HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
木脇祐秀
異名・検索語:木脇祐秀/木脇刑部左衛門祐秀/刑部左衛門/祐秀/木脇祐昌/天正五年/朝鮮/番船/島津義弘/長刀/伏見/関ヶ原/薩州の今弁慶/後殿/五十石/元和五年/松齢公/殉死/心叟了伝居士
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:殉死日は「八月十/六日」を接続して十六日と確認。殉死場所の寺名・葬寺名・寺の所在地注は追加判読を要する。朝鮮海戦時二十一歳との記述は、天正五年生と慶長三年から算出した数え年二十二歳と一致せず保留。
DESCRIPTION
本文内容説明
木脇刑部左衛門祐秀は祐昌の二男で、天正五年生まれ。兄の戦死後に家督を継いだ。慶長三年十一月十八日の朝鮮での海戦では敵船へ切り込み、船を移る際に銃撃を受けて海へ落ちたが、御船頭に救助され、主君の手当を受けた。のち伏見で長刀を拝領。関ヶ原退却時には長刀を振るい「薩州の今弁慶」と名乗って敵へ斬り込み、惟新公から三騎分に匹敵するとの言葉を受けた。後殿を務め、退路で惟新公を狙った伊賀の者を取り押さえたとも記す。帰国後、村駒らとともに五十石の給付を受けたと記される。元和五年八月十六日、加治木の川原で松齢公に殉死し、四十三歳。法名心叟了伝居士。墓塔は寺内の二十一番目とする注記がある。
系譜・人物関係
父は木脇祐昌、その二男。子に木脇祐為・祐辰。
奉公・役職
兄の戦死後に家督を継承。帰国後の軍功給付記事は村駒・祐秀・白浜・矢野らを列挙して五十石と記すため、祐秀単独の加増とは断定しない。
軍役・事績
朝鮮役の海戦で負傷。関ヶ原退却で長刀を振るい後殿を務める。
生没・法名等
天正五年生。元和五年八月十六日、加治木の川原で松齢公に殉死、四十三歳。法名心叟了伝居士。葬寺名は判読保留、墓塔は二十一番目との注。
- 統合人物ID
- HP-1752
- 原人物ID群
- 09-173-06
- 氏・分類
- 木脇
- 掲載巻頁
- 巻9:173
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 父は木脇祐昌、その二男。子に木脇祐為・祐辰。
- 検索キーワード
- 木脇祐秀/木脇刑部左衛門祐秀/刑部左衛門/祐秀/木脇祐昌/天正五年/朝鮮/番船/島津義弘/長刀/伏見/関ヶ原/薩州の今弁慶/後殿/五十石/元和五年/松齢公/殉死/心叟了伝居士
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 既存の全頁精読・境界確認記録を確認(今回の再精読なし)
- 公開判定根拠
- 既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID対応を確認。今回のPDF再精読は行っていない。本文無記載と未確定を区別し、疑義がある場合も注記して出典へ案内する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- 旧通常09-173-06は祐昌見出しで別人物。旧AI2頁の末尾は法名・墓注の列が切れる。原冊子173頁/PDF108頁の上段2列と下段続文全体を再裁断し、通常・AI各2頁へ復元。最終AI全頁確認。後続祐為の見出しは含めない。
- 判読保留
- 殉死日は「八月十/六日」を接続して十六日と確認。殉死場所の寺名・葬寺名・寺の所在地注は追加判読を要する。朝鮮海戦時二十一歳との記述は、天正五年生と慶長三年から算出した数え年二十二歳と一致せず保留。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』