樺山忠副契状
天文廿二年二月十八日 / 冊子 906~907頁
樺山忠副が肝付三郎五郎に、世間の変動があっても奉公と一味を守り、相談・和睦の際にも背かないことを約した契状。
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天文廿二年二月十八日 / 冊子 906~907頁
樺山忠副が肝付三郎五郎に、世間の変動があっても奉公と一味を守り、相談・和睦の際にも背かないことを約した契状。
年月日未詳 / 冊子 46~47頁
弘治三年四月十五日の菱刈陣攻めで負傷し、同月二十八日に二十一歳で死去した樺山忠副の伝記。義久が弥陀六字を各歌の頭に据えた弔歌を贈り、その武名と遺族の悲嘆を詠んだ。
年月日未詳 / 冊子 45頁
弘治三年四月十五日の菱刈陣攻めで、樺山玄佐の嫡男・助太郎忠副が先駆けて深手を負い、同月二十八日に二十一歳で死去したことを記す。貴久がその死を悼み、長浜で荼毘の煙を見届けた。
(弘治三年) / 冊子 46~47頁
樺山忠副の戦死を悼み、島津義久が贈った弔歌の連作。弥陀六字を歌頭に配し、若い武士の名誉、遺族の嘆き、煙となった面影、無常を詠む。
年月日未詳 / 冊子 48頁
蒲生馬立・荒平の陣と菱刈陣攻めを回想し、樺山玄佐の嫡男・助太郎忠副が先陣で深手を負い、四月二十八日に死去したことを記す。貴久が長浜から荼毘の煙を見た情愛にも触れる。
天正六年十月 / 冊子 597~598頁
高城合戦の日、樺山規久が島津家久に代わって城へ入り、十二日の大戦に備えたことを記す。樺山忠助は体調が悪く出陣しなかった。数代にわたる忠節の家として規久が穆佐・高城を拝領し、戦死した伯父忠副の跡を継いで一族を率い穆佐へ移った経緯を述べる。
天正六年十一月 / 冊子 598頁
樺山規久が高城防衛に入り、数代の忠節によって穆佐・高城を与えられ、戦死した樺山忠副の跡を継いで一族を率いたことを伝える。樺山家の由緒と、高城合戦後の所領拝領を家門繁栄の徴として記す。
年月日未詳 / 冊子 343~344頁/原整理番号 41
樺山家の代々の忠節と、蒲生で戦死した忠副を悼む文章と弔歌。幸久も太刀を用いる巧者だったことや、家臣らの高名・討死を挙げ、死別への悲嘆から弥陀の名号を頼むよう勧める。義久は先立った者と遺された者の悲しみ、父母への思い、面影と武士の名が残ること、世のはかなさを六首に詠んで慰める。
(弘治三年)五月十八日 / 冊子 45~46頁
島津義久が樺山忠副の死を悼み、遺族の愁嘆を慰める書状。武道に名を残したことを本意として悲しみを和らげるよう勧め、上洛予定など近況にも触れる。