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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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1頁を超え3頁未満。複数の用件・事件・人物・地名を含む長文書、詳細な譜記事・合戦記録・日記・知行帳。
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冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

20 件 (全巻)/ 1–20件を表示

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前編2-No.2502記事確認度 中

入来院重朝譜

『入来院重朝譜』が、入来院石見守重朝が近年に攻略した諸城と軍功を列挙し、島津貴久との抗争から講和へ至る経過を記す。さらに島津勝久方との従前の関係、領内支配と家の立場の変化を示し、重朝が渋谷一族の勢力を維持した事情を伝える。

登場人物
入来院石見守重朝、島津貴久、島津勝久
宛先
—
キーワード
入来院重朝譜、入来院重朝、島津貴久、島津勝久、城郭攻略、講和、合戦
附録1-No.371文書確認度 高

入来院重朝書状

入来院重朝が入来院尾張守に、敵味方の動向と境目の警固について報じた書状。又八郎兄弟への扶持や本瀬越中の雇用を相談し、麓の用心が必要として内手衆に働きかけ、足軽二、三十人を翌日派遣すると伝える。あわせて馬一疋を贈り、適切に扱うよう頼む。

登場人物
入来院重朝、入来院尾張守、又八郎兄弟、平瀬、本瀬越中、内手衆
宛先
入来院尾張守殿
キーワード
入来院重朝、入来院尾張守、又八郎、平瀬、本瀬越中、敵味方、境目、警固、足軽、馬、扶持
前編2-No.1034記事確認度 中

島津義天譜

菊池重朝の使節立田某らが島津方を訪れた際の滞在記録。寶満寺・光明寺への参詣、舟遊びと漁猟、廣濟寺での禅僧との交遊を経て、聖祐・存忠らと対面した一行の行程を追い、使節接遇に宗教行事と遊興が組み込まれていたことを示す。

登場人物
菊池重朝、立田某、聖祐、存忠
宛先
寶満寺・光明寺・廣濟寺・加江田
キーワード
島津義天譜、菊池重朝、立田某、使節、寶満寺、光明寺、廣濟寺、舟遊び、漁猟、存忠
前編2-No.1451文書確認度 高

細川勝元書状

細川勝元が島津陸奥守に、大内新介の分国である長門・周防への発向を伝え、大友豊後守と相談して速やかに軍功を挙げ、菊池重朝を先に攻めるよう求めた書状。

登場人物
細川勝元、大内新介、大友豊後守、菊池重朝
宛先
島津陸奥守
キーワード
細川勝元、島津陸奥守、大内新介、長門、周防、大友豊後守、菊池重朝、発向、軍功
前編2-No.2499記事確認度 中

新納忠元譜

天文十四年、入来院石見守重朝の攻勢に対し、新納忠元が伊牟田左衛門・春山越中守・川上十郎左衛門らと蔵城へ入った合戦記事。少数の兵で守備を組織し、城兵を指揮して敵の攻撃を防ぎ、城を守り抜いた忠元の判断と戦功を記す。

登場人物
新納忠元、入来院石見守重朝、伊牟田左衛門、春山越中守、川上十郎左衛門
宛先
—
キーワード
新納忠元譜、新納忠元、入来院重朝、伊牟田左衛門、春山越中守、蔵城、籠城、合戦
前編2-No.2503記事確認度 中

新納忠元勲功記

天文十四年八月、入来院重朝の攻撃に対して新納忠元らが城を守り、難儀しながらも奮戦した勲功を記す。

登場人物
新納忠元、入来院石見守重朝、伊牟田氏
宛先
—
キーワード
新納忠元勲功記、新納忠元、入来院重朝、伊牟田氏、城攻め、守城、勲功
附録1-No.467文書確認度 高

入来院氏給地反町付帳

入来院氏領内の給地を、給地人ごとに田畠・屋敷・門・浮免などの地目と町・反・升単位の面積で列記した反町付帳。家臣団に加え寺社領・神領なども記し、末尾で田畠五百六十一町余、籾大小二万二千八十七俵余と総計する。入来院氏の知行構成、家臣団編成、寺社領と村落景観を復元できる基礎史料。

登場人物
入来院氏、入来院石見守重朝、入来院氏家臣・寺社・給地人多数
宛先
—
キーワード
入来院氏、入来院石見守重朝、給地、反町付帳、田畠、屋敷、門、浮免、家臣団、寺社領、神領、石高、知行、村落
前編2-No.2186文書確認度 高

入来院氏一家文書

薩摩郡平佐城退治に際し、入来院重朝が清色城堀口井手の地を松林寺同宿中へ寄進した一家文書。平重副・樺山融久・山口木工左衛門尉らが関係し、城中の安穏と武運長久を祈念して、寄進地の守護・祭祀と妨害排除を寺側に依頼する。

登場人物
平重副、樺山少僧都融久、山口木工左衛門尉、入来院又五郎平重朝
宛先
本村松林寺御同宿中
キーワード
入来院氏、一家文書、平重副、樺山融久、平佐城、清色城、松林寺、武運長久、天文元年
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0020家譜抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

入来院重朝譜

重朝の家譜が、重朝は近年多くの城邑を取って武功を挙げたが、東郷・祁答院以下の国人が多く背反し、重朝にも同意の疑いがあったため、貴久はたびたび戒めたと記す。改心しないとされ、翌天文十四年八月八日に郡山城を攻めた。郡山城は先に勝久が重朝へ与えた城だったという。

登場人物
入来院重朝、島津貴久、東郷氏、祁答院氏、勝久
宛先
—
キーワード
入来院重朝譜、重朝の城邑取得と武功、国人の背反、重朝への疑い、郡山攻撃
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 811書状・黄門の看病と渡海軍勢の減員相談旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

川上久国書状

十七日付書状を受け、山田民部少輔の有馬使者派遣後の指示や三老間の相談、吉田次郎兵衛の使者派遣を伝える。黄門の病状が悪く、看病と使者対応が重なって諸事の細かな調整が難しいと述べ、霜月以来の腫物・痰血・吐血、四日頃からの息苦しさと食事低下を報じる。市来八左衛門・川越三右衛門との連絡を求め、軍衆・水手三万ほどの一か月兵糧のうち二十日分を既渡のため、人数を減らすよう天草の四名に相談する。

登場人物
川上久国 山田民部少輔 野州老 左衛門佐 吉田次郎兵衛 黄門 琢庵 市来八左衛門 川越三右衛門 入来院重朝 北郷久加 喜入忠政 島津久賀
宛先
入来院石見守重朝 北郷佐渡守久加 喜入摂津守忠政 島津豊後守久賀(天草)
キーワード
十七日書状 黄門 看病 痰血 吐血 息苦しさ 市来 川越 三万人 兵糧 減員
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:117系図抄・別伝/巻末構成旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平氏野辺家系図抄

野辺氏が別に伝えた系譜の中に秩父系図が載るとして、その古系図を抄録したもの。秩父別当武基から武家・武綱・小机六郎基家へ分かれ、武綱の流れを河崎平三大夫重家、重国、渋谷庄司光重、重助へ、秩父権守重綱の流れを重弘・重能・重忠、河越次郎大夫重隆、小山田別当有重、江戸四郎重継、稲毛三郎重成・榛谷四郎重朝へつなぐ。編者注は本文書を『家わけ七』野辺文書二十四号文書の抄録とみる。確認用画像後半二頁には『諸家系図 巻之五』の巻扉・目次と、次巻の『蒲池氏系図文書』『惟宗姓執印一族系譜』の見出しが、巻末から次巻への移行領域として併録される。

登場人物
秩父武基、武家、武綱、小机六郎基家、河崎平三大夫重家、重国、渋谷庄司光重、重助、秩父権守重綱、重弘、重能、重忠、河越次郎大夫重隆、小山田別当有重、江戸四郎重継、重長、稲毛三郎重成、榛谷四郎重朝
宛先
—
キーワード
平氏野辺家系図抄、野辺氏別系譜、古系図、秩父系図、秩父武基、武家、武綱、小机六郎基家、河崎平三大夫重家、渋谷庄司光重、秩父権守重綱、河越次郎大夫重隆、小山田別当有重、江戸四郎重継、稲毛三郎重成、榛谷四郎重朝、家わけ七、野辺文書二十四号、抄録、諸家系図巻之五、巻扉、次巻目次
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:93座配書・渋谷氏の鹿児島参上時の席次旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

渋谷氏鹿児島参仕座配書

島津忠隆の代に渋谷氏が鹿児島へ参上した際の座配を示す記録。『主居』には忠隆と入来院又五郎重朝・伊地知周坊入道・祁答院又次郎、『中居』には東郷弥次郎と椛山藝州入道長久を配し、続く『上下』には高城秋月・伊地知縫殿助などの名を記す。人物名を単純に一直線の序列として並べたものではなく、主居・中居など席の区分と各区分内の配置を記した点が特徴。年月日・差出人・宛先は本文にない。

登場人物
島津忠隆、入来院又五郎重朝、伊地知周坊入道、祁答院又次郎、東郷弥次郎、椛山藝州入道長久、高城秋月、伊地知縫殿助、高城殊全、重武
宛先
なし(座配の記録)
キーワード
島津忠隆の代、渋谷氏鹿児島参上、座配、主居、中居、上下、入来院又五郎重朝、伊地知周坊入道、祁答院又次郎、東郷弥次郎、椛山藝州入道長久、高城秋月、伊地知縫殿助、高城殊全、重武、旧記雑録前編二1896号同文推定
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0015勲功記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納忠元勲功記

大中様が伊集院にいた時、入来院重朝の背反により神殿村から兵を繰り出し、郡山城を攻めたと記す。援軍が出された後、忠元は郡山へ進んで山口某と戦い、その首を取り、折那山で献上した。十九歳の初陣で首級を挙げ、功名が認められたという。

登場人物
新納忠元、島津貴久(大中様)、入来院重朝、山口某
宛先
—
キーワード
新納忠元勲功記、重朝の背反、神殿村からの出兵、郡山攻め、忠元の初陣、山口の首級、武功の認定
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:36系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

讃良重貞流系図

川越太郎重頼の三男重員を起点とし、重輔・重貞以下へ続く讃良氏の系図。重貞は修理亮を称し、河内国讃良郡を領したため讃良を号したと由緒を記す。貞與・重矩・重治、重純・重賢・重年、重寛・重朝・重高などの分流を示し、大膳亮・刑部太輔・土佐守・兵衛などの官途を添える。後半は重喬以下、貞盈・貞喬・貞能・貞敦・貞秀らを掲げ、貞秀について享禄年間の出生、母が和泉讃岐守女であること、島津貴久から宝刀を賜ったことを記す。末尾に貞行・貞資・貞勝・貞増、貞清・貞雄ら近世の子孫と善助・銀八・外記・七兵衛等の通称を載せる。

登場人物
川越重頼、重員、重輔、重貞、貞與、重矩、重治、重純、重賢、重年、重寛、重朝、重高、重喬、貞盈、貞喬、貞能、貞敦、貞秀、貞行、貞資、貞勝、貞増、貞清、貞雄、島津貴久、和泉讃岐守
宛先
—
キーワード
讃良重貞流系図、讃良氏、川越太郎重頼、重員、重貞、修理亮、河内国讃良郡、領知、讃良号、大膳亮、刑部太輔、土佐守、貞秀、享禄、和泉讃岐守女、島津貴久、宝刀拝領、貞行、貞資、貞勝、貞増、官途、通称
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0016年譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納忠元年譜

忠元の年譜が、天文七年に忠勝の敗落で家臣が離散し、安萬も父祐久に従って田布施へ移ったと記す。十四年、大中公が伊集院にいた時に入来院重朝が背き、八月七日頃に神殿から兵を出して郡山城を夜襲した。忠元は諸将とともに城へ迫り、先に柵を登って山口某と刀で戦い首を取った。初めての従軍で槍傷を負い、その時は十九歳だったという。

登場人物
新納忠元(安萬)、島津忠勝、島津祐久、梅岳、島津貴久、入来院重朝、南郷四郎忠□、市来小四郎家、川上十郎左衛門経久、阿弥忠政、野村民部少輔是綱、山口某
宛先
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キーワード
新納忠元年譜、宗子の敗落、安萬の同行、十四年の郡山攻め、夜間の城攻め、先登、山口との刀戦、槍創
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:241系図・系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

米良周右衛門家系図

財部の米良周右衛門家に伝わった系図。隆直以下の系譜を掲げ、元寇の戦功と鷹羽紋の由来、後裔の動向や関ヶ原での戦死などを注記する。文政五年三月九日に写し受けた旨がある。

登場人物
米良周右衛門、隆直、高定、能高、高泰、武房、武時、政則、則隆、経高、経頼、経宗、経直、重武、重春、重吉、重恒、重房、重純、重朝、能運、為光、政隆、武包、義武
宛先
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キーワード
米良周右衛門家系図、財部、米良氏、隆直、高定、武房、武時、元寇、鷹羽紋、関ヶ原、文政五年三月九日
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0017軍記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島津貴久軍記

島津貴久軍記が、渋谷一族の入来院方の兵士が合力し、貴久の母内田局に連なる家人の縁もあって貴久の威勢を頼んだと記す。貴久は郡山攻めの功を認めて伊集院内の郡山庄を与えたが、相手方が乱を企てたため、罪を認めさせて所領を没収した。さらに渋谷方や蒲生・加治木の勢力による騒乱にも言及する。

登場人物
島津貴久、入来院重朝、内田局、本田、費前忠(原表記)
宛先
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キーワード
島津貴久軍記、入来院方の兵、貴久への援助、内田局からの縁、郡山の恩賞、背反と所領没収、蒲生加治木との騒乱
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0025勲功記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納忠元勲功記

大中様が清水にいた時、入来院・東郷・祁答院・肝付・蒲生の諸城主が謀って背き、吉田城を取る計画で忠元らを在番させたと記す。在番中はたびたび戦い、興慶寺前では忠元が大太刀で先に進んだが、馬場某も先陣を争った。敵方にも大太刀を持つ者がいたため、どちらが一番だったかを調べたという。このほか数年にわたって戦ったことを、六年弓箭と呼んだとしている。

登場人物
新納忠元、島津貴久(大中様)、入来院重朝、東郷重治、祁答院良重、肝付兼演、蒲生範清、馬場某
宛先
—
キーワード
新納忠元勲功記、諸城主の謀反、吉田城攻略、忠元の在番、興慶寺前の大刀戦、馬場との一番争い、六年弓箭
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0026勲功記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納忠元勲功記

貴久が清水にいた時の吉田城合戦を漢文で記す。諸城主が背反したため、忠元・三原・山田・宮原・長野らを吉田攻めに出した。三月十七日に敵兵を退け、四月八日には興慶寺前で大戦となり、忠元は大刀を持って敵を攻め、上原長門らと敵将を追った。馬場某も奮戦して功を争ったが、忠元は大刀を持つ者が先鋒だったと述べたという。

登場人物
新納忠元、島津貴久、入来院重朝、東郷氏、祁答院良重、肝付兼演、蒲生範清、三原重秋、山田有徳、宮原景種、長野兵部、上原長門、馬場某
宛先
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キーワード
新納忠元勲功記、五城主の謀反、吉田攻略、五人の出兵、四月八日の戦い、先鋒と敵の首級、馬場との功の論争
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:63系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

藤原姓菊地氏系図

冒頭に『大河平系図ニハ』として、冬嗣以下の長良・良房・良相・基経の系線と養子関係に関する異伝を掲げ、続いて『藤原氏菊地系図』を展開する。天津児屋根命二十一世の藤原鎌足から、不比等・房前・真楯・内麻呂・冬嗣・良房・基経・忠平・師輔・兼家・道隆・隆家へ至る祖系を、官位・贈位・諡号・没年とともに記す。隆家の後裔では政則・則隆以下を掲げ、則隆を菊池領主とし、後三条院の延久二年に初めて菊池へ下向したとする。政隆・隆基・隆房以下から、保隆・経隆・経政、原田・天草・薩摩・村田・大河平・八代・佐野・赤星・西郷・平山・蛇塚・若宮などの諸流を分岐させ、官途・通称・婚姻・養子・家の継承を系線で示す。隆直の系では鷹羽を幕紋として『自是始大河平』と注記し、隆俊を大河平祖とする。武時は元弘三年に博多で戦死したとし、武光は南朝皇子良懐親王を将軍に奉じて少弐・大友らと戦い九州に勢力を振るい、貞治元年には九州惣司として下向した越前高経の二男氏経を撃退したと記す。武政は良懐親王を奉じて大明の聘使を通さず、今川了俊・大内義弘・足利義満らとの戦いを経て幸府へ退き、応安七年に降伏したとする。末尾は武朝・兼朝・持朝以下、為邦・為安・為光・為重らの近世前段の諸系線を掲げ、安光が文明十一年の重朝との筑後合戦で田尾美作守を討ち取って賞を受けたとの記事で終わる。

登場人物
天津児屋根命、藤原鎌足、不比等、武智麻呂、房前、真楯、内麻呂、冬嗣、長良、良房、良相、基経、忠平、師輔、兼家、道隆、隆家、政則、則隆、政隆、隆基、隆房、保隆、経隆、経政、経頼、経長、経宗、経俊、安項、経明、経平、経家、経遠、経秀、秀遠、秀朝、秀弘、経直、隆直、隆長、隆定、秀直、隆俊、能隆、隆継、隆親、定基、家高、定直、隆光、隆益、俊房、定氏、秀世、隆重、隆朝、武益、武房、覚仏、時隆、実隆盛、武時、武経、武門、武村、武成、武本、道武、武重、武茂、経重、武教、隆舜、武貞、武郷、武吉、武義、武光、武政、良懐親王、今川了俊、足利義満、大内義弘、武朝、兼朝、持朝、為邦、為安、為光、為重、安光、田尾美作守
宛先
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キーワード
藤原姓菊地氏系図、大河平系図異伝、天津児屋根命、藤原鎌足、不比等、房前、冬嗣、良房、基経、忠平、師輔、兼家、道隆、隆家、政則、則隆、菊池領主、延久二年、菊池下向、菊池氏、大河平氏、鷹羽紋、原田、天草、薩摩、村田、八代、佐野、赤星、西郷、平山、蛇塚、若宮、武時、元弘三年、博多戦死、武光、良懐親王、南朝、少弐氏、大友氏、九州惣司、武政、大明聘使、今川了俊、大内義弘、足利義満、応安七年降伏、文明十一年、筑後合戦、田尾美作守、討取、恩賞、官位、贈位、諡号、婚姻、養子、守護、法名