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旧記雑録拾遺 著作史料集6の目録
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旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::89 都城名勝志差出
島津庄・都城周辺の名勝旧跡として、稲荷社の由緒、忠久の下向後の居所とされる堀之内門御所跡、島津の地名や旧家の伝承を列挙する。古記の記述と地元の言い伝えを併記した地誌資料。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::90 筋抄
「筋抄」に触れ、中院通方の撰述と年齢・没年を手掛かりに、承元・建保期の記事や島津忠久への恩給に関する記載の年代を検討する。後続の無名抄とは別の短い考証記事。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::91 無名抄
『無名抄』から、島津庄一円領や志布志の海辺、古い島戸の所在についての叙述を引く。海岸の変化、寺の建立、浪や砂のため失われた土地・旧跡を語り、地域の地名と伝承を考える材料とする。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::92 応永記
『応永記』の、忠久が関東から三国を拝領して薩摩・大隅・日向の御庄に関わったとする記載を引用する。島津家の三州支配の由緒を述べる記事として収める。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::93 石築地役配符
建治二年の石築地役配符を引き、島津庄内の地域別に負担を配した記録を示す。庄地頭家と近衛家に関する記載、郡・院ごとの賦課単位を通じて、役の割当てと庄域を確かめる資料となる。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::94 田布施蔵王権現鐘銘
薩州阿多郡金峯山の洪鐘一口を奉鋳したことを記す応長元年十一月の鐘銘。大勧進の妙法と大工の沙弥西願を記し、蔵王権現への奉納を伝える。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::95 足利尊氏・同直義所領目録抄
比志島氏蔵本の所領目録から、伊勢・尾張・遠江・肥後・日向などに散在する庄園・御厨・郷の名を抄出する。足利尊氏・直義の知行所領を確認するための列挙資料。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::96 島津庄大隅方寄郡田数注文抄
建武三年二月日記として、島津庄大隅方寄郡の田数を七百十五町八段三丈とし、寺社への寄附方や郷別の田数を列挙する。庄内の土地配分を示す注文の抄録。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::97 少弐貞経軍勢催促状
少弐貞経が、新田義貞への対応と日向国で義貞に同意した肝付兼重らの動向を述べ、軍勢を集めて追討するよう廣武又次郎入道に求める。建武三年正月二十五日付の軍勢催促状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::98 土持宣栄軍忠状
土持宣栄が日向国各地での軍忠を申告する。建武二年十二月以降の合戦、伊東方らとの戦闘、祐広の率いる軍勢への参加や追討を列挙し、証判による確認を求める建武三年二月七日付の軍忠状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::99 樺山紹銀自記
樺山紹銀が、島津忠久から続く家系と樺山家の奉公の由緒を述べる。忠義・久経・忠宗・貞久らの代と自家の関係、所領や功績を挙げ、自らの立場を説明する自記。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::100 足利尊氏宛行状
日向国新納院の地頭職を、勲功の賞として嶋津下野四郎時久に宛行い、早く領知させる。建武二年十二月十一日付の足利尊氏宛行状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::101 足利義詮軍勢催促状
将軍家御台所領の日向国穆佐院・島津庄で敵方が活動する状況を伝え、嶋津方の武士に参陣・合力を促す。観応三年四月二十九日付の軍勢催促状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::102 沙弥日目連請文
嶋山修理亮直顕らと嶋津上総入道の忠否について尋ねられ、日目が戦いでの行動と忠節を申述べる。偽りがあれば八幡大菩薩の罰を受けると誓った文和二年正月二十八日付の連請文。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::103 足利義詮御教書
将軍家御台所領の日向国穆佐院・島津院をめぐり、嶋山修理亮と伊東下野守らの動きを伝え、急ぎ馳せ向かって合力するよう嶋津上総入道に命じる文和二年十月九日付の御教書。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::104 今川了俊預ケ状
日向国島津庄内の穆佐院領家職の半済を兵粮料として嶋津安藝入道に預け置く。守先例とし、将来の沙汰を留保する応安六年十二月五日付の預ケ状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::105 島津元久宛行状
島津庄日向方の限野郷内十町分を本給として樺山安藝守に宛行う。旧例に従って領知させる応永十七年二月十五日付の宛行状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::106 島津久豊安堵状
日向国北郷の島津内や薩摩国鹿児島の知行分など、買得した所領を樺山安藝守が従前どおり知行することを安堵する。応永十八年閏十月二十五日付の安堵状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::107 島津久豊宛行状
島津庄日向方限野郷内十町、大田郷内十町と薄壇の知行を給分として樺山安藝守に宛行い、先例に従って領知させる。応永十九年三月二十日付の宛行状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::108 島津忠昌宛行状
日向国島津庄郡本四十町、山田三十町、薄壇五町の計七十五町を、忠節の賞として樺山安藝守に宛行う。明応四年六月二十一日付の宛行状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::109 樺山教久段銭等差出控
樺山早水寺社の地や諸給分について、貫文単位の段銭・負担額を列挙し、合計と差出先を記す。永享十年分の段銭を、翌年六月十五日に記録・伝達した旨を末尾に付す教久の控。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::110 安養寺本尊銘抄
都城郡元村安養寺の本尊銘を抄出し、応永十五年の造立と由緒を記す。寺と旧村の位置、のちの本尊の移動、山田聖栄の記録との関係について編者の注記を伴う。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::111 正応寺棟札
安久村正応寺の棟札を採録する。長久の祈願と寺院・荘内の安泰を述べ、応仁二年戊子二月二十九日の年月日、代官や関係者の名を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::112 上之坊仏像甲版銘
日向国島津院圓福寺の阿弥陀如来像の造立を記す甲板の銘。文明十六年六月十五日付で、奉加に関わる僧實秋らの名と祈願を伝える。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::113 島陰雑著
『島陰雑著』から、島津忠久の三州支配の由緒と、日州島津庄で八幡を勧請・再興したとする記事を引く。後年の忠相らによる修理と地域支配を述べる伝承資料。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::114 郡本村八幡再興棟札
日州島津庄郡本村の八幡宮を再興した棟札。忠久の三州由緒に触れ、社殿の再建、国の安泰と家の繁栄を祈り、願主・大旦越として藤原忠相らの名を載せる。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::115 機山玄佐自記
樺山玄佐が長久入道宗栄や太守忠兼らとの関わりを回顧し、嶋津の都城在名の枕山をめぐる家中の奉公や自分の意向を述べる。自らの年齢・立場を記した家記の抄出。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::116 上井覚兼日記
『上井覚兼日記』天正十一年二月の記事。鹿児島に参上して田野へ向かい、山之口や嶋戸の間の使節・連絡について記す。往来の日付と同行者の動きを伝える。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::117 上井覚兼日記
『上井覚兼日記』同年四月の鹿児島からの帰路記事。殿根三五郎や都城の関係者と会い、城下への到着、宿泊、口上の取次などの経過を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::118 近衛尚通書状
近衛尚通が島津近江守に、従来の由緒を踏まえた交誼と協力を求める。使者と書状の往復を述べ、天下の動向に触れた四月二十七日付の書状。天文五年との年次は伝来注記による。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::119 進藤長美書状
進藤長美が島津近江守に、近衛家との疎遠を残念とし、公方の祝言や使者の下向について伝える。今後の書状・使者の往来と近衛家への協力を求める四月二十七日付の書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::120 伊地知季安覚書
季安が前二通の書状の年次・差出人・宛先を検討する。近衛尚通の花押、島津近江守忠勝の年代、使者と公方祝言の記事を照らし、天文五年への比定と伝来上の疑問を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::121 近衛尚通書状
近衛尚通が島津近江守に、家門間の由緒に基づく交渉を進め、色紙三本を届ける旨を述べる八月二十八日付の書状。事情の報告と今後の返答を求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::122 伊地知季安覚書
季安が尚通・植家らの花押と書状を突き合わせ、色紙の贈答、島津家との交渉、天文期の使者の動きを考証する。人物の世代と年月日の整合を検討し、後続の植家書状に接続する。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::123 近衛植家書状
近衛植家が島津方との旧来の交誼に触れ、家門の事での尽力を求める。色紙三十枚を送り、返答と書状の取り次ぎを期待する天文二十一年六月二十七日付とされる書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::124 近衛植家書状
近衛植家が樺山安藝守に、前年の上洛と家門の由緒を述べ、色紙二十枚を進上して書状の取り次ぎを頼む。天文二十一年六月二十七日付とされる書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::125 近衛植家書状
近衛植家が嶋津又三郎に、武家の御字をめぐる相談と家門の由緒に触れ、祝儀として太刀一腰を贈る。天文二十一年六月二十七日付とされる書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::126 近衛植家書状
近衛植家が古市長門守に、上洛中に受けた懇切な対応を謝し、近衛家門の用向きについて引き続き尽力を求める七月三日付の書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::127 伊地知季安覚書
季安が近衛植家の書状と関連文書を比較し、書状の年次、花押、宛所、近衛家と島津家の交渉、色紙贈答の記事を検討する。引用文書と編者の判断を区別して読むための覚書。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::128 豊臣秀次朱印状
豊臣秀次の朱印状。近衛家の者を島津領内へ送るにあたり、人足百人と乗懸馬十三疋を速やかに用意・送致するよう北条左衛門入道に命じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::129 大日本史
『大日本史』列伝の記事を引き、源頼朝の子の僧貞暁とその系譜・伝承を紹介する。前後の近衛家文書を検討するための史書引用。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::130 紺珠
『紺珠』の記事を引き、近衛家の家礼、島津家との関わり、奉公や家筋の由緒を伝える。人物関係についての伝承資料として採録されたもの。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID E::131 管窺愚考附録の跋
季安が『管窺愚考附録』に集めた断片的な史料と考証について述べ、記録の欠落や自説の限界を認めながら、後考に資することを願う跋文。末尾に内容に関する補記を添えて附録を閉じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::1 喜入久通跋
喜入久通が、京・江戸への質人交替に関わる断片的な記録を伊地知季安が集めて編纂した経緯と、その史料を後世に伝える意義を述べる跋文。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::2-1 喜入摂津守忠政家状稿
喜入忠政が、父の代からの島津家への奉公、太閤・龍伯に関わる経緯、領地や城の処置などを家状の草稿として述べる。質人交替の背景を知るための一族側の記録。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::2-2 伊地知季安考
季安が前項の喜入忠政家状稿を受け、父季久らの系譜と年代、島津家への奉公や質人関係の記述を検討する。家状本文と後の考証を分けて記した覚書。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::3-1 亀寿上洛日帳
島津義久の娘亀寿が上洛した際の経過を記す日帳。天正十五年の九州平定後の質人提出を背景に、出立から道中の行程、供奉・同行者を列記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::3-2 伊地知重英覚書
伊地知重英が、秀吉の九州平定後に島津義久の第三女を家質として上洛させた事情を記し、同行者・道中の手配や警護の経過を補う。十一月二十四日付の覚書。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::4 北条土佐守(川東時弘)書状
北条土佐守が、天正十五年以降の島津家の女性の上洛と質人の手配を回顧し、誰を差し出し誰を代わりに残すか、在京者の扶持や住居をどう扱ったかを詳述する。寛永四年九月十六日付の書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::5 石田三成署判人質番組
京に置く質人を一番・二番・三番に分け、各組の人員を示す。交替の際は新しい者を上洛させてから旧組を帰国させ、島津家の在京者を途切れさせないよう指示する十二月二日付の番組。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::6 豊臣秀吉朱印状
豊臣秀吉が島津義久に、翌春の高麗渡海に備えて鉄砲以下の軍備を整え、留守居や妻子らの質人を手配するよう命じる十二月十四日付の朱印状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::7 豊臣秀吉朱印状
秀吉が島津義久に、上洛させる妻子ら質人の差し出しを急がせ、京に残す者と帰国させる者を区分し、食糧・船・兵具などの処置を指示する十二月二十八日付の朱印状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::8 島津忠恒書状
忠恒が朝鮮から、島津龍伯の無事と家中の動きを知らせ、在国の女性の扱いや関係者の取り計らいについて平田豊前守・川東善左衛門に指示する書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::9 高麗御日記
『高麗御日記』から、朝鮮からの船が到着し、太刀一腰や青銅三百足などの贈答品が届いたことを記す記事を採録する。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::10 島津龍伯書状
龍伯が在京の女性の身柄や交替をめぐる相談を平田宗恕・川東善左衛門に伝える。親族間の取り決め、質人を置く場所、関係者への説明について意向を示す書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::11 加藤清正書状
加藤清正が島津図書頭に、島津家の質人をめぐる上意の伝達と交渉の経過を知らせる。親族の処遇を慎重に取り計らい、取り決めに従うよう促す五月二十三日付の書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::12 島津忠恒書状
島津忠恒が、関東への質人として藤次郎の妹を上国させることに礼を述べ、その忠節を認め、領地の件も内々に取り計らうと伝える三月十九日付の書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::13 島津龍伯証状
龍伯が、藤次郎の妹を江戸に質人として差し出した経緯と、その後の家中での扱いを証する慶長十二年十月二十四日付の文書。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::14 本多正信書状
本多正信が島津家久に、京・江戸で留め置かれる質人に関する上意と、親族の処遇や帰国の願いの取り次ぎについて報告する十二月二十六日付の書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::15 島津家久書状
島津家久が妹に、江戸への質人としての奉公を慰め、家のために心を尽くすよう励ます。慶長十八年六月二十三日付の書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::16 御質様御供衆賦銀渡方帳
質人に随行する人々への賦銀・扶持米の渡方を列挙した帳。新納次郎九郎や江田藤右衛門らの人数と銀・米の数量を記し、江戸への同行体制を示す。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::17 某覚書
上洛・在京中の女性とその付添人に対し、同行者の世話や生活上の心得を伝える仮名書きの短い書状。相手を気遣う私信として採録される。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::18 島津家久書状案
娘らを江戸に質人として差し出す経緯と、代わりに誰を送るかの手配を山口殿へ伝える書状案。慶長十九年正月二日付で、質人の交替と遠方への遣わし方に触れる。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::19 島津家久書状案
江戸にいる妹のもとへ年始の使者を送る件を山口殿に指示し、先の書状案を補う正月二日付の短い案文。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::20 島津家久書状案
江戸にいる女性の病気や衣服・付添いの用意をめぐり、家臣らに世話と連絡を命じる案文。質人の生活上の手配を示す。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::21 島津家久書状
家久が江戸にいる妹へ、国元を離れた勤めをねぎらい、心配事を周囲に伝えることや健康に気をつけることを勧める八月二十八日付の仮名書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::22 島津家久判物
日州諸縣郡志布志内の槻野村を含む知行二千二百四十石を宛行う八月二十八日付の判物。質人関係者への処遇を示す土地給与文書。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::23 島津義弘息女屋地覚書
島津家の女性を京・江戸に質人として差し出した際の経緯と、扶持や知行の処置を記す覚書。幕府への奉公と家中の負担、女性の生活の手当を結び付けて述べる。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID F::24 伊地知季安考
季安が、前項の覚書や家久・義弘関係文書を引き、島津家の女性が京・江戸の質人となった順序、婚姻・家系、知行の補償を検討する。諸史料を突き合わせた編者の考証。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID G::1 伊地知季安書付
季安が『近秘野艸』として島津重豪(大信公)の生涯を年譜形式に記す。延享二年の出生、宝暦五年の家督相続と幕府使節による在国監督、元服・叙任、徳川家との婚姻をたどり、江戸・薩摩間の参勤と藩内人事を日付順に列挙する。琉球使節の来訪、長崎での唐人館・出島見学、聖堂・造士館の整備や犬追物の再興も収め、安永四年…
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID G::2 伊地知季安書付
季安が久仰君の執事に、重豪の事績を書き進めた部分を取り急ぎ差し出すと伝える。借用した側勤者の日記をもとに抜書きした未完の草稿で、他見を禁じ、日記の記述が重豪の不徳と受け取られる箇所は削るつもりだと述べる。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID G::3 伊地知季安覚書
季安が、重豪の側勤者の日記を借りて作った『近秘野艸』の抜書きは未完で内密に扱うよう求め、その後に重豪の子女・養子の生没、婚姻、家督や官位を系譜的に列記する。茂姫の徳川家斉への入輿、斉宣・斉興への継承、他大名家との縁組が中心である。冊子399頁からは別表紙「近秘野録」の年譜抄を続け、重豪の家督・江戸往…
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID 無番号_0001 古郡院説
季安が薩摩・大隅・日向に残る「院」の地名を列挙し、その起源を古代の郡・郷ごとの倉院設置に求める論説。『続日本紀』『日本後紀』の倉庫・正倉院令と『建久図田帳』を照合し、郡司と院司の称が併存したこと、牛屎院・祁答院などが広域の郷を統べた例を論じる。新納院の名を新設倉院への租税収納に結び付ける説は推測とし…
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::1 源頼朝執達状
近衛殿から島津荘官の訴えを受け、唐船が着岸した際の貨物を従来の例に反して押し取る行為を停止し、元のとおり荘家に付けるよう命じた五月十四日付の執達状。季安はこれを島津荘における唐船・物産の扱いの古例として掲げ、後続の薩摩と琉球の関係を論じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::2 細川幽斎書状
天正二十年十二月十九日付。細川幽斎が正龍寺の座元に、当地は唐船などが往還する津口であり、一寺まで寺領を削るのは適切でないとして、従前どおり寺領を領知し寺務を勤めるよう伝える。季安は山川湊の通商上の位置を示す例として引用する。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::3 島津家久書状呈大明天使書
慶長十一年九月、島津家久が大明の使節に宛て、朝鮮で日本側にいた茅国科を喜右衛門尉の船で中国へ送り返したことを伝え、その安否を尋ねる。両地間の商船が長く途絶えたことを惜しみ、今後は毎年中国船を薩摩へ来航させて財貨を通じるよう求め、贈物を添える。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::4 島津龍伯書状呈琉球国王書
島津龍伯が尚寧王の家久家督相続への祝賀使節を謝し、琉球から幕府への定期的な礼使を促す書状。大明と日本の商舶往来が途絶えたことを踏まえ、琉球と協議して中国船を来航させ、両国の貨財を通じるという将軍の意向を伝える。応じない場合の危機にも言及する。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::5 鳥原宗安覚書
慶長十五年六月二十三日、鳥原宗安がかつて茅国科らを中国に送り届け、福州で帰船を求めて船を調達した経緯、琉球へ慶長十一年から十三年まで三度使者として渡海したことを列挙する。いずれも扶持や相応の報償を受けていないとして、摂州様へ奉公を取り次ぐよう園田五郎右衛門尉に求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::6 徳川家康御内書
慶長十四年七月七日、徳川家康が島津家久に、琉球を速やかに平定したとの報告を受けてその手柄を賞し、琉球国を進めるので仕置きを申し付けるよう命じた御内書。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::7 徳川秀忠御内書
慶長十四年七月五日、徳川秀忠が羽柴兵庫入道に、琉球へ差し遣わした軍勢が短期間で討ち取り、国王も降参して近く帰着するとの知らせを喜び、本多佐渡守がさらに伝えると述べた御内書。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::8 山口直友書状
慶長十六年五月二十六日、山口直友が島津家久に、家康が駿府に無事下着したことを知らせ、琉球から唐への通交について引き続き計らうよう将軍側が述べたと伝える。帰国する琉球王の唐への使者の口上を聞き、改めて唐への対応を定めるのがよいと勧める。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::9 尚寧書状輿大明福建軍門書
慶長十八年春の案文。尚寧王が福建の軍門に、薩摩の攻撃を受け三年余り捕囚となったが家久に厚遇され帰国した経緯を述べる。日本船の明港寄港、明船の琉球来航、年々の使節往来による交易という三案のいずれかを認めるよう請い、拒否の場合の日本側の出兵示唆も書き添える。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::10 島津惟新義弘書状答琉球国王書
慶長十八年暮春、島津惟新が尚寧王に、琉球の使節名護の来訪と書状・贈物への謝意を伝える。琉球が時宜に応じて政事を改めることを喜び、琉球の上卿が明へ赴いたことを気に掛け、明・日本・琉球間の和睦・通商が近く実現することへの期待を述べる。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::11 条目須知
薩摩に来航する明の商客に示す交易上の心得。官府の権威で値を無理に決めず、商客の金銭の要用は官庫に申し出させ、通事の偽りや商品の隠匿を戒める。国主の所用がなければ商客に売買させ、官買と民間取引で価格を不当に変えないよう命じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::12 条目須知
元和二年六月、従来薩摩へ入港していた明商船に対し、将軍の統一的な命令で今後は肥前長崎を交易港と定めたことを説明する文。薩摩に近着した商船も小舟で引き入れないのは拒絶ではなく幕府の命令によると説き、将来の再来航の可能性に触れながら従うよう促す。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::13 酒井忠世外四名連署書状
元和二年八月八日付の老中連署書状。キリシタン禁制を徹底し、黒船やイギリス船が領内に着けば長崎・平戸へ送り、領内で売買させないよう指示する一方、追而書きで唐船は着岸地を問わず船主の望む場所で売買してよいと認める。家久が翌年これを一軸に仕立てた奥書も続く。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::14 幕府老中条目
寛永十年二月二十八日付の長崎奉行宛条目。奉書船以外の海外渡航や日本人の密航・帰国を禁じ、伴天連宗旨を取り締まる。外国船の積荷の報告、白糸の割符と値決め、代銀の期限を定める一方、薩摩・平戸などへ着いた船も長崎と同じ糸値で取引する条件を示す。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::15 松平信綱外二名老中連署奉書
正保三年六月十一日、老中三名が薩摩守に、明の兵乱を受け琉球を介した糸の商売の扱いを尋ねられた件について、琉球との交易は従来どおり続けるのがよいと回答する奉書。季安は琉球の糸荷売買を許した先例として掲げる。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::16 島津久通外四名家老連署覚書
明暦元年九月十三日、清から琉球へ使者船を送るとの風説を長崎の情報と唐船船頭の話で確かめ、薩摩から幕府に報じた経緯を記す。幕府は琉球に清使が来て衣冠を変えるよう求めても状況に応じて対処し、それ以外は領国のこととして薩摩が計らうよう伝えた。薩摩は高崎・本田を琉球へ派遣した。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::17 相良頼聴届書
貞享二年十一月十八日、琉球から毛織物が大量に薩摩へ届き上方で売られているとの幕府の問いに、年々取引するのは紗綾・縮緬などの巻物で、羅紗など毛織類の買渡しはないと答える。巻物交易は古来の慣行で明の兵乱時にも幕府から継続を許され、毛織物は今後買い渡さないよう琉球へ伝えたと報告する。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::18 相良頼聴口達覚
貞享二年十一月十八日の口達覚。琉球に清の冊封使が来た際には清人が糸・巻物を多量に持参し、琉球王は高値でも接待上買い取らざるを得なかったと説明する。冊封使の来訪は二、三十年に一度程度であり、先の照会で問われなかった事情を追加して伝える。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::19 某届書
貞享三年十二月朔日の届書。琉球から薩摩に渡して売る品の年額を三千両余から二千両に抑える案に対し、琉球には金銀がなく、薩摩での売上から必要物資の購入と薩摩町人への借銀・利払いをしていると説明する。制限すれば琉球王と町人が困窮するため従来どおりの商売を求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::20 琉球渡金高制限覚書
貞享三年十二月十五日、薩摩・大隅から琉球への年々の商売について、今後は金高を二千両に限り、金銀の送付を堅く禁じ、不要な品は調達しないよう命じた覚書。薩摩藩主の登城時に老中列座で申し渡された。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::21 某口上覚
貞享四年九月七日、琉球の清への進貢船二艘と中間年の船一艘に要する費用を説明する口上覚。北京への使節費や清での調達費だけで約六千両を要し、琉球王は薩摩商人からの借金を加えて糸・巻物を買い、薩摩で売って元利を返すため、送金高を減らすと進貢が立ち行かないと訴える。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::22 某届書
貞享四年九月七日、琉球が天和二・三年と貞享元年に清へ送った銀高を列挙する。進貢船二艘の年は銀八百七十六貫目または八百八十七貫目余、中間年の船一艘は四百二十六貫目で、別に上方・薩摩で買う品物もあるが、この記載以外の現銀は渡していないと届ける。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::23 某口上覚
琉球の清貿易・進貢に必要な金を減らすよう繰り返し求められたことへの口上。琉球が借金して調達する資金を削れば進貢が危ういと述べつつ、日本の金銀流出抑制のため、清へ送る現金一万四千六百両から千二百両、薩摩での買立て一万七千八百両から二千両を減らす案を示す。貞享四年十月十六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::24 伊勢貞以覚書
貞享四年十月二十日、伊勢十兵衛が大久保加賀守からの指示を覚書にしたもの。当年は琉球へ送る時期が迫るため先の千二百両削減案で一旦送らせるが、清への金銀流出は日本の蓄えを減らすので、琉球にも説明し今後さらに段階的に送金額を減らすよう求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::25 国元家老連署書状
元禄元年正月二十七日、薩摩の国元家老が、琉球の進貢に伴って仕入れた唐物の販売が長崎で滞り、琉球王が困るとして、京都での取引ができるよう幕府に取り成してほしいと依頼する書状。使者の市来次郎左衛門を差し上げ、事情を詳しく説明させると伝える。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::26 前田直勝・井上正貞京都町奉行連署書状
元禄元年六月十九日、京都町奉行の前田直勝・井上正貞が薩摩守に、琉球から来る糸・巻物の長崎での販売が滞っているとの願いを受け、京都に定問屋を設けて取引させる方針が大久保加賀守から示されたと回答する。長崎奉行へも知らせたことを添える。
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::27 長崎実録
元禄元年、長崎で唐人屋敷が新設され、唐人番や番所を置いて出入りの取締りを強めたとする『長崎実録』の年代記事。季安は琉球唐物の販路が規制される背景の一つとしてこれを掲げる。