賦何船連歌
慶長三年十二月十五日 / 冊子 334頁
慶長三年十二月十五日に追加された「賦何船連歌」。「ゆふ千鳥ねぬにめさます宿り哉」を発句とし、川瀬の音、月、山の小雨、柴人、秋の朝などを、秋扇・久賢・起雲・紹意・其阿・雖哥・定庵・与進が詠み継ぐ。直前No.635の龍伯ほかの連歌参加者は含まれない。
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慶長三年十二月十五日 / 冊子 334頁
慶長三年十二月十五日に追加された「賦何船連歌」。「ゆふ千鳥ねぬにめさます宿り哉」を発句とし、川瀬の音、月、山の小雨、柴人、秋の朝などを、秋扇・久賢・起雲・紹意・其阿・雖哥・定庵・与進が詠み継ぐ。直前No.635の龍伯ほかの連歌参加者は含まれない。
年月日未詳 / 冊子 355頁
島津義久は歳久への追悼を続け、慶長四年三月三日、福崎伊予守兵道行者を地割の担当、宮原左近法師秋扇を奉行として一寺を建立し、瀧水山稱心岳寺と号した。抱巖孫大和尚を開山としたことを記す。
慶長三年十二月十三日 / 冊子 307~310頁
慶長三年十二月十三日に新田八幡宮社内で催された「御託宣連歌 第一」。「あらたまる年のはしめにしも國の/あかねさす日の光のとけき」に始まり、新年・春景、船旅、山野、月雪、四季の景物などを詠み継ぐ。島津義弘を含む連衆が参加し、義弘の帰朝時の神託を受けて奉納された千句連歌の第一連歌に当たる。
慶長三年十二月十三日 / 冊子 310~312頁
慶長三年十二月十三日に新田八幡宮社内で催された「賦何路連歌 第二」。島津忠恒の「松に梅ならふや千代の相やとり」を発句とし、鶴・雁・月・霞などの賀意ある景物から、旅路、海山、四季、人事へと句を展開する。No.626と同じ連衆を中心とする千句連歌の第二連歌で、忠恒が発句を担当した点に特徴がある。
慶長三年十二月十三日 / 冊子 313~315頁
慶長三年十二月十三日に催された千句連歌の第三連歌。島津義弘の「天地もちこかぬかせや朝かすミ」を発句とし、若草の露、月、舟、山野、花、雪などを取り合わせながら、春景から旅・恋・四季の景物へ句を展開する。原資料の連歌名に判読困難字があるため、標題は人確認済みインデックスどおり「賦□連歌」とした。
慶長三年十二月十四日 / 冊子 315~318頁
慶長三年十二月十四日に催された「賦唐何連歌 第四」。「聲うとし今日たかさとのほとゝきす」に始まり、時鳥、夏、雨、雲、旅宿、月、山野、秋の景へと詠み継ぐ。前日から続く奉納千句連歌の第四連歌で、時鳥の声を起点に遠近の景色と旅情を展開する点に特徴がある。
慶長三年十二月十四日 / 冊子 318~321頁
慶長三年十二月十四日に催された「賦手何連歌 第五」。「ぬきちらす白玉涼し瀧の糸」を発句とし、五月雨、夏山、雲、旅人、川音、月、秋の野などへ連想を広げる。滝の白玉と涼感から始まり、水辺・旅・季節の推移を中心に構成された千句連歌の第五連歌である。
慶長三年十二月十四日 / 冊子 321~323頁
慶長三年十二月十四日に催された「賦下何連歌 第六」。「山姫のかさしのえたかはつ紅葉」に始まり、露、秋草、月、舟、山里、雨、雲、春の花などを詠み継ぐ。初紅葉を発端に秋景を濃く描きつつ、水辺の旅や人事、季節の巡りへ展開する千句連歌の第六連歌である。
慶長三年十二月十四日 / 冊子 323~326頁
慶長三年十二月十四日に催された「賦何袋連歌 第七」。「まねくにや鹿も入野の花薄」を発句とし、夕月、露、雲、郊外の田園、旅立ち、秋雨、山水などへ句を展開する。鹿と花薄による秋野の情景を起点に、旅と故郷、人事を交えた千句連歌の第七連歌である。
慶長三年十二月十五日 / 冊子 326~329頁
慶長三年十二月十五日に興行された「賦薄何連歌」第八。「入月のくたくやこほり秋の水」を発句とし、白菊の露、風雨、雲、山河、霜、鹿、梅、旅、古郷などへ句を展開する。氷と秋水から始まり、草木や月、旅情を交えながら四季の景を連ねた百韻連歌である。
慶長三年十二月十五日 / 冊子 329~331頁
慶長三年十二月十五日に興行された「賦初何連歌」第九。「民の戸の雪にはかやか軒もなし」を発句とし、冬籠りの里、梅、秋風、月、竹、旅、寺、田畑などを詠み継ぐ。雪に覆われた民家の静けさを起点に、季節の移ろいと里・旅の景を交錯させた百韻連歌である。
慶長三年十二月十五日 / 冊子 331~334頁
慶長三年十二月十五日に興行された「賦何木連歌」第十。「年やかく暮てもつきし幾廻り」を発句とし、冬の梅、雪、春、旅、月、露、山野、舟、恋、秋などへ句を展開する。年の暮れと幾度もの歳月を起点に、四季・旅・恋を巡らせ、龍伯も加わって詠じた百韻連歌である。
(慶長五年)十一月八日 / 冊子 611頁
島津義弘(惟新)が、肥後方の先勢が水俣まで進出したとの注進を伝え、在番衆・移衆を励ますよう命じる。伊勢平左衛門尉を急ぎ呼び寄せ、境目を相談して整え、不審な地下人から人質を取り、奉公人を募り、敵方使者の内場通行を防ぐよう指示する。
年月日未詳 / 冊子 168~169頁/原整理番号 512
高尾野の肝付伴右衛門家系図。肝付如心入道(右近藤左衛門、実名不詳)は慶長五年に帖佐から出水へ召し移され、高尾野城地頭宮原秋扇(景晴)の談合衆として徳永・樅所らと旧高尾野城内へ移住して奉公したという。以下、兼盛・兼行・兼平・兼経らの分岐、養子、母方、婚姻を列記する。