長谷場久武・氏純連署状
貞治四年七月十三日 / 冊子 42頁
長谷場氏純・久武が、墓へ寄進した水田ならびに『いのしり四つる』について、覺阿の取り計らいに任せ、少しも煩いを申し立てないと約した連署状。
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貞治四年七月十三日 / 冊子 42頁
長谷場氏純・久武が、墓へ寄進した水田ならびに『いのしり四つる』について、覺阿の取り計らいに任せ、少しも煩いを申し立てないと約した連署状。
貞治七年五月十八日 / 冊子 51頁
長谷場久武が、弥六跡の水田・屋敷について覚阿の取り計らいに従い、六郎を養子として譲与し、末代まで異乱しないと定めた譲状。
年月日未詳 / 冊子 543頁
文禄元年三月、北郷忠虎が朝鮮へ軍を率いて渡海した際、北郷久武もこれに従ったことを記す。久武が北郷勢の一員として海外遠征に参加した事実を示す短い家譜記事。
(寛永九年)七月十七日 / 冊子 296頁
大野久武が、佐土原へ人を遣わして確認した軍勢の通過状況を相良左助へ報告した書状。加藤右馬頭・伊東氏・秋月氏らの出立、乗馬五十四、五騎および八十七騎、旗五十六本・鉄砲四百挺・弓三十張・槍四百本、夫雑約四千人という兵力と道具の数量を伝える。
年月日未詳 / 冊子 517頁
山田氏十二代久武が永禄三年正月二十四日に生まれ、山田忠時に家統を継ぐ子がなかったため猶子となったこと、実父は上総介忠通であることを記した系譜。
年月日未詳 / 冊子 70頁
平山忠智の子・右馬頭久武について、永禄二年四月十六日に肝付勢が居城松山を陥れ、兄弟とも戦死したこと、家の重器が奪われ、後に松山で軍神摩利支天として祀られたことを記す。
年月日未詳 / 冊子 394頁
北郷氏庶流系図は、慶長四年六月、長千代丸が祁答院を発して庄内へ出陣した際、北郷久武・北郷久明が従軍したことを記す。北郷忠純についても同年六月の従軍を、前文と同内容として掲げる。
年月日未詳 / 冊子 206頁
北郷忠能譜の記事。慶長十四年三月、家久が樺山久高を大将として琉球を征し、北郷久武が百二十余人を率いて大島・徳之島を攻略、四月に首里へ至って尚寧を降し、五月に帰国したことを記す。
年月日未詳 / 冊子 81頁
大野久武・高崎能乗・平田純正の三名が島津家久の使節として、比志島宮内少輔の処分など数条の命令を携えて江戸から帰着したことを記す。政務停止や宝福寺への移動を命じ、国分民部左衛門尉が正月八日付書簡を持参して領内処置を伝えた。
年月日未詳 / 冊子 524~525頁
伊集院久教の後裔久武、その妹で町田伊賀久則の妻となった女子、久則二男から伊集院家を継いだ忠鏡らの婚姻・所領継承・役職を記した伊集院氏支流系図。女子が島津龍伯の三女に仕え、化粧料六十石を与えられた経緯も載せる。
年月日未詳 / 冊子 620~624頁
新納氏三代忠臣の二男忠匡を祖とする支流系図。忠匡の三俣戦死、忠申以下の婚姻、志布志落城時に出奔した其阿、永吉で戦死した久武、久景へ続く家系を記す。巻二十八の冒頭に当たる。
年月日未詳 / 冊子 656~657頁
出自不詳の新納八兵衛武上一流の系図。子孫が島津惟久の家臣として佐土原に住んだこと、久安・久武・則次・武治らの生没年・母方・婚姻を記し、黒木氏・犀川氏・恒吉氏・加治木氏との養子・婚姻関係を示す。
応永卅二年閏六月十一日 / 冊子 334~335頁
泊久篤ら三名が、山田殿方から納められた段銭四貫九百文を請け取ったことを証した連署請取状。
年月日未詳 / 冊子 70頁
永禄二年の松山城・飫肥方面などの戦闘で討死した者を、日付・戦場・所属とともに列挙する。平山父子・兄弟、春成久正らの戦死状況を収める。
辛未11月14日・明治4年12月22日 / 冊子 852頁/原整理番号 1073の1/整理ID 1072-5
桂久武を都城県参事、大山綱良を鹿児島県参事に任じる十一月十四日の太政官達を収める。さらに十二月二十二日、宣下を奉命した旨を琉球館聞役へ申し渡すよう命じる鹿児島県庁達を収める。
正月廿八日 / 冊子 23頁/原整理番号 37
川上久国が大野久武へ、薩州様を迎える夫馬の割当は伊地知四郎兵衛に当地で申し渡したので、相談して調達するよう命じる。久国方から有川右近が高岡まで出向くため、同人とも相談し、油断なく進めるよう求める書状。
二月五日 / 冊子 79頁/原整理番号 126
川上久国・三原重庸が仁礼頼景・伊地知重賢・大野久武・伊地知重順へ、去る四日付の有馬書状が今朝届き、松平伊豆守信綱から島津久元へ薩州様の有馬行きは不要と伝えられたと知らせる。その地の兵を出発させるかは、当地の兵少老と相談するよう求める。
正月22日、長崎より京へ松方助左衛門署 / 冊子 470~472頁/原整理番号 640/整理ID 640
大勝利と勅書受領を祝い、鎮臺の脱走後に長崎西役所を会議所として各藩が毎日集まり、外国交際と鎮撫にあたっていると報告する。各国談判役との協議、鎮臺が持ち去った金八千両・米一万俵余を人民へ返し配るとの相談、十四日夜の強盗・割服等の刑事処置と統治上の懸念を記す。江戸の情勢への驚き、病院関係者の志や關要之祐の早い来崎を求める件、島原の重役と諸藩の協議、天草の浪人三十人・庄屋の問題と鎮撫の相談を続ける。渋谷彦介の一小隊と監軍の派遣、茂木で二~三百人を出すとの風評、自身の天草行きの意向も記す。外交談判を急ぎ、刑事処置や争論には慎重にあたり、人民の信頼を得る公平な取扱いを望むとして、正月二十二日に松方助左衛門が長崎から右衛門へ送る。報告・風評・提案と未詳の点を分ける。
元禄十年六月四日 / 冊子 27頁/整理ID 84
島津久武の知行所として、日向国那珂郡の塩路御手洗村・山崎村と、新名爪村・広原村の各一部を列記した書出。
享保三年十月十五日 / 冊子 361~362頁/整理ID 966
種子島久基・島津久当・久武が豊見城王子と三司官へ、琉球国王の書状を拝見し、清国封王使への進物や謝恩使、武具贈答の件を伝える連署書状。
享保五年十一月二十二日 / 冊子 449頁/整理ID 1202
島津久武が平岡八郎太夫へ、平岡の家号を新たに用いる件を承知し、島津内蔵家用来の藤原姓との関係を伝える書状。
享保十四年三月 / 冊子 788~789頁/整理ID 2090
益之助の名付けに際して福山平太夫が持参した書付と、前年七月廿一日に太守から名を授けられた件を伝える。関係書付を差し上げた経緯を島津久武が副状に記す。
享保十四年四月七日 / 冊子 821頁/整理ID 2192
島津久武ら三名が、竹姫縁組の内意と継豊側の受諾を受け、朝廷・幕府関係者へ急ぎ知らせるための書付と取次を求める。
享保十四年四月七日 / 冊子 821~825頁/整理ID 2192
島津久武ら三名が、竹姫と継豊の縁組について、屋敷の使用・引渡し、婚礼前の居所、儀礼と使者の取次、書付の伝達を詳しく協議した経緯を報告する。
享保十四年四月十日 / 冊子 825頁/整理ID 2192
島津久武ら三名が、竹姫の縁組に関する協議の進展を伝え、幕府側への申上げと必要な儀礼・伝達を急ぐよう申し達する。
享保十四年四月十一日 / 冊子 825~829頁/整理ID 2192
島津久武ら三名が、竹姫の縁組決定をめぐる幕府との折衝、屋敷の取扱い、書付・使者の往復、儀礼の進め方を詳述し、継豊の意向を早く届けるよう求める。
享保十四年四月十一日 / 冊子 830~831頁/整理ID 2192
島津久武ら三名が、竹姫入輿の御用が進むなか、儀礼と使者の取次を急ぎ整えるよう申達する。
享保十四年四月廿日 / 冊子 835頁/整理ID 2199
島津久武ら三名が、竹姫縁組の内意と島津側の返答について、関係先へ使者と書付を急いで差し出すよう申し達する。
享保十四年四月廿日 / 冊子 835~836頁/整理ID 2199
島津久武ら三名が、竹姫縁談の内意に関する書状の受領と書付への返答、使者の取次などの経緯を報告する。
享保十四年四月廿日 / 冊子 836~838頁/整理ID 2199
島津久武ら三名が、竹姫入輿の内意を受けた後の屋敷・御座所、家格・儀礼、使者・書付の取次と返答の手順を詳述する。
貞治四年七月十三日 / 冊子 111頁/原整理番号 422
久武と氏純が、墓へ寄進した水田と井尻四杖については覚阿の裁量に任せ、子孫に至るまで異論や妨げを申し立てないと約した連署状。貞治四年七月十三日付。
貞治七年五月十八日 / 冊子 111~112頁/原整理番号 425
長谷場久武が、覚阿の裁量に従い、弥六跡の水田・屋敷について六郎を養子とし、後世まで妨げや違乱をしないことを約した譲状。久武に子がないため、互いに協調するよう求める。貞治七年五月十八日付。
年月日未詳 / 冊子 708~711頁
樺山氏七代信久の二男豊高丸を祖とする庶流系図。豊高丸早世後に頴娃兼有の嫡男久増を後嗣としたこと、久如が出水へ移り子孫が出水士となったこと、伯母の養子となり新恩地五十石を継いだ久明、久輿以下の相続を記す。
正月廿八日 / 冊子 23頁/原整理番号 36
川上久国が大野久武・伊地知重順へ、有馬の件で薩州様が下向するとの知らせが上陣からあり、越中守・立花殿らには今月十二日に暇が出たため、薩州様も間もなく着船するだろうと伝える。大野と縫殿助は少人数を率いて細島まで迎えに出て、道普請と迎えの夫馬を怠りなく手配するよう命じる書状。
享保三年七月廿六日 / 冊子 352~353頁/整理ID 935
吉祥院に寄附された高百石の知行地として、薩摩州大口・串木野、隅州帖佐・始良・山田の地名を記し、今度の替地を示す五名連署の目録。七月二十六日付。
享保三年七月廿六日 / 冊子 353頁/整理ID 936
実相院に寄附された高百石の知行地として、薩摩州大口・市来、隅州帖佐・始良・山田の地名を記し、今度の替地を示す五名連署の目録。七月二十六日付。
享保三年七月廿六日 / 冊子 353~354頁/整理ID 937
観樹院に寄附された高百石の知行地として、薩摩州大口・串木野、隅州帖佐・始良・山田の地名を記し、今度の替地を示す五名連署の目録。七月二十六日付。
享保十年十一月 / 冊子 708頁/整理ID 1820
龍洞院の再興に伴い、寺格や住持の扱い、寺社奉行への申出、関係書付の手続を彌勒院に伝える。
享保十一年正月廿六日 / 冊子 712~713頁/整理ID 1835
龍洞院への寺領寄附に伴う名寄帳一冊を示し、村別の土地の扱いと帳面の引渡しを記す証状。
享保十一年六月 / 冊子 721~722頁/整理ID 1859
総州様の隠居料五万石のうち五千石を表方へ返す件について、記録奉行への書付の引渡しと関係者への通知を指示する。
享保十二年正月八日 / 冊子 741頁/整理ID 1929
正月十一日の吉書儀式について、近年は御交替時期の扱いなどに不統一があるため、御規式と御道中の例に照らして吉書の時期を取り決めるよう申し渡す。
享保十四年六月四日 / 冊子 874~875頁/整理ID 2245
木村四郎左衛門の使いから伝えられた総州の意向について返答する。四郎左衛門の使いに急ぎ謝礼を与え、大守へ申渡したうえで後続の使者にも応対すると伝える。
享保十四年六月 / 冊子 878~879頁/整理ID 2253
御記録奉行が宗信誕生前の御産所・書院・隠居所に関する記録や、継豊と竹姫の縁組で用いる屋敷地・調度を確認した経過を記す。所蔵文書や絵図を調べ、諸役へ引き渡す段取りを述べる。
弘化4年10月 / 冊子 36頁/原整理番号 30
軍役方が新設された事情を踏まえ、城代が名代出張する際に軍役方から差副を出すこと、留守中の御手当は調所広郷と相談して吟味することを命じる。
文化9年申2月 / 冊子 386頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書1213
全上・正文在千眼寺。榮翁公の画像1幅、河嶋雪亭尚明筆、御副書もあると記す。開山若冲が瑞聖寺住職であった間に願いによって下されたため保管していると今回申し出たので、拝見の上、寺社奉行所に記録する。歴代住持による頽抹があるため錦候と記す処置の文言を保持し、語義は留保する。文化9年申2月、町田主馬久譜・小笠原郷左衛門(実名は長舊候補)・新納織部久武の三署判。包紙に證書・千眼寺の朱注。本件は画像・副書の所在と検分記録であり、若冲を画家として尚明の筆者表示と置換しない。
弘化三年十月十二日(目録)、同年十一月十日(外包受渡) / 冊子 74~75頁/原整理番号 120/整理ID 120
千眼寺へ高二百石を増付する知行目録。末吉深川村木之下門、大姶良大姶良村瀬筒門、高山後田村新原門の浮免、加世田川畑村上之門の浮免、伊集院大田村田中門、伊集院上神殿村柿内門、飯野杉水流村柏木門、樋脇市比野村大水流門の浮免、伊作中之里村久保門の浮免、財部南俣村八ヶ代門の浮免を挙げ、名寄帳は別冊とする。故三位重豪の像の安置に伴う寺務の難渋から先に寺領三百石を給付し家廻り等を再建したが、太守の寿像の安置で年中祭料なども難渋するため、二百石を重ねて合計五百石とし、所務を行うよう命じる。十月十二日付で久徳・久浮・久武が署判し、千眼寺へ宛てる。外包は十一月十日に将曹殿から奥勇蔵へ渡したと記す。No.119の記事の増付三百石とは数字が異なるため、本文の二百石と合計五百石を保持する。
嘉永元年十一月廿六日 / 冊子 105頁/原整理番号 149/整理ID 149
海老原宗之丞へ高五十石(原文五拾斛)を与える知行目録。鹿児島小山田村、市来湯田村木下門、谷山五ヶ別府村、曽於郡松永村の内を列記し、名寄帳は別冊とする。改革方を担当して江戸・京・大坂等へたびたび出向き、領内の百姓の年貢上納と高格護を整え、調所笑左衛門の諸郷巡回に付き添って勤務したことを賞する。離散した百姓の帰参、新田・新畑の開発、古荒の引起を取り計らい、困窮と延米納などの事情も踏まえて、百姓が離散せず立ち帰れるよう尽力した功績を挙げ、特別の思し召しで付与する。嘉永元年十一月二十六日付で久平・久徳・久浮・久武が署判する。
享保七年七月四日~七月廿三日 / 冊子 546~548頁/整理ID 1418
諸侯の米上納と江戸在府の短縮をめぐる書状と返答・署名を、一件の1418番文書として記す。登城の名代・使者、家老への伝達、納米の計算、国元の対応を含む。
享保八年九月九日 / 冊子 627~628頁/整理ID 1582
琉球から大清へ進貢使を派遣する際の儀式・刀剣等の献上品を先例と照らし、調達や不足品の扱いを指示する。
享保十四年五月廿二日 / 冊子 863頁/整理ID 2228
竹姫と島津家との縁組について御内意を受けたが、正式な御縁組の儀がまだ示されていないため、御用意・使者の手順を急ぎ尋ねる。御家老中の考えも取りまとめて報告するよう求める。