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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

20 件 (全巻)/ 1–20件を表示

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後編2-No.1412記事確認度 中

島津家久譜

北郷宗次郎は十月二十九日、唐島から釜山浦に着き、辰刻に方浦を経て金海川口へ至った。降雪と強風のため船を追ったが乗員数を把握できず、巨済岸に帰着した経過を記す。 加徳島の水主らを船内で捕え、船上の綱などを接収したという。冬の朝鮮沿岸における船舶追跡と捕縛の実情が分かる。

登場人物
北郷宗次郎、島津家久、島津義弘、加徳島の水主
宛先
宛先なし(譜の記事)
キーワード
北郷宗次郎、唐島、釜山浦、方浦、金海川口、巨済岸、加徳島、強風雪、船舶追跡、水主捕縛
後編2-No.1127文書確認度 中

豊臣秀吉朱印状

釜山浦・加徳島・東莱・竹島などに蓄えた城米が古米にならないよう、各隊の手前兵粮と入れ替え、元の員数を正確に積み置くよう命じる。 福島正則・毛利高政を奉行として派遣し、各軍の人数に応じて城米を割り振り直させた、朝鮮在陣地の大規模な備蓄更新を指示する朱印状。

登場人物
豊臣秀吉、島津義弘、福島正則、毛利高政、浅野長政、山中長俊
宛先
羽柴薩摩侍従殿(島津義弘)ほか
キーワード
豊臣秀吉、島津義弘、福島正則、毛利高政、釜山浦、加徳島、東莱、竹島、城米、古米、兵粮配分
後編2-No.1438文書確認度 高

野田善左衛門書立

「飯野衆中」から高麗へ御供する人々を、野田善右衛門重俊をはじめ、高麗に渡った者・各隊に付けられた者ごとに列記した書立。高麗・釜山・加徳島などでの配置先や、どの家臣の手に属したかが分かる。 書状ではなく、朝鮮渡海に動員された薩摩の将士を一人ずつ把握できる人員名簿。地域別の動員と島津軍の編成を調べる上で価値が高い。

登場人物
野田善左衛門、飯野衆、島津家家臣団
宛先
宛先なし(人員書立)
キーワード
野田善左衛門、飯野衆、高麗御供、朝鮮渡海、将士名簿、島津軍、配置先、釜山、加徳島、動員
後編2-No.1439記録確認度 高

朝鮮日々記

島津義弘・忠恒の隊を中心に、小西行長・福島正則・加藤清正ら諸大名と家臣の配置、加徳島・釜山・熊川など朝鮮各地の在陣状況を記した「朝鮮日々記」。将士名と所属、軍勢数、諸陣間の距離や移動経路を細かく列挙する。 島津軍だけでなく、四国・中国・九州の諸大名が朝鮮でどのように陳取りしたかを俯瞰できる軍勢配置記録。合計人数と個々の家臣名が豊富で、文禄の役の軍事組織を復元する上で特に重要である。

登場人物
島津義弘、島津忠恒、小西行長、福島正則、加藤清正ほか
宛先
宛先なし(日々記)
キーワード
朝鮮日々記、島津義弘、島津忠恒、小西行長、福島正則、加藤清正、加徳島、釜山、軍勢配置、諸大名
後編2-No.1586記事確認度 高

島津家久譜

日明和平が定まり、明国使節が日本へ渡航することになったため、巨済島の諸陣を加徳島へ移した経緯を記す。 小西行長・寺沢正成が明の遊撃官人を伴って来て、和平が偽りでないことを示したという、講和交渉と撤兵の具体像を伝える記事。

登場人物
島津家久、小西行長、寺沢正成、明国使節、遊撃官人
宛先
—
キーワード
島津家久、小西行長、寺沢正成、日明和平、明国使節、巨済島、加徳島、撤兵、遊撃官人、朝鮮出兵
後編2-No.1587文書確認度 中

小西行長・寺沢正成連署状

小西行長・寺沢正成は、唐島の人々が加徳島へ移ることに伴い、唐島割の奉行を二人任命したと伝える。 移転処理に十分注意するよう命じ、唐人に状況を見せるため明国の遊撃官人一人を派遣した、講和後の撤収実務を示す連署状。

登場人物
小西行長、寺沢正成、唐島奉行、明国遊撃官人
宛先
本文から確定できず要確認
キーワード
小西行長、寺沢正成、唐島、加徳島、唐島奉行、明国、遊撃官人、移転、撤収、連署状
後編3-No.45文書確認度 中

島津義弘覚書

島津義弘の覚書。又八郎(忠恒)の帰朝後の再渡海・上洛などについて、渡海の安全、勢揃いと馬、供衆として図書頭・鎌田出雲守ら十騎または十五騎を召し連れること、伊集院抱節・比志島紀伊守が主取となる残番衆七百人の配置を指示する。在京中の用件は各人が国元へ直接申し送ること、公儀が加徳島に召し置いた御上米・諸道具、残番衆の乗船・兵糧米、同島にいる高麗人の扱いにも触れる。さらに又八郎の具足・馬面・馬鎧、鉄砲五十丁・鑓五十本の携行と、伊集院小傳次の帰朝などを列挙する。

登場人物
島津義弘、島津又八郎(忠恒)、図書頭、鎌田出雲守、伊集院抱節、比志島紀伊守、残番衆、伊集院小傳次、高麗人
宛先
記載なし
キーワード
島津義弘、島津忠恒、又八郎、図書頭、鎌田出雲守、伊集院抱節、比志島紀伊守、伊集院小傳次、帰朝、渡海、上洛、供衆、残番衆七百人、加徳島、御上米、乗船、兵糧米、高麗人、具足、馬面、馬鎧、鉄砲五十丁、鑓五十本、覚書
後編3-No.73記事確認度 高

『征韓偉略』記事

『征韓偉略』に、慶長元年六月十五日、明使が釜山を発ち、朝鮮在陣諸将が撤収準備に入ったことを記す。京都にいた島津義弘が、加徳島にいた忠恒へ秀吉の撤兵命令を伝えたが、その後、諸将がすでに出船していても島津勢は本陣へ戻って駐留し、改めて出船期日を命じるとの指示があり、忠恒は加徳に留まって守備を固めた。

登場人物
島津義弘、島津忠恒、豊臣秀吉、明使、朝鮮在陣諸将
宛先
—
キーワード
征韓偉略、島津義弘、島津忠恒、豊臣秀吉、明使、釜山、加徳島、撤兵命令、在陣、守備
後編3-No.191記事確認度 高

島津豊久譜(全羅道・行伍割当記事)

慶長二年、諸将が再び加徳島へ出勢するに際し、島津豊久が豊臣秀吉から全羅道方面の担当と行伍・軍勢編成を記した文書を賜ったことを記す島津豊久譜の記事。

登場人物
島津豊久、豊臣秀吉、朝鮮再出勢諸将
宛先
—
キーワード
島津豊久譜、島津豊久、豊臣秀吉、慶長二年、加徳島、全羅道、行伍、軍勢編成、割当、朝鮮再出勢
後編3-No.246記事確認度 高

征韓偉略

『征韓偉略』から、慶長二年六月十八日、小西行長の使者が海辺に来て伝えた日本軍諸将の朝鮮各地における守備配置を記す記事。宇喜多秀家を中心に、釜山・竹島・安骨浦・蔚山・加徳島・順天などへ諸将が分かれて布陣したことを列挙する。

登場人物
小西行長、宇喜多秀家、鍋島直茂、毛利吉成、毛利秀包、島津忠恒、島津義弘、加藤清正ほか日本軍諸将
宛先
—
キーワード
征韓偉略、六月十八日、小西行長、宇喜多秀家、釜山、竹島、安骨浦、蔚山、加徳島、順天、守備配置
後編3-No.259記事確認度 高

島津家久譜

『島津家久譜』から、日本諸将の再渡海後、巨済・唐島・加徳島付近で明・朝鮮水軍と戦った経過を記す。敵船の接近と日本側の迎撃、船の拿捕・焼却、将ごとの働き、損害と戦功、豊臣秀吉の賞賛までを叙述する。

登場人物
島津家久、日本水軍、朝鮮水軍、加藤嘉明、脇坂安治、九鬼嘉隆、藤堂高虎
宛先
—
キーワード
島津家久譜、巨済、唐島、加徳島、朝鮮水軍、日本水軍、海戦、拿捕、焼却
後編3-No.260記事確認度 高

島津豊久譜

『島津豊久譜』から、朝鮮水軍が巨済島周辺へ数百艘を進めた際、日本側が七月十四日に迎撃した記事。島津豊久らの戦闘、藤堂方による敵船拿捕、加徳島方面での追撃と戦功を記す。

登場人物
島津豊久、藤堂氏、日本水軍、朝鮮水軍
宛先
—
キーワード
島津豊久譜、巨済島、加徳島、朝鮮水軍、海戦、敵船拿捕、戦功
後編3-No.269記事確認度 高

朝鮮日々記

『朝鮮日々記』から、加徳島前へ繰り返し現れた敵船を日本側の番船・諸隊が追撃した経過を記す。海上と陸路に分かれて敵を追い、射撃・接舷・上陸を交えた戦闘、首級や損害、各隊の動きを日次で述べる。

登場人物
日本水軍、朝鮮水軍、加藤嘉明、藤堂高虎、脇坂安治、島津勢
宛先
—
キーワード
朝鮮日々記、加徳島、敵船、番船、追撃、上陸戦、首級、日本水軍、朝鮮水軍
後編3-No.270記事確認度 高

朝鮮日々記

『朝鮮日々記』から、七月十三日に唐島と加徳島の瀬戸口で敵の番船五十余艘と交戦した記事。日本側の船が敵船を破り、島津義弘ら諸将が陸上から援護・進撃したこと、陣替え後の配置までを記す。

登場人物
日本水軍、朝鮮水軍、藤堂高虎、加藤嘉明、島津義弘
宛先
—
キーワード
朝鮮日々記、七月十三日、唐島、加徳島、番船、海戦、藤堂高虎、島津義弘
後編3-No.348記事確認度 高

新納忠元勲功記

『新納忠元勲功記』から、慶長三年二月二十一日に松齢様が久見崎から乗船する際、新納忠元が見送り、大嶋出羽守忠泰を供に付けて二首の別れの歌を贈った記事。同月二十八日に五十余艘で出船し、四月十九日に朝鮮加徳島へ着陣したこと、同年夏に忠元が清敷から飯野の地頭へ替えられて移住したことも記す。

登場人物
新納忠元、松齢様、大嶋出羽守忠泰
宛先
—
キーワード
新納忠元勲功記、慶長三年、新納忠元、松齢様、久見崎、大嶋出羽守忠泰、別れの歌、五十余艘、加徳島、清敷、飯野地頭
後編3-No.377文書確認度 高

島津義弘証状

島津義弘が、朝鮮加徳島で昼夜にわたり粉骨し、軍兵の勝利を祈祷した櫻井坊慶長坊へ与えた証状。五大尊不動明王絵像一幅と古備前の太刀一腰を、大田吉兵衛を介して拝領させたことを証し、今後も肝胆を砕いて働くよう求める。

登場人物
島津義弘(惟新)、櫻井坊慶長坊、大田吉兵衛、島津軍兵
宛先
櫻井坊慶長坊殿
キーワード
島津義弘証状、惟新、櫻井坊慶長坊、加徳島、軍兵勝利、祈祷、五大尊不動明王絵像、古備前太刀、大田吉兵衛、拝領
後編3-No.578記事確認度 高

島津家久譜

『島津家久譜』の記事。釜山浦の諸将が吉日を選んで一斉に帰朝する約束を結んだ後、島津義弘・忠恒父子は救出した将兵とともに十一月廿一日夜半に巨済を発し、昌原・安骨浦・加徳島を経て釜山へ向かったとする。到着すると諸将は約束を破ってすでに帰国しており、明・朝鮮の大船団を恐れず待っていた島津豊久だけが父子を迎えた。父子は廿四日に釜山浦を出帆した。

登場人物
島津義弘、島津忠恒(家久)、島津豊久(又七郎忠豊)、釜山浦の諸将、明・朝鮮水軍
宛先
—
キーワード
島津家久譜、慶長三年冬、島津義弘、島津忠恒、共同帰朝約束、十一月廿一日、巨済、昌原、安骨浦、加徳島、釜山浦、諸将違約、島津豊久、又七郎忠豊、父子待機、明水軍、朝鮮水軍、廿四日出帆
附録2-No.224文書確認度 高

新納忠貞起請文前書

加徳島の宿で寝込んでおり、酔いが醒めず召し出しに遅参したため二度も意向に背いたことを謝し、他所に宿泊したなどの別意は一切ないと、薩隅両国の神々に誓った起請文前書。

登場人物
新納忠貞、宅間奥八左衛門尉
宛先
宅間奥八左衛門尉殿
キーワード
新納忠貞、宅間奥八左衛門尉、加徳島、宿、酩酊、遅参、弁明、起請文、神文、忠誠
後編2-No.813記事確認度 高

島津忠辰譜

島津忠辰が秀吉の厳命で朝鮮へ渡海した後、釜山浦で病を得て軍務に就けず、密かに帰帆しようとして暴風で漂流した経緯を記す。帰国を断念して朝鮮へ戻ったものの、病状が悪化し、八月二十七日に異国の島で四十一歳で死去したという忠辰最期の記事。

登場人物
島津忠辰、豊臣秀吉
宛先
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キーワード
島津忠辰、豊臣秀吉、釜山浦、朝鮮出兵、病気、密帰国、漂流、客死、加徳島、忠辰譜
島津世禄記-A33記事関連史料(外伝)確認度 高

義弘主父子軍功之事付久保逝去之後忠恒継家統護朝鮮事并人数帳之事

朝鮮在陣中の義弘・久保父子の軍功、久保の死と忠恒の家督継承、豊臣軍の人数・配置を記す。まず秀吉の軍法を掲げ、放火・人取り・百姓への非分な課役を禁じ、兵粮管理、飢民救済、城郭普請など占領地統治の規則を示す。久保は忠清道で敵を単騎追撃して首級を得たとされる一方、秀吉の朱印状には木曾城・釜山浦・金海・加徳島などを攻守する各大名の人数と配置が詳細に列記される。久保は金海で虎狩りを行った逸話の後、文禄二年九月に巨済で病没し、二十八歳で世を去った。翌年、弟の忠恒(のち家久)が家統を継ぎ、義弘とともに巨済・加徳島へ在陣する。秀吉の求めに応じた虎狩りでは、義弘・忠恒の家臣が危険を冒して虎を仕留め、その肉を献上して褒賞を受ける。さらに文禄四年および慶長二年の軍勢帳・陣立書を大量に収め、小西・加藤・鍋島・島津・黒田・毛利・宇喜多・小早川・船手衆などの人数、釜山浦から各城までの在番、先陣の順序、軍議・注進・築城・野陣の規則を示す。末尾は南原攻略へ向かう陣立に続く。個々の武功や家督継承だけでなく、朝鮮役における全国大名軍の編成・兵数・占領統治を具体的に伝える軍事記録である。

登場人物
島津義弘、島津久保、島津忠恒(家久)、豊臣秀吉、石田三成、小西行長、加藤清正、鍋島直茂、黒田長政、毛利氏、宇喜多秀家、小早川隆景、大山新藤、島津彰久
宛先
—
キーワード
朝鮮在陣、軍法、軍勢帳、久保死去、忠恒継承、虎狩り、陣立