殉国名薮
天正四年八月十九日・十月朔日 / 冊子 489~490頁
高原城合戦で天正四年八月十九日に戦死した三原重房・入佐郷久震・野村良綱・四本半忠次・宮原越中守らを列記する。続いて十月朔日の南郷合戦で戦死した新納忠氏・忠盈、安楽兼治・兼清らも収める。
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天正四年八月十九日・十月朔日 / 冊子 489~490頁
高原城合戦で天正四年八月十九日に戦死した三原重房・入佐郷久震・野村良綱・四本半忠次・宮原越中守らを列記する。続いて十月朔日の南郷合戦で戦死した新納忠氏・忠盈、安楽兼治・兼清らも収める。
天正四年八月~十月 / 冊子 496~497頁
肝付兼護が三百余兵で高原城攻めに従軍したが傍観したため、伊東方への内通を疑われた。忠節を示すため十月に飫肥へ出兵して南郷で伊東軍と戦うが大敗し、新納忠氏兄弟ら数百人が戦死した。福島城は鎌田政近・島津征久の援軍で守られた。
年月日未詳 / 冊子 775~776頁
吉満久張を祖とする系図。久張の長島戦死、忠良・忠根・忠氏・経繁・経保以下の生没年、出水・野田・現月の諸士との婚姻・養子関係を記す。
年月日未詳 / 冊子 462頁
和泉忠氏の譜伝。島津道義公の子女、長子貞久以下の兄弟姉妹と各分流を挙げ、次郎忠氏が薩摩国出水郡を拝領して和泉氏を称した由来、幕府・北条氏との関係、官途・所領継承を記す。
年月日未詳 / 冊子 527頁
和泉忠氏譜から、正中元年十一月晦日から翌年閏正月にかけて島津貞久が行った国廻狩の経路と、知覧院・頴娃郡・給黎院・谷山郡・鹿児島郡などで従った数百人の供人を記す記事。
年月日未詳 / 冊子 562頁
和泉忠氏が探題別当へ提出した書状と、島津彦次郎入道連道・諸三郎丸忠能らの関係を記した系譜記事。嘉暦四年六月の山田・上別符地頭職訴訟の人物関係を補う。
年月日未詳 / 冊子 584頁
和泉忠氏(初名実忠)を島津忠宗の二男とし、三郎兵衛尉・左兵衛尉・豊後守・下野守などの称を掲げる系図。建武年間、高越後守師泰・斎藤弥四郎左衛門尉利泰ら三人が鎮西成敗職として博多に在ったことも記す。
年月日未詳 / 冊子 584頁
元徳二年以前、実忠が新田宮領を所領しながら御供米を納めなかったため雑掌道海が訴え、実忠が非を認めたのち、同年十月廿五日に鎮西探題北条英時が弁済を命じる文書を出した経緯を記す和泉忠氏の譜記事。
年月日未詳 / 冊子 590頁
元徳三年五月、実忠が命に従わず新田宮の遺租を納めなかったため、雑掌道海が再訴し、鎮西探題北条英時が実忠へ改めて弁済を命じたことを記す和泉忠氏の譜記事。
年月日未詳 / 冊子 814-815頁
和泉忠氏が丹後国田辺庄・肥前国早湊村の地頭職に補任された由緒を記す。吉野方との和睦後に足利直義追討の綸旨を受け、一族を催して忠節を尽くすよう命じられた経緯も掲げる譜記事。
年月日未詳 / 冊子 824頁
和泉忠氏の初名・官途・法名を列記する譜記事。初名忠二郎、兵衛尉・左兵衛尉・豊後守・下野守を称し、法名を観翁とした。
天正五年春 / 冊子 510~511頁
高原出陣で傍観した肝付勢が忠節を疑われ、伊東方との一戦を命じられた経緯を記す。内談では形だけの戦いのはずが雑兵間で実戦となり、肝付勢は大敗、福島を包囲された。鎌田政近と島津征久の救援で伊東勢を退けた後、肝付氏は高山一か所を残して諸領を没収された。
文保二年三月十五日 / 冊子 464頁
島津道義が二男忠氏へ薩摩国出水郡を勲功の賞として譲与し、先例どおり沙汰するよう命じたとする文書。本文は人名を後世に填入した疑文書との注記がある。
応永二十八年十一月十五日 / 冊子 254頁/原整理番号 1
島津忠朝が宮子若狭守に「久種」の名を与えた名字状。付随する系譜注には、相馬氏系図の川内平佐城での自害記事を軍記と照合して疑問を示す注、久照の法名、忠氏の出生・没年、忠長の母・出家と還俗などを記す。
観応二年十一月二日 / 冊子 815頁
足利尊氏が島津上総三郎師久へ、島津下野守忠氏跡の所領を軍功の賞として宛行い、先例どおり支配するよう命じた下文。
延享元年五月二十五日 / 冊子 766頁/整理ID 1997
吉貴の御譜は、和泉氏が島津忠宗の子忠氏を祖とし、直久の戦死後長く絶えていた経緯を述べる。延享元年五月二十五日、吉貴は継豊と協議し、三男三次郎に和泉家の名跡を継がせて一門に列することを決めた。源姓と島津姓を用いる家とする旨も記す。
延享元年五月二十五日 / 冊子 766頁/整理ID 1998
継豊の御譜は和泉氏の祖忠氏から直久の戦死に至る由緒を詳しくたどる。長く途絶えた和泉家を再興するため、吉貴の三男三次郎を名跡継承者に立て、源姓・島津姓を用いさせ、一門家格に加えるとする。決定に伴う継豊の書付と吉貴の伝達は後続文書に載る。
文保二年三月十五日 / 冊子 464頁
島津道義が四男下野守忠氏分として大隅国佐多を譲与したとする文書。所領知行を先例どおり沙汰する旨を記すが、本文疑文書との注記がある。