HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
木脇祐貞
異名・検索語:木脇祐貞/木脇祐吉/木脇三右衛門祐貞/三右衛門/祐貞/祐吉/木脇祐昌/元亀三年/肥後堅志田地頭/三山/庄内陣/慶長四年/山田城/戦死
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
未確定事項:戦死説が複数あり、没地・没年月を一つに確定しない。元亀三年生・慶長四年没は数え28歳だが、本文は29歳と記すため数値を無断訂正しない。三山の地名の字形は追加校合の余地を残す。
DESCRIPTION
本文内容説明
木脇三右衛門祐貞は祐吉とも称し、祐昌の嫡子。元亀三年生まれとされ、肥後堅志田地頭を務めた。本文は三山での戦死説に加え、庄内陣の安永で伏兵に遭った際の戦死説を挙げ、慶長四年六月二十三日に山田城へ乗り入れて戦死し、二十九歳だったとの記載も紹介する。生年とこの没年を合わせると数え二十八歳となり、記載の享年とは一致しないため、年月・享年を一つに確定しない。『諸家系図』には地頭職が見えず、祐昌・祐吉父子が肥後で戦死したとの注も付く。法名・墓所は記されていない。
系譜・人物関係
父は木脇祐昌。その嫡子。別名祐吉。
奉公・役職
肥後堅志田地頭。
軍役・事績
三山・庄内陣・山田城戦死の異説がある。
生没・法名等
元亀三年生との記載。一説は慶長四年六月二十三日山田城戦死、二十九歳。生没年からの数え年28と記載29が不一致。三山・庄内陣安永伏兵時戦死説もあり、確定保留。法名・墓所なし。
- 統合人物ID
- HP-1755
- 原人物ID群
- 09-173-05
- 氏・分類
- 木脇
- 掲載巻頁
- 巻9:173
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 父は木脇祐昌。その嫡子。別名祐吉。
- 検索キーワード
- 木脇祐貞/木脇祐吉/木脇三右衛門祐貞/三右衛門/祐貞/祐吉/木脇祐昌/元亀三年/肥後堅志田地頭/三山/庄内陣/慶長四年/山田城/戦死
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 既存の全頁精読・境界確認記録を確認(今回の再精読なし)
- 公開判定根拠
- 既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID対応を確認。今回のPDF再精読は行っていない。本文無記載と未確定を区別し、疑義がある場合も注記して出典へ案内する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- 旧通常09-173-05は祐定条で別人物。原冊子173頁/PDF108頁から祐貞本文と小注を再裁断し、通常・AI各2頁に復元。最終AI全2頁確認。祐昌父子への注は系譜・異説に関する記述で、新人物見出しではない。
- 判読保留
- 戦死説が複数あり、没地・没年月を一つに確定しない。元亀三年生・慶長四年没は数え28歳だが、本文は29歳と記すため数値を無断訂正しない。三山の地名の字形は追加校合の余地を残す。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』