台明寺雑掌敷建申状
正和元年九月日 / 冊子 436頁
将軍家御祈祷所大隅国臺明寺雑掌が、同国税所介篤胤代忠秀を訴えた申状。被棄置濫訴活田物由事について、先進の一通押書状を提出し、忠秀を訴人として参決させるよう求める。
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正和元年九月日 / 冊子 436頁
将軍家御祈祷所大隅国臺明寺雑掌が、同国税所介篤胤代忠秀を訴えた申状。被棄置濫訴活田物由事について、先進の一通押書状を提出し、忠秀を訴人として参決させるよう求める。
永仁五年十月廿六日 / 冊子 383頁
肥前国水上寺の祈祷所をめぐる沙汰について、関東御祈祷所の先例に従い、台明寺衆徒の訴訟を取り扱うよう命じた景員・家綱連署奉書。
応永六年十一月三日 / 冊子 184頁
島津元久が中馬左近蔵人へ、大隅国姶良庄西俣村内五町を祈祷所として宛行い、先例どおり領知することを認めた宛行状。
応永六年十二月三日 / 冊子 186頁
島津元久が菱刈安芸守久隆へ、日向国求仁郷内十五町を祈祷所として宛行い、先例どおり沙汰するよう命じた宛行状。
応永六年十二月十九日 / 冊子 186~187頁
島津元久が岸浦勘解由左衛門尉へ、大隅国姶良庄西俣村内五町を祈祷所として宛行い、先例どおり領知することを認めた宛行状。
応永七年四月十九日 / 冊子 195頁
島津元久が伊作殿へ、薩摩国谷山郡和田村の井佐屋脇半分を祈祷所として宛行い、先例どおり領知するよう命じた書下。
応永七年四月十九日 / 冊子 195頁
島津元久が伊作殿へ、薩摩国益山庄を祈祷所として宛行い、先例どおり領知するよう命じた書下。
応永七年十二月十三日 / 冊子 198頁
島津久哲(伊久)が渋谷弾正少弼重茂へ、薩摩国谷山郡と給黎院半分を祈祷所として預け、先例どおり沙汰するよう命じた預ケ状。
応永八年三月八日 / 冊子 199頁
島津元久が田代刑部少輔清久へ、島津庄日向方柏原保内十町分を祈祷所として宛行い、先例どおり領知するよう命じた書下。
応永八年八月廿一日 / 冊子 203頁
島津久哲(伊久)が伊作大隅守へ、薩摩国の南郷を祈祷所として預け置き、先例どおり沙汰するよう命じた書下。
応永八年十一月十六日 / 冊子 203~204頁
島津久哲(伊久)が伊作大隅守へ、薩摩国知覧院で元久方の祈祷所として先日知行していた水田二十町を、新たな祈祷所として知行することを認めた書下。
応永九年七月廿五日 / 冊子 205頁
島津元久が、大隅国内弥那尾村の地頭職を祈祷所として預け置き、先例どおり知行することを認めた書下。
応永九年八月十二日 / 冊子 205頁
島津元久が隈本石見守へ、大隅国宮内の万得房跡功得丸を祈祷所として宛行い、先例どおり領知するよう命じた宛行状。
四月九日 / 冊子 712頁/整理ID 2408
梅小路・松むらが島津勘解由・島津帯刀へ、薩摩守夫妻の機嫌を喜び、安産を願って祈祷所に祈願させたと伝える連署消息。薩摩守からの書状と目録品への礼も述べる。
五月三日 / 冊子 97頁
『志布志宝満寺文書焼切古写』所収の欠損文書。順某が某仙御坊に、日向国宝満寺は西殿の祈祷所で、寄進状もあることを述べ、同寺を願寺として取り立て、将来にわたり仏法を興隆させるよう求めた書状。焼損のため差出人・宛所の一部と多くの字句が欠けている。
正応二年九月日 / 冊子 360~361頁
宮里郷地頭大隅式部三郎忠光が、新田宮執印重兼・神官らによる地頭職への干渉と押領を重ねて訴えた申状。神人の追出し、住居放火、社領免田・供物の収奪、祈祷所務への介入などを列挙し、先例と関東下知に基づく押領停止・返付・処罰を求める。
延慶四年六月二日 / 冊子 431頁
大隅国臺明寺雑掌が異国降伏御祈祷巻数の執達を求めた申請について、関東御祈祷所の案件として支障なく執行するよう上野前司へ命じた鎮西御教書。
永和三年十一月七日 / 冊子 111頁
島津氏久が祈祷所として、日向国救仁郷比志田村内の毘沙門堂敷地と免田畠を毘沙門堂持住玄祐庵主禅師へ寄進し、先例どおり知行するよう定めた寄進状。