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HP-1755巻9:173注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

木脇祐貞

異名・検索語:木脇祐貞/木脇祐吉/木脇三右衛門祐貞/三右衛門/祐貞/祐吉/木脇祐昌/元亀三年/肥後堅志田地頭/三山/庄内陣/慶長四年/山田城/戦死

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:戦死説が複数あり、没地・没年月を一つに確定しない。元亀三年生・慶長四年没は数え28歳だが、本文は29歳と記すため数値を無断訂正しない。三山の地名の字形は追加校合の余地を残す。

DESCRIPTION

本文内容説明

木脇三右衛門祐貞は祐吉とも称し、祐昌の嫡子。元亀三年生まれとされ、肥後堅志田地頭を務めた。本文は三山での戦死説に加え、庄内陣の安永で伏兵に遭った際の戦死説を挙げ、慶長四年六月二十三日に山田城へ乗り入れて戦死し、二十九歳だったとの記載も紹介する。生年とこの没年を合わせると数え二十八歳となり、記載の享年とは一致しないため、年月・享年を一つに確定しない。『諸家系図』には地頭職が見えず、祐昌・祐吉父子が肥後で戦死したとの注も付く。法名・墓所は記されていない。

系譜・人物関係

父は木脇祐昌。その嫡子。別名祐吉。

奉公・役職

肥後堅志田地頭。

軍役・事績

三山・庄内陣・山田城戦死の異説がある。

生没・法名等

元亀三年生との記載。一説は慶長四年六月二十三日山田城戦死、二十九歳。生没年からの数え年28と記載29が不一致。三山・庄内陣安永伏兵時戦死説もあり、確定保留。法名・墓所なし。

統合人物ID
HP-1755
原人物ID群
09-173-05
氏・分類
木脇
掲載巻頁
巻9:173
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
父は木脇祐昌。その嫡子。別名祐吉。
検索キーワード
木脇祐貞/木脇祐吉/木脇三右衛門祐貞/三右衛門/祐貞/祐吉/木脇祐昌/元亀三年/肥後堅志田地頭/三山/庄内陣/慶長四年/山田城/戦死
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
既存の全頁精読・境界確認記録を確認(今回の再精読なし)
公開判定根拠
既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID対応を確認。今回のPDF再精読は行っていない。本文無記載と未確定を区別し、疑義がある場合も注記して出典へ案内する。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読
本文境界判定
旧通常09-173-05は祐定条で別人物。原冊子173頁/PDF108頁から祐貞本文と小注を再裁断し、通常・AI各2頁に復元。最終AI全2頁確認。祐昌父子への注は系譜・異説に関する記述で、新人物見出しではない。
判読保留
戦死説が複数あり、没地・没年月を一つに確定しない。元亀三年生・慶長四年没は数え28歳だが、本文は29歳と記すため数値を無断訂正しない。三山の地名の字形は追加校合の余地を残す。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』