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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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数行~半頁未満。短い書状、感状、証状、記事、本文省略や同文注記のみ。
中
半頁~1頁程度。一つの用件をある程度詳しく記すもの、複数項目を含む目録・交名。
大
1頁を超え3頁未満。複数の用件・事件・人物・地名を含む長文書、詳細な譜記事・合戦記録・日記・知行帳。
特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

12 件 (全巻)/ 1–12件を表示

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前編2-No.2565記事確認度 中

某覚書

某覚書が、本田紀伊守親廣の退隠後に起きた清水新城の争乱を記す。伊集院大和守忠朗方と旧本田勢の対立の中で、梶原藤七兵衛・田尻荒兵衛尉らが出陣・交戦した経過を追い、戦後に関係者が処罰されて城内秩序が再編された事情を述べる。

登場人物
本田紀伊守親廣、伊集院大和守忠朗、梶原藤七兵衛、田尻荒兵衛尉
宛先
—
キーワード
某覚書、本田親廣、伊集院忠朗、梶原藤七兵衛、田尻荒兵衛尉、清水新城、争乱、処罰
後編1-No.355記録確認度 高

箕輪伊賀自記

飯野防衛のため小林三之山城を攻めた経過を、各軍の進路と将兵の働きに即して記す。義弘勢が二之丸、歳久勢が二重城戸へ迫り、田尻荒兵衛らが奮戦したが、義弘が負傷して兵が動揺したため、義久の命で順次退却し、追撃兵を伏兵で討って飯野へ引き上げた。

登場人物
箕輪伊賀、島津義久、島津義弘、島津歳久、伊東氏、相良氏、田尻荒兵衛、間世田刑部左衛門尉ほか
宛先
—
キーワード
箕輪伊賀自記、永禄九年、三山合戦、飯野、島津義久、島津義弘、島津歳久、田尻荒兵衛、二之丸、負傷、撤退、伏兵
後編2-No.907文書確認度 中

麻植長通書状

麻植長通が、梅北国兼・田尻荒兵衛の逆意と佐敷での鎮圧を報じ、妻子の成敗のため龍伯と細川幽斎が薩摩へ向かうことを伊勢雅楽入道へ知らせる。 一揆が朝鮮渡海軍の遅参を招いたことを嘆き、義久・義弘・久保ら島津父子の高麗渡海を急ぐよう求めており、梅北一揆と出兵動員の直結を示す書状である。

登場人物
麻植長通、伊勢雅楽入道、島津義久、細川幽斎、梅北国兼、田尻荒兵衛、加藤清正留守居衆、島津義弘・久保父子
宛先
伊勢雅楽入道
キーワード
麻植長通、伊勢雅楽入道、梅北一揆、梅北国兼、田尻荒兵衛、佐敷、細川幽斎、島津義久、朝鮮出兵、渡海遅参
後編2-No.913文書確認度 高

島津忠長外二名連署宛行状

島津忠長・伊集院忠棟(幸侃)・町田久倍の三名が、田尻荒兵衛尉の旧跡を残らず一王雅楽助へ宛て行うことを認めた連署宛行状。 梅北一揆関係者である田尻氏の所領処分と、その跡地を新たな家臣へ再配分した具体例として重要である。

登場人物
島津忠長、伊集院忠棟、町田久倍、田尻荒兵衛尉、一王雅楽助
宛先
一王雅楽助
キーワード
島津忠長、伊集院忠棟、町田久倍、一王雅楽助、田尻荒兵衛尉、連署宛行状、旧跡、所領没収、梅北一揆
後編2-No.915記事確認度 中

町田久倍譜

島津義弘・久保らが朝鮮へ渡る一方、名護屋留守中に梅北国兼・田尻荒兵衛らが平戸・佐敷方面で一揆を起こし、秀吉の命による厳しい捜索と鎮圧が行われた経過を町田久倍の譜に記す。 義久が細川幽斎を伴って帰国し、国中の秩序回復と家中統制に当たったことまで述べ、梅北一揆を政権・島津家双方の対応から捉える記事である。

登場人物
町田久倍、島津義弘、島津久保、梅北国兼、田尻荒兵衛、島津義久、細川幽斎、豊臣秀吉
宛先
—
キーワード
町田久倍譜、梅北一揆、梅北国兼、田尻荒兵衛、島津義久、細川幽斎、平戸、佐敷、朝鮮出兵、鎮圧
後編2-No.916記録確認度 中

長谷場越前自記

梅北国兼・田尻荒兵衛が薩摩・肥後境で反乱を企てたため、島津義久(龍伯)が細川幽斎を伴って鹿児島へ帰り、文禄元年七月六日以降、国中の法度・神社仏領・村々の負担を改めた経過を記す。 一揆後の処分だけでなく、田畑・年貢や家臣統制、住民の反応、再発防止の軍事警戒まで述べており、島津領国再建の実務を当事者の自記から読める。

登場人物
長谷場越前、梅北国兼、田尻荒兵衛、島津義久、細川幽斎、島津家臣団・国衆
宛先
—
キーワード
長谷場越前自記、梅北一揆、梅北国兼、田尻荒兵衛、島津義久、細川幽斎、鹿児島、領国統治、神社仏領、年貢
後編2-No.942文書確認度 中

島津竜伯書状

島津義久(竜伯)が、秀吉の九州下向時に忠節を尽くした王雅楽へ知行を与える約束が、空き地不足のため延引していた事情を伝える。 約束の筋目に従い、田尻荒兵衛の旧知行を残らず王雅楽へ与えるよう手配したので、その旨を本人へ知らせるよう細川幽斎らに依頼した書状である。

登場人物
島津義久(竜伯)、細川幽斎、王雅楽、田尻荒兵衛
宛先
細川幽斎ほか(本文「幽斎老人と御中」)
キーワード
島津義久、細川幽斎、王雅楽、田尻荒兵衛、忠節、恩賞、知行宛行、九州平定、竜伯
附録2-No.1298記事確認度 高

新納氏系図抄(十五)

新納友義以下の加世田・市来系譜。忠澄が伊作久逸に従い、幼い島津忠良の後見として田布施へ移ったこと、康久が田尻荒兵衛の案内で加世田城攻略に功を立て地頭職を得たこと、市来で渋谷氏勢力と戦ったこと、久韓以下の家系を詳述する。

登場人物
新納友義、新納忠祐、新納忠澄、新納康久、島津忠良、田尻荒兵衛、新納久韓、新納長住
宛先
—
キーワード
新納氏、新納友義、新納忠澄、新納康久、島津忠良、田尻荒兵衛、加世田城、市来、渋谷氏、地頭職、軍功、系図
後編1-No.350記録確認度 高

小林三の山合戦従軍者交名

永禄九年十月二十六日の小林三の山攻めに参加した将兵を、戦闘配置や戦功とともに列挙した交名。城口から二之丸までの攻撃に加わった市来・加世田など各地の武士を掲げ、阿多中務丞、末弘又左衛門尉、本田治部少輔らには戦死の注記を付す。

登場人物
島津義久、島津義弘、島津歳久、茂山源左衛門尉、箕匂舎人助、間世田刑部左衛門尉、田尻荒兵衛尉、長谷場長門守ほか
宛先
—
キーワード
小林三の山合戦従軍者交名、永禄九年、三山合戦、島津義久、島津義弘、島津歳久、従軍者、戦功、戦死、二之丸
後編1-No.1147記録確認度 高

肥後境合戦従軍者交名

天正八年の肥後進出に際し、事前偵察、宝川内城攻め、熊本番手、矢崎城攻め、合志方面出陣に参加して軍功を挙げた者を日付・戦場別に列挙する交名。鎌田政年ら足軽三百余の派遣、新納忠秀らの偵察、忠元・忠尭らの攻略、佐多久政・伊集院久治らの合志戦を記す。

登場人物
鎌田政年、田尻荒兵衛尉、新納忠秀、坂元源二郎、新納忠元、新納忠尭、佐多久政、川上忠智、上原尚近、伊集院久治ほか
宛先
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キーワード
肥後境合戦従軍者交名、鎌田政年、新納忠元、宝川内城、熊本番手、矢崎城、合志、軍功、交名
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0155覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

勝目兵右衛門覚書

豊後勢の敗軍後の評判と、肥前・筑後・肥後の動静を述べる。義久は肥後の協力者を増やすため道観らから情報を得て、阿蘇家との交渉や諸将の招集を進めた。出水から兵船を出して高橋の津へ入り、隈本で城親政と会談した。親政は義照と改名したという。忠元は大口の住番のため日向出張を許されず、天正八年五月十三日、菱刈・牛屎両院の三千余騎で朴之河内を攻め、岩年礼に城を構えて相良に備えた。

登場人物
勝目兵右衛門、大友宗麟、土持、田原殿、龍造寺高信、城親政、鎌田尾張入道道観、西、島津義久、義虎、新納武蔵守忠元、平田尻荒兵衛尉、宇都鑑高
宛先
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キーワード
勝目兵右衛門覚書、豊後敗軍と評判、土持の死、肥後の動向、義久の評定、阿蘇との交渉、兵船と高橋上陸、城親政の改名、忠元の大口番
後編1-No.1080記録確認度 高

勝部兵右衛門聞書

耳川敗戦後、大友方の威勢が衰えて筑前・筑後・肥後の諸勢力が離反し、熊本の城親政も島津方への帰属を望んだ。義久は遠国支援を評議し、鎌田政年の進言で島津義虎を介して天草五人衆を味方につけ、政年・田尻荒兵衛尉ら足軽二百余人を熊本へ派遣して城親政・伯耆鑑高と連携した。

登場人物
大友宗麟、龍造寺隆信、城親政、島津義久、鎌田政年、島津義虎、天草鎮尚、志岐麟泉、上津浦鎮貞、栖本上野介、大矢野氏
宛先
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キーワード
勝部兵右衛門聞書、耳川合戦、大友宗麟、城親政、島津義久、鎌田政年、島津義虎、天草五人衆、熊本、肥後進出