71-3系図・系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津忠国一流系譜書抜

島津忠国から立久らへ続く一流の系譜を書き抜いたもの。文明二年の聖栄自筆系図に見える系統を掲げ、末尾に丈之助が平上総介を婿養子として迎えた由緒を注記する。

登場人物
島津忠国、島津立久、島津忠昌、聖栄、平上総介
宛先
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キーワード
島津忠国一流系譜書抜、文明二年、聖栄自筆系図、島津忠国、島津立久、島津忠昌、平上総介、丈之助、婿養子、系譜
後編1-No.488記事確認度 高

島津忠隣譜

島津義虎の二男忠隣に関する系譜記事。永禄十二年三月に出水屋地で生まれ、男子のなかった島津歳久の嫡女と婚姻し、歳久家を継承したことを記す。

登場人物
島津忠隣、島津義虎、島津歳久、島津歳久嫡女
宛先
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キーワード
島津忠隣譜、島津義虎、島津歳久、永禄十二年、出水屋地、出生、婚姻、婿養子、家督継承
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:489系図・系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

肝付七右衛門家系図

宮之城の肝付七右衛門家の系図。肝付兼賢(初め兼延)以下、兼種・兼明・兼孝らの分岐を示し、兼明が永禄四年七月十二日に戦死して法名を寛心浄円居士としたこと、兼孝が同日忠節のため切腹したことを記す。後段は島津紹益への付人、加藤左衛門家への婿入り・跡目相続、婚姻・養子関係を経て兼郷・孫三郎へ至る。

登場人物
肝付兼賢、兼種、兼明、兼孝、兼武、兼貞、兼親、兼信、兼郷
宛先
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キーワード
肝付七右衛門家系図、宮之城、肝付兼賢、兼種、兼明、兼孝、兼武、兼貞、兼親、兼信、兼郷、永禄四年、戦死、切腹、島津紹益、加藤左衛門、婿養子、跡目相続
附録2-No.1259記事確認度 高

大野氏系図抄

島津国久三男忠綱を祖とする大野氏系図。忠宗に男子がなく樺山久高を婿養子としたが、文禄元年に忠宗が誅されたため離縁となった経緯を記す。忠宗の娘妙春は上方生活の経験を買われ人質に供奉し、帰国後に家を再興して三原重鏡の二男久行を養子に迎えた。

登場人物
大野忠綱、大野忠宗、大野久高、妙春、島津義久、島津久保
宛先
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キーワード
大野氏、大野忠綱、大野忠宗、樺山久高、妙春、島津義久、島津久保、文禄元年、誅殺、人質、家再興
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 284-1記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知季安記事

伊地知季安の記事。この日、伊地知重政が新納二郎四郎忠秀・大口地頭宮原壱岐守景之・高尾野地頭仁礼左近将監景頼・須木地頭村尾源左衛門重候を有馬の陣屋で饗応した。季安は、新納忠秀が大口地頭新納加賀守忠清の嫡男で、重政の婿養子・伊地知主膳重頼の実兄であるため饗応したのだろうと考証する。

登場人物
伊地知季安、伊地知重政、新納二郎四郎忠秀、新納加賀守忠清、宮原壱岐守景之、仁礼左近将監景頼、村尾源左衛門重候、伊地知主膳重頼
宛先
宛先なし(伊地知季安記事)
キーワード
伊地知季安、伊地知重政、新納二郎四郎忠秀、新納加賀守忠清、宮原壱岐守景之、仁礼左近将監景頼、村尾源左衛門重候、伊地知主膳重頼、有馬、饗応
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w9:118系図・源姓畠山氏旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

源姓畠山氏略系図

源姓畠山氏の頼国・盛淳から始まる略系図。盛淳は大乗院盛久の弟子として出家し、還俗後は家老職を務めて蒲生の地を賜った。慶長五年の関ヶ原合戦で西軍が敗れ島津義弘が危機に陥ると、盛淳が義弘の身代わりとなって戦死したと記す。子の忠栄は父の戦死時に三歳で、義久の許しにより祖父頼国の家財・田園を継ぎ、琉球奉行・山奉行・物奉行・横目頭を歴任した。後代には肝付家出身の忠朝が忠栄の婿養子として家を継ぎ、島津光久の十五男を後嗣とする別伝も記す。義方が詩文五冊を伝えたことや女子の婚姻、国張らに至る子孫も載せる。

登場人物
頼国、盛淳、島津義弘、島津義久、忠栄、忠朝、義直、島津光久、樺山権左衛門久清、義方
宛先
なし(系図)
キーワード
源姓畠山氏略系図、頼国、長寿院盛淳、島津義弘、関ヶ原合戦、身代わり、蒲生、島津義久、忠栄、三歳、家財田園、琉球奉行、山奉行、物奉行、横目頭、忠朝、肝付家、養子、島津光久、家督異説、義方、詩文五冊、国張