木脇祐昌辞世
年月日未詳 / 冊子 57頁
肥後の花之山で鎌田左京亮らとともに戦死した木脇祐昌が、敵も味方も同じく現世の夢を見終えるという趣旨を詠んだ辞世。 激戦の最期を背景に、討つ者と討たれる者を等しく無常の中に置く武将の死生観が表れた、印象的な一首である。
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年月日未詳 / 冊子 57頁
肥後の花之山で鎌田左京亮らとともに戦死した木脇祐昌が、敵も味方も同じく現世の夢を見終えるという趣旨を詠んだ辞世。 激戦の最期を背景に、討つ者と討たれる者を等しく無常の中に置く武将の死生観が表れた、印象的な一首である。
年月日未詳 / 冊子 75頁
天正十三年八月の肥後戦線における島津方の戦没者を、日付・戦場・戦死状況とともに列挙した「殉国名薮」。花山城を守って戦死した鎌田政虎、堅志田城攻めで倒れた木脇祐昌・西俣七郎・村山源太らを記し、矢部兵部左衛門尉が三人に囲まれて戦死したことなど、個別の譜では見えにくい損害の広がりを伝える。
年月日未詳 / 冊子 94~96頁
肥後花山城を阿蘇方の大軍が攻めた際の籠城戦を、勝部兵右衛門が詳細に回想した聞書。三艘の船で入城した島津方は少人数ながら城門から打って出て敵を斬り、城妻子を福島へ退避させつつ、鉄砲・太刀・弓で抗戦した。城内の兵糧不足、味方の負傷と戦死、敵の攻城、退却後の再合流までを生々しく記し、木脇祐昌・鎌田政虎らの最期や、阿蘇方との兵力差が分かる合戦記録である。
年月日未詳 / 冊子 96~97頁
天正十三年春、八代から北川海道を山越えして花山へ根陣を構えた島津方に対し、阿蘇方が八月十日から攻撃した経過を記す「日向記」。木脇刑部左衛門らが防戦するなか、隈庄へ向かった軍勢が呼び戻され、同十三日には甲佐・堅志田両城の陥落へ戦局が進む。花山籠城と周辺の城攻めが連動していたことを示す。
年月日未詳 / 冊子 98頁
木脇刑部左衛門尉祐昌と鎌田左京亮政虎が肥後国花之山で戦死し、祐昌が辞世を残したことを記す島津義久譜の記事。 No.47の辞世本文と対応し、二人の戦死を島津家の公式的な譜記事から確認できる点に史料的価値がある。