堀内氏善書状
(文禄元年)正月15日 / 冊子 528~529頁
堀内氏善が島津義弘へ新年を祝い、年頭の礼に宿所へ参上したが、前年に義弘が下向したことを知らなかったと述べる。綺羅三端を贈られた厚意に礼を言い、高麗出陣中に必ず申し述べたいことがあること、当地で用向きがあれば命じてほしいことを伝えた書状。
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(文禄元年)正月15日 / 冊子 528~529頁
堀内氏善が島津義弘へ新年を祝い、年頭の礼に宿所へ参上したが、前年に義弘が下向したことを知らなかったと述べる。綺羅三端を贈られた厚意に礼を言い、高麗出陣中に必ず申し述べたいことがあること、当地で用向きがあれば命じてほしいことを伝えた書状。
慶長五年十二月 / 冊子 720-721頁
伊集院久信(元巣)が、島津義久(龍伯)・惟新(義弘)・少将(忠恒)への忠節を誓い、高麗出陣時に義弘への申告をめぐって壱岐と血判の盟約を結んだとの風聞を否定する。親子・親類・他人を問わず逆心や不正を知れば言上し、隠蔽しないことも誓約する。
系図全体は無年次(寛文11年・延宝6年・元禄6年などの没年を記載) / 冊子 599~601頁/原整理番号 103
前田兵部左衛門兼政の弟兼定を祖とする前田宇兵衛家の系図で、兼定が加世田から谷山へ召し移されたことを記す。家伝は、兼定が高麗出陣で本田六左衛門の手に付き、陣中に詰めて帰陣時に伏見へ上り、感状を受けたが、のち平田盛右衛門に文書を差し出して返却されたという。子孫の兼長・兼延・兼家・兼倍・兼貞・兼賢らには加世田居住、官職・法名・没年、藤崎・馬場・島田・岩切・吉井・有馬などへの婚姻を付し、寛文・延宝・元禄期の記事と末代の出生までたどる。前項の前田茂右衛門家系図とは、兼政の弟兼定から分かれた谷山移住系統である。
六月十二日 / 冊子 98頁/原整理番号 2
伊東作右衛門尉が、文禄・慶長期の高麗出陣、京都上洛、関ヶ原への供奉に要した主従・夫丸の人数と月数を列挙する。各件の人月を合算し、一万四百四十一人とする六月十二日付の人数注文。
慶長十四年三月五日 / 冊子 98~99頁/原整理番号 3
伊東作右衛門尉が、高麗出陣と京都・関ヶ原への供奉、その間の夫丸の派遣、扶持米不足、反銭や借銀などの負担を年次順に書き上げる。慶長十四年三月五日付で、前項の人数注文を補う個人の軍役記録。
文禄4年9月15日 / 冊子 913~915頁
秀安は唐島での番船捕獲や、明軍が籠る朝鮮の城を島津勢が攻めて多数を討ち取った戦功を祝う。 弓次郎の高麗出陣、伏見での留守役、軍役人数と知行、上洛・国元での処遇などを詳しく論じ、朝鮮戦役と家臣の軍役負担を結ぶ長文書状。
(慶長五年頃) / 冊子 730頁
伊集院久信(元巣)が島津義久(龍伯)・義弘・忠恒への忠節を誓い、高麗出陣時に壱岐と血判の盟約を結んだとの風聞を否定した起請文。本箇所はNo.1416と同文のため本文が省略される。