市来小四郎系図
至徳2年12月15日、暦応4年7月27日・8月14日、文安3年、宝徳3年9月8日、嘉吉元年12月12日、寛正3年、天文17年、永禄10年、天正8年、寛永元年、寛延3年1月12日、貞享5年/原整理番号 122
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概要
市来小四郎家と次左衛門・千左衛門・左中・勘左衛門などの諸流を、慶頼王の後裔とする祖系から近世まで示す長大な系図。広言が晩年に島津忠久へ従い、その子友成が大蔵家房の娘を妻として市来郡司家へ入り、政家が父家と祖母から市来院郡司職を受けて惟宗・大蔵の二姓を兼ねた経緯を記す。氏家は歌道と蹴鞠に優れ、忠家は至徳二年の犬追物で射手を務めた。久家は幼少時に島津久豊の葬送へ従い、嘉吉元年には薩摩守持久らと島津忠国に供奉したが、後に守護島津立久へ背き、寛正三年に市来城を攻められて没落した。後代では、家保が加世田で戦死し、家永が永禄十年に市山で戦死したこと、家政が天文十七年の日新公による加世田城攻撃で御剣を持ったこと、別家の家政が竹内兵部少輔を称して竹内隠岐守の養子となったのち市来氏を再興したことなど、各流の軍功・戦死・養子・役職・法名を列記する。忠家の一支については次左衛門家系図に見えず、本宗にも忠家がいないとの異説を付記する。
登場人物
慶頼王、教親、孝言、広言、島津忠久、大蔵家房、国分友成、政家(市来太郎・千与熊丸)、氏家(美作守)、忠家(筑前守)、久家(筑前守)、島津久豊、島津忠国、足利義教、細川右京、島津立久、家保、家永、忠将、島津実久、家政、島津日新公、家朝、家親、家治、家延、家永、家正、家広、忠友、久継、政方、家貞、家豊、家年、家寛
宛先
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キーワード
市来小四郎系図、次左衛門、千左衛門、左中、勘左衛門、慶頼王、教親、孝言、広言、島津忠久、大蔵家房、国分友成、政家、市来院郡司職、惟宗姓、大蔵姓、氏家、歌道、蹴鞠、忠家、至徳二年、犬追物、久家、島津久豊、島津忠国、嘉吉元年、足利義教、細川右京、島津立久、寛正三年、市来城没落、家保、加世田戦死、家永、永禄十年、市山戦死、家政、天文十七年、日新公、加世田城、御剣持、竹内兵部少輔、竹内隠岐守養子、市来氏再興、系譜異説、軍功、戦死、養子、法名
冊子頁
320~324頁
読込量
特大
面白さ
★★★★★
(2)217~382頁(諸家系図4~5).pdf