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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 337-5記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

記事

原城方の女・童子は合わせて三万人に少し足りないほどで、残る者は各所で討死し、落城時の射撃や火災で焼失したとする記事。諸手が生け捕った者も首数に入れ、銃撃を受けた首や焼け残った首を女・童子までことごとく集め、落城の西深田で柵木に貫き、北向きに獄門へ掛けた光景を夥しいと記す。336-3冒頭の同趣旨記事より女・童子の概数が明示される。

登場人物
原城内の女・童子ほか城方死者・生捕者
宛先
宛先なし(記事・記録類)
キーワード
原城、女、童子、三万人に少不足、討死、射撃、火災、焼失、生捕、首数、焼け残りの首、西深田、柵木、北向、獄門、336-3関連
前編1-No.1637文書確認度 高

二階堂行久申状

二階堂三左衛門尉行久が、鎮西での合戦軍忠を申告した申状。薩摩国守護方の御手に属し、武蔵修理亮北条英時が籠る博多宿北門を攻め、合戦で生捕・討取を挙げたことを示し、急速な恩賞を求める。

登場人物
二階堂行久・薩摩国守護方・軍勢関係者
宛先
薩摩国・博多・江州方面
キーワード
二階堂行久申状、鎮西合戦、薩摩国守護、博多宿北門、北条英時、生捕、討取、恩賞
前編1-No.1658文書確認度 高

渋谷典重申状

渋谷九郎平典重が、五月廿五日の北条英時誅伐合戦など二箇条の軍忠を申告した申状。戦場で分捕・生捕を挙げ、武藤筑後孫次郎・左近将監らの検見を受けたと述べ、恩賞のため参洛・奏聞を求める。

登場人物
渋谷典重・武藤筑後孫次郎・左近将監
宛先
鎮西
キーワード
渋谷典重申状、北条英時誅伐、五月廿五日合戦、分捕、生捕、武藤筑後孫次郎、検見、恩賞
追録8-No.449-3書状抜抄(上京・浪華長府屋敷取合と浪人の状況)旧記雑録暫定版確認度 中

小倉から京都への移動と和州・浪華の浪人情勢、屋敷取合後の様子を記す私状抄

書状抜抄。筆者は五月一日に小倉で乗船し十三日に京都へ無事着いたと報じ、和州の中山侍従・浪士の情勢と紀州・藤堂家への別紙指示に触れる。浪華の一番隊村橋・四番隊櫻吉利が長府屋敷に取り合い、生捕を差し出すよう申し入れたこと、廿七日夜の入京、廿八日暁の川尻への出船の話を載せる。人質一人を差し出すか翌日砲臺を開けるとの交渉の由、当月四日伏見で一泊し五日に二本松屋敷へ戻ったこと、屋敷内の人員・砲や大坂屋敷の用意、浪士にも今は手段がないという見方を記す。各月日を整合のため変更せず、筆者の移動報告と交渉・浪人についての伝聞を区別する。

登場人物
筆者姓名不記、中山侍従、紀州・藤堂家、一番隊村橋・四番隊櫻吉利、浪士、三藩関係者
宛先
宛名姓名不記(書状抜抄)
キーワード
書状抜抄姓名宛名不記、五月一小倉乗船十三京都着、和州中山侍従浪士、去月廿九別紙指示紀州藤堂、浪華一番村橋四番櫻吉利、長府屋敷取合生捕差出、廿七夜入京廿八暁川尻出船、人質砲臺交渉の由、当月四伏見一宿五二本松屋敷、人員大砲用意浪士見方
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 758-3日記・山狩りと兵糧受給旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

小川監物日記

十七日に人数を揃え、山に籠もる天草のキリシタンを生捕りにするため山狩りを行ったが、隠れた者はいなかったと記す。加世田衆四十人の配置と翌十八日以降の残る山の捜索に触れる。また伊地知重政が主従三十五人で加久藤勢を率い、羽月から米之津へ到着して指出により兵糧を受け取ったことを記す。末尾に衆中共同の差出とみられる旨の注がある。

登場人物
小川監物 喜入忠政 伊地知重政 加世田衆 加久藤衆
宛先
なし(日記)
キーワード
山狩り 生捕り キリシタン 加世田衆 加久藤衆 兵糧 指出
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 130-1日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

寛明日記

『寛明日記』六日条。城中の会津刑部・坂部源八・山田右衛門佐が有馬左衛門佐へ内通して謀反を企てたが、返矢文が別の番所へ射込まれて発覚した。会津・坂部は同夜成敗され、山田は拘束されて落城時に小笠原右近大夫へ生捕られたと記す。

登場人物
寛明、会津刑部、坂部源八、山田右衛門佐、有馬左衛門佐、小笠原右近大夫
宛先
宛先なし(『寛明日記』六日条)
キーワード
寛明日記、六日条、内通、謀反、返矢文、誤射、会津刑部、坂部源八、山田右衛門佐、生捕り
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 290記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平塞録

『平塞録』。二十二日、原城の一揆方が寄手諸陣へ夜討ちを行った。天草四郎が頭立を集め、芦塚忠右衛門・布津村代右衛門を松平右衛門佐陣、天草玄札を寺沢陣、上総三平・千々岩五郎右衛門を鍋島陣へ向かわせ、檜皮を用いる火付役も配した。各隊は柵を破って放火し、寄手は鉄砲・槍・太刀で応戦して追撃した。諸手から上使へ報告した最終集計は、討取首二百九十四・生捕二十四人である。

登場人物
平塞録、天草四郎、芦塚忠右衛門、布津村代右衛門、天草玄札、上総三平、千々岩五郎右衛門、寄手諸陣
宛先
宛先なし(平塞録所収記事)
キーワード
平塞録、二十二日、天草四郎、夜討、芦塚忠右衛門、布津村代右衛門、天草玄札、上総三平、千々岩五郎右衛門、松平、寺沢、鍋島、火付、鉄砲、討取首二百九十四、生捕二十四人
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 293覚旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

味方手負・死人之覚

出水士山本甚左衛門蔵本の「味方手負・死人之覚」。二月二十一日夜寅刻の原城方切出しに際する寄手側の討死・手負を、松平右衛門佐、黒田甲斐守、黒田市正、寺沢兵庫頭、鍋島信濃守らの家中別・人名別に列記する。味方損害の惣合は二百七十五人で、内六十九人を死人とする。続く「きりしたん首数目録」は松平・黒田・寺沢・鍋島・立花各手の戦果を掲げ、合首数二百九十二・合生捕七人と記す。味方損害と敵方の首数・生捕を別集計として扱う。

登場人物
出水士山本甚左衛門蔵本、松平右衛門佐家中、黒田甲斐守勢、黒田市正勢、寺沢兵庫頭勢、鍋島信濃守勢、立花左近勢
宛先
宛先なし(手負・死人・首数目録)
キーワード
出水士山本甚左衛門、二月二十一日、夜寅刻、原城、切出、松平右衛門佐、黒田甲斐守、黒田市正、寺沢兵庫頭、鍋島信濃守、立花左近、味方損害二百七十五人、死人六十九人、きりしたん首数二百九十二、生捕七人
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 294日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

小川監物日記

『小川監物日記』。二十二日暁、有馬城方面に火の手が見えた。城から敵約三百人が出て柵を破り陣中へ放火したが、筑前衆・唐津衆・肥前衆が応戦し、敵を一人残らず討取または生捕にしたとする。一方、寄手側にも多数の戦死者が出たと記す。

登場人物
小川監物日記、原城一揆勢、筑前衆、唐津衆、肥前衆
宛先
宛先なし(日記記事)
キーワード
小川監物日記、二十二日暁、有馬城、敵約三百人、柵、放火、筑前衆、唐津衆、肥前衆、討取、生捕、寄手戦死
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 335-3記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

記事

前掲の味方手負死人覚を総括し、落城後の生捕り処置を記す記事。二月二十七・二十八日の討死を1,126人、手負を6,950余人、合わせて8,086人とし、板倉主水・石谷十蔵らの郎等や諸国浪人の死傷は含めないと断る。前年十二月二十日・正月元日・夜討の4,917人を合わせ、寄手の討死・手負は一万三千余人とする。落城後に連行された捕虜四人のうち山田右衛門佐を松平信綱が尋問し、供述が落人の話と一致したため助命して有馬左衛門佐に預け、のち将軍の上意で江戸へ召し、信綱家臣としたという。

登場人物
松平伊豆守信綱、山田右衛門佐、諸大名家中・諸国浪人
宛先
宛先なし(記事・記録類)
キーワード
討死1126人、手負6950余人、計8086人、二月二十七日、二月二十八日、未記載郎等・浪人、前年十二月二十日、正月元日、夜討4917人、総計一万三千余人、落城、生捕四人、山田右衛門佐、松平伊豆守信綱、尋問、供述一致、助命、有馬左衛門佐、江戸、信綱家臣
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 336-3名簿・覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

記事

原城落城時の死傷者を寄手諸家別・身分別に集計し、個人名を列挙した大部の名簿。冒頭では、落城時に討ち込まれた者、焼死者、生捕り後に首を刎ねられた者、女童部を含む焼け残りの首を集め、北面に掛けたと記す。続いて黒田甲斐守・同市正、鍋島信濃守・同紀伊守、細川越中守、有馬玄蕃頭、寺沢兵庫頭、立花飛騨守、小笠原右近大夫・同信濃守、松倉長門守、有馬左衛門佐、水野日向守、松平伊豆守、戸田左門、松平丹後守らの家中について、討死・手負を歩・家中侍等に分け、小計と氏名を記す。末尾は総人数6,780人、内訳を討死773人・手負6,007人と総括し、三数値は算術上一致する。全名簿頁を画像確認したが、全氏名の独立転記照合・異体字比定は未実施。

登場人物
原城攻めの寄手諸家と各家中の討死・手負者
宛先
宛先なし(名簿・記録類)
キーワード
原城、落城、討死、手負、死傷者名簿、焼死、生捕、首、女童部、北面、黒田甲斐守、黒田市正、鍋島信濃守、鍋島紀伊守、細川越中守、有馬玄蕃頭、寺沢兵庫頭、立花飛騨守、小笠原右近大夫、小笠原信濃守、松倉長門守、有馬左衛門佐、水野日向守、松平伊豆守、戸田左門、松平丹後守、歩、家中侍、総人数6780人、討死773人、手負6007人、全氏名独立照合未実施
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 339-4覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

一揆討取首数覚

一揆方から討ち取った首数を寄手別に記す覚。細川越中守手2,632首、松平右衛門佐手2,913首・鼻10、有馬玄蕃頭手1,380首・鼻1、鍋島信濃守手58首、寺沢兵庫頭手6首(ただし生捕の首)、立花飛騨守手2,637首・鼻268、松倉長門守手180首、水野日向守手85首・鼻28を掲げる。首数八明細の和は9,891首、鼻は計307で、両者を合算した10,198を本文の首数とは扱わない。

登場人物
細川越中守ほか寄手八手
宛先
宛先なし(覚書・記録類)
キーワード
一揆討取首数、細川越中守2632首、松平右衛門佐2913首・鼻10、有馬玄蕃頭1380首・鼻1、鍋島信濃守58首、寺沢兵庫頭6首・生捕、立花飛騨守2637首・鼻268、松倉長門守180首、水野日向守85首・鼻28、首明細計9891、鼻計307
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:183文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

本田久兼軍忠状

本田久兼が八幡・天王寺方面での軍忠を申告した文書。三月十三日に八幡で合戦し、大隅助次郎入道・東郷小三郎が見知、同十六日には天王寺安部野で敵二人を生捕り、高橋中務丞が確認したとして、後代の証拠となる一見状を求める。建武五年三月付。

登場人物
本田次郎左衛門尉久兼、大隅助次郎入道、東郷小三郎、高橋中務丞
宛先
—
キーワード
本田久兼軍忠状、八幡、天王寺安部野、生捕、一見状、大隅助次郎、東郷小三郎、高橋中務丞
後編1-No.8記録確認度 高

箕輪伊賀覚書

島津貴久勢が北村で北原氏の偽装退却と伏兵に遭い包囲される。指宿右馬允と竹若丸が殿を務めて戦死し、弟子丸らも討死する一方、北原忠辰が追撃勢を攻め、貴久は退却した。翌日、北原勢が加治木・溝辺へ進出すると大隅衆が迎撃し、敵およそ二十人を討ち取る・生け捕るなどしたが、味方の足軽にも戦死者が出た。

登場人物
島津貴久、島津義久、島津忠辰、島津忠将、蒲生勢、祁答院勢、弟子丸播磨守、指宿丹後守
宛先
—
キーワード
島津貴久、北原氏、北村、偽装退却、伏兵、包囲、指宿右馬允、竹若丸、殿軍、戦死、弟子丸、北原忠辰、加治木、溝辺、大隅衆、討取、生捕
後編1-No.34記録確認度 高

山本氏日記(閏十月分)

弘治元年閏十月二十四日、新城勢が横尾口に伏せたが敵に察知され、伏兵を包囲されたものの打ち破って全員無事に退却し、貴久父子が吉田まで出た。翌二十五日、吉田衆五人が蒲生横尾口で敵二人を討ち、十五、六歳ほどの童子一人を生け捕った。

登場人物
新梓勢、吉田衆、蒲生衆
宛先
—
キーワード
山本氏日記、弘治元年閏十月、新城勢、横尾口、伏兵、包囲突破、島津貴久父子、吉田衆、討取、童子、生捕
後編1-No.328記事確認度 高

庄内平治記

永禄九年三月二十二日に伊東勢が目井へ陣を置いたことを記す。四月二十日、飫肥宮之浦の兵が海上で伊東勢と戦い、敵二十九人を討ち九人を生け捕り、合わせて六十三人を討ち果たし、船五艘を奪った。

登場人物
伊東義祐、飫肥宮之浦勢
宛先
—
キーワード
庄内平治記、永禄九年、伊東氏、目井、飫肥、宮之浦、海戦、討取、生捕、船
後編1-No.1045記事確認度 高

日向記

豊後と日向門川の通路が自由にならないため、大友方は土持一族を討つと決め、四月十五日に大軍で梓山を越え、夏田の村社ヶ原へ陣を取った。門川から新名方面へ進んで南口から攻め、土持親成を生け捕りにして豊前へ流した。

登場人物
土持親成、大友氏、門川衆
宛先
—
キーワード
日向記、土持親成、大友氏、門川、梓山、夏田、村社ヶ原、新名、四月十五日、生捕、豊前配流
後編1-No.1141記事確認度 高

樺山忠助譜

天正八年に相良領の宝川内城を落とした後、敵が毎夜城麓を襲って警固が困難になったため、樺山忠助が入城して武略で退けた。翌年正月十一日には勇士を津奈木城麓へ忍ばせ、築瀬氏一人を討ち一人を生け捕りにした結果、襲撃が止み、二月下旬に陣を開いた。

登場人物
樺山忠助、築瀬氏、相良氏
宛先
—
キーワード
樺山忠助譜、樺山忠助、宝川内城、警固、津奈木城、築瀬氏、夜襲、生捕、開陣
後編3-No.1249文書確認度 高

黒田如水(円清)書状

黒田如水(円清)が伊那因幡へ、宮崎城を攻め取った働きを称え、徳川家康へ報告すると伝える。小倉を受け取った後に筑後へ進み、高橋・柳川・筑紫へ使者を置いて当月中に薩摩へ赴く予定を示し、捕えた島津家臣数人は使者に託して島津方へ返すよう依頼する。

登場人物
黒田如水(円清)、伊那因幡、徳川家康、豊後殿、島津家臣
宛先
伊那因幡殿
キーワード
黒田如水(円清)書状、黒田孝高、伊那因幡、宮崎城、徳川家康、小倉、筑後、高橋、柳川、筑紫、薩摩、島津家臣、生捕返還
後編3-No.1425文書確認度 高

某起請文前書案

上方で不慮に生け捕られ、当国の慶事に関して往返した者が、島津家に害となる事柄を内外へ漏らさず、今後も伝えないことなどを誓う起請文の前書案。

登場人物
島津家関係者、京都関係者
宛先
該当なし
キーワード
某起請文前書案、天罰起請文、上方、生捕、往返、島津家、秘密保持、忠節、起請文案
追録8-No.449-4和州追討の通知(藤堂家打手の捕縛者引渡し・示談)旧記雑録暫定版確認度 中

藤堂家へ逃げ込んだ打手を捕えたため早く引渡し示談させる通知

和州の賊徒追討を諸藩に命じてあったところ、昨廿七日に藤堂家の打手に托して浪士八九人ほどが浪華へ逃げ、その藩屋敷へ入ったとの話を受け、捕えた者を藤堂家の打手へ早く引き渡すよう命じる。長藩へその趣旨を伝え、藤堂と示談し、藩人数を浪華へ送って取り計らうよう求める。九月、発給者・宛名姓名と年日は不記。八九人は概数として保持し、八十九人や引渡し実行済み人数に置換しない。

登場人物
藤堂家、同家打手、浪士八九人ほど、長藩、諸藩
宛先
長藩へ伝達、藤堂と示談して藩人数を浪華へ送る
キーワード
和州賊徒追討諸藩命、昨廿七日藤堂家打手托浪士八九人計浪華逃去藩屋敷、生捕引渡藤堂打手、長藩へ伝達藤堂示談藩人数浪華送り、九月年日姓名不記
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 130-2矢文旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

正月下旬山田右衛門佐矢文

山田右衛門佐が諸大将の被官へ披露を求めた孟春下旬の矢文。四郎時貞らを成敗して乱を鎮めるため、切支丹方へ強制的に加わった百姓八百人を説得済みであるとし、城攻めの際に防戦を装って放火し、味方へ合流して小船で四郎を捕える計画を示して赦免を願う。

登場人物
山田右衛門佐、四郎時貞、切支丹衆、百姓八百人
宛先
諸御大将御披官中披露
キーワード
山田右衛門佐、矢文、孟春下旬、赦免願い、四郎時貞、百姓八百人、城攻め、放火、内応、小船、生捕り
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 509皆吉長右衛門妻子召捕・鹿児島護送覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

某覚書(皆吉長右衛門妻子召捕)

寛永十五年、渋谷恕右衛門が足軽三人を率いて下り、公儀の囚人とされた皆吉長右衛門を召し捕ろうとした。長右衛門の父が島原籠城後に生け捕られ、吟味で息子が永俊に奉公していると白状したため、長右衛門の妻子五人を召し捕って鹿児島へ送った。当地からも宰領を付け、渋谷方に添えて差し遣わした。

登場人物
渋谷恕右衛門、皆吉長右衛門、永俊
宛先
宛先記載なし
キーワード
寛永十五年、渋谷恕右衛門、足軽三人、皆吉長右衛門、公儀囚人、父、島原籠城、生捕り、吟味、白状、永俊、奉公、妻子五人、召捕り、鹿児島、宰領、護送
前編2-No.2259記事確認度 高

北郷忠相譜

天文四年十一月二十九日、北郷忠相が北原氏領の志和池城下町を破り、首五、生捕百五十人を得たことを記す。

登場人物
北郷忠相、北原氏、志和池、城下町
宛先
—
キーワード
北郷忠相譜、北郷忠相、北原氏、志和池、城下町、戦果、天文四年
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 131記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

藤掛集書

『藤掛集書』。会津刑部・坂部源八・山田右衛門佐らの有馬方への内通計画が返矢文の誤射で露見し、会津・坂部が殺害され山田が拘束・生捕りとなった経緯を記す。山田の妻子の処刑、宗門による一揆勢の結束、二月に松平信綱が強攻を望んだ一方、江戸上使が兵の損耗回避を命じたことも述べる。

登場人物
藤掛氏、会津刑部、坂部源八、山田右衛門佐、有馬左衛門佐、小笠原右近大夫、松倉長門守、松平伊豆守信綱、江戸上使
宛先
宛先なし(『藤掛集書』)
キーワード
藤掛集書、内通計画、返矢文、誤射、山田右衛門佐、妻子処刑、宗門、一揆勢、松平信綱、江戸上使、損耗回避