島津義弘譜
天正十二年九月四日~六日 / 冊子 925頁
九月四日、島津軍諸将が八代へ到着した。翌日、町田久倍・税所篤和が馬越軍議の決定を秋月方使者へ伝え、島津方使僧と二使を秋月へ戻して再回答を待つまで十日間、境界で放火せず停戦するよう求められた。十一日から十方暮に入るため軍事行動に不向きと判断し、六日に要求を受け入れて返書を持たせた。
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天正十二年九月四日~六日 / 冊子 925頁
九月四日、島津軍諸将が八代へ到着した。翌日、町田久倍・税所篤和が馬越軍議の決定を秋月方使者へ伝え、島津方使僧と二使を秋月へ戻して再回答を待つまで十日間、境界で放火せず停戦するよう求められた。十一日から十方暮に入るため軍事行動に不向きと判断し、六日に要求を受け入れて返書を持たせた。
天正六年頃 / 冊子 534~535頁
島津義久代の老中八人と使衆八人を列挙する交名。老中に平田美濃守光宗・川上左近将監・伊集院忠棟・村田経定・喜入季久・本田三清・上井覚兼・町田久倍、使衆に新納康久・伊地知重直・税所篤和・吉田清治・鎌田政景・本田親治・比志島国貞・伊地知重秀を掲げる。
天正三年三月十五日 / 冊子 430~431頁
天正三年三月十五日の代始犬追物の手組で、義久が二十九疋を射たのをはじめ、各射手を角ごとに配し、射犬数と検見・喚次を記録する。終了後は桟敷で三献を行い、川上経久に馬・太刀を与え、射手を手組順に召して酒を賜った。
天正三年三月十六日 / 冊子 431頁
天正三年三月十六日の犬追物手組として、島津以久・新納忠実・頴娃久虎らの射手、各人の射犬数、検見・喚次を列挙する。
天正十二年五月二十二日~二十九日 / 冊子 894~897頁
天正十二年五月二十二日から二十九日までの日記。折宇迫湊口の普請後に宮崎へ帰り、吉野牧の駒を拝領した。秋月種実から龍造寺との和睦仲介に関する弁明書状を受け、返書を作成したほか、築地上屋普請のため諸地頭を招集する命令、御頭役、山伏の護摩・入峯をめぐる紛議、上洛者の通行依頼などを記す。
天正十二年九月十三日~二十七日 / 冊子 928~929頁
九月十三日以降、島津軍は隈本から吉松へ進み、山鹿氏・隈部氏らの帰属と質人提出を交渉した。山鹿氏は一度受諾しながら翻意し、隈部氏は城親賢の仲介で従属した。秋月から戻った使僧は、龍造寺政家が肥後領を島津方へ譲る血判誓紙を持参した。二十三日以降、諸将は高瀬方面へ進み、小代城腰の陣を攻略して数百人を討った。二十七日、政家との和睦誓紙を交換した。
天正十二年九月一日~晦日 / 冊子 930~938頁
天正十二年九月一日から晦日までの肥後従軍日記。馬越で龍造寺政家との和睦を審議し、佐敷・八代を経て隈本・吉松へ進軍した。山鹿・隈部・合志・宇土・小代などの帰属、質人、領知条件を交渉し、肥後高札へ加判した。秋月使者と往復して龍造寺から肥後領返還と血判誓紙を得、九月末には境界の軍事行動を抑えつつ和睦条件を詰めた。