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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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44 件 (全巻)/ 1–44件を表示

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前編1-No.1834記事確認度 高

肝付兼重伝

肝付兼重方の軍勢と足利尊氏方の戦いを記す伝。牛屎彦太郎兼隆が兵を率いて加世田城を攻め、公師兵を入れて肝付勢を隔て、条原孫六・大隅助三郎・冨光九郎らを派遣して加世田城・姫木城等を攻略した経過と、軍勢催促・恩賞を述べる。

登場人物
肝付兼重・足利尊氏ほか
宛先
薩摩国加世田城ほか
キーワード
肝付兼重伝、牛屎彦太郎兼隆、加世田城、姫木城、条原孫六、大隅助三郎、冨光九郎、城攻め、軍勢催促、恩賞
前編1-No.1836記事確認度 高

重久篤兼譜

建武三年三月廿九日以降、尊氏方が牛屎彦太郎兼隆らを加世田城へ向け、四月十四日に島津貞久が重久篤兼へ薩摩・大隅の警固と悪党鎮圧を命じた経過を記す重久篤兼譜。篤兼が軍勢を派遣し、尊氏から恩賞・感状を受けたことを述べる。

登場人物
重久篤兼・足利尊氏・彦太郎兼隆
宛先
薩摩国加世田城ほか
キーワード
重久篤兼譜、足利尊氏、牛屎彦太郎兼隆、加世田城、島津貞久、重久篤兼、薩摩大隅警固、悪党鎮圧、恩賞
前編1-No.1852文書確認度 高

島津道鑑宛行状

大隅国肝付郡加世田城の水手を夜討ちで先駆けて攻め落とした軍功を賞し、野上田伊与房を百引村地頭代官職に補任して、先例どおり沙汰するよう命じた島津道鑑宛行状。

登場人物
島津道鑑・野上田伊与房
宛先
大隅国肝付郡加世田城・百引村
キーワード
島津道鑑宛行状、野上田伊与房、加世田城、水手夜討、百引村、地頭代官職、軍功賞、補任
前編1-No.1856文書確認度 高

山田忠能軍忠状

大隅式部諸三郎忠能が御教書を受けて下国し、島津左京進入道道恵を大手大将として加世田城を攻めた軍忠状。五月六日から六月十日まで日夜合戦し、捨身命で戦ったことを述べ、注進・披露と恩賞を求める。

登場人物
山田忠能・島津左京進久入道道恵・大隅式部諸三郎
宛先
大隅国加世田城ほか
キーワード
山田忠能軍忠状、島津忠能、島津道恵、加世田城、大手大将、日夜合戦、軍忠、恩賞
前編1-No.1859文書確認度 高

牛屎国道軍忠状

薩摩国牛屎院の篠原孫六国道が、肝付兼重以下の凶徒追討で五月六日から六月十日まで加世田城に馳向し、日夜合戦・軍忠を尽くしたことを述べ、注進・披露と恩賞を求めた軍忠状。

登場人物
牛屎国道・篠原孫六国道・肝付兼重
宛先
薩摩国牛屎院・大隅国加世田城ほか
キーワード
牛屎国道軍忠状、篠原孫六国道、牛屎院、肝付兼重、加世田城、日夜合戦、軍忠、恩賞
前編1-No.1860文書確認度 高

和泉道悟軍忠状

薩摩国御家人和泉杉三郎入道道悟が、五月七日の大隅国肝付郡加世田城大手城戸口合戦で相具した子息らと先懸し、子息弥三郎保有が射疵を負うなどの軍忠を報告した軍忠状。注進・披露と恩賞を求める。

登場人物
和泉道悟・和泉杉三郎入道道悟・肝付兼重
宛先
薩摩国・大隅国加世田城ほか
キーワード
和泉道悟軍忠状、和泉杉三郎入道道悟、加世田城、大手城戸口、先懸、子息弥三郎保有、射疵、恩賞
前編1-No.1862文書確認度 高

権執印俊正軍忠状

新田宮権執印良遍の子息三郎次郎俊正が、肝付兼重与党追討で五月六日から六月十日まで前野頭・加世田城等に参陣し、焼払・合戦・追撃に軍忠を尽くしたことを述べ、注進・披露と恩賞を求めた軍忠状。

登場人物
権執印俊正・新田宮権執印良遍子息三郎次郎俊正・肝付兼重
宛先
薩摩国新田宮・大隅国加世田城ほか
キーワード
権執印俊正軍忠状、新田宮権執印良遍、三郎次郎俊正、肝付兼重、前野頭、加世田城、焼払、追撃、恩賞
前編1-No.1917文書確認度 高

和泉道悟軍忠状

和泉杉三郎入道道悟が、大隅国加世田城・野崎城の合戦で軍忠を尽くしたことを申告した軍忠状。二月二日の野崎合戦で旗差・子息が射傷を負い、三月二日の大手攻めで弟が射られ、同十四日の夜襲、同十五日の城内突入にも参加したとして、証人・負傷者を挙げて見知と披露を求める。

登場人物
和泉道悟・和泉杉三郎入道道悟・肝付兼重
宛先
大隅国加世田城・野崎城ほか
キーワード
和泉道悟軍忠状、加世田城、野崎城、旗差、子息、矢疵、夜襲、城内突入、証判
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:24-13記録・覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

『貴久公御軍記』加世田城合戦記事等抄并猿渡氏考証

『貴久公御軍記』から天文七年霜月二十八日の加世田城攻撃を抄出し、猿渡筑前守らの戦功を記す。軍記・旧記・寺社記録と村山自伯家の伝承を照合し、猿渡宗阿弥の所領・奉公と、自伯家が宗阿弥流に当たるという系譜を考証する。

登場人物
島津貴久、猿渡筑前守、猿渡宗阿弥、村山自伯、市来衛門、税所助十郎
宛先
—
キーワード
貴久公御軍記、天文七年霜月二十八日、加世田城、島津貴久、猿渡筑前守、猿渡宗阿弥、村山自伯、市来、寺社記録、系譜考証
前編1-No.1857文書確認度 高

延時法仏軍忠状

肝付兼重以下の凶徒追討に関する、延時法仏の軍忠状。財部延時氏所蔵の正文として掲げられるが、本文は省略される。

登場人物
延時法仏・肝付兼重ほか
宛先
大隅国加世田城ほか
キーワード
延時法仏軍忠状、延時法仏、肝付兼重、凶徒追討、財部延時氏、本文省略
前編1-No.1861文書確認度 高

祢寝清種軍忠状

大隅国祢寝弥次郎清種が、祢寝内見和村名主職の安堵を求めた申状。見和村は養父佐多孫四郎親政の重代相伝地で、譲与・手継状と島津判官忠久の施行を根拠に知行してきたと述べる。越尾張左近大夫代肥後次郎入道浄心らによる関東権威を背景とした押領を訴え、所領回復と厳密な裁許を求める。

登場人物
祢寝清種・肝付兼重ほか
宛先
大隅国祢寝・加世田城ほか
キーワード
祢寝清種申状、見和村、名主職、佐多孫四郎親政、重代相伝、島津忠久施行、肥後次郎入道浄心、押領、所領安堵
島津世禄記-A05記事関連史料(外伝)確認度 高

陥伊集院事 付 忠良会実久後陥加世田城事

天文五年、忠良父子が伊集院攻略を進め、伊集院大和守を将として大田原の塁を襲い、神殿・石谷・竹山などの拠点を相次いで服属させた。雨中の進軍時に火光のような瑞兆が現れ、稲荷大明神の加護と解釈されたことも記す。実久勢は鹿児島・谷山から川辺方面へ退き、忠良は実久と会見して、伊集院・鹿児島・谷山と加世田・川辺の交換による和睦を提案したが、実久は応じず、祁答院らと再び謀略を構えた。天文七年、忠良父子は蜘蛛の瑞を得て加世田へ出陣し、本城を急攻して落とし、新城も激戦の末に攻略した。富松左京亮・大山宮内少輔・阿多飛騨守ら実久方の戦死者と、市来備前守ら忠良方の戦死者を列挙し、忠良の祖父久逸が戦死した地で宿怨を晴らした戦いとして位置づける。

登場人物
島津忠良、島津貴久、島津実久、伊集院大和守、桑波田孫六左衛門尉、石谷伊賀守、島津忠将、富松左京亮、大山宮内少輔、阿多飛騨守、市来備前守
宛先
—
キーワード
伊集院攻略、稲荷瑞兆、実久との和睦交渉、加世田本城、新城、南薩支配
前編1-No.1845記事確認度 高

肝付兼重伝

肝付兼重方と尊氏・島津方の建武三年五月以降の戦闘を記す伝。加世田城・姫木城・岩戸原・石城等で、島津貞久、条原孫六国道、莫祢次郎太郎政長、伊集院・平田・祢寝・石河内氏らが攻城・救援・追撃を重ね、被疵・戦死・城郭奪取に至った経過を日付順に述べる。

登場人物
肝付兼重・畠山直顕・島津貞久ほか
宛先
薩摩国・大隅国・加瀬田城ほか
キーワード
肝付兼重伝、島津貞久、加世田城、姫木城、岩戸原、石城、条原孫六国道、伊集院氏、祢寝氏、攻城、被疵、戦死
前編1-No.2341記事確認度 高

肝属秋兼譜

肝付秋兼について、足利直冬の九州下向と畠山直顕らの動向を背景に、秋兼・兼重、祢寝清種・清増らが大姶良城・加世田城・高熊城などで戦った経過を詳記する。各城の攻防、討死・負傷、領地回復、一族の軍忠を月日順に記した系譜記事。

登場人物
肝属秋兼ほか
宛先
九州・薩摩国ほか
キーワード
肝付秋兼譜、足利直冬、畠山直顕、祢寝清種、大姶良城、加世田城、高熊城、軍忠
前編1-No.2366文書確認度 高

祢寝清種軍忠状

祢寝清種が、建武三年以来、大隅・日向・薩摩で御方に属して戦った軍忠を月日順に詳記する。肝付郡加世田城、大姶良城、鹿屋院高熊城、庄内・日州方面の攻防、同行した一族・従者、落城・退治、負傷・討死者を列挙し、証判を求めた軍忠状。

登場人物
祢寝清種ほか
宛先
薩摩国・加世田・鹿屋ほか
キーワード
祢寝清種、軍忠状、加世田城、大姶良城、高熊城、大隅日向薩摩、落城、負傷討死
前編2-No.1505記事確認度 高

島津国史

文明八年以後の薩摩・大隅・日向三州の軍事情勢を記す。清水・曽於郡勢による宮内・東郷攻撃に対して島津久逸・伯耆守豊久・新納忠続・北郷敏久らが反撃し、加世田城・都城をめぐって出陣・攻城・退却を重ねた経過を追う。

登場人物
島津久逸、伯耆守豊久、新納忠続、北郷敏久、相良氏
宛先
—
キーワード
島津国史、島津久逸、伯耆守豊久、新納忠続、北郷敏久、宮内、東郷、加世田城、文明八年
前編2-No.1770記事確認度 高

島津国史

明応九年、後土御門天皇崩御と後柏原天皇践祚の年に起きた島津一族の争いを記す。島津忠興が加世田城の忠福を攻め、伊作久逸が救援に向かったが敗北し、園田新左衛門に討たれた。中央の皇位継承と加世田をめぐる軍事衝突を同年記事として収録する。

登場人物
後土御門天皇、後柏原天皇、島津忠興、島津忠福、伊作久逸、園田新左衛門
宛先
—
キーワード
島津国史、後土御門天皇、後柏原天皇、島津忠興、島津忠福、伊作久逸、加世田城、園田新左衛門、戦死、明応九年
前編2-No.1771記事確認度 高

殉国名藪

明応九年十一月十一日の加世田城攻防で、伊作河内守久逸が島津忠福を救援して戦死し、枕崎右衛門祐能・松元左近将監久賢らも同時に討死したことを記す殉国記事。

登場人物
伊作久逸、島津忠福、園田新左衛門、枕崎右衛門祐能、松元左近将監久賢
宛先
—
キーワード
殉国名藪、伊作久逸、島津忠福、園田新左衛門、枕崎祐能、松元久賢、加世田城、戦死、明応九年
前編2-No.1775記事確認度 高

島津久逸譜

島津久逸が島津忠興と島津忠福の加世田城争いで忠福方に加勢し、明応九年十一月十一日に六十一歳で戦死し、善勝寺殿徳瑠輝公と追号されたことを記す譜記事。

登場人物
島津久逸、島津忠興、島津忠福、加世田久逸
宛先
—
キーワード
島津久逸譜、島津久逸、島津忠興、島津忠福、加世田城、戦死、六十一歳、善勝寺殿、明応九年
前編2-No.1776記事確認度 高

大田忠福譜

大田氏系図により、忠福が加世田城で島津忠興の攻撃を受け、伊作河内守久逸の来援を得て抗戦したものの、久逸の戦死後に窮地へ陥った経緯を記す譜記事。

登場人物
大田忠福、島津久逸、島津忠興
宛先
—
キーワード
大田忠福譜、大田氏系図、大田忠福、島津久逸、島津忠興、加世田城、合戦、明応九年
前編2-No.2321記事確認度 高

壱岐賀州年代記

天文七年、新納氏の没落後に四郎兄弟が日新方へ加わり、十二月二十九日の加世田城攻めで大寺越前守・鎌田加賀守・右馬頭忠将が軍功を立てたことを記す。

登場人物
新納殿、新納四郎兄弟、大寺越前守、鎌田加賀守、島津忠将
宛先
—
キーワード
壱岐賀州年代記、新納氏、加世田城、大寺越前守、鎌田加賀守、島津忠将、天文七年
前編2-No.2328記事確認度 中

島津忠将譜

日新斎が実久領の加世田城を攻めた際、忠将が将帥として指揮し、自ら大敵へ馬を進めて奮戦したため敵兵が敗走し城が陥落したこと、追撃と味方の戦死者を記す。

登場人物
島津忠将、島津忠良(日新斎)、島津実久、大山内蔵助、谷山藤左衛門尉
宛先
—
キーワード
島津忠将譜、島津忠将、島津忠良、島津実久、加世田城、攻城、追撃、戦死
前編2-No.2329記事確認度 中

蓑輪伊賀覚書

島津勝久の鹿児島帰還後の政情と家臣処罰を背景に、忠良方が加世田城を攻めた経過を記す覚書。島津貴久・忠将、鎌田加賀守らが城内へ攻め込み、敵兵を追撃した一方、味方武士も戦死した。攻城の進路、城内戦、追撃までを当事者の記憶に基づいて伝える。

登場人物
島津勝久、島津忠良(日新斎)、島津貴久、島津忠将、加世田実久、鎌田加賀守
宛先
—
キーワード
蓑輪伊賀覚書、島津勝久、島津忠良、島津貴久、島津忠将、加世田城、攻城戦、追撃
附録1-No.751記事確認度 高

飛松氏系図抄

伊集院氏支流飛松氏の系図抄。久友(富松左京亮)以下の系譜を掲げ、島津忠良から富松左京亮・野村兵部少輔へ与えられた契状を収める。また加世田城攻めに先立ち久友が島津実久方の大山宮内少輔と刺し違えて戦死したこと、落城時にも猿渡氏と市来氏が刺し違え、両者の墓が城門左右に「富松猿渡墓」として残ったことを記す。

登場人物
飛松久友、富松左京亮、長松、弥八、島津忠良(日新)、野村兵部少輔、島津実久、大山宮内少輔、猿渡氏、市来氏
宛先
—
キーワード
飛松氏、伊集院氏、富松久友、加世田城、島津実久、大山宮内少輔、猿渡氏、市来氏、系図
附録2-No.1298記事確認度 高

新納氏系図抄(十五)

新納友義以下の加世田・市来系譜。忠澄が伊作久逸に従い、幼い島津忠良の後見として田布施へ移ったこと、康久が田尻荒兵衛の案内で加世田城攻略に功を立て地頭職を得たこと、市来で渋谷氏勢力と戦ったこと、久韓以下の家系を詳述する。

登場人物
新納友義、新納忠祐、新納忠澄、新納康久、島津忠良、田尻荒兵衛、新納久韓、新納長住
宛先
—
キーワード
新納氏、新納友義、新納忠澄、新納康久、島津忠良、田尻荒兵衛、加世田城、市来、渋谷氏、地頭職、軍功、系図
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:26系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平姓薩摩氏吉富系図

『吉富氏系図写』の中表紙に続き、頴娃三郎忠長の六男・薩摩六郎忠直を祖として、薩摩氏吉富流の諸家を近世後期まで展開する系図。薩摩郡本地頭、串木野若松・吉富名・羽島などの知行、加世田城・日州飯野・関ヶ原・目白坂等での軍役と戦死、朝鮮出兵・琉球渡海、加治木・帖佐・平松・蒲生・高岡への移住と奉公を記す。各代の通称・官途・入道名、妻の出自、養子・分家・家督相続、出生没年・法名・墓所のほか、御右筆、糺明奉行、物奉行、山奉行、高奉行、小番、進物番、横目、勘定方小頭、代官など近世の役歴を詳載する。本文は冊子p136で終わり、後続2頁の『諸家系図 三』表紙・収録氏名一覧は本系図に含まれない。

登場人物
薩摩六郎忠直、忠友、忠宗、忠光、忠行、忠俊、秀恒、忠持、忠国、忠成、忠重、忠澄、忠継、忠元、忠基、忠清、忠則、忠安、忠正、正信、忠賢、正貞、正次、直龍、長重、正栄、忠丈、直能、直英、直基、直昌、直堅、直貞、直方、直風、直孝
宛先
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キーワード
平姓薩摩氏吉富系図、吉富氏系図写、薩摩六郎忠直、薩摩郡本地頭、吉富名、串木野若松、羽島、加世田城、日州飯野、関ヶ原、朝鮮出兵、琉球渡海、加治木、帖佐、平松、蒲生、高岡、知行、家督、養子、分家、奉公、戦死、法名、墓所、御右筆、糺明奉行、物奉行、横目、代官
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:27系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

税所氏系図

『税所氏系図 大隅曽於郡系図』と題し、光孝天皇―宇多法皇―敦実親王―篤房以下を祖系として税所氏諸流を展開する系図。篤房流が天暦九年に藤原姓を給わったとの伝承、治安元年の大隅国曽於への配流、曽於御館・坂上御館を起点とする家系を記す。税所職、押領使職、大隅国大介・国大専当、曽於郡司、止上大宮司、惣検校、厚智山座主等の職掌と、曽於郡重富・重枝・重武・中津川・松永・栗野院恒次、薩摩国満家院、牛屎郡金波多村、山門院菓成河などの所領を列記する。源平争乱・和田合戦での忠節と戦傷、加世田城・横川での戦死、琉球地頭、大坂出陣などの軍歴、婚姻・養子・出家・法名・家督相続も収め、篤元ら近世の子孫へ至る。

登場人物
光孝天皇、宇多法皇、敦実親王、篤房、篤静、篤相、篤澄、篤忠、篤信、篤季、篤清、篤守(篤遠)、篤吉、篤重、篤成、篤真(篤道・重久)、篤用、敦満、祐満、重富、敦秀、祐信、敦政、敦武、敦辰、敦重、篤能、篤好、篤清、篤則、篤和、篤貞、篤成、篤元
宛先
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キーワード
税所氏系図、大隅曽於郡系図、光孝天皇、宇多法皇、敦実親王、藤原姓、治安元年配流、曽於御館、税所職、押領使職、大隅国大介、国大専当、曽於郡司、止上大宮司、惣検校、厚智山座主、重富名、重枝名、重武名、松永名、栗野院、満家院、牛屎郡、和田合戦、加世田城、横川、琉球地頭、大坂出陣、知行、家督、養子、戦死、法名
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:88軍忠状・恩賞請求旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

建武三年六月和泉道悟軍忠状

建武三年六月、薩摩国御家人の和泉杉三郎入道道悟が、軍忠の注進と恩賞を求めた軍忠状。五月七日の大隅国肝付郡加世田城大手城戸口合戦では子息らを率いて一番に先懸けし、堀口へ攻め寄せて逆迎えを切り払い、子息弥三郎保右が左股を射抜かれた。翌八日の合戦では旗差六郎丸が左小肘を射られ、島津六郎、山野彦四郎入道道井、伊作田兵部丞が軍忠を見知し、二十三日の野崎懸合戦でも奮戦したとして、島津貞久が「承了」の判を据える。

登場人物
和泉杉三郎入道道悟、子息弥三郎保右、旗差六郎丸、島津六郎、山野彦四郎入道道井、伊作田兵部丞、島津貞久
宛先
—
キーワード
建武三年六月、和泉杉三郎入道道悟、薩摩国御家人、軍忠状、恩賞請求、五月七日、大隅国、肝付郡、加世田城、大手城戸口合戦、一番先懸、堀口、逆迎、弥三郎保右、左股射抜、五月八日、旗差六郎丸、左小肘、島津六郎、山野彦四郎入道道井、伊作田兵部丞、五月二十三日、野崎懸合戦、島津貞久、承了、高尾野士出水藤之丞蔵本
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:90軍忠状・恩賞請求旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

建武四年四月和泉道悟軍忠状

建武四年四月、薩摩国の和泉杉三郎入道道悟が、大隅国加世田城・野崎城合戦で重ねた軍忠に対する恩賞を求めた軍忠状。前年三月、将軍家の鎮西下向に際して大宰府へ馳参し、肝付八郎兼重以下の凶徒誅伐を命じる御教書を受けて島津上総入道道鑑に属し、五月六日に加世田城へ押し寄せ、七日には子息らを率いて大手城戸口へ最前に攻め、逆迎えの敵を切り払った。この時、子息弥三郎保右が左股を射抜かれ、翌八日には旗差六郎丸が左小肘を射られ、二十三日の野崎懸合戦でも戦って両城を追い落としたと述べる。軍忠は島津六郎・山野彦四郎入道・伊作田兵部丞が見知し、道鑑の一見状でも明白であるとして、建武三年三月二十八日の将軍家御教書と同年六月の道鑑一見状を副進し、度々の軍忠に任せて恩賞に浴し弓箭の面目を施したいと訴える。

登場人物
和泉杉三郎入道道悟、肝付八郎兼重、島津上総入道道鑑(島津貞久)、子息弥三郎保右、島津六郎、山野彦四郎入道、伊作田兵部丞、旗差六郎丸
宛先
—
キーワード
建武四年四月、和泉杉三郎入道道悟、軍忠状、恩賞請求、大隅国、加世田城、野崎城、将軍家、鎮西下向、大宰府、肝付八郎兼重、凶徒誅伐、御教書、島津上総入道道鑑、島津貞久、五月六日、五月七日、大手城戸口、最前攻寄、弥三郎保右、左股射抜、島津六郎、山野彦四郎入道、伊作田兵部丞、五月八日、旗差六郎丸、左小肘、五月二十三日、野崎懸合戦、両城追落、一見状、副進、弓箭面目、高尾野士出水藤之丞蔵本
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:114系図・家伝/軍功・奉行・地頭歴旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

三原藤次流系図

上祖不詳で直重の裔族とする三原藤次流の系図。三原藤次は日新公に仕え、天文七年、日新公と島津実久の抗争時に加世田城で戦死し、その後の伊豆守は貴久公の納殿役を務めた。重長は貴久公の御荷内役・御納戸奉行を経て本府へ移り、牛根地頭職と三百石を与えられ、天正七年に家久が佐土原へ移封されると家久の家臣・家老となった。重長の二子は一人が山田城で、藤七が慶長五年に豊久へ従って関ヶ原で戦死したため、垂水の川崎内膳良光の嫡子・重正を後嗣に迎えた。重吉は山奉行となり万治二年に二百九石を知行し、般若院行者堂造営では普請奉行を務め、重時は御納戸奉行・物奉行、重矩(後の経明)は高奉行・御普請奉行寄役・小番を歴任した。後代は重共・経儔・経福・経豊・経載へ続き、児玉家への養子、長崎・入江・児玉各家との婚姻、出生・初見・分家時の四十八石などを記す。

登場人物
三原藤次、島津日新公、島津実久、島津貴久、三原伊豆守、重長、島津家久、重吉、九兵衛、藤七、島津豊久、重正、川崎内膳良光、重時、重貞、重明、重矩(経明)、重共、経儔、経福、経豊、経載、有富公、町田郷九郎久張、児玉四郎兵衛利常、島津中務久運、鎌田源左衛門政昌
宛先
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キーワード
三原藤次流系図、上祖不詳、直重裔族、日新公、島津実久、天文七年、加世田城、戦死、島津貴久、納殿役、重長、御荷内役、御納戸奉行、牛根地頭、三百石、天正七年、佐土原、島津家久、家老、山田城、島津豊久、慶長五年、関ヶ原、重正、川崎氏、垂水、山奉行、二百九石、般若院行者堂、普請奉行、物奉行、高奉行、御普請奉行寄役、小番、四十八石、養子、婚姻
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w5:122系図・市来小四郎家諸流/軍功・城攻防・奉公記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

市来小四郎系図

市来小四郎家と次左衛門・千左衛門・左中・勘左衛門などの諸流を、慶頼王の後裔とする祖系から近世まで示す長大な系図。広言が晩年に島津忠久へ従い、その子友成が大蔵家房の娘を妻として市来郡司家へ入り、政家が父家と祖母から市来院郡司職を受けて惟宗・大蔵の二姓を兼ねた経緯を記す。氏家は歌道と蹴鞠に優れ、忠家は至徳二年の犬追物で射手を務めた。久家は幼少時に島津久豊の葬送へ従い、嘉吉元年には薩摩守持久らと島津忠国に供奉したが、後に守護島津立久へ背き、寛正三年に市来城を攻められて没落した。後代では、家保が加世田で戦死し、家永が永禄十年に市山で戦死したこと、家政が天文十七年の日新公による加世田城攻撃で御剣を持ったこと、別家の家政が竹内兵部少輔を称して竹内隠岐守の養子となったのち市来氏を再興したことなど、各流の軍功・戦死・養子・役職・法名を列記する。忠家の一支については次左衛門家系図に見えず、本宗にも忠家がいないとの異説を付記する。

登場人物
慶頼王、教親、孝言、広言、島津忠久、大蔵家房、国分友成、政家(市来太郎・千与熊丸)、氏家(美作守)、忠家(筑前守)、久家(筑前守)、島津久豊、島津忠国、足利義教、細川右京、島津立久、家保、家永、忠将、島津実久、家政、島津日新公、家朝、家親、家治、家延、家永、家正、家広、忠友、久継、政方、家貞、家豊、家年、家寛
宛先
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キーワード
市来小四郎系図、次左衛門、千左衛門、左中、勘左衛門、慶頼王、教親、孝言、広言、島津忠久、大蔵家房、国分友成、政家、市来院郡司職、惟宗姓、大蔵姓、氏家、歌道、蹴鞠、忠家、至徳二年、犬追物、久家、島津久豊、島津忠国、嘉吉元年、足利義教、細川右京、島津立久、寛正三年、市来城没落、家保、加世田戦死、家永、永禄十年、市山戦死、家政、天文十七年、日新公、加世田城、御剣持、竹内兵部少輔、竹内隠岐守養子、市来氏再興、系譜異説、軍功、戦死、養子、法名
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w7:29-1系図・市来氏/家伝・軍役・奉公記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

市来氏系図・家伝

惟宗姓市来氏について、政家・家房から近世の政香・政武らへ至る系譜と家伝を収めた長大な記録。冒頭で市来院郡司・郡司職、母方の大蔵氏、国分・河上・橋口・角・河俣など諸流との関係を示す一方、政家の出自や市来院郡司職の伝承は諸家系図・注進文書だけでは確証できないとして異説を検討する。元弘3年には家親が渋谷・相良両家と結んで植松城を拠点に戦い、伊作大隅守勝久らとの市来院争奪では射戦・城攻め・訴訟・所領処分を重ねたとする。至徳2年には氏久が久豊へ追物射を命じた際、市来右京亮が射手を務め、のち筑前博多へ派遣された記事がある。家清は文明7年に大明神社を再興し、家保は天文7年12月29日に加世田城を守って今泉川で戦死、家利も加世田城防衛で大軍と戦い、西原川窪の奮戦で味方を退かせたと記す。文太郎忠辰は文禄元年から朝鮮へ従軍し、家尚は弓馬・飛弾・連歌・書画に通じ、久豊以来の家伝や国老衆の譜牒を調査して著述を残した。近世部分は家幸・家通・家親らの御目付・小姓・地頭職、知行・扶持、江戸・国元奉公、寺院葬送、改名・家督、複数の妻子・養子・分家を詳細に記し、記録館・史館勤務や文書編纂に携わった政香、家督と家名を継いだ政武までを載せる。

登場人物
市来政家、市来家房、市来時家、市来家親、市来忠家、市来久家、市来家広、市来家朝、市来家清、市来家保、市来家永、市来家周、市来家利、市来忠辰、市来家尚、市来家幸、市来家通、市来政香、市来政武、島津氏久、島津久豊、島津貴久、島津義弘、島津光久、島津家久、伊作大隅守勝久、国分左衛門尉友久
宛先
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キーワード
市来氏系図・家伝、惟宗姓、市来院郡司、市来政家、大蔵氏、系譜考証、元弘3年、植松城、渋谷氏、相良氏、伊作勝久、市来院争奪、所領訴訟、至徳2年、追物射、市来右京亮、筑前博多、文明7年、大明神社再興、天文7年12月29日、加世田城、今泉川戦死、文禄元年、朝鮮役、家尚、弓馬、連歌、書画、家伝編纂、御目付、小姓、地頭職、知行、江戸奉公、記録館、養子、分家、政香、政武
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:355文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

祢寝清種軍忠状

祢寝弥次郎清種が、建武三年以来、大隅・日向・薩摩各地で戦い負傷した軍忠を列挙した軍忠状。大姶良城、鷹栖城、加世田城などで敵勢と合戦し、島津田三位房・饗庭九郎らの軍勢とともに攻城した経過や、志布志への発向を述べ、一見状と恩賞を求める。観応二年八月日付。

登場人物
祢寝弥次郎清種、大姶良新兵衛入道道心、横山彦三郎、頼仲、岡富三郎次郎入道、島津田三位房、饗庭九郎
宛先
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キーワード
祢寝清種軍忠状、祢寝弥次郎清種、大姶良城、鷹栖城、加世田城、志布志、島津田三位房、饗庭九郎、先懸、負傷、軍忠、観応二年
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID shige:3-9系図・系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

重久篤兼譜

建武三年三月二十九日、足利尊氏が島津貞久に教書を与えて大隅・薩摩の警固を命じたことを記す。四月、肝付兼隆らが加世田城に拠って新田義貞方に属したため、十四日に島津貞久が重久篤兼へ速やかな出兵と討伐を命じた。

登場人物
足利尊氏、島津貞久、肝付兼隆、重久篤兼
宛先
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キーワード
重久篤兼譜、建武三年三月二十九日、四月十四日、足利尊氏、島津貞久、肝付兼隆、加世田城、大隅薩摩警固、出兵
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID KW1-P01-39f4516f-D0073軍勢催促状旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

刊本標題:畠山直顕軍勢催促狀

加世田城が没落の時期を迎えたところ、敵が後攻のため陣を取ったとの報告を伝える。 合戦と「以助藤所被仰合也」に触れ、武略を尽くして静謐をもたらすよう求める。 祢寢孫二郎殿に軍忠を求める催促状。

登場人物
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宛先
祢寢孫二郎殿
キーワード
加世田城、後攻、軍勢催促
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P03-IKEHATA-GOSHOHAN-D0703禰寢清種軍忠状旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

刊本標題:禰寢清種軍忠状

建武三年以来、御方として隅州・日州・薩州の合戦で度々被疵したと申す。 頼仲らに対する大姶良城・加世田城・高熊城などの合戦を列挙する。 夜襲・攻落・始良庄での合戦・志布志御発向への供奉を記す。 連続した軍忠を御披露するよう求め、承了の証判を伴う。

登場人物
頼仲(原表記留保・比定未確認)、畠山直顕(刊本注・比定未確認)
宛先
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キーワード
大姶良城、加世田城、高熊城、志布志、軍忠
前編2-No.2324記事確認度 中

殉国名藪

天文七年の末吉・加世田などの合戦で戦死した家臣を列挙する『殉国名藪』記事。山崎民部左衛門成通、城ヶ崎右衛門儀実、井尻祐秀、猿渡信資らについて戦死日と戦場を記し、北郷忠栄の藤野原での戦死にも触れる。複数戦役の死者情報を人物別に検索できる。

登場人物
山崎民部左衛門成通、城ヶ崎右衛門儀実、北郷忠相、井尻四郎左衛門尉祐秀、猿渡与市左衛門信資、北郷刑部少輔忠栄
宛先
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キーワード
殉国名藪、末吉城、加世田城、戦死者、山崎成通、城ヶ崎儀実、猿渡信資、北郷忠栄
前編2-No.2327記事確認度 中

島津日新譜

天文七年十二月晦日、日新公が軍勢を招集して加世田攻めを告げ、父子三人と選抜した兵が夜襲を敢行したことを記す。狐火を頼りに城壁へ密進し、激戦の末に新城を陥落させた。

登場人物
島津忠良(日新公)、島津貴久、島津忠将
宛先
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キーワード
島津日新譜、島津忠良、島津貴久、島津忠将、加世田城、夜襲、狐火、天文七年
前編2-No.2337記事確認度 高

貴久公記

天文七年十二月二十八日、忠良・貴久・忠将の父子三人が雪中に加世田へ出陣し、道中で垂れた蜘蛛の糸を三人そろって見たことや、夜半の鐘声を記す。忠将を大手口の大将として攻め、敵の反撃を受けながら諸将が救援し、新城では未明までの激戦の末に城兵を討ち取って落城させた経過を伝える貴久公記。

登場人物
島津忠良(日新公)、島津貴久、島津忠将、阿多飛騨守、大山内蔵助、鎌田加賀守
宛先
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キーワード
貴久公記、島津忠良、島津貴久、島津忠将、加世田城、新城、雪中戦、蜘蛛の糸、鐘声、夜戦、城攻め
前編2-No.2339記事確認度 中

島津国史

天文八年の加世田・新城をめぐる攻防を諸譜から集成した国史記事。本丸への進攻、城兵の反撃、救援と追撃、双方の戦死者を記し、新納康久・鎌田政真らの動向を追う。さらに伊集院忠朗方の蜂起と忠良・貴久方の反攻へ続き、城の奪回をめぐる連続戦を示す。

登場人物
島津忠良(日新公)、島津貴久、島津忠将、新納康久、鎌田政真、梅岳君、伊集院忠朗
宛先
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キーワード
島津国史、加世田城、新城、島津忠良、島津貴久、新納康久、伊集院忠朗、攻城戦、天文八年
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W16_64祭文抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

元亀二年の祭文書抜

元亀二年六月二十三日付の祭文を記し、三州太守・守護や加世田城を挙げてその事績をたたえる。

登場人物
三州太守(祭文の対象)
宛先
島津氏関係者
キーワード
全・元亀2年6月23日・祭文
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W16_65調書抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

福昌寺・悟性寺と寺社修造の由緒考

福昌寺・悟性寺の寺領、住持と旧記、修造・御位牌・石塔の由緒を長文で照合する。加世田城や鹿児島の社寺、諸家の書出・御記録を引き、寺社方の取扱いを考える。

登場人物
吉田清純、福昌寺・悟性寺関係者
宛先
寺社方・福昌寺関係者
キーワード
吉田清純筆抄・福昌寺・悟性寺・寺社修造
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P02-NENE4-D0466番号文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

刊本標題:建部清増軍忠状

冒頭では祢寝五郎入道と息又五郎清増が、建武三年以降御方として御手に属し隅州・日州・薩州各所で合戦した旨を申告する。 三月廿七日の大始良城、四月四日の同城攻略、十日の加世田城、七月十一日の鹿屋院高隈等の軍忠を挙げる。 今月三日以降の始良庄等の合戦・討取を述べ、「親類六郎次郎被疵訖」とも記す。 各所の軍忠について一見状を求め、末尾には建部清増とある。

登場人物
大隅國祢寝五郎入道と惠、子息又五郎清増、楡井四郎頼仲、又四郎頼重、承了、畠山直顕カ
宛先
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キーワード
軍忠