小笠原忠知外二名連署書状
(寛永十五年)五月廿八日 / 冊子 808~809頁
島原から到着した船に石火矢・大筒・玉薬を積み、二十四艘で大坂へ回航したこと、別の一艘には当地の諸道具を積んで江戸まで届けるため、薩摩側の使者・船頭と相談して出したことを報じた三名の連署書状。
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(寛永十五年)五月廿八日 / 冊子 808~809頁
島原から到着した船に石火矢・大筒・玉薬を積み、二十四艘で大坂へ回航したこと、別の一艘には当地の諸道具を積んで江戸まで届けるため、薩摩側の使者・船頭と相談して出したことを報じた三名の連署書状。
永禄十年十一月~永禄十一年十一月 / 冊子 170頁
永禄十年十一月、貴久が馬越城を陥落させ、菱刈諸城の兵が大口城へ退いた後、樺山玄佐が家久・忠知・鹿島光明寺らと平泉城へ入ったことを記す。家久・忠知らが若年であったため玄佐も警固を命じられ、翌年まで守備し、のち病床の日新を見舞って曽木警固へ移った。
年月日未詳 / 冊子 752~753頁
平山久清流の系図。三原重貞の子久清の養子相続、島津光久の命で岩城氏二男久行が忠昭の弟となったこと、光久庶子久祐の養子入りと離家、喜入氏出身季春・忠知以下の生没年・婚姻を記す。
(寛永十五年)四月廿一日 / 冊子 801頁
島原の大筒・石火矢・鉄砲・玉薬などを薩摩船で大坂へ運ぶ件について、十~十二反帆ほどの船二十四、五艘と予備四、五艘を用意するよう求めた下曾祢三十郎ら三名の連署書状。
永禄十年十一月~永禄十一年正月十八日 / 冊子 170頁
永禄十年十一月、義久・義弘が菱刈院へ進み馬越城を陥落させたため、周辺諸城が大口城へ退いた経過を記す。相良方の球磨・葦北勢が大口城へ入る一方、家久は樺山玄佐・忠知らと平泉城を守り、のち横川城を与えられて飯野警衛を命じられ、翌年正月に長陣を終えた。
(貞享二年)十一月十八日 / 冊子 746頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1961
相良長清と平山忠知が伊集院宮内へ、十五・十六日付の書状を受け取り、雲海法印について大乗院から花林寺へ申渡し済みであることなど、関係寺院間の処置を返答した連署書状。
延享元年六月十二日 / 冊子 768~769頁/整理ID 2004
酒井忠知は、吉貴が酷暑の節に公方・右大将・大納言の機嫌を伺ったことに答え、三者とも健勝と伝えた。あわせて吉貴が鰹節一箱を献じた件を披露し、喜ばしいと返した。No.2005の本多忠良書状と同件である。
延享元年六月十二日 / 冊子 769頁/整理ID 2006
酒井忠知は、継豊が同朝に琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献上したことを披露し、喜ばしいと返答した。No.2007は同じ贈物に対する本多忠良の返書である。
延享元年十一月十二日 / 冊子 783~784頁/整理ID 2051
酒井忠知は、日光の御宮と御霊屋の修復・正遷宮・正遷座が済んだことを喜ぶ吉貴の書状を受け、老中間で相談して上聞に達したと返答した。No.2050の松平乗賢書状と同じ日光修復を扱うが、差出人と返答の文言を区別する。
延享元年十二月廿七日 / 冊子 789~790頁/整理ID 2070
継豊が歳暮の祝儀として使者を立て、小袖一重を献上したことについて、酒井忠知は披露を遂げ、喜ばしいと返答した。No.2069の将軍吉宗の謝状と同じ献上を扱う。
延享二年四月十八日 / 冊子 804頁/整理ID 2112
四月十八日に酒井雅楽頭忠知を上使として、嗣嫡の薩摩守宗信に初めての告知があったと記す。詳しい経緯は宗信の譜に記すという短い記事である。前日の登城通知(No.2113)と続く出来事として読める。
延享二年五月廿五日 / 冊子 810頁/整理ID 2130
酒井忠知は吉貴の書状を読み、公方・右大将・大納言が健勝であると伝えた。紅葉山の御宮八講の祝儀について、吉貴の書状の趣旨を上聞に達したと返す。
延享二年五月廿七日 / 冊子 810頁/整理ID 2131
吉貴が公方・右大将・大納言の健勝を喜び、八講執行の祝儀と、三月二十二日の御能の節に薩摩守宗信が初見して品と料理を賜ったことを謝した。酒井忠知は吉貴の書状の趣旨を受け取り、上聞に達する旨を返す。
延享二年八月四日 / 冊子 817頁/整理ID 2155
継豊が八朔の祝儀として使者を立て、太刀一腰と馬代の黄金十両を献上した。酒井忠知はこれを披露し、将軍が喜んだと返した。No.2156は同じ献上への松平乗賢の返書である。
延享二年八月廿一日 / 冊子 818頁/整理ID 2160
吉貴が公方・右大将・大納言の健勝を喜び、六月九日の東叡山浄国院御位牌所参詣に礼を述べた。酒井忠知はその旨を承知し、書状の趣旨を上聞に達すると返した。No.2152は宗信宛ての同じ参詣に関する返書。
延享二年九月七日 / 冊子 819~820頁/整理ID 2166
継豊が重陽の祝儀として使者を立て、小袖二重を献上した。酒井忠知はその旨を披露し、喜ばれたと返答した。No.2165の吉宗御内書と同じ重陽祝儀に関する。
延享二年十月二日 / 冊子 830頁/整理ID 2199
継豊が将軍代替わりの祝儀として使者を遣わし、太刀一腰と馬一疋を献じたことを受け、酒井忠知がその旨を承知したと返す。十月二日付で、No.2200と同じ祝儀献上に関する別の返書である。
延享二年十月二日 / 冊子 831頁/整理ID 2204
吉貴が将軍代替わりの祝儀として使者を立て、大御所へ太刀と馬代を献じた。酒井雅楽頭忠知はその趣旨を承ったと上総入道宛に返す。No.2203とは同日・同宛先で差出人が異なる。
延享二年十月五日 / 冊子 833頁/整理ID 2210
吉貴が吉宗の隠居を祝って使者を立て、上様と大御所様へ目録記載の品を献じたことを、酒井雅楽頭忠知が承知したと返す。将軍代替わりの祝儀への返書が並ぶ前後の文書とは、祝いの対象と日付が異なる。
延享二年十月五日 / 冊子 833頁/整理ID 2212
継豊は吉宗の隠居祝いとして使者を立て、大御所へ目録記載の品を献じた。酒井雅楽頭忠知は献上の旨を承知したと継豊へ返書を送る。No.2213は同日・同宛先の西尾忠直返書。
延享二年十月五日 / 冊子 833~834頁/整理ID 2215
宗信が吉宗の隠居祝いとして使者と目録記載の品を献じたことを、酒井雅楽頭忠知が承知したと返答する。No.2214と同じ宗信宛の祝儀に対する別の返書である。
延享二年閏十二月三日 / 冊子 862~863頁/整理ID 2304
吉貴が三御所の健勝を喜び、将軍の御任槐が済んだ件に祝意を示した。酒井雅楽頭忠知はその意を承り、使者と書状の趣旨を披露したと返す。No.2305・2306は同件の別返書。
延享二年閏十二月四日 / 冊子 863頁/整理ID 2307
吉貴が十一月八日に東叡山の御霊屋へ参詣したことを伝えた。酒井雅楽頭忠知はその儀を承り、書状の趣旨を披露したと返す。No.2308は同差出人・同宛先だが、増上寺参詣を扱う別書状。
延享二年閏十二月四日 / 冊子 863頁/整理ID 2308
吉貴が十一月九日に増上寺の御霊屋へ参詣したことを受け、酒井雅楽頭忠知はその儀を承ったと返す。No.2307の東叡山御霊屋参詣とは日付と寺が異なる。
延享二年閏十二月三日 / 冊子 864頁/整理ID 2309
宗信が三御所の健勝を喜び、将軍の御任槐が済んだことに祝意を示した。酒井雅楽頭忠知は使者と紙面の趣旨を承り、上へ伝えたと返す。本文は増上寺参詣を扱わず、No.2310と同件の別返書。
延享二年閏十二月四日 / 冊子 864頁/整理ID 2312
宗信が十一月九日に増上寺の御霊屋へ参詣したと伝えた。酒井雅楽頭忠知は参詣の儀を承り、書状の趣旨を披露したと返す。No.2313は同じ宗信宛だが十一月八日の東叡山参詣に関する別書状。
延享二年閏十二月四日 / 冊子 864~865頁/整理ID 2313
宗信が十一月八日に東叡山の御霊屋へ参詣したとの知らせを受け、酒井雅楽頭忠知はその儀を承ったと返す。No.2312の増上寺参詣とは参詣日と寺院が異なる。
延享二年閏十二月六日 / 冊子 866頁/整理ID 2316
吉貴は三御所の健勝を喜び、大御所が上使を通じて隠居祝儀を届け、継豊・宗信にも賜物を与えたことに謝意を述べた。酒井雅楽頭忠知はその意を承り、紙面と使者の趣旨を上へ伝えたと返す。No.2317・2318と同件。
延享二年閏十二月六日 / 冊子 867頁/整理ID 2319
宗信は三御所の健勝を喜び、大御所から吉貴に届けられた隠居祝儀と自らへの賜物について礼を述べた。酒井雅楽頭忠知はその意を承り、書状と使者の趣旨を上へ伝えたと返す。No.2320は同じ宗信宛の忠直返書。
延享二年閏十二月七日 / 冊子 870頁/整理ID 2327
寒中の三御所の健勝を吉貴が尋ね、使者を通じて一箱の進物を献じた。酒井雅楽頭忠知はその配慮と品を承り、書状の趣旨を伝えたと返す。進物の品名は画像の字形が判然としないため、数量のみ確実な「一箱」として記す。
延享二年閏十二月七日 / 冊子 871頁/整理ID 2330
宗信が寒中の三御所の健勝を尋ね、使者を通じて一箱の進物を献じた。酒井雅楽頭忠知は品と安否伺いを承り、書状の趣旨を伝えたと返す。No.2327~2329は吉貴宛で、こちらは宗信宛。
延享二年閏十二月十三日 / 冊子 874頁/整理ID 2337
今朝、蜜柑二箱と炙鮎一箱が献上されたことを酒井雅楽頭忠知が承る。品を披露した旨を伝え、献上者の心遣いに返礼する。No.2338は同じ品数について西尾忠直から出された別の返書。
延享二年閏十二月二十四日 / 冊子 875頁/整理ID 2342
松平大隅守が今朝、干菓子一箱を献じたことを酒井雅楽頭忠知が承り、品を披露したと伝える。No.2343・2344は同じ献上に対する別差出人の返書。
延享二年閏十二月二十八日 / 冊子 875~876頁/整理ID 2345
吉貴からの書状を酒井雅楽頭忠知が披見。三御所の健勝を喜び、今回の将軍宣下の礼が滞りなく済んだ旨を承ったことを祝う。使者による報告の趣旨も承知し、紙面の内容を申し述べる。No.2346・2347と同件の別差出人による返書。
延享二年閏十二月二十八日 / 冊子 877~878頁/整理ID 2351
吉貴の書状を酒井雅楽頭忠知が披見。三御所の健勝を喜び、将軍宣下の祝儀に関して大隅守と薩摩守が巻物を拝領し、吉貴にも重ねて拝領があったことを承る。吉貴が謝礼の使者を遣わした趣旨を受け、書面の内容を伝える。No.2352・2353と同件の別返書。
延享二年閏十二月二十八日 / 冊子 880頁/整理ID 2358
宗信の書状を酒井雅楽頭忠知が披見。三御所の健勝を喜び、今回の将軍宣下の礼が滞りなく済んだことを承る。使者が伝えた内容と紙面の趣旨も承知したと返す。No.2359・2360と同件で、No.2345~2347の吉貴宛とは受取人が異なる。
延享二年閏十二月二十八日 / 冊子 881頁/整理ID 2362
宗信の書状を酒井雅楽頭忠知が披見し、三御所の健勝を喜ぶ。将軍宣下の祝儀として公方様から上使を通じ巻物を拝領し、その謝礼使者を遣わした旨を承る。書面と使者の趣旨にも返答する。No.2363・2364と同件。
延享二年閏十二月二十八日 / 冊子 881~882頁/整理ID 2365
宗信の書状を酒井雅楽頭忠知が披見し、三御所の健勝を喜ぶ。今度の参府時分のことについて、同氏大隅守へ伝達するよう申し越した趣旨を承ったと返す。本文は進物の品名や数量を記さない。No.2366・2367と同件の別返書。
延享三年正月十五日 / 冊子 891頁/整理ID 2391
吉貴の書状を酒井雅楽頭忠知が披見し、三御所の健勝を喜ぶ。吉貴は高齢・病気のため参府を従前どおり三年おきとしたいと願い出る。忠知はその事情を承り、同氏大隅守へ伝えた旨を返す。No.2390・2392と同件の別差出人の返書。
延享三年正月十八日 / 冊子 892頁/整理ID 2395
吉貴の書状を酒井雅楽頭忠知が披見し、三御所の健勝を喜ぶ。前年末、同氏大隅守が上使を通じて鷹の鶴を拝領した旨を承り、その喜びを伝える。No.2396・2397は同件への別差出人の返書。
延享三年二月二十日 / 冊子 895~896頁/整理ID 2409
酒井雅楽頭忠知が、歳暮の御内書を宗信へ渡すため、翌日の五つ半時に城中へ参上するよう伝える。日付は二月二十日で、御内書授受の日時と場所を具体的に指定する。
延享三年三月廿五日 / 冊子 907頁/整理ID 2438
酒井雅楽頭忠知が吉貴の書状を披見し、公方様の健勝を喜ぶ。吉貴が正月二十四日に増上寺御霊屋へ参詣した件を承知し、書面の趣旨を返答する。既存概要の参詣日「十四日」を原本の「廿四日」に訂正した。
延享三年四月廿一日 / 冊子 914頁/整理ID 2448
酒井雅楽頭忠知が大隅守の献上を承り、今朝、御香具一箱と丸麩斗一箱が献じられた旨を披露したと返す。品目・数量を示した短い返書で、No.2449は同じ献上に対する西尾忠直の別返書。既存概要の「箱井丸への拝領品」は本文と合わない。
延享三年四月廿五日 / 冊子 915~916頁/整理ID 2455
酒井雅楽頭忠知が、鞍置の御馬二疋を献じた旨を披露したと松平大隅守へ返答する。四月二十五日付の短い書状で、No.2451の献上時期の伺いとNo.2452~2454の目録に対応する。
延享三年五月九日 / 冊子 920頁/整理ID 2466
酒井雅楽頭忠知が吉貴の書状を披見し、三御所の健勝を喜ぶ。同氏薩摩守の参府に際する上使の件を承知し、書面の趣を返す。No.2465・2467と同じ知らせに対する、酒井忠知による返答。
延享三年五月十三日 / 冊子 922頁/整理ID 2471
酒井雅楽頭忠知が、吉貴からの書状を披見した旨を返す。三御所がいずれも健勝であることを喜び、同氏薩摩守が参府の御礼を申し上げた件について、その趣を承知したと伝える。五月十三日付。No.2472・2473は同じ知らせへの別人からの返書。
延享三年六月十一日 / 冊子 929頁/整理ID 2485
酒井雅楽頭忠知が吉貴の書状を披見し、酷暑の折に三御所の機嫌を尋ねたことを承知する。三御所が健勝であることを伝え、鰹節一箱の献上を披露したところ、格別の御仕合であると返答する。六月十一日付。No.2483・2484と同じ知らせへの別返書。
延享三年六月十七日 / 冊子 930頁/整理ID 2490
酒井雅楽頭忠知が吉貴の書状を披見し、公方様が健勝で、四月二十四日に東叡山の御霊前へ参詣したと聞いて喜ぶ。書状の趣を相談して上聞に達したと返す。六月十七日付。No.2488・2489と共通の用件だが、差出人は酒井忠知。
延享三年八月四日 / 冊子 933頁/整理ID 2501
酒井雅楽頭忠知が大隅守に、八朔の祝儀として太刀一腰と馬代黄金十両を献じた旨を披露し、格別の御仕合であると返す。八月四日付。No.2502は同じ献上に対する松平武元の別返書。
延享三年十一月廿五日 / 冊子 951頁/整理ID 2541
酒井雅楽頭忠知が吉貴の書状を披見し、三御所が健勝である旨を伝える。紅葉山の御宮の修復が成り、正遷宮が済んだことを喜び、吉貴の紙面の趣を関係者と相談して上聞に達したと返す。十一月二十五日付で、No.2542と同件の別返書。