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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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追録7-No.2708記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪の中陰法事に二寺の使僧が来る

重豪公御譜中の記事。長州萩の東光寺から代僧泰法院惠雲、防州三田尻の眠湖寺から使僧が薩府に来て、福昌寺の中陰法筵に参列したと記す。それぞれ香奠銀を献じ、焼香・拝礼した。重豪が黄檗宗へ帰依していたための礼であると理由を述べる。本文は二寺の来訪と供養を記すが、眠湖寺の使僧の実名、各香奠銀の数量、具体的な来訪日は記さないため補わない。遠方寺院の使僧の参列と、同じ中陰法事に一門や家臣が献じた供えを混同せず整理する。通常・AI各一頁と原本54頁下段の印刷2708の全範囲を確認した。

登場人物
大信公(島津重豪)、長州萩東光寺代僧泰法院惠雲、防州三田尻眠湖寺使僧
宛先
—
キーワード
島津重豪、大信公、黄檗宗帰依、長州萩東光寺、泰法院惠雲、防州三田尻眠湖寺、使僧来訪、薩府、福昌寺中陰法筵、香奠銀、焼香拝礼
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID F:84文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

伊地知周防守語書

伊地知周防守の語書。島津宗碩の鹿児島下向時に隈江伊勢守久茂が参上した際の御座や御食の扱いを述べ、新納家をめぐる御屋形からの問いへの見解を記す。

登場人物
伊地知周防守語、只今御屋形、新納、御屋形、時屋形、同前之、隈江道全
宛先
知防州、只今御屋形、新納、御屋形、時屋形、同前之
キーワード
伊地知周防守語書、軍事・武具、目録・所蔵、薩摩、京都、伊勢
前編2-No.1720記事確認度 高

入来院重聡譜

足利義材が防州山口へ下り、大内義興が近国の軍兵を催促した際、入来院重聡は薩摩国内の争乱のため招集に応じられなかったことを記す記事。

登場人物
入来院重聡、足利義材、大内義興
宛先
—
キーワード
入来院重聡、足利義材、大内義興、防州山口、軍勢催促、薩摩国、国内争乱、系譜
追録2-No.1636書状旧記雑録暫定版確認度 中

島津綱貴書状

島津綱貴が島津吉貴へ、三月十日に鹿児島を出発し、防州室積まで異状なく航行したこと、好天が続くため間もなく大坂へ着船する見込みを報告した書状。歳暮の御内書と使者への時服拝領の礼を述べる軽使も差し越したと伝える。

登場人物
島津綱貴
宛先
島津吉貴(松平修理大夫)
キーワード
島津綱貴、島津吉貴、松平修理大夫、三月十日、鹿児島、出発、防州、室積、航行、好天、大坂、着船、歳暮、御内書、使者、時服、軽使、元禄十七年三月二十三日、書状
追録5-No.1169御譜記事旧記雑録暫定版確認度 要確認

継豊公御譜(御鷹の鶴下賜と送達)

退休後、病気のため寛延二年以来在国して四配館で温泉療養を続ける継豊へ、宝暦二年十二月十三日、家重が鷹の捕らえた鶴一隻と老中奉書を与えた記事。西尾隠岐守忠尚が駅路の証印を出し、継豊の家臣横山新右衛門安當・汐湯次郎左衛門盛尊が歩士三人・軽卒数人の警衛を伴って即夜江戸を発ち、東海・山陽・西海の駅路を昼夜進んだ。翌三年正月十一日に四配館へ着き、継豊が拝戴した。継豊は内田八右衛門長貞・有川七左衛門貞典に報翰と忠尚の駅路証印を持たせて江戸へ送り、別に番頭兼組頭の肝付弾正兼昌を謝使として遣わした。長貞・貞典は西海・山陽・東海の駅路を先行し、二月九日に江戸へ着いて用番堀田相模守正亮へ継豊の報翰を呈し、駅路証印を返納した。兼昌は正月十九日に豊州小倉へ着き、二十日に乗船、二十三日に防州上之関へ着いたが、逆風のため数日滞留した。二月四日に上陸して山陽道を進み、九日に摂州大坂、十八日に江戸芝邸へ到着した。二十二日には老中各邸へ継豊の喜びの書翰を呈して使者の勤めを果たした。三月一日、兼昌は登営して白書院で家重に拝謁し、継豊の献物一種一荷を呈した。家治への使節の勤めは鳥居伊賀守忠胤が取り次いだ。兼昌自身も家重へ太刀一腰・馬代白銀一枚・紗綾二巻を献じ、続いて西城で家治に継豊の献物一種一荷を呈し、自身から太刀一腰・馬代白銀一枚を献じた。この奏達は太田摂津守が取り次いだ。六日に再び登営し、内藤大和守頼由の奏達を受けた。八日には檜之間で本多伯耆守が出席し、継豊宛奉書と紗綾三巻を兼昌へ下付した。同日、西城の秋元但馬守凉朝からも継豊宛奉書を受けた。兼昌は三月十九日に芝邸を発ち、五月五日に薩府へ帰着、六日に府城と四配館で復命した。出典は継豊公御譜。

登場人物
島津継豊・家重・西尾隠岐守忠尚・横山新右衛門安當・汐湯次郎左衛門盛尊・内田八右衛門長貞・有川七左衛門貞典・肝付弾正兼昌・堀田相模守正亮・家治・鳥居伊賀守忠胤・太田摂津守・内藤大和守頼由・本多伯耆守・秋元但馬守凉朝
宛先
該当なし(継豊公御譜の記事)
キーワード
継豊、四配館、温泉療養、家重、鶴一隻、奉書、西尾忠尚、横山安當、汐湯盛尊、正月十一日、内田長貞、有川貞典、二月九日江戸着、肝付兼昌、二月九日大坂着、十八日江戸着、堀田正亮、三月一日白書院、献物一種一荷、鳥居忠胤、太田摂津守、内藤頼由、本多伯耆守、紗綾三巻、秋元凉朝、三月十九日発、五月六日復命
追録6-No.2038記事旧記雑録暫定版確認度 高

妙心院の病没・重豪への凶報・葬送・中陰法要・寄附分配を記す

宗信の実母妙心院が前年臘月から病み、薬療も効かず、天明四年正月二十一日に本府山下邸で七十四歳で死去したことを記す。於嘉といい、継豊の次妃で、継豊没後に妙心院と称したとの原注を伴う。法名は妙心院殿実法道徹大禅定尼。参勤途上の重豪へ、同日急使二人を防州花岡駅に追遣して凶報を伝えた。二十四日に遺体を棺に納め、二十六日夜に山下邸を出棺し、一門、島津久定・久当、家老・若年寄・大目附らが焼香して従い、福昌寺客殿に安置した。二十九日には宮之原通直が重豪の代理で焼香した。島津久起が木主を奉じ、肝付兼満・島津久備・入来院定馨・定代・渋谷貫風が棺に従って紼を執り、福昌寺住持円山の引導で、同夜良英寺に葬った。良英寺の境内が狭く参列者を収められないため、闍維の儀は福昌寺で行ったと注記する。二月八~九日に福昌寺で中陰の法要を修し、木主・影像を良英寺に納めた。冥福のため米五石・銀十枚を寄附し、後にそのうち米三石・銀五枚を妙心院に、残り米二石・銀五枚を良英寺に配した。理由は「餘靈不齊」と記すが、具体的な事情は明記されていない。重豪公御譜所収の葬送記事。2045号書状は二十三日付で本文に今日午ノ刻とあり、2038記事の正月二十一日死去と日付の異同がある。

登場人物
妙心院(於嘉)、島津宗信、島津継豊、島津重豪、島津久定(左衛門)、島津久当(図書)、宮之原通直(主膳)、島津久起(大進)、肝付兼満(弾正)、島津久備(多衛門)、入来院定馨(隼人)、入来院定代(永之助)、渋谷貫風(喜三左衛門)、円山(福昌寺住持)
宛先
—
キーワード
妙心院、於嘉、宗信実母、継豊次妃、病気、薬療、正月二十一日、七十四歳、山下邸、花岡駅、急使二人、凶報、納棺、出棺、福昌寺、客殿、重豪代理、焼香、木主、紼、引導、良英寺、闍維、中陰、二月八日九日、影像、米五石、銀十枚、米三石、銀五枚、米二石、寄附、餘靈不齊
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0106書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納忠元書状

忠元が新納四郎左衛門尉に、高橋方で急な会見となり十分に話せなかったことと、肝付から遣わされた折の厚意を詫びつつ礼を述べる。相手の防州での無事を聞き喜び、落馬について尋ねたところ徐々に回復しているというので面会して意向を聞きたいとする。江州も無事であると伝え、信の時を期して贈物を添える。

登場人物
新納刑部太輔忠元、新納四郎左衛門尉(忠充の傍注)、江州
宛先
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キーワード
新納忠元書状、高橋方との会見、肝付からの派遣、床敷、落馬、回復、面会希望、江州の無事、贈物