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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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35 件 (全巻)/ 1–35件を表示

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旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID B:7覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

伊地知重昌覚書

伊地知重昌は、宝永二年十二月、正月の椀飯と五節供の調製を、伊地知家に伝わる古式の書を基に御包丁人頭が行うことになった経緯を記す。それまで鎌倉流と称して担当した重信家には古い書がないと判明し、伊地知家の書を御包丁人頭へ示し、写本を提出して返却を受けたという。

登場人物
伊地知重昌、市来次郎左衛門、伊地知越、一同日御包丁頭山下三、日市来次郎、大玄院、重信弥、寛陽院
宛先
市来次郎左衛門、御包丁人頭、同日御包丁頭山下三左衛門、大玄院、向後者此方、寛陽院、御納戸、重信弥左衛門方、重信家者何篇御包丁人頭、御包丁人頭方、衛門近年鎌倉流之由大玄院、此節佐多豊前、御記録奉行肥後仁右衛門、五右衛門殿、重信弥左衛門、山下三
キーワード
伊地知重昌覚書、記録・文書管理、役職・人事、書写・奥書、鎌倉、肥後
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID B:15-2文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

伊地知重英調書

伊地知重英は、正月元日に伊地知・本田両家が特別に目見えし、椀飯を進上する旧例を調べる。川上家も後に元日の出仕で特別扱いされたとし、伊地知家が元日に、本田家が十五日に椀飯を進上する順序を『吾妻鏡』に見える鎌倉の慣行と比べる。元禄八年五月十八日付の調書。

登場人物
伊地知重英調、左候而惣、頼朝、者外、寛陽院、又者飾、亥五月十八日伊地知助
宛先
者外、寛陽院、又者飾
キーワード
伊地知重英調書、儀礼・贈答、鎌倉
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID B:36文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

吉田清純外四名連署調書

宝暦十三年十二月二十九日付、記録方・記録奉行五名の連署調書。川田伊織が年頭に役職上の席で太刀を進上する一方、家格による太刀進上は養子の彦七に任せたいと願い出た件を検討する。歴代の座配と嫡子による進上の先例を挙げ、彦七が親の家格の席で進上することを認めるべきだと結論づける。

登場人物
吉田清純外四名、而進上仕候、其後寛陽院、浄園院、本田新、吉田用
宛先
養子川田彦七、而茂御封面所、其後寛陽院、浄園院
キーワード
吉田清純外四名連署調書、記録・文書管理、寺社・宗教、軍事・武具
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID D:170文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 低

盛香集寛永廿年加久藤曖所案文并萬留帳

御馬追を帰陣祝いの恒例とする伝承を記した記事。吉野御馬追で若い乗り手が馬を巧みに乗りこなし、人々の注目を集めた逸話を伝える。あわせて加久藤の古帳や留帳を参照し、馬追と牧をめぐる記録を類集する。

登場人物
伊地知重延、白坂篤豊、惟新、寛陽院、一伊地知杢
宛先
惟新、寛陽院
キーワード
盛香集寛永廿年加久藤曖所案文并萬留帳、御旧式類抄三、御馬追・牧政、史料内容
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID G:266-4記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

記録所調書

記録所による家筋の調書。島津備前守忠清から新納家への系譜、養子・家督相続、所領の継承を史料に照らして検討する。

登場人物
関白秀吉、皆吉休、則寛陽院、慶安、之伊集院十、立野之祖母、一備前殿男子者慶安、依之備前
宛先
郎忠辰三人小西摂津守行長、肥後、此時御嘗地、則寛陽院、慶安、立野之祖母、一備前殿男子者慶安、二代之家督近、新納近、依之備前殿後嗣者断絶之、備前、龍伯公之御娘御平、寛陽院、忠清七一一、是者母堂御平、忠栄、一備前殿、御記録所、一御平、御平
キーワード
記録所調書、記録・文書管理、系図・由緒、朝鮮出兵、薩摩、朝鮮、肥後
追録7-No.無番号_0051報告書旧記雑録暫定版確認度 高

本田孫九郎ら連署首尾書(お長母附吟味)(原本・目録706の3)

706の3。お長の母は永田閑龍養女、実は清水源左衛門家来の青木休右衛門女との申出を受け、系図の母附をどう書くか吟味する。史料は休右衛門の身分を理由に名前を書かず閑龍養女とのみ記す案を挙げ、寛陽院(島津光久)の子女の先例では家の女房とし父の姓名を省いた例と、士以上の女子は父兄の姓名を書く例があると比較する。休右衛門は元来下中町名頭青木嘉右衛門と称したが、家来となってもその名前を載せ難いとする。結論と署名は同じ上段左側に続く。亥8月晦日、本田孫九郎・平山五郎右衛門・平田貞太郎・橋口善兵衛、記録方見習の相良太郎太・本田休七・八田孝之進が列記される。目録は本田孫九郎外八名連署首尾書で、実見できる名は7名のため人数異同を留保する。史料の身分観と記載方針として説明し、現代の人物評価へ転用しない。

登場人物
お長、永田閑龍利安、清水源左衛門、青木休右衛門(青木嘉右衛門)、寛陽院(島津光久)、本田孫九郎、平山五郎右衛門、平田貞太郎、橋口善兵衛、相良太郎太、本田休七、八田孝之進、御側御用人、御側役
宛先
独立宛名なし
キーワード
706の3、実母附表記吟味、閑龍養女、青木嘉右衛門、寛陽院先例、父姓名省略、身分による記載、連署人数異同
追録7-No.無番号_0147報告書旧記雑録暫定版確認度 高

篠原善助・相良甚太夫追加吟味書(左近跡目)

左近卒去後の家新設と家格をめぐり、九月二十日付吟味書を補う篠原善助・相良甚太夫の追加調書。中将の深い意向を受け、浄国院・大玄院・寛陽院らの男子から一所持家を立てた例、既存家へ養子に入った例、いったん断絶・処分された家を由緒や功績により再興した例、実子・養子・女子の縁組を介して家督を継いだ例を改めて比較する。慶長・元和以来の事例について、家格一所持、太刀着座、家老・番頭・地頭職、知行・宅地・役料の給付、元服と称号、再興時の席次を検討する。近世の三男・六男らが本家や別家を継いだ例、女子の跡が法例どおり直ちに独立家となるわけではないこと、久近・久亮・久四郎忠清らの由緒と処遇も挙げる。左近家を新設するなら御至情と先祖の功績を考慮できる一方、同様の事例は一律でなく、家格・席次、資財・家屋、将来の存続、他家との均衡を慎重に定める必要があると結論する。申上げた趣旨への指示を求める。天保五年午九月二十五日、篠原善助・相良甚太夫。先行調書と重なる先例も別文書として保持する。

登場人物
篠原善助、相良甚太夫、左近、中将、浄国院、大玄院、寛陽院、島津久近・久亮・久四郎忠清、喜入多門、野守久元ほか支族諸家
宛先
中将ほか取扱向
キーワード
篠原善助、相良甚太夫、左近跡目、追加吟味、浄国院、大玄院、寛陽院、一所持家、養子、断絶再興、太刀着座、家老番頭地頭、知行宅地役料、女子跡、先祖功績、家格席次、天保五年九月二十五日
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 233-2覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

種子島十左衛門覚書

種子島十左衛門が九字二十目の御鉄砲の由緒を記した覚書。同族山栖から伝承を聞き、寛陽院様の代に山栖三郎次郎が御持筒として用いたのち御鉄砲蔵へ納めたこと、島原籠城時に御用のため再び使用したこと、その後八匁・十匁の鉄砲二挺を蔵へ納めたことなどを御記録所へ届ける。

登場人物
種子島十左衛門、山栖三郎次郎、寛陽院様、市正殿、島津安芸殿
宛先
御記録所
キーワード
種子島十左衛門、九字二十目、御鉄砲、山栖三郎次郎、寛陽院様、御持筒、御鉄砲蔵、島原籠城、八匁、十匁、御記録所、由緒
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W05_文書0169覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

児玉四郎右衛門覚書

児玉四郎右衛門が常盤谷での御能を記した覚書。綱貴の任官祝いに前年も江戸で能が催され、今回は寛陽院と親しい者たちへ見物が許された。自身の病状を踏まえて参上し、料理・酒・茶の振る舞いと席の進行、御前での拝見、能・狂言の番組を記録する。島津万山老・町田・伊集院らの観客、川上将監や山田政國、碇山次右衛門などの名簿、能の役者組も列挙している。

登場人物
児玉四郎右衛門、島津綱貴、寛陽院、鎌田後藤兵衛、山田政國、吉田六郎右衛門、喜入安房(久元)、町田勘解由(忠佐)、伊集院十右衛門、川上将監、山下喜右衛門、碇山次右衛門
宛先
—
キーワード
児玉四郎右衛門覚書、能見物、任官祝い、寛陽院の心安い者、料理と酒、茶、能狂言の番組、観客名簿、役者組
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w07:3池田養拙日記抜書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

池田養拙日記

池田養拙の日記から、元禄七年十一月に光久の病状が悪化して二十九日に逝去し、養拙ら十二人が遺体の側で番を務めた経過を抜く。十二月朔日に福昌寺へ遺体を移し、十九日の葬礼で棺・馬・燈籠・太刀などを担った家臣の名を記す。冒頭には宝暦五年の園徳院逝去・遺体移送の記事も置く。

登場人物
池田養拙、島津光久(寛陽院)
宛先
―
キーワード
元禄七年、池田養拙、島津光久、寛陽院、福昌寺、葬礼、十二人、宝暦五年
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W05_文書0167形見配分目録抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島津光久形見配分目録抄

光久の形見として、中神内蔵之丞には羽織二着、碇山次右衛門には綿入り羽織一着と帷子一着を配分する目録の抄。

登場人物
島津光久(寛陽院)、中神内蔵之丞、碇山次右衛門(久包)
宛先
—
キーワード
島津光久形見配分目録抄、寛陽院の形見、羽織、帷子、贈与
追録5-No.684記事旧記雑録暫定版確認度 高

重年、襲封ノ礼物ヲ先霊ニ献ス

重年公御譜は、前年の江戸での襲封・元服に伴い、今年正月十八日、先例に従って薩府で使者を命じ先霊へ礼物を納めたと記す。台徳公・大猷公・厳有公・常憲公・文照公には各白銀二枚、南泉院の有章公、清揚院、慈眼院、不断光院の大玄院・寛陽院・陽和院・泰清院・真修院、福昌寺の蘭室院・霊龍院・深固院等、恵燈院の義天公には各白銀一枚を納める。本立寺の五世霊塔には青蚨二百匹、興国寺・南林寺・妙谷寺・隆盛院等の島津先霊にも白銀一枚を納め、襲封を賀した。同月二十一日には将軍家六霊を南泉院で拝し、元服を賀して慈眼院・浄国院・月桂院・瑞仙院や島津先霊にも白銀一枚を納めた。「従先蹤」は先例に従う意で、襲封と元服の献納が二日間に分けて行われた。

登場人物
島津重年・台徳公(秀忠)・大猷公(家光)・厳有公(家綱)・常憲公(綱吉)・文照公(家宣)・有章公(家継)・清揚院殿・慈眼院殿・寛陽院殿・陽和院殿・泰清院殿・真修院殿・大玄院殿・蘭室院殿・霊龍院殿・大岳公・義天公・圓室公・彭窓庵主・大中公・貫明公・興岳公・大翁公・浄国院殿・瑞仙院殿・月桂院殿/使者:島津大学久尚・桐山数馬国通・萬六郎(元注又六郎久定)・杜太郎兵衛久仲
宛先
—
キーワード
島津重年、襲封、元服、正月十八日、正月二十一日、先霊、将軍家六霊、白銀二枚、白銀一枚、青蚨二百匹、南泉院、不断光院、福昌寺、本立寺
追録6-No.144申渡書旧記雑録暫定版確認度 高

樺山久智申渡書

太守の官位昇進に伴う社寺・霊牌等への献納と代参の申渡書。大雄山御宮へ白銀二枚、台徳院以下大猷院・厳有院・常憲院・文昭院・有章院・有徳院・惇信院の位牌殿へ各一枚を南泉院に納め、花尾山の忠良、加世田日新寺の慈眼院・寛陽院・泰清院・大玄院・有邦院・慈徳院の各位牌、福昌寺の円徳院位牌、浄光明寺の浄国院位牌へも各一枚を献じる。諏方・稲荷・祇園・若宮・春日・福ケ迫諏訪、尾畔三社と御休息所御看経所には青銅百疋ずつを記す。尾畔三社等の代参は近習役を勤めさせ、護摩所不動・表御看経所には進納物がなくても近習役が代参するよう、使番から伝達する。末尾は、明後廿五日に代参して献納・寺納し、御手当を如例申し渡すこと、代参人柄の指示と取次の注、日新寺には来る廿七日に代参があることを記す。閏十二月廿三日、樺山左京の署、久智の人物注。朱注の申聞は十二月廿三日。出典注は重豪公御譜中・扣正文在家老座。目録の表題・年月日と対応する。

登場人物
樺山左京久智、太守、寺社奉行、使番、川上弥五太夫(取次注)、近習役、台徳院徳川秀忠、大猷院家光、厳有院家綱、常憲院綱吉、文昭院家宣、有章院家継、有徳院吉宗、惇信院家重、忠良、慈眼院島津家久、寛陽院光久、泰清院綱貴、大玄院貴久、有邦院豊久、慈徳院宗信、円徳院重年、浄国院吉貴
宛先
直接宛名なし(寺社奉行・使番への申渡し)
キーワード
閏十二月廿三日、官位昇進、明後廿五日代参、廿七日日新寺代参、白銀二枚、各一枚、青銅百疋宛、位牌殿、寺納、献納、近習役、使番、御休息所御看経所、護摩所不動、表御看経所、進納物なし、御手当如例、代参人柄、寺社奉行、申聞
追録6-No.1266申渡書旧記雑録暫定版確認度 中

島津久健申渡書―菩提寺領の所務と寄付文書の交付・伝達手順

高百五十石ずつ、浄國院・有邦院・慈德院・圓德院の菩提のため、それぞれの名で寄付し、その所務を年々福昌寺・浄光明寺へ相渡すことを述べる。各法号には吉貴・継豊・宗信・重年の注がある。また寛陽院・大玄院の寄付高も同前と仰せ付けられたとし、光久・綱貴の注を伴う。近日、御判物・御書付は大御目付の御使者によって各寺へ渡し、家老中の書付は御馬廻をもって同日に渡す予定を記す。この先例に従って首尾を整える旨を寺社奉行へ申し渡し、御記録奉行やほかの関係者にも漏れなく例の通り伝えるよう求める。ただし日限は追って申し渡すと付す。末尾は朱の安永四年五月二十六日、仲、重豪公御譜中の写で正文は文庫。包紙には朱の七十五、未五月二十六日、白木御文書五番箱へ郡山主右衛門が納め置いたとの注がある。文書の種類ごとの交付役と年々の所務を分け、交付日を五月二十六日と補ったり、五番箱を五箱の数量にしたりしない。有邦の原表記は先行の宥邦表記へ一律に改めない。

登場人物
仲(島津久健、目録による)、浄國院(吉貴の注)、有邦院(継豊の注、原表記)、慈德院(宗信の注)、圓德院(重年の注)、寛陽院(光久の注)、大玄院(綱貴の注)、寺社奉行、御記録奉行、大御目付使者、御馬廻、郡山主右衛門
宛先
寺社奉行・御記録奉行・首尾に関係する者(本文の伝達先、独立宛書なし)
キーワード
各百五十石、四法号菩提、年々所務、寛陽大玄同前、御判物御書付、大御目付使者、家老書付御馬廻同日予定、寺社御記録首尾係不洩、日限追而、包紙七十五、五番箱、郡山主右衛門
追録6-No.1282申渡書旧記雑録暫定版確認度 中

先祖の仏餉高各百五十石と旧高の銀への切替・六代目の申出手順

先祖の仏餉高について江戸へ伺ったところ、別紙の通り返答があったとする。五代目に当たる先祖の仏餉高を百五十石ずつ付す扱いとし、浄國院・有邦院・慈德院・圓德院にそれぞれ百五十石ずつ、都合六百石を御判物により寄付したと記す。法号には吉貴・継豊・宗信・重年の注がある。他方、かつて中納言に三百石を付していた分は銀三百枚に替え、寛陽院・大玄院に百五十石ずつ付していた分は銀百五十枚ずつに替え、泰清院の百石は銀百枚に替えるとする。中納言・寛陽・大玄・泰清には家久・光久・綱貴・綱久の注がある。以後もこの扱いに準じ、六代目となった時は高を銀に替える手順を整えるよう述べる。六百石は万々年まで済むよう仰せ出され、別紙の趣旨を帳面に詳しく記し、六代目になる時には家老中から間違いなく申し出るよう命じる。末尾は七月、主馬・帯刀・伊織・市正・仲の五名連署と各人名注。包紙には朱の七十七、安永四年未七月十日に主馬から渡されたこと、同十三日に白木御文書五番箱へ一条原善兵衛が納めたことを記す。原の有邦を宥邦へ改めない。新たな四法号の高と、別の旧高を銀へ切り替える額を分け、石と枚を同じ数量として合算しない。将来の六代目の手順を当日の銀切替完了へ移さず、渡日・納置日と本文の発給日も区別する。

登場人物
主馬喜入久福、帯刀小松清香、伊織川田國福、市正山岡久澄、仲島津久健(各注)、浄國院吉貴、有邦院継豊(原表記)、慈德院宗信、圓德院重年、中納言家久、寛陽院光久、大玄院綱貴、泰清院綱久、一条原善兵衛
宛先
家老中(六代目に至る時の申出担当)、寺領関係者(独立宛書なし)
キーワード
仏餉高、江戸伺、五代目四法号各百五十石計六百石、御判物寄付、中納言三百石銀三百枚、寛陽大玄各百五十石各銀百五十枚、泰清百石銀百枚、六代目引替、家老申出、包紙七十七、七月十日渡十三日納、五番箱
追録6-No.1283申渡書旧記雑録暫定版確認度 中

旧仏餉高を銀元手へ替え、年々の利足で仏餉・掃除を行う申渡

冒頭に御高三百石、右者と記す。中納言の仏餉料としてこれまで付していた高を、銀三百枚の元手へ替え、利足として銀一貫五百目ずつを年々相渡すとする。寛陽院・大玄院の仏餉料はそれぞれ高百五十石を銀百五十枚ずつへ替え、同様に年々銀一貫目ずつを相渡す。泰清院の仏餉料は高百石を銀百枚へ替え、年々銀八百目を相渡すとする。右の通り仰せ付け、従来の御判物・御書付・家老添書は召し置き、銀を物方へ預け、その利足を毎年仏餉などへ差し上げるよう命じる。四霊の仏前廻その他の用が格別に減少するので、利足によって賄い、掃除などは住持が以前より怠慢なく行うよう求める。当年から高に関する儀は表方へ差し出す扱いとし、その旨を福昌寺へ申し渡す。続く末尾で首尾を整える旨を寺社奉行へ申し渡し、首尾係へも漏れなく伝えるよう担当役に求める。七月、主馬・帯刀・伊織・市正・仲の五名連署、年は朱に安永四年。包紙には朱の七十六、安永四年未七月の家老衆書付一通、同十二日に白木御文書五番箱へ児玉主左衛門が納めたことを記す。

登場人物
主馬喜入久福、帯刀小松清香、伊織川田國福、市正山岡久澄、仲島津久健(前件の各注)、中納言、寛陽院、大玄院、泰清院、物方、寺社奉行、首尾係、児玉主左衛門
宛先
福昌寺(申し渡し先)、寺社奉行・首尾係(伝達担当)
キーワード
中納言三百石銀三百枚年一貫五百目、寛陽大玄各百五十石各銀百五十枚年各一貫目、泰清百石銀百枚年八百目、旧判物書付家老添書召置、物方預、利足、四霊仏前廻、住持掃除、表方、福昌寺、寺社首尾係不洩、五署、包紙七十六、十二日五番箱納置
追録7-No.無番号_0063報告書旧記雑録暫定版確認度 高

記録奉行調書(906の4・出産女中の後歴先例)

大奥で召し仕えた女中が子を産んだ後に縁付を命じられた例、また子へ直接召し付けられた者があるか調べるよう命じられたことへの先例調書。浄国院(島津吉貴)の妾、郷田仲兵衛兼近女お幾・後霜林は子を産み、後に重富屋敷へ移った。重富留守居へ照会すると、当若狭殿の祖父周防殿(忠紀・注)が享保19寅9月に磯で生まれ、すぐ月桂院(吉貴側室)の養育となったが、延享2年乙丑3月21日に下屋敷から鼓川へ移り、同日母を勝浦山屋敷から召し移したと分かった。家元郷田安左衛門にも照会したが詳細不明で、形行いの次第は不知とする。吉貴の妾、近藤三左衛門嘉包女お政・後貞寿院は因幡殿の実母。吉貴逝去時まで御側に召し仕え、その後因幡方へ移り、今和泉留守居によれば延享元年甲子5月15日、因幡(初三次郎)の磯付高屋敷と道具を拝領、延享4年丁卯10月の遷去時も因幡の拝領なので磯屋敷で籠居した。宝暦2年申7月に居屋敷を拝領して家作し、翌3年酉には母子が喜入へ移った。有邦院(島津継豊)の妾、伊地知八四郎季鄰女おはんは本殿の実母で、知覧屋敷へ移った。享保17年子閏5月朔日に本丸大奥で出生し同日島津本久豪方へ引越し、直子の筋で養育された。延享2年丑12月朔日に北条織部から母を本殿方へ移す旨、100石の所務を一世下す旨を命じ、同日玄蕃から50石の所務を一世付けられたが、50石以外に本殿からの命はないとする。翌寅年2月26日、本殿15歳の時におはんが知覧へ移った。以上の先例は調べたが古い事なので細部は不明で、寛陽院(島津光久)の妾から子に召し付けられた人もあるものの、出産後の縁与等は見当たらないと報告する。文化元年子10月16日の朱注、記録奉行本田孫九郎・平山五郎右衛門、記録方添役橋口善兵衛、見習碇山八郎右衛門・本田休七・八田孝之進の六名を掲げる。居住・養育・道具・一世禄の先例と、縁付について確かな例を示せない調査結果を分ける。

登場人物
浄国院吉貴、有邦院継豊、寛陽院光久、郷田仲兵衛兼近女お幾・霜林、郷田安左衛門、周防忠紀、月桂院、近藤三左衛門嘉包女お政・貞寿院、因幡殿(初三次郎)、伊地知八四郎季鄰女おはん、本殿(初太郎次郎久峯・注候補)、島津本久豪、北条織部、玄蕃、本田孫九郎、平山五郎右衛門、橋口善兵衛、碇山八郎右衛門、本田休七、八田孝之進
宛先
独立宛名なし(調査命令への報告)
キーワード
906の4、出産女中後縁先例調査、郷田氏重富鼓川移居、近藤氏今和泉磯喜入、伊地知氏知覧、本久豪養育、一世百石・五十石、縁与不明、文化元年十月十六日、記録方六名
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w04:20旧伝旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

旧伝集

旧伝集から、寛陽院光久と弟兵庫頭忠朗の誕生順と世継の公表時期、光久が国分の持明様を養母とした経緯を引く。季安は六歳まで世継が定まらなかったとの伝承と元和八年の養子・世継の二説を照合し、伊勢貞昌・喜入久正らの周旋を考える。

登場人物
寛陽院、忠朗、兵庫頭、中納言、伊勢貞昌、喜入摂津、直政
宛先
―
キーワード
旧伝集、島津光久、兵庫頭忠朗、世継、国分、持明様、伊勢貞昌
追録7-No.無番号_0146報告書旧記雑録暫定版確認度 高

篠原善助・相良甚太夫吟味書(支族家格・跡目先例)

左近の跡目と家格・連名順位を検討するため、篠原善助と相良甚太夫が支族諸家の成立・相続先例を調べた第一の吟味書。御誕生後ほどなく夭折した男子、御七男左近、御八男為次郎らの位置を示したうえ、大玄院在世中に行われた支族・諸士の家筋吟味以後の制度を参照する。一門方四家、準一門、豊州家・永吉家・佐多家・佐土原家などについて、二男以下の分家、別腹の長男、家督相続、養子、断絶後の再興、地頭職・番頭・御側役等への任命、太刀着座・家格一所持格の付与、知行・宅地・役料の給付を時代順に列挙する。元禄・享保・正徳・文化・天和・宝永・享保・寛政などの先例を引き、家の新設が血統順位だけで一律に決まらず、当主の功績、先祖の由緒、当時の役職と家格、養子・実子の関係、家督継承の事情を伴うことを示す。左近家を新設する場合の家格・席次をどこに置くか、先例と現在の一所持家の配列に照らして慎重に伺う。天保五年午九月二十日、篠原善助・相良甚太夫。全家系を現代的な系図へ再構成せず、本文が跡目判断の根拠として挙げた先例群として保持する。

登場人物
篠原善助、相良甚太夫、左近、中将、大玄院、浄国院、寛陽院、島津但馬・遠江・久馬・図書・主計・右門・求馬・新納浪江・樺山権左衛門・喜入多門ほか支族諸家
宛先
中将ほか取扱向
キーワード
篠原善助、相良甚太夫、左近跡目、支族家格、連名席次、一門方四家、準一門、一所持格、二男以下分家、養子相続、断絶再興、家督、地頭職、知行宅地、太刀着座、家筋吟味、天保五年九月二十日
追録8-No.233墓所・石塔・骨の調査処置申渡旧記雑録暫定版確認度 中

久豊(義天)の墓所・石塔・掘出骨に関する調査と処置

八代久豊の墓所と「義天」銘石塔・掘出骨の調査を述べ、混同を防ぐ処置を命じる文書。久豊は応永三十二年正月二十一日逝去、法号を義天存忠大禪定門とするが葬地が明らかでなく、安永三年に穆佐悟性寺の義天塚と伝える場所から骨を納めた甕、香炉や鈴が見つかっても確証が得られなかったとする。天保十二年に義天の二字を刻む石塔と笠石が出たため、旧文書・古老の伝承等を調べた。久豊の鹿児島での葬儀・法事、福昌寺の卵塔や御石塔等から廟所を検討し、去る丑年には上村休兵衛・榎本新兵衛を遣わして絵図と古い墓地の情報を集めたと記す。一方、火葬と土葬、後世の埋葬、損傷して読めない文字、記録の乏しさ等を挙げて、石塔の由来と掘出骨の身元は分けて慎重に扱う。石塔の文字を磨り消して寺内へ埋め、別途石塔一基の建立を命じ、穆佐中で奉尊し祭式を入念に行う扱い、寺家への書付と後年紛れない保管を示す。寺社奉行・穆佐地頭は石塔の取扱いと場所を吟味して寺家へ伝え、書付を取り調べ申し出るよう求める。本文末は正月・豊後、外包は安政三年正月二十一日に上村休兵衛へ渡して白木御文書十番箱へ納めたと記す。

登場人物
八代久豊(義天存忠大禪定門)、太守(本文個人名不記)、豊後(末署)、御記録奉行、良甚太夫(字形留保)、上村休兵衛、榎本新兵衛、元祖忠久(恕翁)、光久(寛陽院)、伊東家の祐満(官途原語留保)、古老、寺社奉行、穆佐地頭、寺家
宛先
御記録奉行へ。後続書付を寺家・寺社奉行・穆佐地頭へ伝える旨
キーワード
八代久豊、義天存忠大禪定門、葬地疑義、穆佐悟性寺義天塚、骨甕香炉鈴、義天銘石塔笠石、安永天保調査、旧文書古老絵図、福昌寺卵塔、火葬土葬、骨同定慎重、刻字磨消寺内埋戻、別石塔建立奉尊祭式、寺家書付格護
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w04:19記録抜書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知越右衛門蔵本抄

伊地知越右衛門所蔵日記の抄録。慶長十八年の兵庫頭の体調と諏訪社での祈願・神楽・社参、翌年以後の鎌田氏らの出産、兵庫頭の夭折、元和二年の光久誕生を列記する。日記の記述とその後の季安の補記を含む。

登場人物
島津家久、島津光久、伊地知越右衛門、寛陽院、鎌田氏、兵庫頭
宛先
―
キーワード
伊地知越右衛門蔵本、兵庫頭、諏訪社、病気、祈願、夭折、光久誕生
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w07:4池田養拙日記抜書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

池田養拙日記

池田養拙の日記は、光久の遺骨を高野山へ納める使いへの同行願いが認められたこと、元禄八年六月五日に出立して二十二日に高野山で勤めを終え、奥院石塔へ遺骨を納めたことを記す。養拙は現地で剃髪し、帰国後もその姿でいる許可を得た。

登場人物
池田養拙、島津光久(寛陽院)
宛先
―
キーワード
元禄八年、池田養拙、島津光久、遺骨、高野山、奥院、剃髪
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID A:10記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

記録奉行伺書

記録奉行は、宝暦八年に命じられた御家譜編集が明和四年になっても完了せず、従来の四ツ時から八ツ時までの勤務では進捗が遅いと訴える。先例の勤務時間・賄いの扱いと現在の費用負担を比較したうえで、奉行と筆者が当面は自弁で夕方まで長詰し、作業量と完成までの年数を試算する許可を求めた。

登場人物
先役平田清、市来源、肥後仁、断相勤候、主殿、北郷七郎、吉貴、継豊
宛先
肥後仁右衛門、主殿、私共中間、先年先役共、中納言、寛陽院、泰清院様大玄院様線州
キーワード
記録奉行伺書、家譜編集、記録・文書管理、役職・人事、江戸、肥後
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID G:266-1覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納久珍口上覚

新納市正の口上覚。島津備前守の家筋を受け継ぐ経緯と、先祖からの奉公、相続時の取扱いを述べ、家名・家督について裁可を願う。元禄十四年十一月二十八日付。

登場人物
新納久珍口上、光久、野御奉、慶安、家久、備前関白秀吉、茂一往者他園江御預之、績可仕
宛先
備前子近、慶安、初存知不申者茂一往者他園、御預之、績可仕、備前井近、中納言、中納言様、幼少之間寛陽院様御側、公方、御嘗家、間敷、公義、此三鉢今以私所、目御一門中、無調、乍此上左、嫡子助四郎、孫四郎、祖父近、此節老親
キーワード
新納久珍口上覚、系図・由緒、領地・地頭職、役職・人事
追録1-No.2419記事旧記雑録暫定版確認度 高

光久逝去

島津光久が元禄七年十一月二十九日に七十九歳で逝去し、寛陽院殿と追号されたことを記す記事。

登場人物
島津光久
宛先
—
キーワード
島津光久、逝去、元禄七年、七十九歳、寛陽院殿、記事
追録1-No.2454-2記事旧記雑録暫定版確認度 高

光久病没

幕医の診療後も島津光久の病状は次第に悪化し、元禄七年十一月二十九日申刻に七十九歳で死去して、寛陽院殿泰雲慈温大居士と追号されたことを記す記事。

登場人物
島津光久
宛先
—
キーワード
島津光久、病没、元禄七年、十一月二十九日、七十九歳、寛陽院殿、記事
追録1-No.2676袖判寄進状旧記雑録暫定版確認度 高

島津綱貴袖判寄進状

島津綱貴が、島津光久(寛陽院殿)の菩提料として、大隅国始羅郡帖佐郷住吉村内の百五十石を福昌寺へ寄附し、霊前の諸用を怠らないよう命じた袖判寄進状。

登場人物
島津綱貴、島津光久、福昌寺
宛先
福昌寺
キーワード
島津綱貴、島津光久、寛陽院殿、福昌寺、大隅国、始羅郡、帖佐郷、住吉村、百五十石、寄進状
追録2-No.2116文書旧記雑録暫定版確認度 低

島津久明外四名連署証状

肝付主殿久兼・川上式部久重・島津帯刀忠雄・島津中務久輝・島津大蔵久明が福昌寺へ、大玄院の菩提のため高百五十斛を寄附する旨に島津吉貴が判を据えたと証した連署証状。寛陽院の仏餉料と同様に収納して霊前諸用へ渡し、仏餉・勤行を怠らず執行するよう命じた。

登場人物
肝付久兼・川上久重・島津忠雄・島津久輝・島津久明
宛先
福昌寺
キーワード
肝付久兼、川上久重、島津忠雄、島津久輝、島津久明、福昌寺、大玄院、百五十斛、島津吉貴、判、寛陽院、仏餉料、収納、霊前、勤行、宝永二年十一月二日、連署証状
追録2-No.2785口上覚旧記雑録暫定版確認度 中

家宣代替御礼の出仕・馬代献上次第

島津帯刀仲休・種子島弾正伊時の四月三日付口上覚。家宣代替御礼は二日から始まり、三日六ツ時過ぎ吉貴が登城し、大広間で太刀・馬代を献じ、老中・若年寄らへの挨拶と太刀目録引渡しを行う手順を記す。太刀は備前国綱代十五枚、馬代は大判金一枚とし、常憲院代替時の寛陽院からの太刀献上先例を挙げる。退城後櫻田屋敷と諸役の館を訪ね、以後初の対面時に祝儀を述べるよう知らせる。

登場人物
島津吉貴・島津帯刀仲休・種子島弾正伊時・井上正岑・間部詮房
宛先
島津中務・島津将監・新納市正・種子島藏人
キーワード
家宣代替礼、吉貴、四月三日登城、大広間、太刀備前国綱代十五枚、馬代大判金一枚、島津帯刀仲休、種子島弾正伊時、寛陽院先例、太刀目録
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w09:82『盛香集』一向宗禁制由来の記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

盛香集

『盛香集』巻二から、島津家の一向宗禁制の由来について、寛陽院の母の調伏という伝承と伊集院幸侃に関する説を引く。季安は年代や関連史料を挙げて検討する。

登場人物
本文記載人物(詳細は本文画像参照)
宛先
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キーワード
盛香集、一向宗禁制、寛陽院、伊集院幸侃、伝承
追録6-No.145記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪昇進、祖廟ニ白銀ヲ献ズ

先の官位昇進により、この冬閏十二月二十五日、島津肥前忠紀を大雄山の神祖廟へ遣わして白銀二枚を献じ、島津播磨久敦を通じて台徳公から惇信公まで八代の霊牌へ各一枚を献じた。同日、島津図書久濃を花尾権現社へ、番頭島津内記久澄を福昌寺の慈眼院・寛陽院・泰清院・大玄院・有邦院・慈徳院・円徳院の尊牌へ遣わして、各一枚を献じた。新納五郎右衛門久起は浄光明寺の浄国院尊牌へ一枚を、島津直衛久中は諏方・稲荷・祇園・若宮・春日・福ケ迫諏訪へ同品をそれぞれ一枚献じた。近習役によって御休息所の看経所と尾畔三社へ青蚨百疋を献じ、護摩所不動と表御看経所では献物を設けず、拝礼のみをさせた。二十七日には使番頭種子島左内久芳を加世田日新寺の梅岳公島津忠良の尊牌へ遣わし、白銀一枚を献じて恭賀の意を述べさせた。出典は重豪公御譜中。目録は記事で年月日欄を空欄とする。

登場人物
重豪、島津肥前忠紀、島津播磨久敦、島津図書久濃、島津内記久澄、番頭新納五郎右衛門久起、島津直衛久中、近習役、使番頭種子島左内久芳、梅岳公島津忠良、台徳公、大猷公、厳有公、常憲公、文昭公、有章公、有徳公、惇信公
宛先
—
キーワード
官位昇進、閏十二月二十五日、忠紀、久敦、久濃、久澄、久起、久中、各社霊牌、白銀二枚、白銀各一枚、近習役、青蚨百疋、護摩所不動、表御看経所、献物なし拝礼、二十七日、種子島久芳、梅岳公尊牌、恭賀
追録6-No.2602記事旧記雑録暫定版確認度 中

重豪の隠居に伴う宗廟・諸社への金銀・香・青銭の献納を記す

重豪の隠居に際し、宗廟・神社へ敬意を表して供物を納めた経過を記す。三月二十一日、家老島津久邦を遣わし、鹿児島五社(諏方・稲荷・祇園・春日・若宮)と福ヶ迫諏方社へ金二百疋ずつを献納する。二十二日には喜入久福を南泉院へ遣わし、神祖廟へ銀二枚、台徳・大猷・厳有・常憲・文昭・有章・有徳・惇信・浚明の各廟へ銀一枚ずつを納める。また久邦を不断光院と浄光明寺へ遣わし、清揚廟と得佛へ銀一枚ずつ、浄國へ金二百疋を献納する。同日、側用人を遣わして、霊符堂看経所・休息所看経所・護摩所・稲荷・八幡・天神・不動、外庭の稲荷と相殿の若宮八幡、春日大明神、鵜戸権現、大人八幡、観音、尾畔の稲荷・弁財天・観音、二丸の諏方・弁財天へ青銭五十疋ずつを納める。二十三日には二階堂行旦を福昌寺へ遣わし、浄岸院・慈眼院・寛陽院・泰清院・大玄院・有邦院・慈徳院へ金二百疋ずつ、圓徳院へ官香二把と金二百疋を献納する。二十六日に平田成政を加世田へ遣わして日新公へ金二百疋、二十七日に二階堂行旦を遣わして花尾山へ銀一枚、郡山一之宮へ金二百疋を納める。四月十二日には菱刈實祐を南林寺へ遣わし、大中公へ金二百疋を献納する。

登場人物
島津重豪、島津和泉久邦、喜入安房久福、二階堂主計行旦、平田靱負成政、菱刈大次實祐、側用人
宛先
宗廟・神社(献納先)
キーワード
致仕、隠居、宗廟、神社、献金、銀、官香、青銭、家老、側用人
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w07:2-4葬送役に関する覚旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

川上親央・安藤茂真連署調書

宗信の葬送役を決めるため、寛陽院・浄国院葬送の旧例から御棺、御太刀、葬馬、燈籠、幢、香炉、茶碗、天蓋などの家筋別の役と担当者を列挙する。旧例を勤めた者の子孫が現に誰かは改めて調べる必要があると付記する。

登場人物
川上親央・安藤茂真、葬送役を担う家筋
宛先
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キーワード
寛延二年、葬送役、御棺、御太刀、葬馬、燈籠、香炉、天蓋、家筋
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w07:2-11葬礼太刀持の覚旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

葬礼太刀持覚

寛陽院・浄国院・慈徳院の葬礼で、代継ぎの太刀持を本田家が勤めた例を列挙する。大玄院葬礼では名代が位牌を守ったため太刀持の記録がなく、宝暦五年の園徳院葬礼でも位牌を名代が守るので太刀持は置かないと述べる。亡者自身の太刀持は別に本田家庶流が務めると区別する。

登場人物
本田家、島津重年(園徳院)
宛先
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キーワード
葬礼、代継太刀、位牌、名代、本田家、園徳院、宝暦五年
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w07:2-12葬礼太刀持の調書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

吉田清純・安藤茂真連署調書

吉田清純・安藤茂真が過去の寛陽院・大玄院・浄国院・慈徳院葬送における位牌守と代継ぎ太刀持の有無を比べる。今回の園徳院葬礼では後継者の重豪が江戸にいるため名代が位牌を守り、大玄院の例に従って代継ぎの太刀持を置かないと提案する。

登場人物
吉田清純・安藤茂真、島津重豪
宛先
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キーワード
宝暦五年、園徳院葬礼、島津重豪、位牌、名代、代継太刀、先例