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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
追録8-No.394申渡(久光上京の供奉役・伏見出迎え)旧記雑録暫定版確認度 中
2月(申渡、年不記);末注:亥2月15日九州路差立 / 冊子 282~283頁/原整理番号 394/整理ID 394
雑集中。侍長として村田源右衛門・平田五兵衛・大迫新藏・右松十郎太を挙げ、続いて和田孫右衛門・種子島六郎・長崎早太・伊地知宗助を列記する。これらの者を三郎の上京に伴う供奉役に命じ、当分の勤方を申し渡すとする。二月、筑後、注は川上久封。末注は亥二月十五日に九州路へ差し立て、ほかに三重中小姓六十人も一緒に差し越し、伏見で三郎の上京を待ち受けるよう命じたと記す。列記八名と六十人は別に扱い、この日を三郎本人の出発日や伏見到着日として認定しない。
- 登場人物
- 三郎(久光)、筑後(注:川上久封)、侍長村田源右衛門・平田五兵衛・大迫新藏・右松十郎太、和田孫右衛門・種子島六郎・長崎早太・伊地知宗助、三重中小姓六十人
- 宛先
- 列記された供奉役の者へ申渡す
- キーワード
- 雑集、三郎上京供奉役、侍長四名村田平田大迫右松、和田種子島長崎伊地知、二月筑後川上久封、亥二月十五日九州路差立、三重中小姓六拾人、伏見待上げ
追録6-No.1786申渡書旧記雑録暫定版確認度 中
天明元年六月(日付未記) / 冊子 632頁/原整理番号 1786/整理ID 1786
上下の際に六十人または三十人の備えを持つ取扱いを定めた申渡し。家督後初めての上下、琉人を召し連れる場合など、これらに準じる節目には六十人の備えを召し列ねるとする。その他の上下時の六十人・三十人の備えは、その時々の判断によって定めるため、この趣旨を役方に申し渡すよう命じる。六月付、大進の記名があり、目録は島津久起申渡書とする。
- 登場人物
- 島津久起(大進)、琉人
- 宛先
- 役々
- キーワード
- 島津久起、大進、上下、家督、琉人、六十人、三十人、御備、役々
追録8-No.447本文群(井上河内守の警衛・浪人取締通知二条)旧記雑録暫定版確認度 中
8月(通知二条);文久3年亥8月29日通達・10月2日飛脚到着注 / 冊子 316~317頁/原整理番号 447/整理ID 447
井上河内守の二つの通知。第一は上方で重大な事変があり人心が動揺しているため、万一に備え領分相互で援助し、警衛が手薄な所は指図を待たず時宜に応じて出勢し、近い料所・寺社領・小給所等も守るよう命じる。第二は中山大納言の嫡子を称する者が浪人六十人ほどと兵器を携え、河州狭山の北條家等で勅命を偽って武具・馬具を借りたという話を受け、領主に厳重な手配、早い召捕と月番老中への連絡を求める。時宜によって殺傷を認める指示も含むが、歴史的取締通知として示す。八月。末注は文久三年亥八月廿九日に通達した由を十月二日到着の飛脚が伝えたと記す。六十人は概数で、召捕の実行済み人数としない。
- 登場人物
- 井上河内守、大目付、中山大納言嫡子(姓名不記)、浪人六十人ほど、月番老中、領主・万石以上諸侯
- 宛先
- 中国・九州に領分を持つ万石以上へ、取締は領主と月番老中へ伝える
- キーワード
- 井上河内守二通知、上方事変人心動揺、領分相互援助手薄警衛指図待たず出勢料所寺社小給所、中国九州万石以上、中山大納言嫡子称浪人六拾人計河州狭山北條武具馬具借、領主厳重召捕月番老中連絡、八月、文久三年亥八月廿九通達由十月二飛脚到着
後編5-No.581文書確認度 中
十一月十四日 / 冊子 327~328頁
熊本方面の城郭・軍備・人員を探った情報覚書。城内外の区画、堀・門・番所、騎馬・陸衆・町人等の人数、図面作成、江戸からの飛脚、横目衆六十人の巡回、秋月氏の福島到着予定、海老原源助による聞き合わせなどを報告した。
- 登場人物
- 山田某ほか二名、熊本城関係者、横目衆、秋月氏、海老原源助
- 宛先
- ―
- キーワード
- 山田某、連署覚書、熊本、城郭、堀、門、番所、騎馬、陸衆、町人、図面、飛脚、横目衆六十人、秋月氏、福島、海老原源助
追録4-No.1914届書旧記雑録暫定版確認度 中
寛保三年七月二十日 / 冊子 741頁/整理ID 1914
継豊は、薩摩国加世田村の野間御崎沖で唐船が暴風により難破したと届け出た。乗組員七十四人のうち六十人が助かり、十四人が溺死した。生存者を保護して飢えを救い、遺体・荷物・船の扱いを警固したうえ、唐人の希望に従い薩摩の船と役人を付けて長崎へ送る方針を記す。
- 登場人物
- 島津継豊、唐船乗組員七十四人
- 宛先
- 幕府
- キーワード
- 継豊、野間御崎、加世田村、唐船、難破、乗組員七十四人、生存六十人、溺死十四人、救助、長崎
追録5-No.1493返書旧記雑録暫定版確認度 高
〈宝暦四年〉八月八日(朱返書) / 冊子 492頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書1493
義岡相馬・鎌田典膳が八月八日、平田靱負へ、書状の趣旨を承知したと返答する。御歩行は浮人数二人を加えて計六十人、足軽も二人を加えて四十六人を差し越すよう伊集院十藏に申し談じ、急飛脚で知らせ、早く手配して首尾を申し出るよう伝えたと述べる。次第は江戸へも照会し、首尾を申し出た者について出発日を定めて早く差し立てるよう申し渡したと記す。送られた別紙は手元に控え置いたと付記する。
- 登場人物
- 義岡相馬久中・鎌田典膳政昌(目録。朱書に独立署名の記載なし)
- 宛先
- 平田靱負(応答先。独立宛名の記載なし)
- キーワード
- 朱返答、歩行計六十人、足軽四十六人、伊集院十藏、急飛脚、江戸照会、別紙控置
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 318-2人数帳旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 195~196頁/原整理番号 318-2
外城衆等を区分した人数帳。米津から召し帰された衆は合計二千九百二十一人で、人躰千六百四十三人と夫丸千二百七十八人(内訳合計二千九百二十一人)。上津浦衆は原記載で合計二千七百八十一人、人躰千八百六十六人、夫丸九百五十七人と見え、内訳合計は二千八百二十三人となって一致せず、傍記もある。有馬へ詰める衆は合計欄に二千五百六十人とある一方、「廿七人」の傍記があり、人躰千五百五十八人と夫丸・倅者九百六十九人の内訳合計は二千五百二十七人で、318-1の記載とも一致する。鹿児島衆の上津浦・有馬分は合計三千百五十六人で、人躰二百五十人、御道具衆四十九人、倅者・夫丸二千八百五十七人(内訳合計三千百五十六人)。各区分に属する外城名も列記する。原記載の合計・内訳・傍記の不一致は計算だけで統一しない。
- 登場人物
- 作成者不明
- 宛先
- 宛先なし(人数帳)
- キーワード
- 評定所案文帳、人数帳、米津被召帰衆、合計二千九百二十一人、人躰千六百四十三人、夫丸千二百七十八人、上津浦衆、合計二千七百八十一人、人躰千八百六十六人、夫丸九百五十七人、内訳不一致、有馬江詰衆、合計二千五百六十人、傍記廿七人、人躰千五百五十八人、夫丸倅者九百六十九人、内訳二千五百二十七人、鹿児島衆、上津浦有馬分、合計三千百五十六人、人躰二百五十人、御道具衆四十九人、倅者夫丸二千八百五十七人、外城
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 561-3覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
六月廿一日 / 冊子 449~450頁/原整理番号 561-3
御道具衆四百人について、前代から召し仕えた三百六十人と近年任命した四十人を挙げ、細工人の扶持、馬屋方、御船手定水衆二百人のうち近年任命の百人、作事方、犬井付衆、歴々衆の扶持銀、二十人衆の取立、小姓衆の増員、近年召し抱えた男女を列挙する。書立は権兵衛・豊前の座へ出し、奈五左衛門が受け取った。本文は正月七日付で「正保二年か」とするが、目録日付は六月二十一日である。
- 登場人物
- 児玉利実(目録標題)
- 宛先
- 権兵衛殿・豊前殿、奈五左衛門殿
- キーワード
- 目録六月廿一日、本文正月七日・正保二年か、御道具衆四百人、前代三百六十人、近年四十人、御船手定水衆二百人、近年百人、扶持、作事方、小姓衆、権兵衛、豊前、奈五左衛門
後編1-No.49記録確認度 高
年月日未詳 / 冊子 27頁
弘治二年正月の日記。朔日に吉田勢が蒲生方面で敵と火矢を射合い、五日に松山口の野へ放火、十一日には新城野頸に来た敵約六十人を吉田衆が追って戦い、出羽守の殿原一人が戦死した。二十九・三十日には吉田足軽が久木瀬口・蒲生面大渡で各一人を討ち、御中間弥八兵衛が高名を立てた。
- 登場人物
- 吉田衆、新城衆、蒲生方、出羽守殿原、弥八兵衛
- 宛先
- —
- キーワード
- 山本氏日記、弘治二年正月、吉田衆、新城衆、蒲生、火矢、松山口、野頸、出羽守殿原、久木瀬口、大渡、弥八兵衛、高名
後編1-No.56記録確認度 高
年月日未詳 / 冊子 31頁
弘治二年六月十五日、山田に敵の掛野伏があり味方の名字衆一人が戦死。二十二日には敵が山田で下々二人を討って退き、城衆が追撃した。二十三日、吉田衆約三十人が待野伏を置き、来襲した敵約六十人のうち十一人を討ち、その三人は名字衆だった。七月・八月は無事と記す。
- 登場人物
- 山田衆、吉田衆、山田城衆、敵方
- 宛先
- —
- キーワード
- 山本氏日記、弘治二年六月、山田、掛野伏、戦死、山田城衆、追撃、吉田衆、待野伏、敵十一人、名字衆、七月八月無事
後編2-No.1437記録確認度 中
年月日未詳 / 冊子 831頁
文禄三年十二月十日、栗野で兵庫頭忠恒の御前に定められた人員移動と土地配置を記す覚書。上野彦九郎や吉田等松田弥蔵、飯野衆、多藤五郎などの移転先・召集・交代を列記する。
吉田・馬関田・小林・高原などの人々について、合計約百六十人をどこへ配置するかを具体的に示す。朝鮮出兵期の薩摩国元における家臣団の再編と土地支配を知る史料。
- 登場人物
- 上野隼人、島津忠恒、栗野隼人、川上久右衛門尉
- 宛先
- 宛先なし(覚書)
- キーワード
- 上野隼人、島津忠恒、栗野、吉田、馬関田、小林、高原、人員移動、土地配置、家臣団再編
追録6-No.1633記事旧記雑録暫定版確認度 中
安永八年亥九月十九日から安永十年辛丑三月十八日までの記録 / 冊子 575~576頁/原整理番号 1633/整理ID 1633
桜島池田氏蔵年代記による記録。安永八年亥九月十九日夜入五ツ時分に地震があり、十月朔日四時分まで止まらず、四ツ半過ぎに嶽白水の後ろで権現宮に当たる方向に煙を認め、八ツ時分から有村上の燃ノ頭辺に黒煙、続いて高免村上の瓶掛辺から燃え出たとする。高免沖に島二つ、十一月六日夜に島一つ、十二月十一日晚に島一つが出て高く広くなり、翌年四月八日には白砂島で島二つが湧き出たと記す。十月朔日には炎火・大石・軽石・砂灰が巻き上がって五日間降り、高免から古里の人々は谷山・喜入・今和泉・垂水・牛根・福山・国分内の小村へ逃れ、湯ノ村から白濱の人々は鹿児島の磯・脇元・重富へ逃れた。十月七・八日から帰った者もあるが、燃元に近い白濱村・湯ノ村は中旬まで戻れず、逃れた遠外城で賄いを受け、その後米を与えられた。古里から高免の家々は焼け、元の場所で住めないため、鹿児島の砂糖蔵内に木屋を掛け「明蔵六ツ」へ入れ置き、瀬戸村の人は上築地の池田庄右衛門明屋敷の木屋三つ、松岡伊右衛門屋敷の木屋一つに入れたと記す。給米は原に「取付三日壱人三合五夕ッ」、その三日には刊注「壱日カ」があり、その後は五合ずつ、薪も与えたとする。人数欄は二千三百三十四人、衆中四百三十五人(上男百九十八・下男四十四・上女百五十五・下女三十八)、社人三十九人、百姓千八百六十人とする。社人の小字内訳は男二十一・下人一・女十二・下女一で総数と一致しない。死者は別に百四十七人、小字は衆中二十四人(上男九・下男三・上女十一・下女一)、百姓百二十一人(男六十一・女六十)を記し、記された区分の合計は百四十五人で、総数との関係が不詳である。安永九年子八月十一日夜九ツ時分には大煙と光・大きな音、浪三丈ほど、小池濱辺で二丈ほどの浪を記し、白濱村の者が避難した後静まり、砂島が大きくなったとする。同年十月四日夜四ツ時前の燃え・遠炎・大音・大浪も記す。安永十年辛丑三月十八日暮七ツ時分には高免村前の新しい島が燃え、泥を吹き上げ、津浪があり、白濱村の男五人・女一人が波に引かれて死んだとする。後年の波による六人の死亡は別の条で記される。
- 登場人物
- 池田氏(所蔵者の表示)、池田庄右衛門・松岡伊右衛門(屋敷名として出る)、避難者・衆中・社人・百姓(集計区分)、白濱村の男五人・女一人(安永十年の波引)
- 宛先
- 独立宛名記載なし
- キーワード
- 安永八年九月十九日地震十月朔噴火、権現宮有村高免瓶掛、島湧出、大石軽石砂灰五日降、避難村、砂糖蔵明蔵六ツ木屋、給米三合五夕五合、人数二三三四死者一四七内訳留保、安永九十年大浪波引
追録8-No.372-1三郎行列の外国人殺傷・小田原滞留を伝える内分書旧記雑録暫定版確認度 中
本文年月日不記(当時の内分報告) / 冊子 267~268頁/原整理番号 372の1/整理ID 372-1
三郎が鎌倉へ参詣する予定だったところ、神川驛で行列先へ騎馬の外国人三人、うち一人女性が駈け込み、供の守衛が一人を打殺し、別の一人は重傷で逃れたという内分報告。注進後、騎馬五六十人ほどが鉄砲や抜身を持って殺害者を尋ねて追って来たと聞く。鎌倉行きを取り止め小田原驛に泊まり、当地から足軽を差し向けたこと、供目付山口彦五郎・肝煎児玉源右衛門らが対応していることを記す。小松家も小田原で人馬の差支があり滞在中と聞いたため、その評合で滞っているらしいと述べる。報告は内分として、閲覧後に捨てるよう求める。日時・発給者・宛先名は不記。人数・負傷と追跡は未確定の伝聞として扱う。
- 登場人物
- 三郎久光、外国人三人(一人女との原記載)、守衛の供、山口彦五郎、肝煎児玉源右衛門、足軽、小松家、報告者・宛先姓名不記
- 宛先
- 宛先姓名不記(御覧の上捨てるよう求める内報)
- キーワード
- 雑集中、三郎鎌倉参詣予定、神川驛神奈川、行列先外国人三人一女原記載、供守衛殺傷伝聞、五六十騎馬追跡、鎌倉取止小田原泊、供目付山口彦五郎肝煎児玉源右衛門足軽、小松家人馬差支、滞在評合、御内分閲後廃棄願
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 552差出旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
正月廿四日 / 冊子 441~442頁/原整理番号 552
阿久根蔵からの真米二十七石八斗四升二合と天草で受け取った二石六斗、計三十石四斗四升二合のうち、十石九斗五升九合を田上九郎兵衛・小幡主膳正へ返納し、残りを十九石四斗八升三合とする。支出は人躰八十九人の三千三百二十七人日分十六石六斗三升五合、小者・夫丸十六人の四百十八人日分二石九升、大石小監物主従二人の九十二人日分四斗六升、勝目郷左衛門尉ら主従三人の六十人日分三斗で、計十九石四斗八升五合と記す。残額と支出計には原記載上二合の差がある。
- 登場人物
- 某(目録標題)、田上九郎兵衛、小幡主膳正、勝目郷左衛門尉
- 宛先
- 宛先記載なし
- キーワード
- 正月廿四日、阿久根、天草、真米三十石四斗四升二合、返納十石九斗五升九合、残十九石四斗八升三合、支出十九石四斗八升五合、二合差、人躰八十九人、小者・夫丸十六人、人日