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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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半頁~1頁程度。一つの用件をある程度詳しく記すもの、複数項目を含む目録・交名。
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1頁を超え3頁未満。複数の用件・事件・人物・地名を含む長文書、詳細な譜記事・合戦記録・日記・知行帳。
特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

11 件 (全巻)/ 1–11件を表示

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前編1-No.2475記事確認度 高

調所敦恒伝

調所敦恒について、大隅国代・惣検校入道尊西らのため所職・田畠を失った申立てを受け、守護代承旨の請状が出された経緯を記す伝記事。

登場人物
調所敦恒・太宰府関係者ほか
宛先
大隅国・太宰府ほか
キーワード
調所敦恒,伝,守護代,所職,所領由緒
追録6-No.2797その他文書旧記雑録暫定版確認度 高

島津重豪米津天神由来記

重豪が天明七年九月朔日に薩府を発ち、同四日に出水郷米津村の仮館へ入った際、村の長吏から、昨夜の激しい風雨と雷鳴の中で東北から光が飛来し、階に天満天神の銘を持つ鏡が現れたと聞いた由来を記す。太宰府の方角からの降臨とされ、その鏡の形状・裏文を写して新たに二鏡を鋳造し、延寿王院に頼んで飛梅の枝から尊像三体を刻ませた。飛来した鏡と像一体は家に蔵め、翌年の未の月に鏡の留まった所へ新宮を建てて新鏡一面・像一体を安置し、米津天神と称した。府城内にも一社を建て、残る新鏡と像を奉った。太宰府から天神直筆の古帖の写を求め、神剣も模製して当宮へ納めたとし、米津村の鎮守にとどまらず三国の文明の吉祥として来由を後世へ伝える。

登場人物
島津重豪(左中将)、米津村長吏、天満天神、太宰府別当延寿王院
宛先
由来記(米津天満宮に正文)
キーワード
米津天神、由来記、天満天神、飛来鏡、新鏡二面、尊像三体、飛梅、延寿王院、神剣模製、真蹟の写
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P03-NIKAIDO-A029無番号系譜・家譜記事/文書導入旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:守邦親王治世の判文書一通所蔵・後続掲載記事

守邦親王治世に関する、短い無番号の家譜記事。 太宰府小目代成宗の判文書一通を挙げる。 正文が家に蔵されていると記す。 「記于左」と後続掲載を予告し、記事自体には文書本文・年月日・署名を記さない。

登場人物
守邦親王、太宰府小目代成宗
宛先
—
キーワード
判文書、正文、在家藏、記于左
追録6-No.2804申渡書旧記雑録暫定版確認度 高

高橋種央外二名寺社奉行連署申渡書

中将が米津天満宮へ奉納する天満宮御神刀の模製一柄、御真蹟の臨写二幅、米津天満宮由来記一通、神号一通を、袋・包み・箱とともに列記する。参詣の時だけ箱から出して飾り、内宮で真蹟を掛けることが難しければそのままとし、神刀も同様に扱うよう指示する。社司が保管し、後年に粗末な扱いをしないよう入念に護ることを命じる。六月朔日付、小林中太兵衛政央・二階堂源太夫・高橋縫殿種央の三名連署。

登場人物
高橋縫殿種央、小林中太兵衛政央、二階堂源太夫(行端、本マ注)、中将(重豪)、米津天満宮社司
宛先
米津天満宮社司(冒頭に筑前太宰府の記載もある)
キーワード
米津天満宮、奉納、神刀模製一柄、真蹟臨写二幅、由来記一通、神号一通、参詣、飾付、社司保管
前編1-No.588文書確認度 中

渋谷家譜

渋谷家譜中の記事として、幕府が九州の陸海防備を厳重にし、九州の守護・御家人らへ警固を命じたことを記す。大隅国の同国役や太宰府との関係に触れ、蒙古襲来後の防備体制を伝える。

登場人物
渋谷氏一族・相伝関係者ほか
宛先
薩摩国入来院関係地
キーワード
渋谷家譜、幕府、九州防備、陸海警固、九州守護、御家人、大隅国、太宰府、蒙古襲来
後編2-No.167記録確認度 高

長谷場越前自記

長谷場越前の回想。七月十四日に武蔵方面へ陣を移し、天拝山を経て岩屋城へ迫った島津軍の配置と、二十七日の総攻撃を詳述する。鉄砲・石火矢・弓・長刀が飛び交い、城戸口や岸壁で敵味方が入り乱れ、長谷場配下も多数の死傷者を出した。高橋紹運方の頑強な抗戦、城内突入と落城、戦後の戦功・死傷確認に加え、安楽寺・太宰府天満宮などへの参詣や筑前での行動までを載せる、攻城参加者側の具体的な戦場記録である。

登場人物
長谷場越前、島津義久、島津忠長、高橋紹運、宮原景種、伊集院忠棟
宛先
—
キーワード
長谷場越前自記、長谷場越前、岩屋城、高橋紹運、天拝山、総攻撃、鉄砲、石火矢、城戸口、戦死者、安楽寺、太宰府天満宮
追録6-No.2773その他文書旧記雑録暫定版確認度 高

出水郷米津天神由来記

天明丁未の秋、東都へ向かう前太守中将が九月三日に出水郷へ宿泊した夜、郷吏が訪れて米津村での鏡拾得を報告したという由来を記す。郷吏によれば、風雨で暗い中、東北数十里の方から一条の光が飛来して地に落ち、その鏡の背に「南無天満大自在天神」の銘があったという。村の旧天満宮は久しく荒廃し、東北には筑前太宰府があるため、神の降臨と考えて社の再建を願い、中将が許したとする。翌戊申正月に着工、十一月に完成して米津天神と称した。神像は太宰府の飛梅の枝で作り、飛来鏡の周囲・形状を模した鏡を別に鋳て神座に懸け、飛来の鏡は藩主家の宝として公宮へ収めたという。命を受けた山本正誼がこの由来を記し、天神の霊験を称えて辺境と民の安寧を祈る。末尾は天明八年季冬。

登場人物
島津重豪(前太守中将公)、郷吏、山本正誼(歩卒将行府学教授事)
宛先
由来記(宛所なし)
キーワード
米津天神、出水郷、鏡、南無天満大自在天神、太宰府、飛梅、神像、社殿再建、山本正誼
追録8-No.582-1太宰府の五卿帰京についての五藩留守居届書旧記雑録暫定版確認度 中

三條實美の快復後の五卿帰京と順序協議の遅延を届ける書付

筑前太宰府に在留する五卿の帰京は当春の公達で命じられたが、三條實美の体調により遅れていたと届ける。今は快復していつでも帰京できるものの、長防を寛大に扱う命令が出たため、長防の処置後に帰京する順序について大隅守の意見を受け、薩邸で各藩が会合し重役も登京して協議したという。在国の藩への連絡を経なければ決め難く、各藩の急飛で連絡し、最終決定は国元で行うと申し合わせたが、海陸を隔て反復に時間を要するため、取りあえず届ける旨。末尾は七月廿九日五藩留守居連名。快復や協議の経過は届書の報告として読み、五卿の帰京が完了したとしない。

登場人物
五卿、三條實美、五藩留守居、薩邸の各藩重役、大隅守(文中官称)
宛先
届出先の宛名不記(文中に大隅守殿の意見)
キーワード
筑前太宰府五卿帰京当春公達三條實美体調遅延快復長防寛大処置後順序大隅守意見薩邸各藩会合重役登京国元連絡急飛海陸反復暫隙届七月廿九五藩留守居連名
前編1-No.2461記事確認度 高

島津国史

文和二年を中心に九州の軍事・政治動向を日付順に詳記する島津国史記事。一色道猷の九州探題としての動向、島津氏・伊地知氏・肝付氏らの合戦と恩賞、足利尊氏・義詮の御教書、薩摩・大隅・日向の凶徒追討、太宰府・鹿児島・各城での攻防を収める。軍勢催促、注進状、感状、所領沙汰を相互に引き、諸将の進退と幕府方・宮方の勢力関係を追える編年記事。

登場人物
島津氏・足利尊氏・足利義詮ほか
宛先
九州・京都ほか
キーワード
島津国史,文和年間,島津氏,幕府,九州,軍事行動
前編1-No.2467文書確認度 高

島津師久請文

島津師久が、薩摩国で凶徒が蜂起し、太宰府・浦城合戦で味方軍勢が退いた状況を報告する。師久は城郭を守りながら戦難儀に耐え、幕府方の軍勢が帰国して兵力不足となったため、急速に御教書を下して諸勢力を催し、合力させるよう要請した請文。

登場人物
島津師久ほか
宛先
薩州ほか
キーワード
島津師久,請文,凶徒蜂起,軍勢動員,忠節
前編2-No.71記事確認度 高

太平記

『太平記』の記事として、延文五年八月十六日夜の味坂庄周辺の合戦を記す。宮方の菊池勢が将軍方へ夜討ちをかけ、西征将軍宮も負傷し、双方に多数の戦死者を出したのち、小弐勢は太宰府、菊池勢は肥後国へ退いた。

登場人物
西征将軍宮、菊池氏、新田氏、小弐氏、松浦氏、草壁氏、山賀氏、島津氏
宛先
—
キーワード
太平記、西征将軍宮、菊池氏、新田氏、小弐氏、島津氏、味坂庄、夜討、筑後川合戦、戦死