犬追物手組
寛永廿一年三月十三日 / 冊子 328頁
寛永二十一年三月十三日の犬追物手組。一番の外囲次第について、射手・騎馬の組合せと順序、検見役・喚次役などを列挙した編成表。
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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
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寛永廿一年三月十三日 / 冊子 328頁
寛永二十一年三月十三日の犬追物手組。一番の外囲次第について、射手・騎馬の組合せと順序、検見役・喚次役などを列挙した編成表。
寛永廿一年三月十三日 / 冊子 328頁
寛永二十一年三月十三日の犬追物手組。一番の囲次第について、射手・騎馬の配置と検見役・喚次役・日記役・幣之役などの担当者を定めた編成表。
是歳冬十一月十三日(安永四年の文脈) / 冊子 475頁/原整理番号 1308/整理ID 1308
この年冬十一月十三日、重豪が演武館で犬追物を初めて講じ、射手の上班・次班・下班・論犬の班と、検見・喚次が、それぞれ定められた法に従ったと記す。これを代始の大追物とする。小字注は浄國公に触れて、長く講じられず犬追物場だけが残っていたが、この時再び講じたことを説明し、實予意也と結ぶ。重豪の代での復講として整理し、犬追物自体をこの日に初めて創設したとはしない。
安永四年十一月十三日 / 冊子 475頁/原整理番号 1309/整理ID 1309
安永四年十一月十三日の代初犬追物稽古手組と記し、上手組の名簿を示す。名簿の列記順は嶋津又六郎(二の付記)、入来院隼人、嶋津権十郎(一の付記)、蒲生正左衛門、肥後太郎右衛門、瀬川作平次、上村休之進、海江田半蔵、本田孫右衛門(一の付記)、伊勢亘、嶋津内膳である。検見・喚次欄には川上十郎左衛門、岡元千右衛門を記す。名簿の掲載人名は11枠で、検見・喚次欄の二名は別に保つ。一・二の付記は一疋・二疋を示す。付記のない者もいる。
年月日記載なし(安永四年十一月十三日の四手組の文脈) / 冊子 476頁/原整理番号 1310/整理ID 1310
前後の代初犬追物稽古の四手組に属し、独立した年月日はこの表には記さず、下手組の名簿を示す。名簿の列記順は嶋津又七郎(一の付記)、嶋津十太右衛門、伊勢新五郎、倉山藤覺(一の付記)、川上四郎(二の付記)、鎌田源八、後醍院八郎(一の付記)、喜入休兵衛、西左太郎(一の付記)、嶋津直衛、嶋津内匠である。検見・喚次欄には川上十郎左衛門、相良仁右衛門を記す。名簿の掲載人名は11枠で、検見・喚次欄の二名は別に保つ。一・二の付記は一疋・二疋を示す。付記のない者もいる。
年月日記載なし(安永四年十一月十三日の四手組の文脈) / 冊子 476頁/原整理番号 1311/整理ID 1311
前後の代初犬追物稽古の四手組に属し、独立した年月日はこの表には記さず、次手組の名簿を示す。名簿の列記順は嶋津筑後、嶋津彌市郎(一の付記)、伊集院平治(一の付記)、上村茂兵衛、汾陽八右衛門、肝付郷右衛門、山澤十太夫、堀千次郎、木脇賀左衛門(二の付記)、新納次郎四郎、喜入善之助である。検見・喚次欄には嶋津又六郎、岡元千右衛門を記す。名簿の掲載人名は11枠で、検見・喚次欄の二名は別に保つ。一・二の付記は一疋・二疋を示す。付記のない者もいる。
安永四年十一月十三日 / 冊子 476~477頁/原整理番号 1312/整理ID 1312
論之犬稽古手組之事と安永四年十一月十三日を記し、論之犬稽古手組の名簿を示す。名簿の列記順は嶋津又六郎(一の付記)、嶋津十太右衛門(一の付記)、本田孫右衛門、喜入休兵衛、鎌田源八、後醍院八郎、嶋津彌市郎、倉山藤覺(一の付記)、蒲生正左衛門(一の付記)、川上四郎(一の付記)、嶋津又七郎(一の付記)、西左太郎(二の付記)である。検見・喚次欄には川上十郎左衛門、相良仁右衛門を記す。名簿の掲載人名は12枠で、検見・喚次欄の二名は別に保つ。末尾の包紙には安永四年未十一月十三日、代初稽古大追物の手組四通を帯刀殿から渡され、写し置いたことを記す。また白木御文書五番箱と百十中ニアリとの所在記載があり、箱の後の八/ハに見える字は原記載として留保する。
年月日未詳 / 冊子 155~163頁/原整理番号 113
『寛明日記』巻第三十一の抄。正保四年十一月十三日に島津薩摩守光久らが将軍家の犬追物御覧に臨むまでの馬場・御座の設営、射手と検見・喚次の装束と配置、複数回の射の進行を詳記する。射手の退出、太刀・馬などの献上、十二月の答礼まで続く。
永正十一年九月十四日 / 冊子 604頁
永正十一年九月十四日、鹿児島殿中で蘭窓(島津忠治)の代に初めて行われた犬追物について、参加者別の疋数と検見・喚次を記した手組。
永正十一年十一月十四日 / 冊子 605頁
永正十一年十一月十四日の犬追物について、殿以下の参加者と検見・喚次を配列した手組。
永正十一年十一月十九日 / 冊子 605頁
永正十一年十一月十九日の犬追物について、殿以下の参加者と検見・喚次を配列した手組。
永正十一年十二月九日 / 冊子 605頁
永正十一年十二月九日の犬追物について、殿以下の参加者と検見・喚次を配列した手組。
天正三年三月十五日 / 冊子 430~431頁
天正三年三月十五日の代始犬追物の手組で、義久が二十九疋を射たのをはじめ、各射手を角ごとに配し、射犬数と検見・喚次を記録する。終了後は桟敷で三献を行い、川上経久に馬・太刀を与え、射手を手組順に召して酒を賜った。
天正三年三月十六日 / 冊子 431頁
天正三年三月十六日の犬追物手組として、島津以久・新納忠実・頴娃久虎らの射手、各人の射犬数、検見・喚次を列挙する。
天正三年十月廿日 / 冊子 440頁
天正三年十月二十日の犬追物手組として、四角に配した射手と各人の射犬数、検見・喚次を記す。島津忠長・歳久、喜入季久、新納忠元らが参加した。
天正三年十月廿一日 / 冊子 440頁
加世田で犬百匹を射立てた天正三年十月二十一日の犬追物手組。四角の射手、各人の射犬数、検見と喚次を記し、島津歳久・家久、新納忠元、島津忠長らが参加した。
天正四年四月十二日 / 冊子 475頁
天正四年四月十二日の犬追物手組。四角の射手と各人の射犬数、検見・喚次を記し、前久台覧のもと島津征久・歳久・忠長、喜入季久らが射芸を披露した。
天正五年十一月十三日 / 冊子 521~522頁
鹿児島馬場で行われた天正五年十一月十三日の犬追物手組。四角に配した義弘・歳久・家久・久隅・征久・喜入季久らの射犬数、検見・喚次を記す。
天正五年十一月十五日 / 冊子 522頁
天正五年十一月十五日の犬追物手組。義久の検見のもと、義弘・歳久・家久・征久・久隅・喜入季久らを四角に配し、各人の射犬数と検見・喚次を記す。
元和七年十二月四日 / 冊子 774~775頁
元和七年十二月四日に行われた犬追物について、各番の騎射手と馬数を配した手組。島津家久を検見とし、喜入島津大炊助らが喚次を務める編成を記す。
元和七年十二月五日 / 冊子 775頁
元和七年十二月五日の犬追物について、矢懸次第と各番の騎射手・馬数を定め、島津家久が検見し、嶋津大炊助らが喚次を務める手組を記す。
元和七年十二月七日 / 冊子 775頁
元和七年十二月七日の犬追物について、矢懸次第と各番の騎射手・馬数を定め、川上嶋津十郎左衛門尉らが検見・喚次を務める手組を記す。
正保三年四月七日 / 冊子 36~38頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0065
正保三年四月七日の犬追物手組。初日一番・二番と四角外囲の次第、各人に付す足数、検見・喚次・日記・幣・射手奉行等の諸役を列記する。続いて同日御客人衆を掲げ、その合計を七十七人と記し、見廻衆や欠席・日光行・隠居者の注記も付す。
正保四年十一月十七日 / 冊子 95~99頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0182
十一月十三日の犬追物について上手・次手・下手と所望による二手の射手・検見・喚次、犬奉行・犬放し・馬の配置等の諸役、会場手配・食事・進行を列記する。公方・大納言への進上物には鯛の折、後日の進上物には栗毛の御馬一疋などがあり、拝領小袖の明細も続く。翌日以降の御礼・登城を経て、十六日の乗馬衆を五十七、八騎ほどと報じる。図書から千菊殿への十一月十七日付。
慶安元年九月二十六日~二十八日 / 冊子 133~137頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0242
慶安元年九月二十六日から二十八日までの犬追物手組表。初日の各番、二日の上手・次手・下手、三日の各番と勝負之犬手組について、担当者と各人に付された一足・二足等、検見・喚次、四角外の配置を列記する。
文化12年12月6日(各手組)/文政2年12月18日(末尾保管追記) / 冊子 480~482頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書1461
白木御文書八番箱中三十二。包紙に神事犬追物手組とある、文化12年十二月六日の各組配列表。犬追物の上手組・下手組、神事犬追物の上手組、犬追物の次手組、神事の下手組、「論之犬手組」と記す表、神事の次手組を順に掲げ、各表に名前・疋数・検見・喚次を配する。最初の上手組は島津又六郎二疋・相良満十郎一疋・新納十郎一疋・北郷勘解由五疋など、下手組は川上庄八郎二疋・種子嶋次左衛門一疋・村橋主計一疋など。神事上手組では新納十郎三疋、木脇伊左衛門三疋、村橋愛之介一疋、続く次手組では南郷寛太郎一疋・島津矢六郎二疋。神事下手組では碇山仲左衛門一疋・種子嶋左八郎三疋・菱刈藤馬一疋。論之犬手組では田中七左衛門二疋・菱刈藤馬二疋・島津矢六郎三疋等を記し、碇山の疋数には「三疋カ」の注を付す。最後の神事次手組は川上金十郎一疋・南郷寛太郎二疋・伊集院伊膳一疋・田中七左衛門四疋・伊勢巖次郎二疋等。検見には川上庄八郎・島津又六郎・川上十郎左衛門が表ごとに載り、喚次は主に川上四郎兵衛。末に射手奉行木脇権一兵衛、日記池田次郎兵衛・土持平左衛門、幣之役島津鐵袈裟候補・赤塚吉十郎、犬奉行岸良矢右衛門・面高眞之丞を掲げる。朱包紙注は手組八通の記録所での格護を命じられたこと、文政2年卯十二月十八日に橋口今彦・平山五右衛門が承知し白木御文書八番箱へ納置したことを記す。各表の疋数を合算せず、配列図の線・符号を人数や実績頭数へ読み替えない。
延徳2年3月20日 / 冊子 255頁/原整理番号 97
延徳二年三月二十日、飫肥で二度目に催した犬追物の手組。番号付きの項目として「一 殿」二十三疋、「二 島津摂津守」十三疋、「三 島津次郎三郎」四疋、「四 島津左衛門尉」五疋を記し、ほかに島津安芸守三疋、島津次郎四郎十一疋、伊地知周防守九疋、加治木又八郎四疋、平田又九郎四疋、上原次郎右衛門尉二疋、平田右馬助三疋、長井初五郎三疋、島津大和守五疋、島津徳三郎三疋を割り当てる。検見を餅原駿河守、喚次を平瀬三郎四郎が務め、犬追物に参加する人員と馬匹編成を具体的に示す。『旧記雑録前編二』一六八三号文書と同一と注記される。
文亀4年3月22日 / 冊子 256頁/原整理番号 99
文亀四年三月二十二日の犬追物手組。番号付きの項目として「一 島津備前守」九疋、「二 島津左馬助」十八疋、「三 渋谷藤次郎」五疋、「四 島津次郎四郎」五疋を記し、ほかに豊後守殿十四疋、梁瀬源五十一疋、島津治部少輔十疋、村田与次郎九疋、柏原助七郎十一疋、羽嶋新三郎三疋、羽嶋越前守三疋、上原又七六疋を割り当てる。検見を餅原駿河守、喚次を吉田六郎三郎が務め、前掲の延徳二年手組と同じく参加者・馬匹数・役割を表形式で示す。正本は家蔵され、『旧記雑録前編二』一七八九号文書と同一と注記される。
年月日未詳 / 冊子 207~208頁/原整理番号 537
肝付で催された大追物の手組を記した名簿。島津式部大輔、肝付周防守、平田又七郎、伊地知左衛門尉、肝付又八郎、鹿屋三郎二郎らの組分けに加え、検見・喚次などの役を記す。末尾に『御屋形様忠昌御代』とあり、島津忠昌代の催事であることを示す。
永正十三年十一月二十日 / 冊子 208頁/原整理番号 538
永正十三年十一月二十日の犬追物手組。肝付修理亮十三疋、鹿屋民部少輔十四疋、岸良左衛門次郎七疋など、射手ごとの担当疋数を記し、検見・喚次の役も示す。末尾は肝付又八郎宛。
永正十三年十一月二十一日 / 冊子 208頁/原整理番号 539
永正十三年十一月二十一日の犬追物手組。肝付又八郎、肝付四郎二郎、肝付新四郎、岸良左衛門二郎らについて担当疋数を記し、検見を大寺駿河守、喚次を島津十郎左衛門尉とする。鹿児島郡で催されたことを末尾に記す。
年月日未詳 / 冊子 208頁/原整理番号 540
大追物の手組を記した名簿。『殿・與岳』以下、島津左衛門尉、肝付又八郎、本田三河守、島津太郎左衛門尉、伊地知又七、吉田若狭守らの担当疋数を列挙し、検見・喚次を示す。末尾に大寺駿河守を記す。
延徳二年三月廿三日 / 冊子 130頁/原整理番号 41
延徳二年三月二十三日の犬追物手組。殿十五疋、島津安藝守七疋、伊地知周防守六疋、五代助五郎三疋などの射手別犬数を記し、検見を島津十郎左衛門尉(義久)、喚次を島津孫右衛門尉とする。
延徳二年三月卅日 / 冊子 131頁/原整理番号 43
延徳二年三月卅日、福嶋で行った犬追物手組。殿二十三疋、島津安藝守三疋、伊地知周防守九疋、平田右馬助三疋などの配当を記し、検見を餅原駿河守、喚次を平瀬三郎次郎とする。
文亀三年七月廿四日 / 冊子 134頁/原整理番号 50
文亀三年七月二十四日、肝付で行った犬追物の手組。肝付周防守・伊地知左衛門尉・長野新右衛門尉・蒲生刑部少輔らを列記し、検見を島津十郎左衛門尉(義久)、喚次を別府因幡守とする。御屋形様忠昌の代との注記を伴う。
永正十二年二月十二日 / 冊子 135~136頁/原整理番号 56
永正十二年二月十二日の犬追物手組。加治木又八郎・島津又六郎・伊地知又七・本田三河守・税所左衛門尉らを掲げ、検見を島津十郎左衛門尉(義久)・鎌田勘解由左衛門尉、喚次を吉田若狭守とする。
永正十二年閏二月四日 / 冊子 136頁/原整理番号 58
永正十二年閏二月四日の犬追物手組。島津近江守殿十六疋、島津四郎殿十五疋、島津源左衛門尉五疋などの配当を記し、検見を島津十郎左衛門尉(義久)、喚次を島津又八郎とする。
永正十三年八月廿九日 / 冊子 138頁/原整理番号 63
永正十三年八月二十九日の犬追物手組。北郷左衛門尉・肝付又八郎・川俣左衛門尉・伊地知又七・島津太郎左衛門尉らの射手を列記し、検見を島津三郎左衛門尉、喚次を島津近江守とする。射手別犬数は記さない。
永正十三年 / 冊子 138~139頁/原整理番号 65
永正十三年と記す犬追物手組。島津殿・廻兵部少輔・本田三河守・桑波田孫六・税所左衛門尉らの射手を列記し、検見を島津十郎左衛門尉(義久)、喚次を加治木筑前守とする。本文に月日は示されず、犬数もない。
年月日未詳 / 冊子 140頁/原整理番号 69
年月日を欠く、鹿児島郡での犬追物手組。殿二十三疋、島津左衛門尉五疋、肝付又八郎五疋、島津二郎左衛門尉六疋などの配当を記し、検見を島津十郎左衛門尉(義久)、喚次を大寺駿河守とする。
天正三年三月十五日 / 冊子 145頁/原整理番号 80-1
天正三年三月十五日の犬追物手組。義久様二十九疋、島津上野守七疋、本田紀伊守三疋など射手ごとの犬数を列記し、検見を島津武蔵守、喚次を島津十郎左衛門尉とする。
天正三年三月十六日 / 冊子 145~146頁/原整理番号 81
天正三年三月十六日の犬追物手組。島津右馬頭十四疋、島津國書頭八疋、島津小四郎十一疋などの配当を掲げ、検見を島津上野守、喚次を比志島彦三郎とする。
慶長十二年八月廿七日 / 冊子 148頁/原整理番号 89
慶長十二年八月二十七日の「初日一番四角之外」の犬追物手組。家久様八疋、比志島宮内少輔三疋、島津善四郎三疋などを配し、検見を島津十郎左衛門尉、喚次を島津雅楽助とする。
慶長十二年八月廿七日 / 冊子 148~149頁/原整理番号 90
慶長十二年八月二十七日の「初日二番四角之外」の犬追物手組。家久様十三疋、菊池刑部少輔一疋、吉田治部左衛門尉六疋などを記し、検見を島津十郎左衛門尉、喚次を島津雅楽助とする。
年月日未詳 / 冊子 149頁/原整理番号 91
日付を記さない「二日之壱番手組」。家久様、北郷掃部助、町田勝兵衛尉、村田刑部少輔らの射手を列記し、検見を島津十郎左衛門尉、喚次を島津六郎兵衛尉とする。
年月日未詳 / 冊子 149頁/原整理番号 92
日付を記さない「二日二番手組」。家久様、島津近江守、島津伊藤次郎、伊勢平左衛門尉らの射手を挙げる。検見・喚次はいずれも「ナシ」と明記される。
正保三年四月七日 / 冊子 155頁/原整理番号 112
正保三年卯月七日の「初日二番四角之外」犬追物手組。島津安藝守・島津源助・和田次郎右衛門尉らの射手と犬数を掲げ、検見・喚次のほか日記、射手奉行などの役名も記す。
正保四年十一月十三日 / 冊子 164頁/原整理番号 115
正保四年十一月十三日、家光公の御上覧に関わる真犬追物手組。島津諸右衛門尉・本田甚兵衛尉・島津弥市郎らの割当と、検見、喚次、執筆、幣之役を列記する。手組の番次を示す見出しがある。
正保四年十一月十三日 / 冊子 164頁/原整理番号 116
正保四年十一月十三日の真犬追物手組の別番。島津東市正・島津七兵衛尉・本田六左衛門尉らの割当を記し、検見を島津又左衛門尉、喚次を島津左太夫とする。執筆・幣之役は前件と同人とする。
天正三年三月十七日 / 冊子 431~432頁
天正三年三月十七日の犬追物手組で、義弘・吉利忠澄・本田董親・歳久・喜入季久らの射手、射犬数、検見・喚次を列挙する。雨天のため当初予定から延期された回の記録である。