HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
伊地知重興
異名・検索語:伊地知重興/伊地知周防守重興/伊地知上総介重興 虎太郎・又九郎/上総介・周防介・周防守/重興
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
DESCRIPTION
本文内容説明
伊地知重興は重武の嫡子で伊地知家八世。享禄元年八月二十日生。上総介・周防守などを称し、妻は禰寝重就の娘。下大隅の本城・垂水・田上・高城下を領した。弘治二年の蒲生攻めに出陣したが、永禄年間には肝付・禰寝氏と島津氏に敵対。元亀二年、兵船二百艘で鹿児島・帖佐方面を攻めた。天正二年、国見城下岩戸口の戦いで百余人を失い、五か所の領地を献じて降参。義久に赦免され所領を返され、同年八月六日に還俗した。以後、高原城攻め、佐土原番、大友氏との戦いに従軍。天正八年二月十三日、五十三歳で没したと巻一に記す。没地は明記されない。巻一には妾を処罰した後の赤明神の由来、頼朝の旗と伝える家宝が子孫から寛陽院へ献上された経緯も載せる。
系譜・人物関係
巻一は重武嫡子、虎太郎幼又九郎、上総介等と記し、享禄元年八月二十日生。巻十三は伊地知家八世、重武の子、妻は禰寝式部大輔重就の娘。本城・垂水・田上・高城下四城領有と記す。肝付良兼の娘を妻とする割注は重興の子重昌の婚姻。
奉公・役職
巻一は天正二年春に先非を改め下大隅五か所を献上し降参、義久の赦免後所領を返される。一族家臣の過半が離散し討死者もあった。同年八月六日に還俗し周防守に任じられ、太刀一腰・青銅二百疋を献上し肴を賜る。同五年七月十八日の義久諏方社参詣時に騎馬で御跡乗、同六年十月に平田左馬介と佐土原御番。
軍役・事績
巻一は弘治二年四月の蒲生攻めに出陣、永禄年間は肝付兼続入道省釣に与党して貴久に敵対。巻十三は肝付・禰寝と元亀二年十月に兵船二百艘で鹿児島前の浜・帖佐滝の水を侵す(十一月朱異記あり)。同三年九月二十六日義久が小浜城を攻め伊地知美作が守る城陥落、天正元年禰寝降伏、同二年三月に小根占侵攻と国見城下岩戸口で百余人を失い降伏。巻一は同二年春降参、同四年高原城攻め御供、同六年大友氏との一戦に出陣。
生没・法名等
享禄元年八月二十日生。巻一は天正八年二月十三日卒、五十三歳。法名は千山守法禅主と読めるが末尾称号字形は保留。巻十三に没記事なし。本人の没地・墓所は明記なし。
- 統合人物ID
- HP-0068
- 原人物ID群
- 01-004-04/13-243-07
- 氏・分類
- 伊地知
- 掲載巻頁
- 巻1:4/巻13:243
- 主題・活動
- 下大隅領主・降参還俗・軍役・家宝伝来
- 人物関係要約
- 巻一は重武嫡子、虎太郎幼又九郎、上総介等と記し、享禄元年八月二十日生。巻十三は伊地知家八世、重武の子、妻は禰寝式部大輔重就の娘。本城・垂水・田上・高城下四城領有と記す。肝付良兼の娘を妻とする割注は重興の子重昌の婚姻。
- 検索キーワード
- 伊地知/重興/重武/上総介/周防守/虎太郎/又九郎/禰寝重就/肝付兼続/義久/蒲生/元亀/二百艘/国見/岩戸口/五か所/還俗/高原/佐土原/大友/五十三歳/赤明神/頼朝/寛陽院
- 公開区分
- 公開可
- 精読・確認状況
- 従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
- 公開判定根拠
- 従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読・原冊境界照合
- 本文境界判定
- 巻一4頁の周防守重興見出しから家宝伝来末尾、巻十三243頁の上総介重興見出しから以下本伝ニ見得タリまで各1頁。両巻左端の次記事文字片を除外。巻十三の重興一族家臣は次節見出し。本人の赤明神由来・家宝記事は関連付記、新番号不要。
- 判読保留
- 法名末尾の禅主と読める称号字形、割注の細字。元亀二年十月と十一月朱異記。赤明神祭日の十一月廿日と七月四日等小注の対応。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』