川上久国書状
正月13日 / 冊子 684頁/原整理番号 697
諸浦の船を急ぎ出船させ、敵城落去後では役に立たないとして、上乗衆・船頭が肝煎りして出水へ回航するよう督促する廻文。正月十三日付で川上久国が諸浦の役人らへ回す。
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正月13日 / 冊子 684頁/原整理番号 697
諸浦の船を急ぎ出船させ、敵城落去後では役に立たないとして、上乗衆・船頭が肝煎りして出水へ回航するよう督促する廻文。正月十三日付で川上久国が諸浦の役人らへ回す。
二月五日 / 冊子 74頁/原整理番号 116-3
入来院重国・北郷久加・喜入忠政・島津久賀が米舟上乗衆へ、『かうつら』軍衆の兵糧を積んだ船六艘を柳之瀬戸へ繋いでおき、誰から命じられても四人へ申し来て下知を受けるまでは、どこへも移動させないよう命じた。
11月21日 / 冊子 390頁/原整理番号 356の1
『飯米賦渡送状』は、十一月二十一日、鮫島惣次郎・窪田越右衛門・小田原弥右衛門・石塚伊左衛門・吉峯覚左衛門・藤田大学助の各主従へ真米・赤米各三斗五升を割り当てる。末尾では、天草一乱の加勢で小松原・大崎から仕立てて出水へ送る船の上乗加世田衆中へ、同日以後三十日分の飯米として銘々に渡すよう三原源右衛門・永山覚右衛門へ命ずる。
明和六年丑四月(日無記載) / 冊子 215~216頁/原整理番号 561/整理ID 561
他領で仕登物を積む船が難船した場合の心得。昨年の申渡しに従い穆佐・倉岡・綾からの役一人と高岡横目一人を派遣し、三か所の役に差し支えがあれば山之口から代替派遣する。難船の次第と御用物の損傷は品ごとに勝手方へまず概報し、詳細は追って報告する。急を要しなければ飛脚を特に立てず便宜による。正米は濡米と同じ入札払いを一律にせず、送状元と照合し損傷を見分して、積み出せる米は本船または借船で仕登する。借船が必要なら運賃・船中の締方を調べて指図を求める。遠方で指図が得にくい場合の本船上乗による積出し、大坂手形所への送状送付、正米・濡米・捨米の内訳報告も定める。本船は早く修理して出帆させ、修理済みでも損傷して仕登し難い正米が多い場合は、入札処分と借船運賃を比較し、運賃を十分吟味して海上の締方を堅固にする。正米だけでは積み足りない場合も濡米同様に入札とし、濡米は現地で広く入札を行い、落札どおりに処理し、代銀を高岡横目が最寄りの御蔵へ納める。入札を望む者には少量でも参加を認める。現地の世話人への船頭の相応の礼、船手からの謝礼は従来の取扱いを心得、費用・役々名・人数を文書で報告する。困窮した上乗船頭の拝借願、船頭・船乗方の大形の廉、他領での始末、船頭・水主の悪事や不宜な風聞は細かく聞き、大目付座や勝手方へ早く報告する。現地の作法も吟味し始末を整える。浮荷物の「部一渡方」等は元文三年の船奉行の申渡しに従うとし、高岡横目へ伝達し、交代時にも明確に申し渡すよう求める。
正月22日 / 冊子 773~774頁/原整理番号 840
各浦の船を出水へ早く回すよう再三命じたのに、出船後に途中で隠れ、航行を遅らせているとの噂があるとして調査を求める。事実なら上乗・船頭の名を報告させ、容赦なく処罰する旨を伝える。追而書でも不届きの船頭・水手を捕らえて送り上せるよう命じ、回航の厳守を求める。
11月21日 / 冊子 384頁/原整理番号 354の1
天草加勢船の上乗衆に支給する真米・赤米を各人別に配分し、小松原で三十日分の飯米として引き渡す送状である。鮫島惣次郎ら上乗衆の氏名と受給量を具体的に記す。
(寛永十一年)八月廿七日 / 冊子 448頁
『かゝやん』からの唐船二艘が上乗を伴って無事に着岸し、別の唐船一艘も先に入津した一方、残る三艘はまだ到着していないことを知らせ、詳しい当地の様子は使者から伝えるとした書状。
11月20日 / 冊子 377~378頁/原整理番号 348の3
小松原・大崎から徴発する五枚帆・八端帆・七端帆などについて、船主、船頭、水手、上乗衆を船ごとに列挙した船賦状である。各船には加世田衆一人ずつを上乗として配置し、天草一乱への出船体制を整える。
年月日未詳 / 冊子 379~380頁/原整理番号 350
平田宗直の船賦帳として、五枚帆・八端帆・七端帆など六艘について船主、船頭、水手、上乗衆を一覧化する。加世田の小松原・大崎から天草一乱対応のため出船させる船団編成を示す。
11月21日 / 冊子 393頁/原整理番号 356の11
『飯米賦渡送状』は、十一月二十一日、川越助右衛門・川越善兵衛・池田長左衛門・前田久左衛門の各主従へ真米一斗五升・赤米一斗五升を割り当てる。末尾では、十一月二十二日から三十日分の海上飯米として、小湊から出水へ向かう五枚帆四艘・四枚帆一艘の上乗加世田衆中へ渡すよう三原源右衛門・永山覚右衛門へ命ずる。
11月22日 / 冊子 396頁/原整理番号 361の1
『平田宗直案文留帳』所収の十一月二十二日付書状。小松原へ送った船の上乗に金田四郎左衛門を割り当てたところ、本人が自分の乗る船は都合が悪いと申し出たため、相談なく鮫嶋惣次郎を指定したと説明する。惣次郎側から希望したのではなく、上乗がいなかったため差出側の判断で申し渡したと伝え、急用として加世田御曖衆中に了解を求める。
11月22日 / 冊子 397頁/原整理番号 361の5
十一月二十二日、川越助右衛門・川越善兵衛尉・池田長左衛門・前田休左衛門の各主従に、真米・赤米各一斗五升を掲げる。五枚帆四艘・四枚帆一艘の上乗として小湊から出水へ遣わす加世田衆中の海上飯米で、同日以後三十日分を、到着後の算用により渡すよう是枝喜右衛門へ命ずる。
11月22日 / 冊子 398頁/原整理番号 361の6
運賃船二艘の積米を半分下ろす件について、軍衆乗船が多く必要なため、満載を終えた船でも半分を下ろして出水へ出すよう伝える。後日の説明に備えて積米の残数送状を作り、船頭・水手の飯米は積米から支給して詳しい送状を添えること、上乗衆にも飯米と送状を早く渡し、遅れる場合は差出側へ来るよう命ずることを求める。加納五郎左衛門・達野大蔵助宛。
11月22日 / 冊子 398~399頁/原整理番号 361の7
小松原の運賃船二十四端帆一艘の上乗衆が二度連絡しても来ないため、急いで乗船させるよう仁禮佐渡守・愛徳善左衛門へ求める。小湊の上乗四人にも早い出船を命じ、庄屋に渡してある飯米手形・送状を受け取らせること、小浦・片浦の船七、八艘ほどに必要な上乗七人を早く片浦へ送ることを指示する。差出側は三日中に仕事を終え市来へ行く予定と伝える。
11月23日 / 冊子 403~404頁/原整理番号 368の1
十一月二十三日、大迫休左衛門・唐仁原隼人佐・森田与三左衛門・久松四郎左衛門・森田八左衛門・野田内蔵丞・宇多与左衛門の各主従へ、真米・赤米各一斗五升を掲げる。小浦・片浦から出水へ向かう人衆乗船の上乗として、加世田衆中に同日以後三十日分の飯米を片浦で渡したことを記し、到着後も算用して支給するよう是枝喜右衛門へ伝える。
11月23日 / 冊子 404~405頁/原整理番号 368の2
片浦から出す五枚帆一艘・四枚帆三艘(水手計三十二人)と、小浦から出す五枚帆一艘・四枚帆三艘について、船主・上乗・主取を列記する。さらに小松原三人・小湊三人の加子六人をそちらの船に早く乗せ、残る十一人は片浦から送ると伝える。十一月二十三日、小湊庄屋佐藤大炊左衛門宛。六人は商買船に雇われ小浦へ来ているが、船は他国船なので加子だけを小湊船へ乗せると付記する。
11月24日 / 冊子 412頁/原整理番号 375の5
十一月二十四日、赤米十八石三斗八升と真米二石三升三合を掲げる。天草一乱に伴い加世田内の小湊・小浦・片浦から仕立てた船の船頭・水手・上乗衆の飯米として、永山覚兵衛尉・三原源右衛門へ渡すよう篠原三左衛門・丸田内膳正へ命ずる。数量の横には前かき・右同と記す。
11月24日 / 冊子 413頁/原整理番号 376の3
十一月二十四日、大迫休左衛門・唐仁原隼人佐・森田与三左衛門・久松四郎右衛門・森田八左衛門・野田内蔵丞・宇多与左衛門の各主従へ、真米・赤米各一斗五升を記す。加世田衆中の上乗に十一月二十三日以後三十日分の飯米を渡すよう、三原源左衛門・永山覚右衛門へ命ずる。天草一乱に伴い小浦・片浦から出水へ遣わす乗船のための支給である。
11月28日 / 冊子 428頁/原整理番号 401の2
同日、児玉主計助の主従に真米一斗・赤米一斗を掲げる。市来湊から出船する五艘の上乗として、十一月二十八日以後二十日分の海上飯米を一日五合で算用し、天草一乱の人衆乗船のため渡すよう命ずる。五艘は船の数で、受給者の人数とは区別する。
11月28日 / 冊子 429頁/原整理番号 401の4
十一月二十八日、串木衆の近間内膳正と春田大左衛門へ、それぞれ真米一斗・赤米一斗を掲げる。九艘分の上乗として、同日以後二十日分の海上飯米を渡すよう三原源右衛門・永山覚兵衛へ命ずる。
年月日未詳 / 冊子 431~432頁/原整理番号 403
『平田宗直船賦帳』所収。市来湊から出す六端帆五艘の舟頭・水手人数を列記し、児玉主計助を上乗一人とする。続いて串木野から出す五枚帆・四枚帆・六端帆など九艘について船頭と人数を列記し、近間内膳正・春田大左衛門を上乗二人として、両船団を出水へ出船させる。末尾の総船数・総舟頭水手数の欄には数値の記入がない。
11月28日 / 冊子 433頁/原整理番号 405の5
串木野衆の近間内膳正主従二人に真米一斗・赤米一斗を掲げる。天草行きに串木野から仕立てる大小九艘の上乗二人のうちの一人分として、十一月二十八日以後二十日分を一人一日五合で算用し、市来湊で渡す。平田民部少輔の帰宅に伴い、到着後の次の飯米を渡すよう是枝喜右衛門へ知らせる。
年月日未詳 / 冊子 450~451頁/原整理番号 562-1
若君の四月元服に伴う奉行衆の振舞いへ西弥左衛門ら五人を召し寄せること、秋目地頭には港務に通じた者を置くことを求める。また従来は高三百石以上を乗馬とした軍役を、今後は二百石以上を乗馬、百石以上を小荷駄とする旨を申し渡す。本文は正保二年正月十八日付の新納久詮・北郷久加連署書状だが、目録は年月日空欄・標題を児玉利実覚書とする。
元和四年五月七日 / 冊子 672~673頁
船一艘の船頭・水手・上乗と人数、竹・角柱・琉球筵・鉄・黒木などの積荷を列挙し、相模守の役人が江戸へ回送するため異状なく通行させるよう命じた連署手形。
三月廿四日 / 冊子 85頁
差出人不詳者が、薩摩国関係の安堵状案文を急ぎ作成し、南蛮船着岸時に上乗を添えて送ることを求めた書状。馬・太刀の進上、京都への使節と板倉殿の指南、伊集院山城守・別府殿への書状、案内役石塚殿の必要性などを指示する。
11月20日 / 冊子 376~377頁/原整理番号 348の1
平田宗直方が舟賦帳を別紙で送り、当地にある七端帆の闕所舟も今回の船立に組み入れるよう小松原浦関係者へ命じた書状案である。上乗り役や船頭・加子、兵糧の渡し方を整え、翌日の出船に遅れないよう急がせる。
年月日未詳 / 冊子 386~387頁/原整理番号 354の9
上甑島・市来湊などの運賃船について船主・船頭・水手・上乗衆を列挙する。二口計九艘を軍衆乗船として小松原から出水方面へ出船させる。
11月21日 / 冊子 387頁/原整理番号 354の10
上乗金田四郎左衛門が船釘の不良を訴えたため、釘を調える相談をしたと報告する。鮫島惣次郎の後船に上乗させ、飯米を渡した旨を伝える。
11月21日 / 冊子 387頁/原整理番号 354の12
小湊四艘分と小浦・片浦七艘分の上乗衆を任命し、飯米を渡して翌朝出立させるよう命じる。鹿児島からの催促により出船遅延を戒める。
年月日未詳 / 冊子 388頁/原整理番号 354の13
小湊から出す五枚帆・四枚帆の船主・主取・上乗衆・水手を列挙する。合計五艘、水手三十九人のうち十七人を小浦から立てる船賦である。
11月21日 / 冊子 388頁/原整理番号 354の14
鮫島源兵衛尉主従へ真米一斗五升・赤米一斗五升を渡す。市来湊の七端帆を加世田衆の上乗船とし、二十二日以後三十日分の飯米を支給する。
11月21日 / 冊子 392頁/原整理番号 356の8
『飯米賦渡送状』は、十一月二十一日、永井与兵衛尉主従へ真米一斗五升・赤米一斗五升を割り当てる。末尾では、十一月二十二日から主従三十日分の飯米として、小松原で仕立てた十一端帆船の上乗となり出水へ向かうため、三原源右衛門・永山覚右衛門へ渡付を命ずる。
11月21日 / 冊子 392頁/原整理番号 356の9
『飯米賦渡送状』は、十一月二十一日、鮫島源兵衛主従へ真米一斗五升・赤米一斗五升を割り当てる。末尾では、市来湊の七端帆船の上乗として出水へ向かうため、十一月二十二日から主従三十日分の飯米を三原源右衛門・永山覚右衛門が渡すよう命ずる。
11月21日 / 冊子 393頁/原整理番号 357
『平田宗直万曳付留帳』所収の飯米請取申付状。十一月二十一日、真米一石一斗八升二合と赤米七石五斗を掲げ、天草一乱に伴い加世田内大崎・小松原から仕立てる船の船頭・水手および上乗衆の飯米として、小松原当出物蔵衆の竹下筑左衛門・村山喜右衛門から受け取るよう、三原源右衛門・永山覚兵衛へ命ずる。
11月21日 / 冊子 393~394頁/原整理番号 358
『平田宗直船賦帳』所収の出船申付記事。五枚帆四艘(各水手八人)と四枚帆一艘(水手七人)について主取と上乗を列記し、小湊から出水への出船を命ずる。さらに市来湊船の七端帆一艘(船頭神兵衛尉、水手六人、上乗鮫嶋源兵衛尉)と串船の壱端帆一艘(船頭徳右衛門、船頭・水手十人、上乗永井与兵衛尉)を掲げ、小松原で御上米の積込を終えた運賃船を出水へ出すよう記す。
11月22日 / 冊子 401頁/原整理番号 363
片浦から出す五枚帆二艘・四枚帆二艘(各水手八人)の主取・加世田衆中上乗を記す。続いて小浦から出す五枚帆一艘・四枚帆三艘(水手八人・八人・七人・八人)の主取と上乗を列記する。さらに船頭太兵衛尉の八端帆一艘(船頭・水手十一人、上乗なし)を小松原から出すよう命じ、この船は肥前商人から借り、積んだ「しやうのう」を下ろして出水へ向かわせると付記する。
11月23日 / 冊子 405~406頁/原整理番号 368の5
十一月二十三日、十三端帆三艘・十一端帆二艘・十端帆一艘・六端帆一艘、計七艘の運賃船を列記する。加世田・鹿児島などの上乗衆と小湊・泊・小松原などの船頭を記し、七艘を片浦から出水へ差し遣わした旨を是枝喜右衛門尉へ伝える。六端帆船は鹿児島町芝屋太兵衛尉の大坂行商買船と記す。
11月23日 / 冊子 407頁/原整理番号 370の2
十一月二十三日、主取壱岐の五枚帆一艘、蔵右衛門・市右衛門・弥九郎の四枚帆各一艘に、水手各八人・赤米各一石二斗を割り付ける。同日以後二十日分の海上飯米を、一人一日七合五勺の算用で渡すよう三原源左衛門・永山覚右衛門へ命ずる。天草一乱に伴い、人衆上乗として片浦から出水へ遣わすための支給である。
年月日未詳 / 冊子 407~408頁/原整理番号 371
『平田宗直船賦留』所収の出船指示。十三端帆三艘・十一端帆二艘・十端帆一艘・六端帆一艘の船頭・水手数と上乗を列記する。鹿児島町太兵衛尉の六端帆船は大坂への商買帰りに片浦へ来ており、他の運賃船も上米の積込を終えながら順風がなく滞在していると説明する。天草出兵の人衆乗船として米を積んだまま出水へ出すこと、残る運賃船にも同様に出船を命ずることを記す。
11月24日 / 冊子 414頁/原整理番号 377
十一月二十四日、真米二石三升三合、赤米十八石三斗八升一合を掲げる。小湊・小浦・片浦から仕立てる船の船頭・水手・上乗衆の飯米として、小湊の下代衆である篠原佐左衛門・丸田内膳正から受け取るよう、三原源右衛門・永山覚兵衛へ命ずる。数量に前かき・右同の注記がある。
11月27日 / 冊子 429~430頁/原整理番号 402
『平田宗直万曳付留』所収。真米六斗三升四合、赤米十石九斗三升一合を掲げ、双方に「前かき」と付記する。天草一乱に伴い市来湊・串木野から仕立てる船の舟頭・水手・上乗衆の飯米として、市来湊の当出物蔵衆から受け取るよう永山・三原へ申し付ける。
11月28日 / 冊子 432頁/原整理番号 404
市来湊・串木野で天草行きの船を仕立てた賦帳。本船賦帳からの書抜きとし、船主・船頭・加子を船ごとに列記する。市来湊の船別名簿に続き、串木野で仕立てた大小九艘、加子・舟頭計六十六人をまとめ、そのうち五人は伊作小の原浦、一人は永吉之浦の加子と注記する。末尾に上乗衆の送状がある旨を記す。
正月9日 / 冊子 589頁/原整理番号 635
有馬城攻めが十五日以前に始まる見込みであるのに、出水方面へ船が一艘も回っていないとして、上乗りを付けて片時も早く船を差し出すよう厳しく督促する。