東郷重盛・川上忠位連署書状
九月廿六日 / 冊子 67頁
東郷重盛と川上忠位が、新納忠左衛門尉に百目掛銀の配分変更を頼んだ連署書状。当月と翌三月に受け取る二回分のうち一回分を、借銀で困窮する相良土佐へ譲るよう求め、詳細は使者から説明するとする。
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九月廿六日 / 冊子 67頁
東郷重盛と川上忠位が、新納忠左衛門尉に百目掛銀の配分変更を頼んだ連署書状。当月と翌三月に受け取る二回分のうち一回分を、借銀で困窮する相良土佐へ譲るよう求め、詳細は使者から説明するとする。
九月十八日 / 冊子 359頁
相良頼安の子息誕生を祝い、親交のしるしとして五代勝左衛門を派遣し、詳しい祝意は重盛から伝えるとした島津家久書状。
明暦二年二月吉日 / 冊子 287頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0618
肥田木重盛が、島津光久に万一のことがあれば二世まで供奉すること、召し出しの有無にかかわらず調法者として忠節を尽くし、命令に背かないことを神明に誓った起請文前書。
年月日未詳 / 冊子 146~147頁/原整理番号 31
平清盛―重盛の流れを掲げ、資盛・維盛以下から実盛、国盛、時盛、兼盛、道清らを経て田代氏諸流へ展開する系図。時盛の代に当国へ下り、野上田・百引を知行し、源氏へ改姓して建部を称したとの伝承、兼盛が田代を号したこと、野峯崎・串良院の知行、宝光寺建立、高隈知行などを記す。宗次郎らの官途、島津忠昌・勝久期の加治木・帖佐における戦死と年齢・法名、鹿児島在住、川辺居住、慶長・元和・寛永・延宝期の生没記事を収める。また田代久助が島津元久の代、将軍として博多へ派遣される際に辞退したが、河蘇谷を副将として任ずる旨の御証判を元久から受けた逸話を付記する。
年月日未詳 / 冊子 207頁/原整理番号 73
平清盛―重盛―資盛を祖系とし、実盛・国盛、時盛、存盛・兼盛以下へ続く古佐多氏の系図。時盛は伊豆守・野上田・伊予坊と記され、百引知行のため初めて当国へ下向して建部へ改姓したとする。存盛は父から佐多を譲られて佐多を号し、成盛は田代を譲られて田代二郎、さらに祢寝三郎を号して祢寝院を領した。久秀は宇治川で戦死して後継がなく、兼盛ら兄弟はそろって鎌倉へ上り各々定紋を賜り、兼盛は五梅鉢に上二引の紋を拝領したと記す。
長禄3年8月21日 / 冊子 298~299頁/原整理番号 116
平清盛・重盛・維盛から資盛・清経・有盛・師盛・忠房・宗実らへ分かれる平氏系譜と、宗平・盛平・貞盛・盛行・盛綱、久盛・盛忠・政式・泰盛・盛久・盛在を経て野辺刑部大輔盛仁へ至る系線を示す。盛仁の名の『仁』字は斟酌を要したため、一条殿が改めて『良』字を与え、三位顕卿がその旨を書いたとする改名由緒を付す。長禄三年八月二十一日、野辺刑部大輔盛仁(法名覚柔)が一流系図を加えて披見を終えた旨と一条兼良の花押を載せる。本文書は『家わけ七』野辺文書二号文書と同一文書である可能性が高いとの編者注記がある。
文正2年梅雨吉日(1467、干支表記に『ママ』注) / 冊子 426~428頁/原整理番号 12
桓武天皇・葛原親王から高望王、貞盛、維衡以下へ続く桓武平氏の系線を起点に、平家諸流から大平氏・牛屎氏へ至る系譜を示す。清盛・重盛・頼盛・敦盛・宗盛・知盛らの系統を配し、元重・元真・元包・宗実・師盛以下では備中守・土佐守等の官途を記し、薩摩四郎を牛屎院の始祖として掲げる。元光については夢告によって大平から大秦へ改姓したと注記し、弟元能を後平二、国元を同太郎とするほか、元兼・元茂・元尚・高元・元勝らへ系線を延ばす。近世側では元秀(近江守・法名省忠)、久元(越後守・法名光久)、歓元(越後守・法名光秀)、元親(右衛門尉・法名梅岳源春)等を記す。末尾は文正二年『ひのとの卯』(ママ)梅雨吉日、牛屎大秦懿元の書判とし、系線は朱書であったとの注記を伴う。
天文六年八月七日~慶長十七年四月二十六日(系譜中主要記事) / 冊子 483~487頁/原整理番号 20
桓武天皇―葛原親王―高望王から貞盛・維衡・正度・忠盛・清盛を経て、小松内大臣重盛の後裔を平田氏諸流へつなぐ庶流系図。平田安房助悦山を加世田龍徳院に葬ったこと、谷山吉幸城主・平田民部少輔宗秀が隅州平松の岩剣合戦で戦死したことを記し、宗貞・宗祐・宗位・宗如らの官途・没年・法名へ続く。宗清は天文六年八月七日に阿多宮崎本地河原で戦死し、宗張は天正十五年三月十五日に豊後坂梨で戦死、平田新七光宗は実父を宗秀とし、慶長十年十二月二十六日に七十七歳で没した。さらに妙谷寺・福昌寺住持となった宗徳、増宗まで続く家老役、宗次の野尻での被討、行宗の筑前航海中の船破損に際する切腹、宗親・宗朋・宗房らの没年と葬地を載せる。村田雅楽頭経宣の三男・宗敏は子のない宗房の猶子となり、九歳で義久の近習、十三歳で家久の幕下に奉仕し、十四歳の慶長四年には伊集院源次郎の庄内一揆に従軍したところまで記す。
年月日未詳 / 冊子 509~510頁/原整理番号 25-2
清盛から基盛・重盛・宗盛へ分かれ、重盛―惟盛以下の系統から禰寝家へ至る系図。惟盛は元暦元年に27歳で入水したとし、その六代後の人物が建仁3年に薩摩国南俣院を給され、禰寝郡司を称して入道後は清重法師と号した由緒を記す。清重の系から清忠・清綱・行西を、別系として資盛―実盛―国盛―時盛および宗実を掲げる。付記では、平田家を宗盛の孫とする説を別の系譜から訂正し、野辺氏についても宗実の子孫とする系図説に対し、武蔵七党の横山党・小野姓とする証書があり宗実の子孫ではないと考証する。
年月日不記(天正八年・文禄四年などは系図内記事) / 冊子 642~644頁/原整理番号 116
平姓祢寝氏の略系図で、重盛から高清・沙弥行西・清重へ続く系線を示す一方、清忠から重弘までの間に十五世を欠くと明記する。重良の条には文禄四年に祢寝を去り、吉利村三千二百石を賜って移ったとあり、重常は姉とともに近衛信輔の薩州からの帰京に従い上洛したと記す。後代の清雄は家老職に任じられて役禄二千石を賜り、島津大蔵久春の二男・清香と三男・清行については、吉貴の命で清行が清香の養子になった経緯を載せる。清行が表御用人や大御番頭を務めた記事も記す。
年月日未詳 / 冊子 667~668頁/原整理番号 157
牛屎氏の由緒として、桓武天皇から高望王・貞盛・維衡らを経て平忠盛・清盛・重盛へ至る系線を示す系図。重盛の子とする宗実について、承安二年の出生、幼時に大炊御門左大臣藤原経宗の猶子となったこと、寿永二年に平家が都を出た際には都に残ったことを記し、源頼政の孫娘に当たる女性を母とするという記事も添える。前項w9:156の太秦姓・桑幡氏祖先説とは異なる平氏系統の記述で、後続の157枝番文書に接続する。
年月日未詳 / 冊子 78~79頁/原整理番号 336
内大臣平重盛から維盛・維清を経て、佐多氏の清重・清忠・清親・清治らへ続く系譜抄。大隅国祢寝郷との関係、佐多家の分流、御鹿倉・西方屋敷の由緒、光久からの褒賞、西方屋敷の氏神を山川から勧請したことなどを記す。日付欠。
長禄三年八月廿一日 / 冊子 127~128頁/原整理番号 469
野辺刑部大輔盛仁(法名寛柔)の一流を示す系図。桓武天皇から平清盛まで十二代を略し、重盛・維盛から宗平、盛平、員盛、盛行へ続く本流と、有盛・師盛・忠房・宗実、久盛・盛忠、盛久・盛在、泰盛・盛仁・良盛らの分岐を配する。長禄三年八月廿一日、一条兼良が花押を据えて一見した系図で、偏諱の一字書出に関する注記もある。
年月日未詳 / 冊子 510~513頁/原整理番号 26
桓武天皇―葛原親王―高見親王―高望親王から平氏諸流を展開し、良望・良将・良兼・良繁・良文の系、忠頼・将常以下の各地の祖、北条四郎大夫時家から時綱・時兼・時政・義時・泰時・時氏らへ続く北条系、惟衡―正度―正衡―正盛以下の伊勢平氏系を並記した系図。忠盛には三十三間堂建立、清盛には太政大臣・厳島再興、維盛には新三位中将、資盛・師盛・清度らには位官を注記する。田代氏の直接の系統では、時盛が伊豆守として当国へ下向し、野上田伊予坊を引いて知行し、源氏から平姓へ改めて建部氏を号したとする。光盛―秀盛―久季の久季は上洛して宇治川で討死し、佐多家が断絶して守護領となったと記し、時盛―実盛―国盛以下から道清・以久・清久・久助へ至る。以久は法光寺を建立し、氏久から良院・鹿屋内高隈村の宛行文書を受けたとし、清久には串良知行などの文書、久助には『三ヶ国の大将軍として探題へ参上』との注記を添える。
五月十五日 / 冊子 11~13頁/原整理番号 6
桑幡孫六が、養父桑幡久右衛門の家の由来と奉公歴を記した覚書。久右衛門の父牛屎刑部太夫が求摩で戦死し、二歳の久右衛門を連れた母が島津惟新を頼って平松の松平隠岐守家に仕えたこと、成長後の久右衛門が駿河・江戸への供奉、国焼の茶入進上、銀子二枚の拝領を経験したことを述べる。牛屎を本姓、桑幡を小名字とする由緒と、文治三年から建武四年までの所蔵文書八通も列挙する。
年月日未詳 / 冊子 39頁
佐多西方仲次郎家の系図抄。内大臣平重盛から小松殿、維盛、六代殿維清へ続く平家の系統を掲げ、清重・小松七郎ら佐多西方家につながる人物を配置して同家の出自を示す。
年月日未詳 / 冊子 266頁
重盛内大臣を起点とし、有盛・宗平・盛忠・盛久・盛行・盛綱らへ続く野辺氏の系譜図。備中守・丹後侍従・左衛門尉・刑部大輔などの官途を添える。