町田氏譜
年月日未詳 / 冊子 746頁
天文五年三月七日、貴久方が伊集院城を攻めた際、町田久用は伊集院忠朗・忠栄・梅久らと守城し、城中で戦死した。忠朗らは城を退き、石谷城へ移った後も反攻を試みたが、町田氏・伊集院氏の多くが戦死・離散した。町田氏庶流の継承、久用の子孫と所領の推移までを記す。
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年月日未詳 / 冊子 746頁
天文五年三月七日、貴久方が伊集院城を攻めた際、町田久用は伊集院忠朗・忠栄・梅久らと守城し、城中で戦死した。忠朗らは城を退き、石谷城へ移った後も反攻を試みたが、町田氏・伊集院氏の多くが戦死・離散した。町田氏庶流の継承、久用の子孫と所領の推移までを記す。
年月日未詳 / 冊子 747頁
町田久用から治部少輔・中務少輔へ続く庶流の系譜を掲げ、久用が実久方として伊集院城を守り、天文五年三月七日に戦死したことを注記する。
安永二年癸巳十二月二十八日(原) / 冊子 415頁/原整理番号 1140/整理ID 1140
聖廟講堂と諸稽古場を造立したことに伴い、銀二百四十貫目を永久に付置し、判形の証状と印章の証書を下された旨を記す。印章の原本は聖堂方へ納め、判形の原本は御記録所へ納めるよう命じられたので、そのように処置するよう伝える。後年も怠りなく保護するべきだとする。末尾は安永二年癸巳十二月二十八日、島津仲久健・山岡齋宮久澄・川田伊織國福・喜入主馬久福・島津左中久金の五名判、御記録奉行宛。元金付置と二種類の証書、その異なる原本保管先を定める副状。
安永二年歳在癸巳十二月二十八日(原) / 冊子 415頁/原整理番号 1141/整理ID 1141
本藩は雄鎮として庶民の暮らしが豊かになった一方、教えが十分に行き渡らず、鄙野・驕惰の風俗が残ると述べる。そこで嗣位十九年に先聖廟と講堂を創建して儒術と文道を明らかにし、その側に弓馬槍剣の演習場を設け、国中の民を感化して徳を新たにする意義を述べる。銀二百四十貫目を学に付し、永世に伝えるため、有司に利息を収めさせ、学中の一切の費用に充てさせる。執事の臣は訓戒を敬って奉じ、この約束に違えないよう求める。末尾は安永二年歳在癸巳十二月二十八日、従四位上左近衛中将源重豪、御印の記載。正文は聖堂文庫にある。創建の理念、元金と利息の用途、永世の管理を定める印章の証書。