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HP-0552巻9:163-164注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

鮫島宗俊

異名・検索語:鮫島宗俊/鮫島筑右衛門宗俊/高山/鹿児島/御納戸役/島津義弘/高麗出陣/渡海/五百石軍役/名護屋/兵具奉行/南海島/三百石/壱岐/検使/小根占地頭/大坂御蔵奉行/本郷義則/慶長八年/元和八年/桂岳寿昌居士/満立寺

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:宗俊の父系には複数説があり本文も不分明とする。南海島救出記事の地名・同行者名には異説注がある。

DESCRIPTION

本文内容説明

鮫島筑右衛門宗俊は高山から鹿児島へ召し移され、御納戸役を務めた。高麗出陣では五百石軍役で渡海し、名護屋で兵具奉行を担当。島に取り残された五百余人の帰還に尽力し、帰朝後三百石を与えられた。壱岐で切腹の検使を務め、小根占地頭、大坂御蔵奉行も歴任。本郷義則に学び、慶長八年にその術を伝授された。元和八年九月四日大坂で没し、法名桂岳寿昌居士。墓は大坂満立寺にあった。

系譜・人物関係

四郎左衛門宗定の二男とする説、日向守宗継・藤七兵衛宗秀との系譜説を併記するが不分明。

奉公・役職

鹿児島で御納戸役。高麗出陣時は名護屋の兵具奉行。小根占地頭、大坂御蔵奉行を歴任し、知行三百石。

軍役・事績

五百石軍役で高麗渡海。南海島付近に取り残された五百余人の帰還に尽力し、壱岐では切腹の検使も務めた。

生没・法名等

元和八年九月四日、大坂で没。法名は桂岳寿昌居士。墓は大坂満立寺にあった。

統合人物ID
HP-0552
原人物ID群
09-163-11
氏・分類
鮫島
掲載巻頁
巻9:163-164
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
四郎左衛門宗定の二男とする説、日向守宗継・藤七兵衛宗秀との系譜説を併記するが不分明。
検索キーワード
鮫島宗俊/鮫島筑右衛門宗俊/高山/鹿児島/御納戸役/島津義弘/高麗出陣/渡海/五百石軍役/名護屋/兵具奉行/南海島/三百石/壱岐/検使/小根占地頭/大坂御蔵奉行/本郷義則/慶長八年/元和八年/桂岳寿昌居士/満立寺
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
既存の全頁精読・境界確認記録を確認(今回の再精読なし)
公開判定根拠
既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID対応を確認。今回のPDF再精読は行っていない。本文無記載と未確定を区別し、疑義がある場合も注記して出典へ案内する。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読
本文境界判定
全2頁が宗俊の系譜説、高山から鹿児島への移住、御納戸・兵具・地頭・蔵奉行、渡海と五百余人救出、没年墓所を連続して記す同一人物記事。新規人物混入なし。
判読保留
宗俊の父系には複数説があり本文も不分明とする。南海島救出記事の地名・同行者名には異説注がある。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』