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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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8 件 (全巻)/ 1–8件を表示

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追録7-No.348記事旧記雑録暫定版確認度 高

斉宣、除厄の鏑流馬を張行す(目録348・原印刷348)

斉宣公御譜に、厄年に当たる斉宣のため鏑流馬を行った経緯を記す。犬追物師家川上十郎左衛門親香と他の犬追物人員が、稲荷社前で鏑流馬を行って除厄を祈ることを請い、斉宣が許可した。寛政8年春2月朔日に実施し、17日には親香らに命じて城南中村別荘の騎射場でも再び行わせた。この日は斉宣が臨観し、騎馬・服装は朔日と同じだったとする。印刷348の記事は目録348の除厄記事に対応し、旧入力の鷹・鶴拝領標題を分離する。

登場人物
島津斉宣、川上十郎左衛門親香、犬追物人員
宛先
宛名なし(御譜記事)
キーワード
島津斉宣厄年、川上親香、犬追物師家、鏑流馬、稲荷社前、除厄祈願、二月朔日、十七日再行、中村別荘騎射場、臨観
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID C::128文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

鏑流馬射手人数調

「延宝二年より宝暦十二年迄鏑流馬射手人数調」と掲げる短い表題。具体的な射手・人数や年次別の先例は次の枝番C::128-1以下に続く。

登場人物
射手人数調の見出し
宛先
宛先なし(表題)
キーワード
鏑流馬、射手人数調、延宝二年、宝暦十二年、表題
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID C::128-1日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

鹿府稲荷鏑流馬射手日記写井記録奉行調書

鹿府稲荷鏑流馬の射手日記・記録奉行調書。延宝二年以降の御旧例と、天和・貞享・元禄年間などの上馬射手、光久公の御不例時の例を年代順に列記し、家系・役職名を付して射手人数の先例を示す。

登場人物
川上傳十郎、枇山三郎兵衛、鎌田源左衛門、五代仁右衛門、川上十郎左衛門ほか
宛先
宛先なし(射手日記・調書)
キーワード
鹿府稲荷、鏑流馬、射手日記、記録奉行調書、先例
追録5-No.2591記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪 諸所ニ出遊ス(記事)

十一月朔日の萩侯使者来訪、二日の河添・貴儔別荘、三日の稲荷廟・鏑流馬、四日の公族以下への饗応・散楽、五日の花尾廟、六日の荒平狩猟、七日の柁城・長年寺訪問を記す。七日には貴儔の庶子で重豪の母方の叔父である末川七之進將親が死去し十日間服喪し、二十~二十二日の桜島滞在、二十五日の諸士献膳・散楽、二十六日の吉野狩猟が続く。十二月十~十三日の加世田・日新廟参詣、十九日の仁禮仲右衛門の側用人任命、年内の領封継承の親書、二十一日の鷹拝受・延岡侯使者来訪、二十三日の誠方社・安養院と祇園洲船行を記す。二十九日には貴儔の庶子で重豪の母方の叔父である吉利彦十郎將容が五十歳で死去し五日間服喪したとし、吉利李右衛門久置の嗣子となった経歴も記す。

登場人物
貴儔・末川七之進將親・仁禮仲右衛門・吉利彦十郎將容・吉利李右衛門久置・萩侯・延岡侯・使者
宛先
記載なし(独立宛名なし)
キーワード
十一月十二月出遊、萩延岡使者、稲荷鏑流馬花尾狩猟桜島加世田、末川將親喪十日吉利將容五十喪五日、仁禮仲古側用人、領封継承、祇園洲船行
追録6-No.106記事旧記雑録暫定版確認度 高

麑府稲荷神祠ニ結願ノ流鏑馬ヲ張行ス、重豪、将軍世子家基ノ髪置ヲ賀ス

麑府稲荷大明神の例年十一月三日の祭祀で鏑流馬を行い、この年は結願のため三騎を加えたことを記す。旧式の上馬者は川上庄八郎親馮、射手は鮫島次左衛門員良、結願の上馬者は川上四郎親宣、射手は相良助之進常苗・種子島四郎助時良で、計五騎。同月四日、儲君家基が出生後初めて胎髪を置いたため、重豪が即日登城して波之廂下で老中を祝い、西城でも同様に祝い、名不詳の番頭を城へ遣わして肴二種二荷を大家・御台様・儲后に献じて祝った。出典は重豪公御譜中。目録は祭礼と髪置の二件を一番号の記事とし、年月日欄を空欄とする。

登場人物
重豪(目録)、儲君家基、大家、御台様、儲后、川上庄八郎親馮、鮫島次左衛門員良、川上四郎親宣、相良助之進常苗、種子島四郎助時良、番頭(名不詳)
宛先
—
キーワード
十一月三日、稲荷大明神、鏑流馬、結願、旧式、五騎、十一月四日、家基、胎髪、髪置、登城、波之廂下、西城、肴二種二荷、慶賀
追録7-No.472記事旧記雑録暫定版確認度 高

斉宣晴厄の犬追物(目録472)

演武館内の場で犬追物を行い、斉宣が臨観した記事。前年に斉宣が厄を受けたため、除厄を祈って2月朔日に稲荷社前で鏑流馬を行ったことを先に述べ、今年は晴厄に当たるので酬願として犬追物を行ったとする。前年の除厄行事と本年12月15日の晴厄行事を分けて記録する。出典は斉宣公御譜中。

登場人物
斉宣
宛先
独立宛名なし
キーワード
晴厄、除厄、犬追物、鏑流馬、酬願、臨観
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID C::128-2文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

川上親盈屈書

元文五年四月二十四日、川上十郎左衛門が御記録所へ寄せた書付。稲荷神前の鏑流馬射手手組書写を差し出すよう求められたため、自分の手元に保管する射手人数の記録を書き記して提出する。

登場人物
川上十郎左衛門(親盈)、御記録所
宛先
御記録所
キーワード
川上親盈書付、元文五年四月廿四日、鏑流馬、射手人数、御記録所
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID A:36-3文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

永正年間五十九ケ條之事

伊地知季安は、稲荷神事の鏑流馬が朝鮮出兵後に始まったという伝えを、『上井覚兼日記』の天正三年十一月の記事と比べる。同記事には樺山・寺山の関係者が鏑流馬の翌日に登城したとあり、季安は慶長四年とされる開始より前から行われていた可能性を指摘する。朝鮮出兵後には奉納の人数を増したのであって、神事自体の創始ではないのではないかと推測し、さらに吟味を求める。

登場人物
永正年間五十九ケ條之事、惟新、椛山、四郎
宛先
惟新、椛山、同日記
キーワード
永正年間五十九ケ條之事、寺社・宗教、朝鮮出兵、目録・所蔵、朝鮮、伊勢