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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:21系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伴姓萩原家来歴

伴姓萩原家の祖系と下向由緒を記す導入系図。天智天皇について、推古三十五年誕生、舒明天皇の皇子・中大兄皇子、母は皇極天皇、即位・崩御・近江志賀大津宮・大安寺造営・藤原鎌足薨去などを記し、大友皇子と斯喜王子から光仁・桓武・嵯峨・光孝・宇多・醍醐の諸帝へ系線を引く。別伝として伊賀皇子、黒主王、葛野皇子・池辺王・小野祖、与多麿らを掲げ、大伴氏・伴氏の起源を説く。後半は伴宿禰以下、主麿・兼俊・兼行らの系譜を配し、兼行が安和元年に薩摩国守護を賜り、翌年鹿児島郡へ下向して神食江四十町に屋形を築き『伴様御館』と称したこと、村上天皇の勅命で舞鶴紋を賜ったこと、永観二年に大隅国肝属郡高山庄本城へ移ったことを記す。末尾は安楽豊前守・彦四郎の安楽庄受領へ続く。

登場人物
天智天皇(中大兄皇子)、舒明天皇、皇極天皇、藤原鎌足、大友皇子、斯喜王子、光仁天皇、桓武天皇、嵯峨天皇、光孝天皇、宇多天皇、醍醐天皇、伊賀皇子、黒主王、葛野皇子、池辺王、小野祖、与多麿、都井麿、夜須良麿、伴宿禰、義比少将、主麿(鶴若丸・新太夫)、兼俊、兼行(兼家・童太夫判官)、安楽豊前守、彦四郎
宛先
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キーワード
伴姓萩原家来歴、天智天皇、中大兄皇子、大友皇子、大伴氏、伴氏、伊賀皇子、黒主王、与多麿、伴宿禰、兼行、薩摩国守護、安和元年、鹿児島郡下向、神食江四十町、伴様御館、舞鶴紋、村上天皇、永観二年、高山庄本城、安楽庄、系図、祖系、下向由緒
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:22-1系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伴姓肝付氏庶流系図

舒明天皇・天智天皇・大友皇子を起点に伴姓の祖系を示し、兼経・兼益以下の肝付氏と庶流を配する系図。萩原・救仁郷・安楽・検見崎・北原・和泉・岸良・野崎・川南・鹿屋・小野口・山下など各氏の分出を明記する。兼尚が鎌倉在府中、兼重が留守・番代を務め、その子秋兼が兼尚の養子となって嫡家を相続した経緯を載せる。後段では兼続(法号省釣)の永正八年誕生、永禄五年の松山・志布志知行、永禄九年十一月十五日の志布志での死去、良兼・兼勝・兼樹・兼包・兼政らの続柄を記す。兼政は早世した良兼の娘を妻として嫡家を相続し、慶長五年九月十五日に美濃国関ヶ原で戦死したとし、兼元の島津元久上京供奉や兼忠の頴娃拝領にも触れる。

登場人物
舒明天皇、天智天皇、大友皇子、余那足、善名、善男、仲用、仲兼、兼遠、兼行、行貞、兼貞、兼俊、兼経、兼益、兼員、兼任、兼綱、貞、兼友、兼幸、行俊、兼藤、兼尚、兼重、秋兼、兼光、兼廣、宗兼、信兼、兼氏、兼朝、久兼、兼政、兼続、良兼、兼勝、兼樹、兼包、兼元、兼忠、島津元久、島津久豊、島津忠朝、伊東義祐
宛先
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キーワード
伴姓肝付氏庶流系図、天智天皇、大友皇子、伴姓、肝付氏、萩原氏、救仁郷氏、安楽氏、検見崎氏、北原氏、和泉氏、岸良氏、野崎氏、川南氏、鹿屋氏、小野口氏、山下氏、兼尚、秋兼、養子、嫡家相続、兼続、省釣、松山、志布志、兼政、慶長五年、関ヶ原合戦、戦死、島津元久、上京供奉、頴娃、系図、庶流
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:63系図・伴姓鹿屋氏旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

伴姓鹿屋氏系図

天智天皇・大友親王から伴姓の善名・善男を経て鹿屋氏に至る系線を掲げ、兼俊を肝付城高山の領主、兼任を萩原、俊貞を安楽、行俊を和泉、兼高を梅北とする諸分流を図示する。宗兼が父兼石から鹿屋院の弁済使職を譲られ、鹿屋を家号としたという名字の由来が中心記事で、日州三俣院の領主領阿との関係も記す。永和の乱に宮方へ属した兼永と高城での戦死、兼雄の鹿屋院長谷山城での戦闘、忠兼の島津元久の家老職、兼好の加治木・千本方面での軍功、幼い兼健が伯父兼直の養子となり平田兼宗の口添えなどを経て高隈を領した経緯を添える。弘治2年8月17日の日州国合原の北郷氏・肝付氏戦では肝付氏に加勢した兼豊が戦死し、幼い兼清は鹿屋を離れて日州志布志に住んだことも記載する。後半は日州・隅州の地頭職、改名・法名、婚姻・養子と各家への分岐を追い、元禄・正徳・享保・宝暦・安永期の出生・死亡・居所まで記す。系図中の古い祖系・軍歴は本文に記された家伝として扱い、文書全体の成立年とは区別する。

登場人物
天智天皇、大友親王、善名、善男、兼俊、兼任、俊貞、行俊、兼高、兼石、宗兼、兼永、兼雄、忠兼、兼好、兼賢、兼健、兼幸、兼豊、兼清、兼方、兼治、兼明、兼次、兼平、兼澄、兼庸ほか鹿屋氏諸流
宛先
なし(系図)
キーワード
伴姓鹿屋氏系図、天智天皇、大友親王、善名、善男、兼俊、肝付城高山、萩原、安楽、和泉、梅北、宗兼、鹿屋院弁済使職、鹿屋家号、領阿、三俣院、永和の乱、宮方、高城、兼雄、長谷山城、忠兼、島津元久家老、兼好、加治木、千本、兼健、兼直、平田兼宗、高隈、弘治2年8月17日、国合原、北郷氏、肝付氏、兼豊戦死、兼清、志布志、地頭職、養子、婚姻、近世家系
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:485系図・系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伴姓肝付氏系図

伴姓肝付氏の大部な系図。天智天皇の皇子流から大伴氏・勝部氏の起源を説き、肝付を号した諸代と多数の庶流を系線で示す。官職・通称、所領、婚姻・養子、寺院住持、法名を付し、高麗・朝鮮出兵、加治木・志布志などの合戦と戦死、島津氏への奉公、謀反人に関する注記を収める。末尾は肝付姶良玉泉庵の僧と兼明・兼佳らに至る。

登場人物
天智天皇、大友皇子、肝付兼貞、兼俊、島津元久、島津義弘
宛先
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キーワード
伴姓肝付氏系図、天智天皇、大友皇子、大伴氏、勝部氏、肝付氏、島津元久、島津義弘、高麗、朝鮮、加治木、志布志、戦死、奉公、玉泉庵、婚姻、養子
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:492系図・系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伴姓肝付氏系図

古系図と注記された伴姓肝付氏の系図。天智天皇・大友皇子から大伴氏、勝部氏へつながる起源説を掲げ、肝付氏の諸代と多数の庶流を系線で示す。官途・通称、所領、婚姻・養子、寺院、法名を付し、加治木・高山城などの合戦、戦死、島津氏への奉公、謀反人に関する記事を収める。人名上の丸印が朱書であるとの注記もある。

登場人物
天智天皇、大友皇子、大伴氏、勝部氏、肝付氏、島津元久
宛先
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キーワード
伴姓肝付氏系図、古系図、天智天皇、大友皇子、大伴氏、勝部氏、肝付氏、島津元久、加治木、高山城、合戦、戦死、奉公、婚姻、養子、寺院、法名、朱書
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:506系図・系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伴姓肝付氏系図

古系図と注記された伴姓肝付氏の系図。天智天皇・大友親王から伴姓へつながる起源説を掲げ、伴善男の官位・流罪記事を経て、河内右馬頭兼遠・兼行らから肝付氏諸流へ系線を展開する。多数の諱・通称・官途、出家名、女子、庶流を記し、末尾は兼清・兼宣・兼基・兼季・兼右・兼左・兼政・兼連らへ至る。

登場人物
天智天皇、大友親王、伴善男、肝付氏諸流
宛先
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キーワード
伴姓肝付氏系図、古系図、天智天皇、大友親王、伴善男、大納言、流罪、兼遠、兼行、肝付氏、官途、出家、庶流、女子
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:521系図・系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伴姓鹿屋氏系図

志布志士鹿屋権兵衛家に伝わる伴姓鹿屋氏の系図。天智天皇・大友親王から余那足、善名、善男以下を連ねる。兼雄の鹿屋一谷長谷山城での軍功、兼好の加治木合戦、兼賢の鹿屋院弁済使補任、兼永の高城合戦死、兼健の平田氏からの養子入りと北郷氏との戦闘などを記し、兼明・兼次ら後裔と婚姻関係へ続く。

登場人物
天智天皇、大友親王、余那足、善名、善男、兼雄、兼好、兼賢、兼永、兼健、兼豊、兼明、兼次
宛先
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キーワード
伴姓鹿屋氏系図、志布志、鹿屋権兵衛、天智天皇、大友親王、余那足、善名、善男、兼雄、長谷山城、兼好、加治木、兼賢、鹿屋院、弁済使、兼永、高城、兼健、平田氏、北郷氏、兼豊、兼明、兼次、軍功、養子
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w9:117系図・庶流伴姓肝付氏旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

庶流伴姓肝付氏系図

兼忠の子・国兼とその庶流をつなぐ肝付氏系図。国兼は肝付郡本城の落城後、帖佐総善寺の裏で自害したと記す。兼光は兄兼連の行いを諫めても容れられず、守護方へ帰心して忠節を尽くしたといい、兼固は文明十八年に隅州溝辺を領し、大崎から溝辺へ移った。別系の兼演には加治木城を攻め取った記事がある。後代には伊集院忠棟の三男を後嗣とした経緯、家統の継承と阿多への移住、島津光久の妹や養女を通じた婚姻・養育関係などを載せ、兼加・兼年に至る系線が続く。

登場人物
兼忠、国兼、兼連、兼久、兼光、兼固、兼演、兼篤、兼武、兼加、兼年、伊集院忠棟、島津義久、島津光久
宛先
なし(系図)
キーワード
庶流伴姓肝付氏系図、兼忠、国兼、兼連、肝付郡本城、落城、帖佐総善寺、自害、兼光、守護方、兼固、大崎、溝辺、兼演、加治木城、阿多、伊集院忠棟、島津義久、島津光久、後嗣、養子、兼加、兼年
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:100系図・伴家肝属氏正統近代の家譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伴姓肝付氏正統系図

伴家肝属氏の近代の家系を兼続以下の枝筋までたどり、子女・養子・婚姻、家督、官途・法名、所領、戦死や寺院関係を記した長大な系図。冒頭に宝永四年五月二十五日、改訂して御記録所へ差し出したと記し、兼続の弘治二年の口宣、良兼らの志布志大慈寺・日州の寺院や位牌をめぐる記事、兼長らの地頭職・知行、兼道らの島津家との関係や慶長五年の戦死を載せる。後段には享保年間の太刀・銀馬代や家格に関する願い、僧籍に入った者、女性の婚姻・離別も記し、宝永四年の提出後にあたる年次の記事も含む。単なる直系表ではなく、分家・養子筋と後年の由緒主張を併記した点に特徴がある。

登場人物
兼続、良兼、兼長、兼吉、兼道、兼盛、兼康、兼幸、兼辛、兼親、年兼、経兼、治兼、兼群、島津家久、島津義久、島津龍伯、伊東義祐、大友宗麟
宛先
なし(系図。冒頭に御記録所への差出を記載)
キーワード
伴家系図、肝属氏正統、宝永4年御記録所提出、兼続、良兼、兼長、兼道、兼辛、兼康、兼幸、年兼、経兼、治兼、兼群、志布志大慈寺、日州、地頭職、養子・婚姻、慶長5年戦死、享保年間の家格・拝領願、太刀・銀馬代
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:40系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

江田源助家系図

小野太郎家綱を起点とする江田源助家の系図。家綱は文治三年、源頼朝が惣追捕使として諸国の国人を御家人に補した時に日置地頭となり、島津忠久の命により内裏大番を勤めた。家重は父の譲りを受け日置を領し、京都大番・筥崎警固に従事した。家長は兄に男子がないため跡を継ぎ日置を領して大田を号し、家氏は大田を退いて江田へ改称し、肥前松浦の湊村・同国移万名等の地頭として居住した。家房は松浦を退き日州三俣へ移り、家貞は三俣領主肝付兼重が畠山式部に攻められた際、兼重を山林へ逃がして肝付八郎兼重と名乗り身代わりに討死した。両家は一方が絶えれば他方が継ぐと誓約し、兼重は遺児兼政に伴姓と『兼』字を与えたとする。後半は兼盛・兼房・兼行、兼尭・兼秀、兼賢・兼廣・兼乗、兼年らの系線、官途・通称を掲げる。

登場人物
源頼朝、島津忠久、家綱、家重、家長、家忠、家氏、家房、家貞、足利尊氏、畠山式部、肝付兼重、兼政、兼盛、兼房、兼行、兼尭、竹内備前守、兼秀、兼賢、兼廣、兼乗、兼年
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キーワード
江田源助家系図、小野太郎家綱、文治三年、源頼朝、惣追捕使、御家人、日置地頭、島津忠久、内裏大番、京都大番、筥崎警固、大田号、江田改称、肥前松浦、湊村、移万名、日州三俣、肝付兼重、足利尊氏、畠山式部、身代わり討死、肝付八郎、両家相続誓約、伴姓、兼字、人物志
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID 無番号_0004巻扉・中表紙旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

諸家系図文書 三 巻扉・鹿屋氏文書中表紙

『諸家系図文書 三』の巻扉と『鹿屋氏文書』の中表紙。巻扉には三番箱・伊進上の注記と、鹿屋氏文書系図(伴姓)、諸家古文書雑集、肝付氏系図、前田氏系図(伴姓)の収録見出しを記す。中表紙には『此冊中ノ文書ハ旧記雑録補入スム』との注記があり、鹿屋氏文書が続くことを示す。中表紙は誤って前項w7:42の確認用画像第3頁に収録され、この補助PDF自体は巻扉上半のみである。

登場人物
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キーワード
諸家系図文書三、巻扉、三番箱、伊進上、鹿屋氏文書、伴姓、諸家古文書雑集、肝付氏系図、前田氏系図、旧記雑録補入、中表紙、境界混入
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:62系図・鹿屋氏と伴姓諸流旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

鹿屋氏系図

鹿屋氏を天智天皇・大友親王から伴姓の余那足・善名・善男へつなぎ、仲用・仲兼・兼遠・兼行以下の多くの枝を図示した系図。善男の嘉祥3年の流罪、兼永が高城で宮方の攻撃を受け兄弟らと討死した記事、兼雄の鹿屋院長谷山城での合戦、忠兼の島津殿惣奉行・鹿屋下城の奪取など、系線に軍事・奉公記事を添える。兼好の加治木・千本などでの合戦と河野辺内五町の給付、兼直の平田との関係と弟の子の猶子化、兼健が幼時に伯父兼直の養子となり高隈を領した経緯、兼家の鹿屋での討死も記す。女性の新納氏・祢寝氏への婚姻、伯父から三俣院を譲られた兼重、鹿屋・肝付・河内・平田などへ広がる諸流の官途・法名・養子・没年を収める。これらは各人物に付された系図上の伝承・注記であり、成立年月日や一つの発給行為を示す文書ではない。

登場人物
天智天皇、大友親王、余那足、善名、善男、仲用、仲兼、兼遠、兼行、兼永、兼雄、忠兼、兼好、兼直、兼賢、兼健、兼幸、兼家、兼重、兼久、兼国、兼俊、兼宗ほか鹿屋・肝付系諸流
宛先
なし(系図)
キーワード
鹿屋氏系図、天智天皇、大友親王、伴姓、余那足、善男、嘉祥3年流罪、兼永、高城、兼雄、鹿屋院長谷山城、忠兼、島津殿惣奉行、鹿屋下城、兼好、加治木、千本、河野辺五町、兼直、平田、兼健、高隈、兼家討死、新納氏、祢寝氏、兼重、三俣院、分流、婚姻、養子、官途、法名
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:21-1系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

神名書上

冒頭に大原・平野・住吉三社を御姓神として本地仏と祖先下向以来の守護祈願を掲げ、兼経以下の肝付・萩原諸流を展開する神名書上兼系図。中世部では兼元の応永十七年島津元久上洛供奉・足利義持拝謁・河内守任官・加治木陣没、萩原城・萩原館・萩原庄主、高崇寺・帝釈寺などを記す。近世部では兼隆・兼義の川辺から加世田への移住と島津忠良への奉公、島津義弘の飯野移住への供奉・七十三石拝領、兼通の飯野から出水・軸谷外城への移住と物主役、禁制宗旨を理由とする宝暦五年の出水から高山への移住を述べる。末尾は高山新留村・下之門・宮下村の居住を経て、甚五左衛門が寛政十年十一月十三日に三十四歳で高山を出奔し、家系が断絶したことを記す。

登場人物
兼経、成真、成直、兼綱、兼益、兼貞、兼友、兼石、兼光、兼吉、兼貴、兼忠、兼廣、兼行、信兼、兼豊、兼藤、兼市、兼孝、兼保、兼成、兼重、兼尚、秋兼、兼朝、兼氏、兼元、島津元久、足利義持、兼春、兼俊、兼久、兼国、兼村、兼永、兼胤、兼武、兼清、兼理、兼長、兼綿、兼真、兼範、兼良、兼延、兼康、兼伴、兼家、兼隆、兼義、島津忠良、島津義弘、兼寛、兼通、兼寿、兼孫、兼亮、兼英、甚五左衛門
宛先
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キーワード
神名書上、大原大明神、平野大明神、住吉大明神、本地仏、伴姓萩原氏、肝付氏、系図、兼経、兼元、島津元久、足利義持、上洛、河内守、加治木陣、萩原城、萩原館、萩原庄、高崇寺、帝釈寺、川辺庄、加世田、島津忠良、島津義弘、飯野、七十三石、出水、軸谷外城、物主役、禁制宗旨、宝暦五年、高山、新留村、下之門、宮下村、寛政十年、出奔、断絶
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:517系図・系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

肝付系図

天智天皇から大友親王へ連なる伴姓・肝付氏の系図。余那足・善名・国通・善雄・仲用・兼行以下の代々を、官職・通称・法名、母方・婚姻、所領・居住地とともに列記する。兼義の肥後立石塚出陣、兼隆の島津・伊東との戦闘や伊東河内守捕縛などの軍功記事も収める。末尾では兼隆代に系図・文書が焼失したため、類系図を参照して後世に再編した旨を記す。

登場人物
天智天皇、大友親王、善名、国通、兼行、兼義、兼隆
宛先
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キーワード
肝付系図、天智天皇、大友親王、伴氏、肝付氏、余那足、善名、国通、善雄、仲用、兼行、兼義、肥後、立石塚、兼隆、島津氏、伊東氏、伊東河内守、軍功、系図文書焼失、再編