島津義久書状案
(天正19年)閏正月 / 冊子 495~496頁
島津義久が又一郎へ、前年の関東長期滞在の苦労をねぎらい、今年は重ねて入唐の出立準備があると知らせた書状案。度重なる召集と諸国事情のため思うように進まない困難を述べながら、油断なく備えるよう求める。今後、義久個人へ役目が命じられた場合には相手方の配慮を得たいとも依頼しており、朝鮮出兵前の島津家内部の負担感が表れている。
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(天正19年)閏正月 / 冊子 495~496頁
島津義久が又一郎へ、前年の関東長期滞在の苦労をねぎらい、今年は重ねて入唐の出立準備があると知らせた書状案。度重なる召集と諸国事情のため思うように進まない困難を述べながら、油断なく備えるよう求める。今後、義久個人へ役目が命じられた場合には相手方の配慮を得たいとも依頼しており、朝鮮出兵前の島津家内部の負担感が表れている。
年月日未詳 / 冊子 496頁
本文はNo.721の天正十九年閏正月付書状案と同文のため省略されている。又一郎の前年の関東滞在をねぎらい、重なる入唐準備への対応と今後の配慮を求めた内容が、別の写しにも伝わったことを示す。
(文禄元年)9月8日 / 冊子 604頁
島津久保が三名へ、朝鮮の現地情勢は使者が詳しく説明するとしたうえで、当地が静謐になれば間もなく明国へ渡ることになり、そのまま入唐する可能性もあると伝える。 遠征の長期化を見越し、国内の留守居について決して油断しないよう念を押す。「再会を望む」と添え、先行きの不確かな出陣者の心情も表れた書状である。
文禄3年正月28日 / 冊子 763頁
島津忠恒が、秀吉への目見得はまだ済んでいないものの、石田三成の尽力で支障はない見込みだと報告する。拝謁と御礼を終え次第、朝鮮へ直接渡海する覚悟を示す。 自身の不在と入唐に備え、武庫の留守、栗野上下、城内を女性たちまで含めて油断なく守るよう命じた書状。
十一月七日 / 冊子 24~25頁
入唐に備えた名護屋普請、島津義弘の到着、船本での順風待ち、自身と関係者の病気による渡海・普請の遅延を詳述し、京都方面への取次を依頼した書状。
正月廿一日 / 冊子 92~93頁
出水を薩摩同様に安堵する朱印と普請命令、琉球を亀井茲矩に代わって従来どおり島津の与力とする朱印を伝え、入唐に備え琉球から綾船を急ぎ差し上げさせ、義久・義弘が名護屋で出馬を待つ段取りを指示した連署状。
九月八日 / 冊子 154~155頁
現地情勢は使者が詳しく説明するとし、朝鮮が平定されれば続いて明へ渡る予定なので、直接入唐する可能性もあると述べた。再会を望みつつ、留守居に決して油断しないよう求めた書状。
貞享二年十二月十三日 / 冊子 87頁/原整理番号 10-8
島津久竹が愛甲喜春へ、文之和尚の『図書新註』への加点と桂庵和尚の入唐について約束した書付を求める。大龍寺不門の『大学』講談に触れ、文之一流でないことを惜しむ。後注は不門と岡山学派の系譜を考証する。