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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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半頁~1頁程度。一つの用件をある程度詳しく記すもの、複数項目を含む目録・交名。
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1頁を超え3頁未満。複数の用件・事件・人物・地名を含む長文書、詳細な譜記事・合戦記録・日記・知行帳。
特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

6 件 (全巻)/ 1–6件を表示

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後編3-No.768記事確認度 高

町田久則譜

町田久則譜は、島津忠恒の庄内出陣に供奉し、山田城が落ちた際、町田久則が鉄砲傷を負って退こうとしたところ、城兵一人が勇戦を挑んできたと記す。久則は負傷を顧みず戦ってその首を討ち取り、後に相手が勇名のある黒木越前であったと知ったとする。

登場人物
町田久則、島津忠恒、黒木越前
宛先
—
キーワード
町田久則譜、島津忠恒、庄内の乱、山田城、鉄砲傷、負傷、黒木越前、一騎討ち、敵首、戦功、慶長四年
後編3-No.1139文書確認度 高

有馬純房書状

有馬純房が宿許へ、伏見城に徳川家康の内衆が籠城し、諸軍勢が昼夜攻めていること、島津義弘(惟新)以下が軍労していることを報じる。自身は大坂に召し置かれていたが人数の一部を伏見へ寄せ、城際まで進んで鉄砲傷の者を出したものの自分は無事であり、奉公に励む覚悟を述べる。あわせて千代丸兄弟の手習いなど家中のことを頼む書状。

登場人物
有馬純房、島津義弘(惟新)、徳川家康、千代丸
宛先
宿許
キーワード
有馬純房書状、宿許、伏見城攻防、徳川家康内衆、島津惟新、大坂、鉄砲傷、奉公、千代丸兄弟、手習い
後編5-No.1281文書確認度 中

立花某書状

黄門の死去に弔意を示し、薩摩守後見について伊勢兵部少輔の尽力を求めたうえで、有馬一揆が二月二十七・二十八日に鎮圧されたこと、自身も戦闘で鉄砲傷を負い療養中であることを詳しく報じた書状。

登場人物
立花壱岐守
宛先
伊勢兵部少輔
キーワード
立花壱岐守、伊勢兵部少輔、黄門、薩摩守後見、有馬一揆、二月二十七日、二月二十八日、鉄砲傷、原城、療養、三月八日
後編3-No.1146記録確認度 高

神戸久五郎咄覚

神戸久五郎が、八月朔日の伏見落城時、松丸口で父松岡勝兵衛が五代舎人と先頭に立ち、矢狭間を開いて槍で戦ったことを記す。勝兵衛は草摺を鉄砲で撃ち抜かれて瀕死の深手を負い、財部傳内は門内で敵と組み討死した。勝兵衛は島津義弘(惟新)の毎日の見舞いと薬により助かり、大柿への供を望んだが歩けず、のち大坂で米六十石を与えられたという。

登場人物
神戸久五郎、松岡勝兵衛、五代舎人、財部傳内、島津義弘(惟新)
宛先
—
キーワード
神戸久五郎咄覚、伏見落城、松丸口、松岡勝兵衛、五代舎人、鉄砲傷、財部傳内討死、島津義弘(惟新)見舞い、大柿、大坂蔵米六十石
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 333-38記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

記事

細川立允の相備の組頭・三淵内匠が、鍋島勢による出丸攻略を知って本陣から出撃し、重傷を負いながら本丸下まで進んだ経過を記す記事。竹束と混雑で城戸が開かないため竹束を越え、家来に左右へ押し開かせ、当初十二人ほどで飛び出した。佐渡守備・式部手に加わる過程で家来に討死・負傷が相次ぎ、内匠自身も右手を鉄砲で撃ち抜かれ、さらに左肩を撃たれて深手となった。それでも、黒田甲斐守家中の武者が証人になるとして退却を勧めたのに対し、城を後ろにして退く覚悟はなく証人も望まないと答えた。のち旗本からの下知を受け、組中が内匠を本陣へ担ぎ戻したという。

登場人物
三淵内匠と家来・同勢
宛先
宛先なし(記事・記録類)
キーワード
三淵内匠、細川立允、組頭、鍋島勢、出丸、竹束、城戸、十二人、佐渡守備、式部手、家来討死、家来負傷、右手鉄砲傷、左肩鉄砲傷、深手、黒田甲斐守家中、退却拒否、証人不要、旗本下知、本陣担送
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 333-39差出旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

三淵内匠差出

三淵内匠が、二月二十七日に二之丸大手口左側の塀から乗り込み、敵へ向かったところ左肩を鉄砲で撃たれて手が利かなくなったため、頼母佐・清田石見へ事情を断って退いたと申し出たもの。

登場人物
三淵内匠
宛先
宛先なし(差出)
キーワード
三淵内匠、二月二十七日、二之丸大手口、左側塀、敵、左肩、鉄砲傷、手が利かず、頼母佐、清田石見、事情説明、退却