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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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22 件 (全巻)/ 1–22件を表示

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後編1-No.1069文書確認度 高

真幸吉田天神再興棟札

真幸吉田の天満大自在天神舞殿一宇を再興した棟札。大檀那として島津義弘・久保・忠恒、当地頭兼類、座主権大僧都頼叶、大工楠田新助を記す。

登場人物
島津義弘、島津久保、島津忠恒、兼類、頼叶、楠田新助
宛先
—
キーワード
真幸吉田天神、再興棟札、天満大自在天神、島津義弘、島津久保、島津忠恒、兼類、頼叶、楠田新助
後編3-No.825記事確認度 高

殉国名薮

『殉国名薮』は、慶長四年の庄内合戦で戦死した島津方の武士を、月日・戦場・所属や続柄とともに列挙する。六月一日の中田十郎をはじめ、山田城・恒吉・安永・高城・北郷・神田橋など各地で討死した町田新助忠玄、長野藤兵衛、平田三五郎、上井仲五兼政ら多数を掲げ、六月から翌年正月に及ぶ戦没者の記録をまとめる。

登場人物
中田十郎、町田新助忠玄、長野藤兵衛、平田三五郎、上井仲五兼政、伊地知彦左衛門重鑑、原助左衛門
宛先
—
キーワード
殉国名薮、庄内の乱、戦死者名簿、中田十郎、町田新助忠玄、長野藤兵衛、平田三五郎、上井仲五兼政、伊地知彦左衛門重鑑、原助左衛門、山田城、恒吉、安永、高城、北郷、神田橋、慶長四年
後編1-No.213記録確認度 高

箕輪伊賀自記

北原兼守死後に真幸院の家中が分裂し、白坂氏らが島津方へ従った経過を記す。島津方は六月三日に横川城を攻め、北原伊勢守・新助が妻子を自ら討ったのち城外で戦死し、島津勢が城を落として横川を菱刈氏へ恩賞として与えた。

登場人物
島津貴久、島津義弘、島津歳久、北原兼守、北原伊勢介、北原新助、白坂美濃守、本田刑部丞、瀧聞美作守
宛先
—
キーワード
箕輪伊賀自記、真幸院、北原兼守、横川城合戦、北原伊勢守、島津義弘、島津歳久、菱刈氏
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID A:30文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

川上久国外三名連署引

川上久国ら四名は、伊地知杢右衛門に御使役分として知行を与え、その支配を命じる。寛永二十年八月三日付で、宛先に高奉行衆として平田清右衛門らの名がある。続く季安の考証では、この引付を平田が当時まだ高奉行を務めていた根拠に用いる。

登場人物
川上久国外三名、伊地知杢、平田清右衛門、市来五兵衛、蒲地新助
宛先
平田清右衛門、市来五兵衛、蒲地新助
キーワード
川上久国外三名連署引、領地・地頭職、役職・人事、外交・使者
追録8-No.982-8有馬新助の四郷地頭任命を伝える達旧記雑録暫定版確認度 中

知政所達書

有馬新助を鹿屋・姶良・大姶良・高隈の地頭に任じた旨を関係向々へ伝える。十月十七日知政所、明治三年の朱注がある。

登場人物
知政所、有馬新助、鹿屋・姶良・大姶良・高隈地頭
宛先
地頭関係者および関係向々
キーワード
有馬新助、鹿屋姶良大姶良高隈地頭、地頭任命、十月十七日
追録8-No.1002-4出水・鹿屋・長島などの地頭を繰替・任命する達旧記雑録暫定版確認度 中

知政所達書(地頭人事)

出水・野田・高尾野・阿久根の地頭に有馬新助、鹿屋・姶良・大姶良・高隈の地頭に加藤権兵衛を繰替任命し、長島地頭に伊集院直二を任命する。関係向々へ申し渡すよう命じる。辛未正月十日知政所。

登場人物
知政所、有馬新助、加藤権兵衛、伊集院直二
宛先
地頭人事の関係向々
キーワード
地頭人事、出水、野田、高尾野、阿久根、有馬新助、鹿屋、姶良、大姶良、高隈、加藤権兵衛、長島、伊集院直二、繰替、辛未正月十日
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w5:191系譜覚書/家伝考証旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

蒲池休右衛門家系図焼失後の家伝覚書

焼失した蒲池休右衛門家の系図に基づく家伝と、記主自身の考証を併記した覚書。筑後国蒲池城主の蒲池家は天正年間の合戦で敗れ、備中入道が天正十三年に島津義久へ属して千石を与えられたとする。備中入道の養子新助は山田民部入道性円の兄で小根占地頭、その嫡子が八郎左衛門で、記主は八郎左衛門の猶子だと述べる。備中入道を野田地頭とする家伝は当初不明としながら、寛永五年の御人数賦帳に『野田蒲池備中入道』とあるため正説と考えるに至った。

登場人物
蒲池休右衛門、蒲池備中入道、島津義久、新助、山田民部入道性円、八郎左衛門、八郎左衛門の猶子(記主)
宛先
—
キーワード
蒲池休右衛門、系図焼失、筑後国蒲池城主、天正中合戦失利、天正十三年、島津義久、千石、蒲池備中入道、養子新助、山田民部入道性円、小根占地頭、八郎左衛門、猶子、野田地頭、寛永五年、御人数賦帳、家伝考証
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:24-17記録・覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

『上井覚兼日記』天正十年十二月十七日条抄并猿渡氏考証

『上井覚兼日記』天正十年十二月十七日条から、野久美口で猿渡越中守が一番に攻め上がり、山田新助らと戦った記事を抄出する。敵数百人を討ち留め、家来も多数石打ちに遭いながら一番乗りを果たしたことを、日記に記された参加者と照合して考証する。

登場人物
猿渡越中守、山田新助、頴娃左馬助、川上上野助
宛先
—
キーワード
上井覚兼日記、天正十年十二月十七日、猿渡越中守、野久美口、一番乗り、山田新助、頴娃左馬助、石打ち、合戦
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:24-21記録・覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

『上井覚兼日記』天正十二年十月八日条抄并猿渡氏考証

『上井覚兼日記』天正十二年十月八日条から、方角見償のため新納武蔵・伊野・山田新助・猿渡越中守が三池へ派遣された記事を抄出する。ほかの見償役の記事と比較し、見償が一方の主取を任された者の勤めで、通常の地頭持には命じられない役であったことを考証する。

登場人物
上井覚兼、新納武蔵、伊野、山田新助、猿渡越中守
宛先
—
キーワード
上井覚兼日記、天正十二年十月八日、方角見償、三池、新納武蔵、伊野、山田新助、猿渡越中守、主取、家格
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:24-14記録・覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

『上井覚兼日記』天正二年十月十七日条等抄并猿渡氏考証

『上井覚兼日記』天正二年十月十七日条から、高江・川辺間の地頭移動案と有田氏の所領事情を抄出する。猿渡越中の出生・父猿渡藤三郎の戦死、加世田の村給付と地頭就任を関連記録で照合し、越中が加世田に居住した由緒を考証する。

登場人物
上井覚兼、山田新助、有田氏、猿渡越中、猿渡藤三郎、根白坂氏
宛先
—
キーワード
上井覚兼日記、天正二年十月十七日、山田新助、有田氏、高江、川辺、猿渡越中、猿渡藤三郎、加世田地頭、所領
追録6-No.216覚書旧記雑録暫定版確認度 中

藩主在国年頭規式覚書

藩主が着城した時の年頭御礼を受ける規式について、古帳と記録奉行への照会で先例を調べた覚書。古帳は断片的で、古来の作法を定めた記録や書留は見当たらないとする。宝永元年、大玄院(綱貴)の家督中に浄国院(吉貴)が着城して諸地頭の年頭太刀を受け、同年七月十一日に二日組の諸士の御目見を命じた記録を挙げる。宝永二年九月朔日の着城・同月十日の年頭御礼、宝永四年九月朔日の同様の御受と諸士の節句日御目見、宝永六年八月十三日の外城衆御目見の指示を列記する。ただし最後の実施の跡はなく、外城寺院衆の年頭拝謁を命じたのもこの時かとする。嶋津将監から年首の礼をその後も漏れなく行うと聞いたこと、正徳五年八月晦日着城時に諸地頭の納太刀を命じたこと、山田新助らの持参太刀と享保十八年の同類例を挙げる。浄国院から当代まで帰着時の御受の筋はあるが、近代の年頭御礼の順序とは並ばないともいう。去る未九月の在府時には、江戸詰家老・家格ある者の太刀進上、目付以上等の初月次御礼、当国の寺院・組中諸士・外城衆の登城祝儀などを行い、祝儀帳を江戸へ送った。着城時の一門・役人・諸地頭・家筋付・町人等の御目見が年頭規式と重なる状態を述べ、在府時の区分に即して着城時の納太刀と年頭御礼を整理する案を吟味する。ただしその年の年頭規式に欠ける部分も生じ得ると認める。浄国院以来代々受けてきた規式なので、今後は藩主の賢慮次第で命じるべきと家老中にも相談したと結ぶ。朱注では酉九月廿五日、宮之原甚五太夫が調査結果を取り次ぎ、吟味のとおり命じる旨を受け、式部が承知したと記す。

登場人物
式部(朱注)、宮之原甚五太夫、大玄院(綱貴)、浄国院(吉貴)、嶋津将監、山田新助、大嶋休左衛門、志岐藤左衛門、田尻八郎右衛門、中西文右衛門、家老中、記録奉行、諸地頭・諸士・外城寺院衆・町人等
宛先
—
キーワード
在国年頭規式、着城、先例調査、古帳、記録奉行、納太刀、御目見、宝永、正徳、享保、在府、初月次御礼、祝儀帳、重複、御賢慮、宮之原取次
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 491人名書上・加世田士島原渡海者旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島原出征加世田士人名書上

加世田士人相徳新助の蔵本による人名書上。三原左衛門が使者として島原へ渡った際、加世田から従った相徳新助・田実五右衛門・宮原佐吉兵衛・松田与七左衛門ら多数の名を列挙し、これらの人数が島原へ渡ったと記す。

登場人物
相徳新助 三原左衛門 田実五右衛門 宮原佐吉兵衛 松田与七左衛門 黒川七兵衛
宛先
なし(人名書上)
キーワード
加世田士 人名書上 三原左衛門 島原渡海 随員
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:23-1系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

禰占氏略系図

中表紙『禰占氏略系』に続く禰占氏の家伝・系図。上祖未詳の兵右衛門が十八歳で忠政君に出仕を求め、府下の士となって与力を命じられたこと、寛永十二年の戸口改め後も家臣・与力として扱われ、田宅と廩米を与えられた由緒を記す。四郎兵衛は辺川へ移住したが火災で系図を失い、普請方役人として光樹君に仕えた。仁左衛門は南戸役から取次役兼目附役となり、江戸随行中に病死。勘右衛門は九歳で久亮君の小姓となり、のち兵具方兼馬役を務めた。以後、勘七・新次郎・新四郎・新助・助市・仙之助・新九郎・新五右衛門・四郎次らの出生・没年、法名、母方、婚姻・離別、子女を宝暦・明和・安永・天明・寛政・文化・文政・天保・弘化期まで系線で整理する。

登場人物
兵右衛門、忠政君、四郎兵衛、光樹君、仁左衛門、勘右衛門、久亮君、勘七、新次郎、新四郎、新助、千次郎、助市、仙之助、新太郎、四郎次、新九郎、新五右衛門、休八、仁之助、與之進、直次郎、源之進、冨吉、製染助、作次郎、市助、ハル、キク、ケサ、ユキ、スヘ、ツル、ハツ、サン、スヘグリ、マツ、イサ、ヨネ
宛先
—
キーワード
禰占氏略系図、兵右衛門、忠政君、府下出仕、与力、寛永十二年、戸口改め、田宅、廩米、四郎兵衛、辺川移住、火災、系図焼失、普請方役人、光樹君、仁左衛門、南戸役、取次役、目附役、江戸随行、病死、勘右衛門、小姓、久亮君、兵具方、馬役、婚姻、離別、出生、没年、法名
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0131日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

上井覚兼日記

天正四年の三之山などの退去と、島津方の番衆・祝宴を記す日記。仲秋二十三日に城を退いたが伊東の迎えが来ず、二十四日には敵が三之山と須木を捨てたため番を置いた。二十五日に忠平が三之山へ籠もり、翌日は一門・諸地頭が談合し、二十八日に太守が出向いて川田駿河守が太平を祝った。山田新助・三原右京亮の膳と三献、忠元を含む参会者の太刀進献を挙げる。次第は残っておらず、夜は飯野へ赴いたと記す。

登場人物
上井覚兼、伊東新次郎、忠平、川田駿河守、山田新助、三原右京亮、義虎、征久、年久、家久、忠長、伊地知民部、新納武蔵守、本田因幡守、肝付弾正忠
宛先
—
キーワード
上井覚兼日記、天正四年仲秋廿三日、城からの退去、伊東の迎え、番衆、忠平の参籠、家臣と地頭の談合、二十八日の太平祝、三献、太刀進献
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 60交名旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津義久代老中・使衆交名

天正六年頃の島津義久代について、川上久時・伊集院忠棟ら老中八人と、新納・鎌田・本田・伊地知ら使衆八人を分けて列挙する。加治木衆大村市兵衛重頼の旧記から原文どおり写した交名である。

登場人物
島津義久、御老中8人(川上久時、伊集院忠棟、平田歳宗、村田経定、本田三清、喜入季久、上井伊勢守、町田久倍)、御使衆8人(新納右衛門佐、鎌田刑部左衛門、伊地知伯耆守、本田因幡守、税所新助、比志嶋宮内少輔、吉田美作守、伊地知備前守)、大村市兵衛重頼(旧記の出典)
宛先
なし(交名のため宛先なし)
キーワード
島津義久、老中、使衆、交名、川上久時、伊集院忠棟、大村重頼、旧記写
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 359編纂史料・戦記旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平塞録

二十二日、天草四郎ら一万余の一揆勢が富岡城を再攻撃した経過を記す。十九日の退却後に攻撃を予告した一揆勢は志岐村で竹束などを準備して押し寄せ、城兵は鉄砲・大木・大石で防戦する。攻撃が水口へ回ると原田伊豫や島田・並河らの指揮下で諸士が出撃し、岡原・上月の戦死、古川の負傷と十六歳の九郎市による救出などを列挙する。多勢に圧迫された守備側が本丸内へ引き入るところまで叙述する。

登場人物
天草四郎 原田伊豫 島田 並河 津田五郎八 古橋権太夫 原田主馬 大竹新助 呼子平右衛門 澤木七郎兵衛 原彦兵衛 上月八助 吉川傳右衛門 塩田市右衛門 井上角右衛門 福永六郎左衛門 野藤助之丞 松本七左衛門 山原作右衛門 川岸茂右衛門 山彦右衛門 古川 傳右衛門 九郎市
宛先
なし(戦闘記事)
キーワード
平塞録 富岡城 天草四郎 竹束攻め 水口 防戦 九郎市
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 673人数究帳・鹿児島衆有馬出陣の人数日数集計旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

鹿児島衆有馬立軍衆人数究帳

寛永十五年正月から三月まで、鹿児島衆から有馬へ出陣した諸士について、一人ごとに主従の内訳、従軍期間、延べ日数を列記した人数究帳。末尾で総人数五万七千七百四十一人、その内訳を人躰三千七百五人・小者夫五万四千三十六人と集計し、寛永二十一年正月二十六日に一日賦として照合した旨を記す。

登場人物
吉田次郎兵衛 山田民部少輔 川上左近将監 柏原市之允 新納加賀守 新納次郎四郎 西田九右衛門 四本六左衛門 深栖内膳 大田五兵衛 間世田七左衛門 木佐貫伴右衛門 児玉四郎兵衛 花田権兵衛 田中後藤兵衛 吐師孫兵衛 山城新助 大重傳左衛門 鳥丸六左衛門 国分平次郎 市来新左衛門 二階堂城之介 相良満右衛門 三原源右衛門 平田傳兵衛 東郷喜右衛門 有河新右衛門 村尾源左衛門 今井一兵衛 関主殿
宛先
なし(人数究帳)
キーワード
鹿児島衆有馬立軍衆人数究帳 寛永十五年 正月 三月 有馬 主従 人躰 小者夫 従軍日数
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:24系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

床波氏系図

床波佐次右衛門を起点に、嘉左衛門以下の床波氏諸流を配した系図。佐次右衛門は元禄三年生・安永四年五月没、嘉左衛門は享保元年生で、助兵衛を養子とし、女子は久木田覚助に嫁いだことを記す。兵次郎は次右衛門へ、与助は武右衛門へ、正助は勘介から、権左衛門は佐次右衛門へ、権助は清右衛門へ改名した。仁兵衛が兄次右衛門の後嗣となった例、養子・婚姻・母方、男女の子女を系線で示し、元禄・享保から宝暦・明和・安永・天明・寛政・享和・文化・文政期までの出生・没年を列記する。

登場人物
床波佐次右衛門、嘉左衛門、助兵衛、久木田覚助、兵次郎(改次右衛門)、六助、三助、仁三次、仁右衛門、春亀、与助(改武右衛門)、仁兵衛、仲五、熊助、与八、仁三次、正助(初勘介)、権右衛門、権左衛門(改佐次右衛門)、権助(改清右衛門)、権次郎、加兵衛、嘉左衛門、次郎、新助、六郎兵衛、初鶴、袈裟鶴
宛先
—
キーワード
床波氏系図、床波佐次右衛門、嘉左衛門、助兵衛、久木田覚助、兵次郎、次右衛門、与助、武右衛門、正助、勘介、権左衛門、佐次右衛門、権助、清右衛門、仁兵衛、後嗣、養子、改名、婚姻、母方、出生、没年、元禄、享保、宝暦、明和、安永、天明、寛政、享和、文化、文政
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:24-19記録・覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

『上井覚兼日記』天正十二年四月十四日条抄并猿渡氏考証

『上井覚兼日記』天正十二年四月十四日条から、平田新四郎と猿渡越中守が船中を訪れて閑談した記事を抄出する。これにより越中が四月まで島原に在陣したことを確認し、島津家久以下の島原渡海人数を日記の記載と照合して、越中の参陣を考証する。

登場人物
上井覚兼、平田新四郎、猿渡越中守、島津家久、山田新助、頴娃左馬助
宛先
—
キーワード
上井覚兼日記、天正十二年四月十四日、平田新四郎、猿渡越中守、島原在陣、船中、島津家久、渡海人数
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:24-20記録・覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

『上井覚兼日記』天正十二年八月二十六日条等抄并猿渡氏考証

『上井覚兼日記』天正十二年八月二十六日条以下から、鹿児島より帰来した飛脚が親貞・忠棟の書状をもたらし、出陣や秋月方との交渉を相談した記事を抄出する。軍談や諸所番賦に猿渡越中守がたびたび加わり、主要用人衆に次ぐ四人の一人として扱われたことを考証する。

登場人物
上井覚兼、島津親貞、伊集院忠棟、猿渡越中守、町田出羽守、本田刑部少輔、税所新助、新納武蔵守
宛先
—
キーワード
上井覚兼日記、天正十二年八月二十六日、島津親貞、伊集院忠棟、猿渡越中守、鹿児島、飛脚、軍談、番賦、用人衆
前編2-No.219文書確認度 高

今川義範軍勢催促状

今川義範が、武光以下の凶徒が城へ寄せて合戦中であるとして、佐伯・蒲江辺へ早急に馳せ越し忠節を尽くすよう催促した軍勢催促状。

登場人物
今川義範、武光以下の凶徒、佐伯・蒲江辺の軍勢
宛先
日州御領大田原村新助
キーワード
今川義範、武光、凶徒、合戦、佐伯、蒲江、忠節、軍勢催促状
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID C::119文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

犬追物手組

慶安元年九月二十六日の「初日一番四角之外」犬追物手組。光久様六疋、島津又左衛門尉五疋、島津中務少輔三疋などを記し、検見を島津圖書頭、喚次を蒲池新助とする。

登場人物
光久様、入来院石見守、島津又左衛門尉、島津中務少輔、三原遠江守、島津圖書頭ほか
宛先
宛先なし(手組)
キーワード
犬追物手組、慶安元年九月廿六日、初日一番、光久、犬数