島津家久譜
年月日未詳 / 冊子 638頁
家久に忠節を尽くした有馬丹波重純の死を悼み、家久が六首の和歌を詠んで生前の忠貞を賞し、菩提を祈ったことを記す島津家久譜の記事。
SEARCH THE ARCHIVE
『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
13 件 (全巻)/ 1–13件を表示
ページ 1 / 1
年月日未詳 / 冊子 638頁
家久に忠節を尽くした有馬丹波重純の死を悼み、家久が六首の和歌を詠んで生前の忠貞を賞し、菩提を祈ったことを記す島津家久譜の記事。
(元和三年三月十五日) / 冊子 638~639頁
有馬重純の死を悼み、花・露・白雲・月などに寄せて無常と故人への哀惜を詠んだ島津家久の追悼和歌六首。
年月日未詳 / 冊子 639頁
有馬重純が朝鮮・琉球の遠征にも家久に忠信を尽くして没したため、家久が『事君能致其身』の六字を冠した和歌で弔い、景親も命に従い詩を添えたことを記す記事。
正月十二日 / 冊子 112-113頁
島津家久が、有馬丹波重純(初名次右衛門)の死去に際して与えた詠歌。うつろう枝、世の道、古語、残る歌、露、法の花、鳥の音などを題材に、死者を悼み仏道による救済を願う複数首を収める。
年月日未詳 / 冊子 543頁
伊作本主・平良通を起点に、嫡女と久純、その後裔親純・則純・実純・有純・忠純・重純らの婚姻・継承関係を記した一流系図。
年月日未詳 / 冊子 595頁
藤原鎌足を祖とし、政則・則隆・経高へ系統をつなぎ、「此間十代略」「十八代略」と世代の省略を挟んで、武房・時高以下の米良氏歴代を図式化する。 後段には重吉・重恒・重純・重棟・重武らの諱・通称・官途や年月日の注記が添えられる。No.929-1で書写と他見禁止が述べられた系図本体であり、米良氏が藤原氏の後裔を称した家系認識と、同族内での系譜継承を示す。
年月日未詳 / 冊子 147~149頁/原整理番号 32
梶原左衛門景時の二男景高を祖とし、景純以下、純家・兼純・滋純・信純・義純・重純・政純・元純・氏純・房純・成純・尚純らへ続く梶原左近尉家の系図。滋純が北条弥次郎を号して日置に住み、建武元年に下大隅へ入ったこと、信純が応安五年の日州合戦で御旗の役を務めたこと、政純が島津久豊の東福寺城で重代の太刀を守る番役中に討死したことを記す。元純については島津忠昌の隅州正八幡宮初詣供奉と年代矛盾を記録官史が指摘し、政純の子ではないとする。氏純・房純・成純らの官途、加世田での死、島津貴久への奉公、寛永七年に江戸で島津家久の命を受け、大迫と称していた家名を梶原左近尉へ復した由来も載せる。さらに尚純の母方について、志賀播磨が降参時に携え島津義弘へ献じた瀧田九郎の娘二人のうち、姉は曽木五兵衛に嫁ぎ、妹が尚純に与えられたと記す。
年月日未詳 / 冊子 149~150頁/原整理番号 33
『上世略』として梶原太郎を号した景久から景長へつなぎ、景時・景季・景高・景茂らの諸流を展開する梶原景久流系図。景久流と、兼純・滋純・助純・信純・義純・重純・政純らの系線を掲げ、北原弥次郎の称号、薩摩国日置、鹿児島城・別府での討死、官途・法名・嫡子・次男・養子関係を記す。吉田上村、島津式部亮、三俣中野、伊地知、玉利・迫田、伊集院野田など諸家との婚姻を列記し、僧慧原・僧超慶・僧祐寿ら出家者も収める。左注には文明六年の『行脚雑録』に梶原主計が見えること、伊地知尾張守重秀の妻が梶原氏女で、天文三年閏正月七日に没し法名を秀窓妙用大姉としたとの記事を掲げ、墨色の違いと続筆関係も注記する。
年月日未詳 / 冊子 152頁/原整理番号 36
川越太郎重頼の三男重員を起点とし、重輔・重貞以下へ続く讃良氏の系図。重貞は修理亮を称し、河内国讃良郡を領したため讃良を号したと由緒を記す。貞與・重矩・重治、重純・重賢・重年、重寛・重朝・重高などの分流を示し、大膳亮・刑部太輔・土佐守・兵衛などの官途を添える。後半は重喬以下、貞盈・貞喬・貞能・貞敦・貞秀らを掲げ、貞秀について享禄年間の出生、母が和泉讃岐守女であること、島津貴久から宝刀を賜ったことを記す。末尾に貞行・貞資・貞勝・貞増、貞清・貞雄ら近世の子孫と善助・銀八・外記・七兵衛等の通称を載せる。
本文末年紀:文治三年三月 日 / 冊子 648~649頁/原整理番号 〇二/整理ID TMP-OF-P04-D002
先祖相伝所領三ヶ所の寄進について記し、伊作・日置北郷・同南郷・外小野を掲げる。 所領が軍地となり人民百姓が逃散したこと、庄国両方の課役について述べる。 一円御庄御領への寄進、重純による年貢所当物等の京都運上を記す。 下司・郡司・惣公文職につき、重澄の子々孫々に相違のない旨の御下文を求める。
年月日未詳 / 冊子 82~94頁/原整理番号 19
藤原鎌足・冬嗣から長良・良房・基経らを経て長谷場氏へ至る祖系と、薩摩・大隅・日向に展開した諸流を記す長大な系図。鹿児島郡司・弁済使・取納使、東福寺城・市来城・飫肥・櫛間・有馬等の所領・城地、建武期の足利尊氏による安堵、島津元久への東福寺城・長谷場屋敷の引渡しと清水移居、福昌寺創建、市来移住などを叙述する。近世部分では渋谷・伊東・大友・菱刈・豊後・庄内などの諸合戦、岩屋城・高城・小林城・大口・泗川等での軍功・討死、家督・養子・婚姻・法名・地頭職を列記する。実純の朝鮮出陣・泗川戦、琉球への武具奉行派遣、大坂陣、万治二年の琉球押奉行、松山・真幸・吉田地頭歴までを収め、末尾は純堯の女子四人と婚姻先を記して終わる。
年月日未詳 / 冊子 30頁/原整理番号 241
財部の米良周右衛門家に伝わった系図。隆直以下の系譜を掲げ、元寇の戦功と鷹羽紋の由来、後裔の動向や関ヶ原での戦死などを注記する。文政五年三月九日に写し受けた旨がある。
本文末年紀:建長七年十二月廿五日 / 冊子 650~651頁/原整理番号 〇五/整理ID TMP-OF-P04-D005
伊作庄預所側の重宗代盛景法師(刊本小字「法名淨空」)と、下司側の則純法師(刊本小字「法名念西」)代孫有純の相論条々を記す。 下司職について双方の申述と提出文書を検討し、常陸後家への召問を経て「可爲領家進止焉」と述べる。 続く惣公文・田所両職、給田、未進、作田、収納等の十五箇条を列挙する。 下司職が領家成敗である上は「非沙汰之限矣」とし、将軍家の仰せによる下知と記す。