SEARCH THE ARCHIVE

文書を探す

『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

検索範囲
すべての文書
読込量の目安
小
数行~半頁未満。短い書状、感状、証状、記事、本文省略や同文注記のみ。
中
半頁~1頁程度。一つの用件をある程度詳しく記すもの、複数項目を含む目録・交名。
大
1頁を超え3頁未満。複数の用件・事件・人物・地名を含む長文書、詳細な譜記事・合戦記録・日記・知行帳。
特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

24 件 (全巻)/ 1–24件を表示

ページ 1 / 1

旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID KW1-G000085系譜記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:清平譜中記事:○十一月二十四日…太守久豊公

年号不伝の十一月二十四日付、久豊公の尊牘を左に掲げる。

登場人物
太守久豊公
宛先
—
キーワード
尊牘、年号不伝
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W16_69題名書上旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

久豊公御廟所の灰塚礼巻帳

「久豊公御廟所御灰塚礼一巻帳壱冊」と巻帳の題名を記す。

登場人物
人物名記載なし(巻帳の題名のみ)
宛先
本文なし
キーワード
宝暦9年11月・久豊公御廟所・灰塚礼
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W16_70調書抜書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

久豊公御廟所の灰塚・石塔照会

久豊公御廟所の灰塚と谷山・森有の墓所を比較し、宝暦九年の礼方や石塔の取扱いを照会する。

登場人物
大六、次太夫、島津久豊
宛先
寺社方関係者
キーワード
安永3年5月8日・久豊公御廟所・灰塚・石塔
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W16_88差出旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

久豊公の御茶毘所照会に対する惠燈院書付

久豊公の御茶毘所が不明なため、心当たりを求め、照会の返答を引き受ける。元禄八年三月十二日付。

登場人物
島津久豊、恵燈院石改
宛先
惠燈院石改
キーワード
久豊公・御茶毘所・惠燈院・元禄8年3月12日
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W16_90覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

福昌寺免僧祖養と久豊公御灰塚の口上

福昌寺免僧祖養の書付を引き、久豊公の御灰塚や石塔の所在について、旧事の聞き取りと書面の返答を記す。子十二月五日の日付を付す。

登場人物
福昌寺免僧祖養、島津久豊
宛先
福昌寺関係者
キーワード
朱書・福昌寺・久豊公御灰塚・子12月5日
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W16_91書付旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

久豊公御灰塚と悟性寺石塔の別冊考証

久豊公の御灰塚と悟性寺・福昌寺の寺地、石塔移設、僧侶の住持・系図、旧証文を詳しく考証する。諸家の聞き取りと記録所の書付を照合し、末尾に伊地知季安の署名を付す。

登場人物
伊地知季安、島津久豊、福昌寺・悟性寺関係者
宛先
伊地知季安
キーワード
久豊公御灰塚・悟性寺・福昌寺・石塔・伊地知季安
追録6-No.1550申渡書旧記雑録暫定版確認度 中

穆佐悟性寺の御目見寺・下馬札の願いと由緒の留保、年々米三石給付の裁定

穆佐悟性寺について、久豊公が穆佐に在城した際の菩提所であるとして以前から位牌があり、先に調え替えて安置したので、御目見寺を命じ、下馬札を建て、仏餉米を渡してほしいと寺社奉行が繰り返し申し出たと記す。これに対し、久豊公については福昌寺に「元久公御相廟」と記し、位牌は惠燈院に安置されているとする。悟性寺は以前から菩提所との由来はあるものの、石塔がなく由緒が詳らかでないため、御目見寺とはせず、下馬札も建てないと裁定する。一方、仏餉米については、極めて貧しい寺で霊膳などを調え難いはずなので、御物方から米三石を年々給付することとする。以上を伝えるよう申し渡し、首尾係には例のとおり申し渡すと記す。安永七年戌五月、帯刀。帯刀には小松清香の原注を付す。菩提所とする申出、石塔欠如と由緒不詳の留保、御目見寺・下馬札を認めない判断、貧寺への毎年の米給付を分ける。毎年三石を一度限りの三石や毎月三石に換算せず、寺の扱いを認めない判断から米給付も拒否したとはしない。先行の古塚記や木主修礼の記事とは関連するが、この裁定を出土骨の本人比定が確定した証拠として扱わない。

登場人物
帯刀(小松清香の原注)、久豊公、元久公、寺社奉行(無名)
宛先
独立宛所記載なし、本文末は首尾係への申渡し指示
キーワード
穆佐悟性寺・久豊菩提所申出、福昌元久御相廟・惠燈院位牌、石塔なし由緒不詳、御目見寺下馬札不許、貧寺霊膳米三石御物方年々給付、帯刀小松清香
追録7-No.264申渡書旧記雑録暫定版確認度 中

伊勢貞矩申渡書

亡くなった年月や法号が不知であった七霊について追号を与え、寺の祭引次に附祭とし、位牌・厨子・仏具等の安置を済ませたので帳面に記すよう命じる申渡書。忠昌公夫人を天眞妙幸大姉、久豊公後夫人を無染了心大姉、立久公先夫人を鏡堂妙圓大姉、立久公三人目夫人を芳雲慈光大姉、忠治公夫人を玉蓮元香大姉、勝久公夫人を天室眞光大姉、師久公夫人を得祥玄瑞明一房と列挙する。忌日は新たに追選しない旨を記し、忠隆公の夫人は元来不知として今回の位牌安置には及ばないという。9月、播磨の署名と伊勢貞矩の人物注を伴う。包紙は忠昌公夫人と師久公夫人の追号・位牌安置の書付一通、四十九号とするが、師久夫人の法号末尾を二房と記し、本文一覧の一房と異なる。立久夫人は本書三人目、No.204では第二夫人と記し、双方の表記を残す。

登場人物
伊勢貞矩(播磨)、忠昌公夫人天眞妙幸大姉、久豊公後夫人無染了心大姉、立久公先夫人鏡堂妙圓大姉、立久公三人目夫人芳雲慈光大姉、忠治公夫人玉蓮元香大姉、勝久公夫人天室眞光大姉、師久公夫人得祥玄瑞明一房、忠隆公、御正統様
宛先
独立宛名なし(帳面記置を命じる申渡)
キーワード
伊勢貞矩、七霊、追号、位牌安置、厨子、仏具、亡年月不知、法号不知、忌日不追選、附祭、祭引次、帳面記置、忠隆公夫人、得祥玄瑞明一房二房異同
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID KW1-G000081系譜記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:清平譜中記事:○同十八年…鳴河村・西俣・神田名主職

指宿郡鳴河村、寄郡西俣給分、大祢寝院神田名主職について三つの年紀を挙げる。 久豊公が清平に証帖を与えたとして、それぞれ後に掲げる共通導入記事。

登場人物
太守陸奥守久豊公、清平
宛先
—
キーワード
鳴河村、西俣、神田名主職、証帖
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID KW1-G000082系譜記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:清平譜中記事:○同年十二月二十七日…賜契約状

久豊公が清平に契約状を与えたことを記す。 事情は書中に見えるとして左に掲げる。

登場人物
太守久豊公、清平
宛先
—
キーワード
契約状、久豊
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID KW1-G000083系譜記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:清平譜中記事:○同二十一年…西俣村

島津荘大隅方西俣村について先蹤に任せて領掌すべき旨、久豊公が御正判を与えたと記す。 その文書を左に付す。

登場人物
太守久豊公
宛先
—
キーワード
西俣村、先蹤、領掌、御正判
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID KW1-G000087系譜記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:清平譜中記事:○八月二十三日…儲君又三郎貴久

久豊公の儲君又三郎貴久公が清平に書を与えたと記し、下条に掲げる。 貴久公に後称陸奥守忠国公の小字を添え、年号不伝、八月二十三日とする。

登場人物
太守久豊公、儲君又三郎貴久公、陸奥守忠國公(刊本注・比定未確認)、清平
宛先
—
キーワード
儲君、又三郎、貴久
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID KW1-G000091正判導入記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:元清譜中記事:○同二十一年…太守陸奥守久豊公

同二十一年六月二十五日に太守陸奥守久豐公から賜った正判を左方へ録すとして、223号へ導入する。

登場人物
太守陸奥守久豐公
宛先
—
キーワード
正判、久豐公
前編2-No.927文書確認度 中

島津久豊宛行状

久豊公御譜中に掲げられ、祁答院右近重永所蔵の正文と注記される島津久豊宛行状。本文内容は掲載されず、宛行対象は確認できない。

登場人物
島津久豊、祁答院右近重永
宛先
祁答院右近重永
キーワード
島津久豊、祁答院右近重永、宛行状、久豊公御譜、正文所在、本文省略
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:76-1系図・家歴旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

源家西俣氏系図

比志島元祖上総介重賢(入道法橋栄尊)の二男盛忠を祖とし、重賢から譲られた薩摩国満家院内西俣名主職を後裔が相伝した源家西俣氏の系図。久盛・義時の筑前笠崎異国番、義定への貞和四年道鑑公御書、義光への応永十八年久豊公御書など、名主職・所領・軍役を証する文書の伝来先も記す。義村に実子がなかったため蒲生彦太郎清冬の二男を猶子とし、その後に蒲生で永秀庵・観音院(泊瀬山長谷寺)を建立した由緒を載せる。天文二十三年、蒲生茂清が加治木城の肝付兼盛を攻めた際、蒲生氏の類族であった武蔵守盛家父子は岩剣城へ加勢し、池島ヶ原で敗れて同年十月二日に自害した。幼少の清房は母に匿われて菱刈へ逃れ、成長後は島津氏に奉公して諸軍役・大坂出陣に従い、島津家久から鎧一領を与えられ、のち家督を清昌へ譲って清敷地頭となった。後代には瀬口重明二男の盛友を清房妹の遺跡へ入れて西俣氏を称させたこと、孫太郎遺跡を姉が八、九年支配する間に家伝の証書・重物が散逸し、孫兵衛が島津光久から跡職を命じられて万治二年に清敷から鹿児島へ移ったため、所領・跡職だけが安堵されたことを記し、盛武以下の子女・婚姻まで続ける。

登場人物
比志島重賢(入道法橋栄尊)、盛忠、久盛(西念)、義時(初名義兼)、忠辰、義定、島津道鑑、井四郎頼仲、義光、島津久豊、義村、蒲生彦太郎清冬、盛時、盛通、盛昌、盛家、蒲生茂清、肝付三郎五郎兼盛、彦八郎、清房、島津家久、清昌、盛友、瀬口重明、盛盈、盛方、盛次、盛貞、盛順、盛清、永盛、守栄、盛寿、盛興、盛房、盛武、島津光久、鎌田太郎右衛門
宛先
—
キーワード
源家西俣氏系図、比志島重賢、入道法橋栄尊、盛忠、薩摩国満家院、西俣名主職、久盛、義時、筑前笠崎異国番、忠辰、義定、貞和四年、道鑑公御書、井四郎頼仲退治、義光、応永十八年、久豊公御書、義村、蒲生彦太郎清冬、猶子、永秀庵、観音院、泊瀬山長谷寺、天文二十三年、蒲生茂清、加治木城、肝付兼盛、盛家、岩剣城、池島ヶ原、自害、清房、菱刈、島津家久、鎧一領、大坂出陣、清敷地頭、清昌、盛友、瀬口重明、西俣氏称、家伝文書散逸、島津光久、跡職、万治二年、鹿児島移住、所領安堵、盛武
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W16_85調書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

氏久公らの御茶毘所照会

氏久公・久豊公・忠国公・立久公らの御茶毘所がどこにあるかを照会する。

登場人物
島津氏久、島津久豊、島津忠国、島津立久、御記録所関係者
宛先
御記録所関係者
キーワード
氏久公・久豊公・御茶毘所・覚
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W16_89口上書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

忠治公らの御灰塚と福昌寺の照会

忠治公・久豊公・久保公・忠昌公らの御灰塚の場所と石塔の建立をめぐり、福昌寺からの照会と旧記・見聞を記す。次頁上段右側まで続く。

登場人物
福昌寺愚海、島津忠治、島津久豊、島津久保、島津忠昌
宛先
福昌寺愚海ほか
キーワード
忠治公・久豊公・御灰塚・福昌寺・元禄8年
前編2-No.916文書確認度 中

島津久豊寄進状

国分宮内社家澤氏所蔵の正文として掲げられる島津久豊寄進状。本文掲載部は『寄進』の一語と所在・譜中注記のみで、寄進対象や宛先は確認できない。

登場人物
島津久豊
宛先
—
キーワード
島津久豊、寄進状、国分宮内、社家澤氏、久豊公御譜、本文省略、寄進
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:94宛行状・闕所処分旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

応永二十一年八月十九日島津久豊宛行状

応永二十一年八月十九日、島津久豊が、闕所となった重富跡を新所として処分し、先例に任せて領掌するよう命じた宛行状。頭注は菱刈郡本城郷に重富村があることを示し、本文には受給者名を記さない。『旧記雑録前編二』九三三号文書と同一と注記される。

登場人物
島津久豊
宛先
—
キーワード
応永二十一年八月十九日、島津久豊、御八代久豊公、菱刈郡、本城郷、重富村、重富跡、闕所、新所、先例、領掌、宛行状、花押、旧記雑録前編二、九三三号文書
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:55系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

鮫島宗家流系図

鮫島宗家流の系図。工藤四郎家光の子・宗家(鮫島四郎)が駿河国鮫島郷を領し、源頼朝に属して石橋山合戦で功を挙げ、建久三年に薩州阿多地頭職を与えられたことを起点とする。宗家・長家と女子・山門郡司秀忠の婚姻関係を図示し、その系譜説には宗家と秀忠が同時代人であることから誤りであろうとの考証注を付す。二代家高は刑部允・入道行願、三代家景(景家とも)は弥二郎で、妻を山門郡司忠秀の女とする。兼家の九代孫宗喬は日新公に仕え、彦次郎・入道蓮道は貞久公に仕えて加世田・知覧・指宿を領した。蓮性は師久公に仕え、民部忠宗は伊作家のため阿多へ落ち久豊公に仕えたと記す。後半は宗吉―宗満、宗遊―宗秀(実は弟)、宗秋―宗昌の系線を掲げ、宗秋を日新公に仕えた備後守・泊地頭、宗昌を『人物志』所載とする。

登場人物
工藤家光、鮫島宗家、源頼朝、鮫島長家、山門郡司秀忠、鮫島家高、鮫島家景(景家とも)、山門郡司忠秀、鮫島兼家、鮫島宗喬、島津忠良(日新)、彦次郎(入道蓮道)、島津貞久、蓮性、島津師久、又太郎、忠宗、島津久豊、宗吉、宗満、宗遊、宗秀、宗秋、宗昌
宛先
—
キーワード
鮫島宗家流系図、工藤家光、鮫島宗家、鮫島四郎、駿河国鮫島郷、源頼朝、石橋山合戦、軍功、建久三年、薩州阿多地頭職、鮫島長家、山門郡司秀忠、婚姻、系譜考証、鮫島家高、刑部允、入道行願、鮫島家景、景家、弥二郎、山門郡司忠秀女、鮫島兼家、鮫島宗喬、日新公、彦次郎、入道蓮道、島津貞久、加世田、知覧、指宿、蓮性、島津師久、忠宗、伊作家、阿多、島津久豊、宗吉、宗満、宗遊、宗秀、実弟、宗秋、備後守、泊地頭、宗昌、人物志
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:68系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

高木氏系図

巻末目録では『高木氏系図』、本文見出しでは『高木系図』とする系図。大職冠十三代の藤原隆家から、経輔(堤藤大納言)・文時(藤中納言)へ続き、文時が大宰府へ流され、屋敷馬場の高木陣に居住したとの由緒を記す。政則は筑前国山鹿へ流されたとし、季平・実遠を経て、日向国高木に住む恒貞以下、守光・貞兼、末兼・末忠・貞国、国房・重家・宗重・重兼・久安・久長へ系線を展開する。久家の子氏家は高木近江守・法名名高で、応永十九年九月二十五日に日向国原東で討死したと記し、島津和泉守・和田遠江守正貞との婚姻を掲げる。是家は高木三郎左衛門尉・法名見善で八月十二日に志和地で討死し、その子良直は高木永吉・三河守として島津殿の御子となり、傍注に『久豊公』とある。長家・金家・氏家・殖家以下の分流では、高木・朝倉・的野などの名字、官途・法名、島津枇山家・新納家等との婚姻、養子・寺職を記し、章家―家兼らの後裔で終わる。

登場人物
藤原隆家、経輔、藤原文時、政則、季平、実遠、美賀之嶋御前、恒貞、守光、貞兼、末兼、末忠、貞国、国房、重家、宗重、重兼、久安、久長、久家、氏家、是家、良直、島津久豊、長家、金家、殖家、幸家、重清、公家、家重、頼有、章家、家兼
宛先
—
キーワード
高木氏系図、高木系図、藤原隆家、大職冠十三代、堤藤大納言、藤中納言、大宰府配流、高木陣、筑前国山鹿、日向国高木、龍造寺、原東討死、応永十九年九月二十五日、志和地討死、島津久豊、高木永吉、朝倉、的野座主、官途、法名、婚姻、養子、分流
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W15_119-7書付・配置図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

歴代の灰塚と石碑建立に関する別紙

忠治公・久豊公・久保公・忠昌公・忠隆公の灰塚をめぐり、寺西の卵塔内に松を植えた場所、先祖の灰塚への石碑建立を申し述べる。末尾に福昌寺愚海の署名・日付があり、下段の図で石塔・灰塚などの位置を示す。

登場人物
福昌寺愚海の書付
宛先
宛先の明記なし
キーワード
別紙・灰塚・石碑・福昌寺・愚海・配置図
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W16_86達書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

御茶毘所の所在に関する記録所・福昌寺往復

久豊公らの御茶毘所の所在を御記録所から寺社奉行へ尋ね、福昌寺が書付を急ぎ提出する。元禄八年二月二十六日から三月五日までの往復を記す。

登場人物
島津久豊、御記録所・福昌寺関係者
宛先
御記録所・福昌寺
キーワード
元禄8年2月26日・3月5日・御茶毘所・福昌寺