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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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1頁を超え3頁未満。複数の用件・事件・人物・地名を含む長文書、詳細な譜記事・合戦記録・日記・知行帳。
特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

10 件 (全巻)/ 1–10件を表示

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後編2-No.452文書確認度 高

島津義弘書状

島津義弘が川田義朗へ、近日の上洛にあたり、京都での首尾、御家の長久、家中が心を一つにした国の守り、家内安穏を祈念するよう依頼した書状。愚息又八郎(島津忠恒)をはじめ家内のため重ねて祈祷を頼み、祝儀として鵞目百疋を贈っている。上洛前の義弘が家中と留守家族の安泰を切実に願ったことが分かる。

登場人物
島津義弘、川田義朗、島津忠恒(又八郎)
宛先
川田駿河守(義朗)
キーワード
島津義弘、川田義朗、島津忠恒、又八郎、上洛、京都、家中一味、国家守護、家内安穏、祈念、鵞目百疋、書状
後編2-No.476文書確認度 高

島津義弘書状

上洛後の混乱で書状を送れなかったことを詫び、川田駿河入道から祈念の御札が届いたことへ深く礼を述べる。 今後も祈祷にいっそう精誠を尽くしてほしいと依頼した、義弘の上洛中の信仰と国元との連絡を示す書状。

登場人物
島津義弘、川田義朗
宛先
川田駿河入道(義朗)
キーワード
島津義弘、川田義朗、川田駿河入道、上洛、祈念、御札、祈祷、礼状、国元連絡、書状
後編1-No.850記事確認度 高

新納忠元勲功記

天正四年四月、近衛前久下向中に義久が初めて催した歌合へ新納忠元も召された。八月の高原城攻めでは十三歳の嫡子忠実が大手城戸口から先駆けて負傷し、敵将にも称賛された。落城後の三山城勝鬨では忠元が太刀を進上した。

登場人物
新納忠元、新納忠実、島津義久、近衛前久、漆豊前介、川田義朗
宛先
—
キーワード
新納忠元勲功記、近衛前久、歌合、新納忠実、十三歳、初陣、高原城、先駆け、三山城、太刀進上
後編1-No.874記事確認度 高

高原城攻之記

義久の鹿児島出発から高原城攻囲、開城、戦後処理、帰陣までを日次で詳述する軍記。門壁を破って水路を断ち、人質交換後に伊東方が退城、周辺諸城も帰属した。野尻への示威、三山での勝鬨と義弘への宛行、相良・天草の祝使、白鳥権現参詣を経て鹿児島へ凱旋した。

登場人物
島津義久、島津義弘、島津歳久、島津家久、島津忠長、島津征久、喜入季久、川田義朗、本田親治、上井覚兼、落合豊後守、肥田木河内守ほか
宛先
—
キーワード
高原城攻之記、島津義久、島津義弘、断水、人質交換、伊東氏退城、野尻、三山、相良氏、天草氏、白鳥権現、凱旋
後編1-No.1227記事確認度 高

新納忠元勲功記

相良義陽が北原・菱刈との戦いや耳川出陣時に敵対したため、島津義久が三州の大軍で水俣城を攻め、新納忠元も談合衆として先陣の家久勢に加わった経緯を記す。矢文連歌を交わしたのち、義陽が水俣・津奈木・湯浦・佐敷・市之瀬と息子兄弟を差し出して和降を願い、囲みが解かれた。

登場人物
島津義久、新納忠元、相良義陽、島津義虎、島津家久、瀧聞美作守、奥越前守、川田義朗
宛先
—
キーワード
新納忠元勲功記、水俣城攻め、相良義陽、島津義久、新納忠元、矢文連歌、瀧聞美作守、奥越前守、五か所献上、人質、和降
後編1-No.1393記事確認度 高

島津義久譜

島津義久が薩摩・大隅・日向の軍勢を率いて三月九日に出陣し、十六日に佐敷へ着陣した。義弘・歳久や相良氏と会合後、家久を大将として豊久・彰久・忠直ら薩摩勢千五百を有馬勢千五百と合流させ、深江・安徳を経て島原へ進軍させた。三月二十四日、龍造寺隆信の大軍を迎え、家久の決死の督励のもと川上忠堅らが隆信を討ち取り、敵首三千余を得た。義久は佐敷で戦勝報告を待った。

登場人物
島津義久、島津家久、島津豊久、島津彰久、島津忠直、島津歳久、島津義弘、相良忠房、長毎、川上久辰、川上忠智、川上忠堅、平田光宗、新納忠元、山田有信、鎌田政近、川田義朗、有馬鎮貴、龍造寺隆信
宛先
佐敷、八代、深江、安徳、島原
キーワード
島津義久、島津家久、島津豊久、島津彰久、有馬氏救援、島原合戦、沖田畷、龍造寺隆信、川上忠堅、首級三千、佐敷
後編2-No.60記事確認度 高

島津義弘譜

天正十三年八月、島津忠平(義弘)が大軍を率いて八代から肥後の隈庄方面へ進み、阿蘇・甲斐宗運方と対峙した長篇の軍事記事。花山城救援、城下や河川での攻防、敵船との戦い、諸隊の進退と戦死者を詳しく記し、義弘は各地の軍報を受けながら包囲・撤兵を判断して八代へ帰陣した。その後、隈部親泰・合志親重ら在地勢力の使者を迎え、太刀・馬などの贈物を受けて今後の対応を協議する。戦場の推移から戦後の饗応・贈答・服属交渉までを連続して伝える。

登場人物
島津忠平(義弘)、甲斐宗運、隈部親泰、川田義朗、合志親重ほか
宛先
該当なし
キーワード
島津義弘譜、島津忠平、肥後、八代、隈庄、花山城、甲斐宗運、隈部親泰、合志親重、軍事行動
後編2-No.75記録確認度 低

上井覚兼日記

天正十三年閏八月、上井覚兼が肥後戦線と島津家中の動きを連日記録した長大な日記区間。八代・隈庄・堅志田方面の城番、普請、兵員・武具・兵糧の配置、敵方の帰順、捕虜・人質の処置をめぐり、島津家中の当主・重臣らと書状・使者を往復させる。軍事協議の一方で寺社参詣、連歌、酒宴、贈答、病気見舞い、家臣の訴訟処理も詳しく、占領地維持と家中の日常実務が同時に進む様子を伝える。

登場人物
上井覚兼、島津義弘、伊集院忠棟、鎌田政近、川田義朗ほか
宛先
—
キーワード
上井覚兼日記、天正十三年閏八月、肥後、八代、隈庄、堅志田、城番、捕虜、人質、占領地統治、島津氏、島津家中、薩摩政治、領国支配、軍事、外交
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w01:7覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知季安覚書

伊地知季安が前掲条書の蔵人を伊集院久近、美作守を野村良綱と推定し、両人の兵道の師や伝書に触れる。国分金剛寺の御ほろと、伊作大汝八幡社の白母衣を包む二重の錦袋を検討し、その母衣が古くからの伝来品か義久の新製品かはなお吟味を要すると述べる。

登場人物
伊地知季安(小十郎)、伊集院久近、野村良綱、川田義朗、岩切可春、町田乗、蓑田傳兵衛
宛先
蓑田傳兵衛
キーワード
伊地知季安、伊集院久近、野村良綱、川田義朗、兵道、御ほろ、母衣袋、人物比定
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0171勲功記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納忠元勲功記

相良義陽の北原・菱刈への妨害を受け、天正九年八月、島津兄弟が大軍を集めた。芦北へ先陣を入れ、十九日には大口から水俣を囲み、忠元が寄せ手へ夜襲を勧めたと記す。城方の瀧間美作守の発句に忠元が返歌したことも載る。九月十五日に水俣など五城が和降し、義陽が息子らを人質として出した。勝利は忠堯と川田義朗の働きによるとし、末尾に家伝などによる別伝と義朗の墓・由緒の注記を置く。

登場人物
新納忠元、忠堯、相良義陽、貴明、島津義久と兄弟、深見、犬童、川田駿河守義朗
宛先
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キーワード
新納忠元勲功記、天正九年八月、相良への対処、芦北の先陣、水俣包囲、忠元の夜襲勧告、発句と返歌、五城の和降、人質、義朗の注記