島津竜伯書状
(慶長二年)八月十四日 / 冊子 133頁
島津義久が又八郎に、野村五郎三郎の件は当地では分からないため国元で調べ、後報すると答えた書状。唐仁との和平の風聞を尋ね、和平が成れば事態が決着するとしつつ、急用のため使者を不意に渡海させたこと、当地の様子は武庫宛書状に詳しく記したことを伝える。
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(慶長二年)八月十四日 / 冊子 133頁
島津義久が又八郎に、野村五郎三郎の件は当地では分からないため国元で調べ、後報すると答えた書状。唐仁との和平の風聞を尋ね、和平が成れば事態が決着するとしつつ、急用のため使者を不意に渡海させたこと、当地の様子は武庫宛書状に詳しく記したことを伝える。
年月日未詳 / 冊子 150頁
吉枝名の庶子らが分領する土地を実検して記した帳簿。右衛門入道本忍・河縁入道日傳・南入道忍性・馬場入道日性・武光五郎三郎入道主禅らの名を挙げ、保佐田・樺丸・橋口・武津町などの田地を町・段単位で列記し、惣領の日妙知行分も示す。
(元弘三年)四月廿七日 / 冊子 611頁
足利高氏が周防五郎三郎へ、伯耆国からの出陣命令に応じ、一族を率いて合力するよう求めた書下。
建武三年二月五日 / 冊子 648頁
周防五郎三郎忠兼に一族を率いて日を置かず播磨国へ馳参し、軍忠を尽くすよう命じた足利尊氏軍勢催促状。
建武四年四月十五日 / 冊子 687頁
島津五郎三郎代右衛門太郎の軍忠を神妙と賞し、恩賞を与える旨を伝えた某書下。
貞和六年正月七日 / 冊子 793頁
足利直義が入山五郎三郎へ、大隅国菱刈院入山村の薬師田八町二反を無公役とし、代々相伝して公役を免除することを認めた書下。
建武三年五月十九日 / 冊子 665~666頁
島津周防五郎三郎忠兼が、建武三年の諸合戦での軍忠を日付順に述べた軍忠状。中細尾合戦で赤松雅楽助方に属し、城中で敵の手を射て討ち取ったこと、各戦場での先懸・負傷・討死を挙げ、見知者の証明と証判を求める。
建武三年七月廿七日 / 冊子 670頁
島津周防五郎三郎忠兼が、五月の将軍家御上洛時に赤松城で軍忠を尽くし、六月六日の尼崎神崎宿河原・山崎合戦でも先懸したことを報告した軍忠状。非違を見知した者の証判を得て後鑑とし、披露を求める。
建武三年十月日 / 冊子 672~673頁
島津周防五郎三郎忠兼が、播磨国下揖保・丹生寺等の合戦で軍忠を尽くしたことを日付順に報告した軍忠状。敵城への攻撃、先懸、敵の射取り、味方の負傷・討死を列挙し、見知者の実検と証判を求める。
建武四年九月廿一日 / 冊子 697頁
島津周防五郎三郎忠兼が九月十七日の丹生寺方面への発向に従い、弟十郎忠範を山田へ派遣し、翌日から凶徒追討に軍忠を尽くしたとして証判を求めた軍忠状。
建武五年二月廿三日 / 冊子 710頁
島津周防五郎三郎忠兼が播磨国山之城攻めで軍忠を尽くした軍忠状。二月十三日の攻撃で弟十郎忠範が右乳上を射られたことを挙げ、見知・証判を求める。
建武五年六月日 / 冊子 713頁
島津周防五郎三郎忠兼が丹生寺の凶徒追討で軍忠を尽くした軍忠状。四月九日に生田前で合戦し、若党荒木又五郎が右足を射られ、六月には再度丹生寺へ向かったとして見知と証判を求める。
建武五年閏七月廿九日 / 冊子 714~715頁
島津周防五郎三郎忠兼が丹生寺・加蘭坂・明石城などで軍忠を尽くした軍忠状。六月廿六日に丹生寺凶徒と戦い、翌日加蘭坂で合戦して馬を射られ、夜襲で明石城へ寄せ、若党山田左衛門次郎が討死するなどの損害を挙げ、見知と証判を求める。
建武五年八月十三日 / 冊子 715~716頁
播磨国白旗城軍勢と下揖保庄西方地頭島津周防五郎三郎忠兼の勲功を上申し、安堵・恩賞の沙汰を求めた赤松円心挙状。
暦応元年十一月日 / 冊子 717頁
新田宮執印友雄が一宮八幡新田宮の社領・神用米をめぐる押領と違乱を重ねて訴えた重申状。阿多郡北方領主隠岐三郎左衛門入道行存・周防五郎三郎らによる所役米の押領、御教書・御事書への違背、神人・僧侶への狼藉、社殿修理の妨害などを列挙し、先例と御教書に従う厳密な裁許を求める。
建武五年八月廿一日 / 冊子 716頁
白旗城での島津忠兼の勲功を賞し、播磨国下揖保庄西方地頭職を先例どおり支配するよう命じた赤松円心書下。
暦応元年十一月廿四日 / 冊子 717頁
島津忠兼の白旗城での軍功を賞し、播磨国下揖保庄東方地頭職を先例どおり支配するよう命じた赤松円心書下。
年月日未詳 / 冊子 611頁
越前島津氏七代忠兼を掲げ、その子息五郎三郎が左衛門尉・周防守を称したことを記す簡略な系図記事。
年月日未詳 / 冊子 669頁
島津忠兼の系統として、忠兼・八郎・五郎三郎・三郎左衛門尉・周防守らの名を掲げ、軍功・恩賞と子孫関係を示す越前島津八郎譜の記事。
建武三年七月十日 / 冊子 670頁
周防五郎三郎忠兼の軍忠を神妙と賞し、恩賞を与える旨を伝えた足利尊氏感状。
観応元年八月廿一日 / 冊子 796頁
大蔵頼平が、八月十八日の薩摩国郡山城合戦で大隅助三郎入道以下の凶徒と戦った軍忠を申す。親類小山田彦五郎の射傷、左衛門次郎・森五郎三郎らの負傷や討死、比志島孫太郎らとの合戦経過を列挙し、後日の証拠として御判を求めた軍忠状。