秋月種春書状
(寛永十四年)十二月廿三日 / 冊子 719~720頁
江戸は平穏であると伝え、島原のキリシタン蜂起への対応と遠国であることを理由に暇を賜り、十五日に帰国したと報告する。使者への礼を述べ、今後も詳報するとした書状。
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(寛永十四年)十二月廿三日 / 冊子 719~720頁
江戸は平穏であると伝え、島原のキリシタン蜂起への対応と遠国であることを理由に暇を賜り、十五日に帰国したと報告する。使者への礼を述べ、今後も詳報するとした書状。
「寛永廿一年」十二月十六日 / 冊子 367頁
島津光久譜の記事。寛永二十一年十二月十六日、留守居の新納久詮が諸大名の留守居とともに評定場へ出席し、井上筑後守・宮木越前守から、各領国の地図を幕府へ献上するよう命じた条書を受領した。日向国の領地は諸氏に分かれている一方、薩摩・大隅・日向三州の地図は島津光久に一括して献上させることとなったため、飯野城主伊東祐久・縣城主有馬康純・財部城主秋月種春・佐土原城主島津久慶に、光久の命に従って地図作成を担わせた。
寛永二十一年十二月十六日・正保四年四月十七日・五月二十四日・七月四日 / 冊子 72頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0140
寛永二十一年十二月十六日に受けた領国絵図作成の命について、日向の相給領主伊東大和守祐久・有馬蔵人康純・秋月長門守種春・島津但馬守久雄の草稿を家臣肥後長左衛門盛行に総括させた経緯を記す。盛行は正保四年四月十七日に鹿児島を発ち五月二十四日に江戸へ着いた。七月四日に井上筑後守政清の邸で図の可否を伺い、清書して捧呈する指示を受け、その内容を芝の屋敷で四家の家老へ伝えた。
年月日未詳 / 冊子 18~19頁/原整理番号 21
秋月氏一枚系図の長門守伝は、寛永九年の肥後国関所設置に際して秋月種春が熊本番を命じられたことを記す。七月十四日に国元を発って熊本へ着き、年中勤番した後、十二月六日に帰国したとする。
年月日未詳 / 冊子 508~509頁/原整理番号 24-2
阿智王子から高貴王・春実・種弘へ続く祖系を掲げ、春実に対馬守・太宰大監の官職を注記した高橋氏系図。種弘以下を六つの系統に分け、種賢―種生―種直―種雄の系には長門守および『筑前秋月城へ遷居』、種宗―種春―種信―種恒の系には『大垣城に籠る』と記す。ほかに種幸―種家―種頼―種資、種貞―種高―種顕―種道、種忠―種氏―種照―種朝、種方―清種(或いは文種)―種実―種長の各系を列記する。末尾に本系図が家系書からの抄録である旨を付記する。