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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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1頁を超え3頁未満。複数の用件・事件・人物・地名を含む長文書、詳細な譜記事・合戦記録・日記・知行帳。
特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

10 件 (全巻)/ 1–10件を表示

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後編1-No.1231記録確認度 高

勝部兵右衛門聞書

天正九年八月、相良義照の度重なる敵対を理由に島津義久が芦北出兵を決め、義虎を先陣として水俣城へ迫った経緯を記す。城下で出水衆が反撃を受け、島津出羽守・切通左馬允を失うが、義久が三州の大軍を率いて着陣し、相良方の主要将士が籠城した。

登場人物
島津義久、相良義照、島津義虎、島津出羽守、切通左馬允、犬童美作守、蓑田信濃守、高橋駿河守、宮之原周防介
宛先
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キーワード
勝部兵右衛門聞書、相良義照、水俣城攻め、島津義久、島津義虎、出水衆、島津出羽守、切通左馬允、籠城
後編1-No.1252記録確認度 高

勝部兵右衛門聞書

相良義照が島津への忠節を示すため阿蘇方へ出兵し、岩下町を破って勝利したのち、響野原で油断したところを甲斐宗運に急襲されて討死した経緯を記す。相良領が騒然となり、新納忠元が八代へ入って鎮めた後、大膳亮の上球磨侵入や八代老衆の要請を受け、翌年島津勢が八代を領有して相良遺児を球磨へ移し、花山に新城を築いて守備を置いたと続ける。

登場人物
相良義照、甲斐宗運、東左京亮、新納忠元、島津義久、相良大膳亮
宛先
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キーワード
勝部兵右衛門聞書、相良義照、甲斐宗運、響野原、戦死、新納忠元、八代領有、相良大膳亮、花山城、相良遺児
後編1-No.1232記録確認度 高

勝部兵右衛門聞書

五万三千余騎とする島津軍が八景尾・銭亀尾・熊牟礼・軽石尾などに布陣し、水俣城を昼夜包囲した長文記事。矢文連歌の応酬とその故事を記し、相良義照が水俣・津奈木・湯浦・佐敷・市之瀬を差し出して和議を求めると義久が許し、嫡子に島津家の通字を与えて四郎太郎忠房と名乗らせたとする。

登場人物
島津義久、島津義弘、島津歳久、島津家久、新納忠元、瀧聞美作守、奥越前守、相良義照、深水三河守、相良忠房
宛先
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キーワード
勝部兵右衛門聞書、水俣城包囲、五万三千余騎、八景尾、銭亀尾、熊牟礼、軽石尾、矢文連歌、五か所献上、和議、相良忠房
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0166覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

勝目兵右衛門覚書

天正九年八月、義久は相良の北原・菱刈への妨害を理由に軍勢を動かした。十八日に五万三千余騎で水俣を囲み、義久・忠平・義弘らが各所に陣を置き、鉄砲や見張りで城を攻めたと記す。城中との発句・返歌三首も載せ、忠元が相良の反発を警告したという。相良義照は劣勢を見て和談を願い、諸城・八代の五ヶ所を引き渡した。義照の嫡子を義久が加冠し忠房と名付けた経緯まで述べる。

登場人物
勝目兵右衛門、島津義久、忠平、義弘、歳久、辛久、忠長、久親、義虎、相良義照、新納武蔵守忠元、瀧間美作守、大童美作守、東左京亮
宛先
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キーワード
勝目兵右衛門覚書、天正九年八月、相良討伐、水俣包囲、五万三千余騎、諸陣の配置、大鉄砲、返歌三首、和談、八代五ヶ所の引渡し、義照の嫡子
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0167自記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

長谷場越前自記

水俣城を囲んで昼夜攻め、城内の人々を籠中の鳥・網中の魚にたとえる。城の攻防と島津の大軍を見た義照が、籠城衆を救うため和談した。水俣・津奈木・湯浦・佐敷・一野の五ヶ所を譲り、従前の罪を許してほしいと願って和議となった。義照は嫡子佐敷を差し出し、義久が加冠して忠房と名付けた。忠は家久の一字を望んだもので、のち宮内少輔となったと記す。

登場人物
長谷場越前、相良義照、義久、家久、四郎太郎忠房
宛先
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キーワード
長谷場越前自記、水俣包囲、籠中の人々、義照の和談、五ヶ所、前科の許し、忠房の加冠
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0170覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

勝目兵右衛門覚書

義照が島津への奉公を称しながら、その意図は分からないとして経過を記す。十二月三日、東左京亮ら五千程の軍で堅志田付近を攻めたが、宗運方の連合と戦い、宗運が響か原で機を見て攻撃すると味方が混乱した。義照は戦って討死し、左京亮も討たれたとする。退却後、義照の弟相良頼みが八代谷山に籠もり、武蔵がその扱いについて語ったことまで記す。

登場人物
勝目兵右衛門、相良義照、東左京亮、深見、大童、菱田、高橋、宮之原、宗運、新納武蔵守、相良頼み
宛先
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キーワード
勝目兵右衛門覚書、天正九年十二月三日、五千程の軍、阿蘇方との戦い、宗運、勢の混乱、義照の討死、八代への退却、相良頼みの継承
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0168覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

勝目兵右衛門覚書

天正九年八月十七日、水俣へ向かう先勢に少人数の使いを出し、翌日に陣を見せる手配を記す。水俣攻めでは出羽守らが戦い、負傷者を陣中へ迎えた。二十日には義久が大軍を率いて各所を固めた。九月十日、湯浦・津奈木などの引渡しを受け、比志島を派遣した。相良は岩下町の家を壊して御船・隈庄への備えに用い、御舟の味方勢と協力したという。八代・求广の守備と、花か山などの城・若木脇の番にも及ぶ。

登場人物
勝目兵右衛門、相良義照、義久、出羽守實忠、切通左馬允、義弘、義虎、比志島宮内少輔、新納武蔵守
宛先
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キーワード
勝目兵右衛門覚書、八月十七日の先勢、陣中の負傷者、和議と領地引渡し、九月十日の受取、八代求广の守備、若木脇の番
後編1-No.1254記録確認度 高

勝部兵右衛門聞書

相良義照の弟大膳亮が上球磨へ侵入して郡中を乱したため、島津忠平がこれを召し戻した記事。八代老衆の要請を受け、義久は八代を島津領とし、相良忠房兄弟を球磨へ移した。忠平が八代領有を辞退した後、平田光宗、次いで伊集院忠棟を地頭とし、花山に新城を築いて木脇刑部左衛門尉を城衆頭に任じた。

登場人物
相良大膳亮、島津忠平、島津義久、相良忠房、平田光宗、伊集院忠棟、木脇刑部左衛門尉
宛先
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キーワード
勝部兵右衛門聞書、相良大膳亮、上球磨、八代領有、島津義久、相良忠房、平田光宗、伊集院忠棟、花山城、木脇刑部左衛門尉
追録6-No.1225-12届書旧記雑録暫定版確認度 中

渋谷五郎右衛門届書―御用番の御付札による従前使用の届を大御目付へ差出

朱で御届書一通と記し、打揚腰網代乗物、虎革鞍覆、茶弁当を従前から使用している旨を記す。御用番へ相談したところ、御付札をもってこれまでどおりとする旨を仰せ渡されたので、今後も使用する件について届ける。宛は大御目付正木志摩守殿。本文には独立の日付・差出署がなく、目録は十二月廿七日の渋谷貫富届書として掲げるので、その根拠を分けて示す。御用番への伺、御付札の仰渡、大御目付への届の順を保持し、次の覚書の名義照会・受領注とは別の文書として扱う。

登場人物
渋谷五郎右衛門貫富(目録による)、御用番、大御目付正木志摩守
宛先
大御目付正木志摩守殿
キーワード
御届書壹通、従前三品、御用番相談、是迄之通、御付札仰渡、以来使用、大御目付正木志摩守宛
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0155覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

勝目兵右衛門覚書

豊後勢の敗軍後の評判と、肥前・筑後・肥後の動静を述べる。義久は肥後の協力者を増やすため道観らから情報を得て、阿蘇家との交渉や諸将の招集を進めた。出水から兵船を出して高橋の津へ入り、隈本で城親政と会談した。親政は義照と改名したという。忠元は大口の住番のため日向出張を許されず、天正八年五月十三日、菱刈・牛屎両院の三千余騎で朴之河内を攻め、岩年礼に城を構えて相良に備えた。

登場人物
勝目兵右衛門、大友宗麟、土持、田原殿、龍造寺高信、城親政、鎌田尾張入道道観、西、島津義久、義虎、新納武蔵守忠元、平田尻荒兵衛尉、宇都鑑高
宛先
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キーワード
勝目兵右衛門覚書、豊後敗軍と評判、土持の死、肥後の動向、義久の評定、阿蘇との交渉、兵船と高橋上陸、城親政の改名、忠元の大口番