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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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36 件 (全巻)/ 1–36件を表示

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旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W16_2掟書抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

家久公御出の寺社知行に関する覚

家久公の時に寺社知行の三分一を召し上げて別紙に記したことを述べ、無縁の寺社、先祖以来の寺と知行、建立や祈願所に関する扱いを列挙する。末尾に元和五年七月三日とある。

登場人物
「家久公御出」とある別紙覚
宛先
宛先なし
キーワード
家久公御出・寺社知行三分一・元和5年7月3日
後編3-No.540文書確認度 高

覚書

慶長三年十一月から十二月までの年齢を記した覚書。島津義弘(維新公)を六十四歳、島津忠恒(家久公)を二十三歳とする。

登場人物
島津義弘(維新公)、島津忠恒(家久公)
宛先
—
キーワード
覚書、慶長三年、十一月、十二月、島津義弘、維新公、六十四歳、島津忠恒、家久公、二十三歳、年齢
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 79記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

北郷久加世別記

『北郷久加世別記』。二月二日に富岡へ着き、家久公の意向として、富岡番手奉行の労をねぎらい、大隅守の病状悪化で有馬へ渡れないこと、松平伊豆守の命により上津浦へ物頭・番手人数を送ったことを主税介・大和守の両所へ伝えた。両所は取次を介して返答した。

登場人物
家久公、大隅守、松平伊豆守信綱、主税介、大和守、太田三左衛門、渡辺半右衛門
宛先
宛先なし(別記記事)
キーワード
北郷久加世別記、二月二日、富岡、家久公、大隅守、病状、松平伊豆守、上津浦、番手、物頭、主税介、大和守、取次
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w7:20系図・平姓庶流平田氏/軍歴・家職・没年記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平姓庶流平田氏系図

桓武天皇―葛原親王―高望王から貞盛・維衡・正度・忠盛・清盛を経て、小松内大臣重盛の後裔を平田氏諸流へつなぐ庶流系図。平田安房助悦山を加世田龍徳院に葬ったこと、谷山吉幸城主・平田民部少輔宗秀が隅州平松の岩剣合戦で戦死したことを記し、宗貞・宗祐・宗位・宗如らの官途・没年・法名へ続く。宗清は天文六年八月七日に阿多宮崎本地河原で戦死し、宗張は天正十五年三月十五日に豊後坂梨で戦死、平田新七光宗は実父を宗秀とし、慶長十年十二月二十六日に七十七歳で没した。さらに妙谷寺・福昌寺住持となった宗徳、増宗まで続く家老役、宗次の野尻での被討、行宗の筑前航海中の船破損に際する切腹、宗親・宗朋・宗房らの没年と葬地を載せる。村田雅楽頭経宣の三男・宗敏は子のない宗房の猶子となり、九歳で義久の近習、十三歳で家久の幕下に奉仕し、十四歳の慶長四年には伊集院源次郎の庄内一揆に従軍したところまで記す。

登場人物
桓武天皇、葛原親王、高見王、高望王、良望、貞盛、維衡、正度、正盛、忠盛、清盛、重盛、基盛、宗盛、知盛、清宗、能宗、宗正、宗増、親宗、重宗、氏宗、宗秀、宗貞、宗祐、宗位、宗如、宗直、宗清、光宗、宗張、盛房、盛光、宗鑑、宗武、宗輪、宗吉、宗勝、宗成、宗徳、増宗、宗次、行宗、宗親、宗定、宗朋、宗房、宗敏、村田雅楽頭経宣、義久公、家久公、伊集院源次郎
宛先
—
キーワード
平姓庶流平田氏、桓武平氏、小松内大臣重盛、平田氏系図、加世田龍徳院、谷山吉幸城、宗秀、岩剣合戦、宗清、阿多宮崎本地河原、宗張、豊後坂梨、光宗、宗徳、妙谷寺、福昌寺、家老役、宗次、野尻、行宗、筑前海難、切腹、宗朋、南林寺、宗房、松原山、宗敏、村田雅楽頭経宣、猶子、義久公近習、家久公幕下、伊集院源次郎、庄内一揆
後編3-No.342文書確認度 高

家久公御譜中所収文書(本文欠)

『家久公御譜中』所収文書。掲載箇所には「正文在鹿児島町仲馬七郎兵衛」とあるのみで、独立した本文・日付・発給者・宛所は記載されていない。

登場人物
—
宛先
—
キーワード
家久公御譜中、鹿児島町、仲馬七郎兵衛、正文所在、本文欠
追録6-No.610証状旧記雑録暫定版確認度 中

樺山久智証状

大龍寺の文書十通の写に関する証状で、白木御文書五番箱にある覚写として掲げる。列挙するのは、将軍義稙公の延徳三年二月二十二日付公文一通、将軍義澄公の文亀二年十一月二十日・同年十二月二十一日付公文二通、将軍義昭公の天正六年八月十六日・同年十月十七日付公文二通、家久公の寛永六年四月八日・同年四月二十二日付公文二通、光久公の慶安三年閏十月五日付公文二通、および貞享三年九月十日付公文一通である。これら大龍寺の文書が失われたため、写の作成を願い出たことについて、島津久金・亡菱刈實詮の相談を経て申し上げ、御記録所で臨写するよう命じられたので、後代まで格護すべき旨を伝える。明和六年丑十一月二十八日付、樺山左京久智の判、大龍寺宛を備える。付記は、包書に朱で四十八・大龍寺格護の文書とあること、同年十一月二十八日に左京から後年の見合せのため御記録所へ渡し置く旨で渡され、東郷次太夫が承知して納め置いたことを記す。

登場人物
樺山左京久智(判)、島津左中久金、亡菱刈藤馬實詮、東郷次太夫、将軍義稙公、将軍義澄公、将軍義昭公、家久公、光久公
宛先
大龍寺
キーワード
大龍寺文書十通、義稙一通・義澄二通・義昭二通・家久二通・光久三通、文書伝失、写作成願、御記録所臨写命令、後代格護、樺山久智判、大龍寺宛、包書朱四十八、東郷次太夫受領納置
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID C::103文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

犬追物手組

寛永二十年九月十五日の「初日一番四角之外」犬追物手組。家久公三疋、島津兵庫頭三疋、吉田長四郎一疋などを掲げ、検見を島津十郎左衛門尉、喚次を吉田休兵衛尉とする。

登場人物
家久公、島津兵庫頭、吉田長四郎、渋谷周防助、田原主膳正、島津十郎左衛門尉ほか
宛先
宛先なし(手組)
キーワード
犬追物手組、寛永廿年九月十五日、初日一番、射手、犬数
後編4-No.446文書確認度 高

島津家久公辺記事

島津家久の母・実窓芳真大姉の没後、家久が不断光院に阿弥陀如来像と位牌を建立するよう命じ、三原諸右衛門・細工奉行森喜右衛門を通じて京都七条の大仏師康厳法印に彫刻させ、慶長十三年四月九日に家久自筆の証書を像内へ納めた記事。

登場人物
島津家久、実窓芳真大姉、三原諸右衛門、森喜右衛門、康厳法印
宛先
—
キーワード
島津家久公辺記事、実窓芳真大姉、不断光院、阿弥陀如来、位牌、康厳法印、仏像造立、胎内文書
後編5-No.1175記事確認度 中

島津家久公譜

家久の病気見舞いと島原一揆鎮圧への協力のため、江戸にいた光久が帰国を命じられた経緯を記す。光久は有馬で松平信綱に幕命を伝えたが、父家久の重病を理由に帰国を勧められ、二月十六日夜に鹿児島へ到着した。

登場人物
編者未詳
宛先
—(公譜)
キーワード
島津家久公譜、島津光久、家久病気、阿部忠秋、松平信綱、島原一揆、有馬、江戸出立、帰国、二月十六日、鹿児島
後編4-No.789文書確認度 中

中山王尚寧書状

慶長十六年正月十一日、中山王尚寧が島津家久に、長い薩摩滞在中の厚遇と帰国後の安堵を感謝した書状。楮紙三百帖と茶壺一箇を拝受したことを喜び、島津家への謝意を重ねて述べる。

登場人物
尚寧王、島津家久
宛先
島津家久(羽林家久公)
キーワード
中山王尚寧書状、尚寧王、島津家久、琉球、薩摩滞在、帰国、楮紙三百帖、茶壺、謝礼
後編4-No.1400文書確認度 高

中山王書状

中山王が島津家久家の繁栄を祝い、遠路のため祝儀が遅れたことを詫び、佐敷王子の上国に際して琉球の政務指導を願い、別紙記載の祝物を贈った書状。

登場人物
中山王、島津家久、佐敷王子
宛先
羽林家久公
キーワード
中山王書状、島津家久、繁栄祝、佐敷王子、上国、琉球政務、祝物、元和三年三月二十六日
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID C:43-1文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

諸調書書抜

御関狩・御馬追に関する諸調書の書抜。天正四年の近衛前久滞在時に春山の御関狩が行われた記録を挙げ、関狩が出陣、馬追が帰陣の儀式だという古老の伝承を検討する。膳・三献などの作法と照らして単純には認められないとし、吉野の御牧と馬追の開始年代も旧記の記載を比較して確定を避ける。

登場人物
諸調、太守義久、近衛前久、前久、頼朝、天正六年義久、伊集院、鎌田刑部
宛先
御嘗園、依之御庖丁人頭方、右之牧家久公
キーワード
諸調書書抜、家譜編集、軍事・武具、役職・人事、伊勢
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID F:14記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

諸家旧記

島津運久が日新を養子に迎えたことから説き起こす一族の由緒。後に生まれた実子とその子孫の家督・奉公の経緯、所領を離れて諸国を転々とし、播磨国に移った家系を述べる。

登場人物
諸家旧、一嶋津運久白新、日新、大猷院、光久、飛候、清水源、浪人岩山半兵衛妹御奉
宛先
一嶋津運久白新、日新、之家臣後藤何某所、大猷院、甲州恵林寺、山門、者不居曲目一而京都、清水、而龍雲琉球、陽和院様御娘、智性院、平女中之、一家久公御子式部太輔殿在、而式部殴所、其後圧内、其時奥方、光久公、肥後休右衛門後室、而西田町、後江戸
キーワード
諸家旧記、寺社・宗教、琉球関係、朝鮮出兵、琉球、朝鮮、江戸、京都、肥後、豊後、志布志、清水
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID F:38記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

諸家旧記

種子島左近から家久に進上した「種子茄子」の茶入についての記録。名物茶入の伝来を、秀吉・信長の所持品や大坂落城・本能寺焼失の伝承と比べ、関係する家の由緒を付記する。

登場人物
諸家旧、種子嶋左近、家久、太閤秀吉、三原、御家二代忠時
宛先
種子嶋左近、家久公、大坂、日本、娃瑞醸院、薩州、家老衆参舎所
キーワード
諸家旧記、系図・由緒、寺社・宗教、軍事・武具、伊勢、肥後、指宿
後編5-No.208文書確認度 高

島津家久公帖

島津家久が、日向国大慈寺の住職職について先例どおり執務するよう命じた判物。阿久根蓮華寺文書として伝わる。

登場人物
島津家久、季雲西堂、大慈寺関係者
宛先
季雲西堂
キーワード
島津家久、季雲西堂、日向国、大慈寺、住職、執務、蓮華寺
後編2-No.1414記事確認度 低

島津家久譜

原資料には「家久公御譜中」という出典表示のみがあり、対応する記事本文は記載されていない。 本文の脱落、または編纂上の空白である可能性があるため、内容を推測せず出典情報だけを記録する。

登場人物
島津家久
宛先
宛先なし(譜の出典表示のみ)
キーワード
島津家久、家久公御譜中、出典表示、本文なし、記事欠落、編纂、家譜
後編2-No.1512文書確認度 中

寺沢正成書状

標題と所収情報のみが掲げられ、この箇所には書状本文が収録されていない。 宛先・用件は確定できないため、同じ箱・家久公御譜中の関連史料との照合を要する。

登場人物
寺沢正成
宛先
本文未収録につき不明
キーワード
寺沢正成、書状、本文未収録、家久公御譜、御文庫二番箱、要照合
後編3-No.1678文書確認度 高

島津龍伯書状

島津龍伯が島津忠恒(又八郎)へ、出立の際に贈るつもりで細工屋へ仕立てを命じた長刀が遅れて完成したため、改めて一腰を贈ると伝えた書状。原典には「家久公御譜中」とある。

登場人物
島津義久(龍伯)、島津忠恒(又八郎)
宛先
又八郎(島津忠恒)
キーワード
島津龍伯書状、慶長七年八月十日、島津義久、龍伯、島津忠恒、又八郎、家久公御譜中、長刀、細工屋、仕立、贈答、一腰
後編4-No.125文書確認度 高

相良頼房(長毎)書状

本文は『御文庫二番箱家久公十三巻中』『家久公御譜中ニ在リ』との所在・参照注記だけで、犬の所望や鷹の所持に関する本文記述はない。

登場人物
相良頼房(長毎)、島津忠恒(羽兵入様)
宛先
島津忠恒(羽兵入様)
キーワード
御文庫二番箱、家久公十三巻、家久公御譜、所在注記、参照注記
後編5-No.1118文書確認度 低

某書状

「覚」として『家久公御譜中』に収められた島原・天草の戦況記事。島原城から一里ほどの米蔵へ侍十二人・鉄砲二百挺を遣わしたところ、千本村の一揆勢に襲われ、鉄砲頭の高橋弥次右衛門・入江与右衛門・高畠次郎太夫とほか四、五人が討死し、城へ退いたこと、城近辺の村々も焼かれたことを記す。唐津勢は十一月十日に天草本戸へ着き、先手四、五百人が島子村で約三千人の一揆勢に攻められて本戸へ退却、本戸の在家を焼かれ、三宅藤兵衛のいる富岡へ移ったという。これらは天草からの未確定情報であり、上使の下向・隣国加勢の続報はなく、御横目衆が高瀬へ来たとも記す。本文日付は寛永十四年十一月十七日。差出人・宛所のない覚書・譜記事で、索引の「文書・某書状」と形式が相違する。

登場人物
高橋弥次右衛門、入江与右衛門、高畠次郎太夫、三宅藤兵衛、島原城籠城者、唐津勢、天草一揆勢、上使、隣国加勢、御横目衆
宛先
—(覚書・宛所なし)
キーワード
家久公御譜中、覚、島原、島原城、米蔵、侍十二人、鉄砲二百挺、千本村、一揆、高橋弥次右衛門、入江与右衛門、高畠次郎太夫、討死、唐津勢、天草、本戸、島子村、四五百人、三千人、三宅藤兵衛、富岡、上使、隣国加勢、御横目衆、高瀬、戦況報告、未確定情報、索引形式相違、寛永十四年十一月十七日
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:113系図・家伝/軍功・家老・地頭歴旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

三原氏系図

三原氏の系譜を、藤原鎌足・不比等・房前以下の藤原北家から、道隆・隆家・経輔・政則を経て菊池則隆へつなぎ、菊池氏から分かれた経隆・経俊・経重以下の諸流として示す。経俊は筑後国三原城に居して三原を氏とし、経重は源頼朝から鞍馬と長光の御剣を賜ったのち筑後国三原城へ移住したと記す。後代には伊作・高城・曾於郡・大口・川辺・伊集院・加世田などの地頭歴、日新公・貴久公・義久公への歴仕、加判役・家久公家老への就任、国分移住後の三百石から元和六年四百五十石・寛永九年五百七十六石への石高推移を載せる。重次(一名重尚、平田左房介宗茂の二男)は天文二十三年九月二十七日に岩剣城で戦死し、重宗は朝鮮で病没、重種は朝鮮出陣・大坂役を経て神祖に謁し家久公の家老となったとする。婚姻・養子・法名・没年のほか、慶長十八年の知行高、万治二年の御勘定奉行記事、元禄六年生まれの重次までを収める。

登場人物
藤原鎌足、藤原不比等、藤原房前、藤原真楯、藤原内麿、藤原冬嗣、藤原良房、藤原基経、藤原忠平、藤原師輔、藤原兼家、藤原道隆、藤原隆家、藤原経輔、政則、菊池則隆、経隆、経俊、経重、為重、直重、正重、重益、重次(重尚)、重宗、重種、重行、島津日新公、島津貴久、島津義久、島津家久
宛先
—
キーワード
三原氏系図、藤原北家、藤原鎌足、藤原不比等、藤原道隆、藤原隆家、菊池氏、菊池則隆、筑後国三原城、経俊、経重、源頼朝、鞍馬、長光御剣、伊作地頭、高城地頭、曾於郡地頭、大口地頭、川辺地頭、伊集院地頭、加世田地頭、日新公、貴久公、義久公、加判役、家久公家老、国分移住、三百石、四百五十石、五百七十六石、岩剣城、朝鮮出陣、大坂役、御勘定奉行、婚姻、養子、法名
後編2-No.887文書確認度 中

島津忠恒(のち家久)書状

島津忠恒が、出陣以来便りがないことを案じ、近日中に引陣するとの情報が確かなら、武庫様父子の動静を直ちに知らせてほしいと抽斎へ求める。 帰陣をめぐる不確かな情報のなかで、父子の安否と軍の動向を急いで確認しようとする短い陣中書状である。

登場人物
島津忠恒、抽斎、武庫様父子
宛先
抽斎
キーワード
島津忠恒、島津家久、家久公御譜中、抽斎、武庫様父子、引陣、出陣、安否確認、朝鮮出兵、陣中書状
後編3-No.1573文書確認度 高

山口直友書状

山口直友の書状。本文はNo.2578文書と同文であるため原本掲載では省略され、同文書を参照する旨のみが注記される。

登場人物
山口直友
宛先
(宛所不詳)
キーワード
山口直友書状、十一月二十六日、山口直友、同文省略、No.2578、参照注記、正文有之、島津家久公御譜
後編3-No.1603文書確認度 高

山口直友書状

山口直友書状の正文が存在することを示すが、本文は後掲No.2600文書と同文であるため省略されている。

登場人物
山口直友、島津忠恒(家久)
宛先
島津忠恒(家久)
キーワード
山口直友書状、慶長七年正月十五日、山口直友、島津忠恒、家久公御譜、正文有之、No.2600同文、本文省略
後編3-No.1630文書確認度 高

山口直友書状

山口直友書状の正文が存在することを示すが、本文は別掲文書と同文であるため省略されている。

登場人物
山口直友、島津忠恒(家久)
宛先
島津忠恒(家久)
キーワード
山口直友書状、慶長七年五月一日、山口直友、島津忠恒、家久公御譜、正文、同文、本文省略
後編4-No.302記事確認度 高

島津家久譜

犬追物の式日に北郷次郎忠能が進退の礼を時宜にかなって行い、佳例を整えたため、島津家久がその志を深く感じて賞したことを記す。

登場人物
北郷忠能、島津家久
宛先
—
キーワード
犬追物、北郷忠能、島津家久、進退、礼法、賞賛、家久公御譜
後編3-No.490記事確認度 高

島津家久譜

『家久公御譜』が、慶長三年十月朔日の新寨決戦を島津忠恒(家久)の働きを中心に記す記事。忠恒は明軍を城壁近くまで引きつけて鉄炮を撃たせ、白狐・赤狐の出現を稲荷明神の加護と受け止めて出撃した。自ら敵中へ進み、肩に千戈の傷を負いながら首級を得た後、義弘の援兵と合流して明軍を晋州川方面へ追撃する。戦後は父子の首実検と勝利の儀礼、十月二日の敵首集計を記す。

登場人物
島津忠恒(家久)、島津義弘、董一元、孟老爺、茅国器、平田新左衛門宗位、寺山久兼、黒田加兵衛尉、本田治右衛門尉、明軍
宛先
—
キーワード
島津家久譜、島津家久、島津忠恒、島津義弘、慶長三年十月朔日、新寨、董一元、孟老爺、茅国器、明軍、接近射撃、白狐、赤狐、稲荷明神、敵中突入、肩負傷、首級、援兵、晋州川、追撃、首実検、勝利儀礼
後編4-No.232文書確認度 高

島津家久書状

島津家久の書状として掲げられた項目だが、本文は収録されず、「家久公御譜中」と正文が東郷八左衛門方にある旨の所在注記のみを記す。

登場人物
島津家久、東郷八左衛門
宛先
—
キーワード
島津家久書状、正文所在、東郷八左衛門、島津家久譜、本文省略
後編5-No.131文書確認度 中

島津家久袖加判条書

本文には「家久公御譜中ニ在リ」との所在注記だけが掲げられ、インデックス標題の袖加判条書に相当する本文はこの箇所では確認できない。

登場人物
島津家久
宛先
—
キーワード
島津家久、袖加判条書、所在注記、本文欠落、目録照合、要確認
後編5-No.895文書確認度 低

島津家久書状

現ページには「家久公御譜中」「正文在島津市之助忠紀」とあるのみで、書状本文・宛所・署名は掲出されていないため、内容を確定できない島津家久書状。

登場人物
島津家久
宛先
—
キーワード
島津家久、島津市之助忠紀、御譜中、正文所在、本文未掲載、内容未特定
後編5-No.1182文書確認度 中

土井利勝外二名連署奉書

薩摩勢が有馬表へ向かうとの注進が上聞に達したため、手前の軍勢の事情により薩摩守に暇を与える旨を伝えた連署奉書。No.1177と同内容で、家久公譜中に再録されたものとみられる。

登場人物
土井利勝・酒井忠勝・阿部忠秋
宛先
薩摩中納言(島津家久)
キーワード
土井利勝、酒井忠勝、阿部忠秋、島津家久、薩摩勢、有馬、上使、上聞、暇、No.1177、再録