井上正岑書状(将軍代替の祝儀への返書)
正徳六年六月廿六日 / 冊子 272頁/整理ID 700
井上正岑が吉貴へ、将軍代替の祝儀の書状を拝見し、将軍への祝意と今後の参府について返答する書状。六月二十六日付。
SEARCH THE ARCHIVE
『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
59 件 (全巻)/ 1–50件を表示
ページ 1 / 2
正徳六年六月廿六日 / 冊子 272頁/整理ID 700
井上正岑が吉貴へ、将軍代替の祝儀の書状を拝見し、将軍への祝意と今後の参府について返答する書状。六月二十六日付。
正徳六年六月廿七日 / 冊子 272~273頁/整理ID 702
井上正岑・戸田忠真・久世重之・阿部正喬が吉貴へ、将軍代替の祝儀として使者を通じ太刀・馬代などを献上したことを承知し、披露すると伝える連署状。六月二十七日付。
享保元年七月廿五日 / 冊子 274頁/整理ID 709
吉貴が継豊へ、城中での礼が無事済んだことと、将軍代替の礼を請われたことを承知し、返答する書状。七月二十五日付。
享保元年十二月十五日 / 冊子 298頁/整理ID 780
継豊が中山王へ、将軍代替祝儀と元服祝いに関わる江戸での使者・進物について知らせを受け、喜びを伝える書状。十二月十五日付。
延享二年十月朔日~二日 / 冊子 828頁/整理ID 2195
十月朔日から二日に諸侯が登城して将軍代替わりの礼式を行い、吉貴もこれに参加した。吉貴は島津十太右衛門久命らを使者として、大御所・将軍家などへ太刀や鰐口箱などを献上し、退老の大御所へも祝いの品を贈った。品目と使者を相手先ごとに列挙する。
延享二年十一月 / 冊子 846~848頁/整理ID 2259
継豊御譜は、将軍代替に際する献上馬の準備と江戸での受渡しを詳述する。厩の担当者、馬の呼称・毛色・馬具、屋敷からの出発と城中での引渡し、老中らへの書状・使者の往復、宗信との役割分担を記録する。馬の扱いをめぐる伺いと返答はNo.2253~2256にも見える。
延享三年 / 冊子 939頁/整理ID 2519
継豊公の譜の記事。将軍代替に伴い領知の判物と印章を受けることとなり、継豊の代理として宗信が登城する。幕府からの知らせ、使者による取次、病中の継豊に代わる受領、領知関係の書付の授受を複数の日付で追う。薩摩・大隅・日向の領国について、家重の代に再確認された経過を記す。No.2518の手続指示に対応する。
年月日未詳 / 冊子 697頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1796
綱貴公御譜中に、同年七月二十二日の将軍綱吉の代替拝礼で太刀一腰・馬代黄金十両を献じ、同日、御台所へするめ(鰑)一匣・白銀五枚を別に献上したと記す。
宝永六年 / 冊子 883頁/整理ID 2897
将軍家代替に伴い、先例どおり諸国巡見上使が派遣されることとなり、執政秋元但馬守喬朝から予告された。吉貴は家老島津中務久貫・種子島蔵人久時・同弾正伊時らに、交代で上使下向の事を担当するよう命じた。
享保元年八月廿三日 / 冊子 277頁/整理ID 724
久世重之が吉貴へ、将軍の安泰と代替の礼が済んだこと、使者を通じた書状を承知し、返答する書状。八月二十三日付。
享保元年八月廿七日 / 冊子 278~279頁/整理ID 729
井上正岑・戸田忠真・久世重之・阿部正喬が吉貴へ、将軍の代替祝儀として使者を通じ太刀一腰・馬代黄金十二枚を献上したことを承知し、披露すると伝える連署状。八月二十七日付。
延享三年九月二日 / 冊子 936~937頁/整理ID 2511
島津継豊が琉球の中山王に宛て、将軍の代替に伴う祝儀について述べる。来る辰年には先例どおり江府へ使者を遣わし、祝儀を申し上げるよう命じられた旨を伝え、その趣を紙面にして差し遣わす。九月二日付。No.2512と同日だが、こちらは祝儀使節の派遣についての書状。
延享三年九月二日 / 冊子 937頁/整理ID 2513
島津宗信から琉球中山王への九月二日付の書状。将軍の代替に伴う祝儀の使者を送ったことに謝意を述べ、祝儀の趣を喜ぶ。使者を介して目録のとおり贈物を渡したことも知らせる。具体的な品目はこの書状には列記されず、No.2514・2515と関連する別文書。
延享三年九月二日 / 冊子 937頁/整理ID 2514
島津宗信から琉球中山王への九月二日付の書状。将軍の代替を祝うため、例年と先例に従って使者を差し上げる旨を伝える。書面の内容に従って手続きを進めるよう求める。No.2513・2515と同日付だが、主眼は使者派遣の儀礼と先例の遵守にある。
天明六年九月十二日 / 冊子 877頁/原整理番号 2428/整理ID 2428
重豪は将軍の代替わりに伴い誓詞を差し上げたいと伺う。九月十二日、留守居本城源七郎が御用番松平康福へ提出し、御用人宮木新左衛門から受理したとの返答を受ける。
享保元年八月廿六日 / 冊子 278頁/整理ID 726
久世重之が吉貴へ、将軍の安泰と代替の儀式が済んだことを受け、書状への返答を記す。八月二十六日付。
享保元年八月廿七日 / 冊子 278頁/整理ID 728
土屋政直が吉貴へ、将軍の安泰と代替の礼が済んだ旨を承知し、使者を通じた書状に返答する。八月二十七日付。
年月日未詳 / 冊子 133頁
『北郷三久譜』から、秀吉の朝鮮出兵命令により北郷三久が軍代として兵を率い、義弘・忠恒らと南原城攻略に参加した記事。八月十五日夜の攻城で戦功を挙げたことを記す。
年月日未詳 / 冊子 351頁
長千代丸が幼少であったため、叔父の作左衛門尉三久が文禄三年冬から軍代を勤め、慶長四年に長千代丸が十歳で家督を継いだことを記す。
年月日未詳 / 冊子 410~411頁
池田貞安が、軍代の平田太郎左衛門が七月十三日に山口へ向かった際の戦闘を記す。池田・山口大蔵・大井五兵衛・青山利兵衛の四人が案内役を命じられたが、志和地・野々美谷・安永・高城などの敵が城から出撃したため苦戦して山田へ退き、その遠目塚で旗差を庄内方に奪われたという。
承応元年十月十六日 / 冊子 226頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0455
将軍代替わりを祝う琉球使節が薩摩へ到着したため、翌年の光久参勤時に同行させ、道中は従前どおり扱うよう命じた連署奉書。
年月日未詳 / 冊子 696~697頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1795
島津光久・綱貴が、徳川家綱の中陰法事へ香奠を献じ、徳川綱吉の本丸移転・将軍代替礼・正二位内大臣兼征夷大将軍等への任官を祝って使者と献上品を送った経過を記す記事。
年月日未詳 / 冊子 702頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1816
将軍代替に伴い諸国へ巡見使が派遣されることとなり、幕府老中からの命令を受けた島津光久が、家老新納久了に巡見使下向への対応を担当させた記事。
(延宝九年)閏八月十九日 / 冊子 706~707頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1828
島津久竹が、綱吉の将軍代替に際して光久が提出した神文の控えが国元にないため、高輪の右筆所にある前書・神名・付属覚書の控えを持ち帰り、同役に披見させて記録所へ渡すよう求めた覚書。
天和元年十月四日 / 冊子 707頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1834
島津綱貴が琉球国司へ、将軍代替の祝儀として名護按司を派遣するとの申し出を了承し、別録の贈物を受け取り喜んだことを伝えた書状。
(天和二年)九月十八日 / 冊子 711頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1848
島津光久が琉球国司へ、将軍代替を祝う名護王子の献上が無事に済み、暇乞いの際に拝領品を受けたことを報じ、国司からの別格の贈物にも謝意を述べた書状。
(天和三年)八月廿四日 / 冊子 715頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1865
島津綱貴が琉球国司へ、将軍代替祝儀のため派遣された名護按司が参府して拝謁・拝領を受け、礼使の野嵩親方と別紙の贈物が到来したことへの謝意を伝えた書状。
(天和三年)八月廿六日 / 冊子 716頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1871
島津光久が琉球国司へ、将軍代替祝儀のため上府した名護按司一行の拝謁・拝領と、礼使として薩摩へ渡った野嵩親方の献上品について幕府へ披露したことを述べ、別の贈物にも謝意を伝えた書状。
四月廿三日 / 冊子 567–568頁/整理ID 1944
島津吉貴が、徳川家宣の養君就任を琉球中山王尚貞から祝賀させたいとして、賀使派遣の可否を幕府へ尋ねた伺書。芝屋敷類焼で先例の記録が失われたため、将軍代替わりには中山王が必ず使者を送る例を挙げて許可を求めた。
正徳六年六月廿七日 / 冊子 273頁/整理ID 703
吉宗の将軍代替後、島津継豊が江戸城に登営し、初めて吉宗に拝謁したことを記す記事。六月二十七日付。
延享二年十月二日 / 冊子 830頁/整理ID 2201
継豊が将軍代替わりの祝儀として使者を遣わし、大御所へ太刀と馬代を献じたことを、酒井雅楽頭忠知が承知したと返す。No.2199・2200と同日の継豊宛返書だが、本文は大御所への献上を明記する。
延享二年十一月廿七日 / 冊子 846頁/整理ID 2256
継豊は献上馬と残馬をどの役所へ渡すか、御用が済んだ後の扱いを改めて伺う。将軍代替に伴う献上と、在府中の家格・慣例を踏まえた引渡しについて指図を求める。No.2255の伺いを受け、日を改めた問い合わせ。
(元禄七年)十月五日 / 冊子 155~156頁/原整理番号 496
肝付豹右衛門家の口上覚。豹右衛門兼弘の死去時に系図が失われたため、伝承で知り得る範囲を書き上げる。兼弘と親族の系譜、島津右馬頭以久・島津彰久への奉公、朝鮮出陣、川上六郎兵衛負傷時の軍代などを述べ、後段では伴家の幡、大堂宮・梅北大宮司との関係、都城と梅北の間にあった屋形の伝承に及ぶ。元禄七年十月五日付。
年月日未詳 / 冊子 284頁/整理ID 754
将軍の代替祝儀に際し、琉球中山王の使者が来る翌戌年には、吉貴が先例どおり使者を召し連れて参府するよう命じた令書。
享保三年九月九日 / 冊子 358~359頁/整理ID 954
島津吉貴が中山王へ、将軍の代替わりの祝儀使者について、先例どおり認められたことを伝える書状。九月九日付。
天明六年九月十六日 / 冊子 878–879頁/原整理番号 2431/整理ID 2431
二階堂行旦・関山金輝は、大納言家斉が登城者に謁し、老中から今後は家斉を『上様』と称して一層精勤するよう命じられた経過を報じる。欠席した同席大名へも通達するよう命があり、松平伊予守と連名で松平加賀守へ伝達したことを記し、国元でも同様に申し渡すよう求める。
寛政4年11月13日(年次は朱注) / 冊子 41頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書0136
将軍の代替祝儀で差し上げられた宜野湾王子の登城・拝領に対する御礼と、その祝儀品の披露を三司官に知らせる島津求馬の書状。宜野湾王子は太守様に召し連れられて江府へ赴き、二度登城して御目見し、上意を受け、御暇を賜る際に御奉書と御目録記載の品を拝領したとする。従者たちにも拝領物があり、その御礼として喜屋武親方を遣わし、中将様へ目録どおりの品を贈ったところ、披露して満悦されたと述べる。この旨を先方へ知らせるよう求める。11月13日付、嶋津求馬の署名、三司官宛、實名判の表示を伴う。本文には中将様への贈答品の個別数量は記されない。
寛永十一年十一月廿六日 / 冊子 460~461頁
島津家久の分国総高を、薩摩・大隅・日向諸県郡・琉球諸島に分け、田畠高・浦浜役米・目録不足分などを集計した一紙目録の写し。家光の将軍代始めに国絵図とともに領国高を申告し、御朱印高六十万五千八百六十二石余に合わせた経緯を記す。
承応二年十一月 / 冊子 239~240頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0495
将軍代替わりに際して切支丹宗門の禁制を更新し、伴天連・いるまん・同宿等の訴人への褒賞額と、隠匿時に五人組まで処罰する方針を掲げた制札。翌承応三年正月、島津光久が領内の諸士・百姓へ遵守を命じた。
享保元年十二月廿五日 / 冊子 298頁/整理ID 783
将軍代替に際し吉貴は十二月二十五日に誓書を捧呈する予定だったが、咳のため実行できなかったことを記す記事。
享保元年十二月廿三日 / 冊子 298~299頁/整理ID 784
将軍代替に伴う誓詞提出について、十二月二十五日朝六時半に紀伊守宅へ代理を遣わすこと、誓詞前書を読み、罰文と判形・血判の作法に従うことを指示する。十二月二十三日付。
享保三年九月~享保四年二月 / 冊子 385~403頁/整理ID 1037
琉球使節の将軍代替拝賀に関する参府・登城・口上、御目見、饗応、音楽、帰国時の御礼を収める集合資料。個別文書は目録1037-1~1037-11。
年・月・日未詳 / 冊子 394~395頁/整理ID 1037
中山王尚敬が将軍代替の拝賀のため使者を差し上げ、琉球使節の御目見を願う口上。
年・月・日未詳 / 冊子 395頁/整理ID 1037
中山王尚敬が将軍代替を祝うため、越来王子を使者として参府させた旨を述べる口上。
年・月・日未詳 / 冊子 396~397頁/整理ID 1037
中山王尚敬が将軍代替を祝賀する使節を差し上げ、越来王子らの進覧を願う口上。
延享二年九月二十七日(付属記事に二月三日) / 冊子 827~828頁/整理ID 2194
継豊は病気で将軍代替わりの礼式を自ら行い難く、代わりの私儀を早く行いたいと伺った。併せて誓詞の提出、宗信による儀式の代行、翌年参府時の誓詞と拝礼を相談する。付属の記録は、病気による不参・代理出仕・使者の扱い、十六歳以下の誓詞免除、先例を列挙し、どの手順が許されるかを検討している。
延享二年十月二日 / 冊子 830頁/整理ID 2199
継豊が将軍代替わりの祝儀として使者を遣わし、太刀一腰と馬一疋を献じたことを受け、酒井忠知がその旨を承知したと返す。十月二日付で、No.2200と同じ祝儀献上に関する別の返書である。
延享二年十月二日 / 冊子 830頁/整理ID 2202
吉貴が将軍代替わりの祝儀として使者を立て、太刀と馬代を献じた。松平乗賢・本多忠良・酒井忠知はその旨を承り、目録の品を披露したと上総入道宛に連署で返した。No.2203・2204は同じ宛先への個別返書。
延享二年十月二日 / 冊子 830~831頁/整理ID 2203
吉貴が将軍代替わりの祝儀として使者を遣わし、太刀と馬代を献じたことにつき、西尾隠岐守忠直がその旨を承知したと返す。No.2202の三人連署書状と同件である。
延享二年十月二日 / 冊子 831頁/整理ID 2204
吉貴が将軍代替わりの祝儀として使者を立て、大御所へ太刀と馬代を献じた。酒井雅楽頭忠知はその趣旨を承ったと上総入道宛に返す。No.2203とは同日・同宛先で差出人が異なる。