阿蘇玄与入道黒斎書出
年月日未詳 / 冊子 311~313頁
天正十五年、阿蘇玄与が豊後・日向方面から島津勢が後退するなか、薩州へ帰陣するまでの軍勢配置と籠城戦を回顧した書出。豊臣方の大軍が迫るなか、少勢で城を守り、鉄砲・放火・夜討ち・援軍到着を交えた攻防と死傷を詳述する。やがて関白方の諸将に包囲・追撃され、城兵の命を守るため城明渡しを約して撤退した。戦線崩壊を現地指揮官の判断から伝える実戦記録である。
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年月日未詳 / 冊子 311~313頁
天正十五年、阿蘇玄与が豊後・日向方面から島津勢が後退するなか、薩州へ帰陣するまでの軍勢配置と籠城戦を回顧した書出。豊臣方の大軍が迫るなか、少勢で城を守り、鉄砲・放火・夜討ち・援軍到着を交えた攻防と死傷を詳述する。やがて関白方の諸将に包囲・追撃され、城兵の命を守るため城明渡しを約して撤退した。戦線崩壊を現地指揮官の判断から伝える実戦記録である。
(元和五年七月廿一日) / 冊子 706~707頁
阿蘇玄与が、五常を守り仏神の道を尊んだ松齢自貞庵主(島津義弘)の生涯と死を悼み、無常・涙・秋・月などを題材に詠んだ追悼和歌。
八月十日 / 冊子 425~426頁
島津義久が進藤大蔵入道に、御家門様の書状を拝領し、京都の静謐と御姫宮の無事を喜ぶ。又八郎と玄与所への書状は届けたと報告し、わずかな品ながら生糸三斤を進上したいので、差し支えなければ受納の取り成しを願う。
(慶長五年)四月廿二日 / 冊子 535~536頁
島津義久(龍伯)が又八郎殿に、高崎弥六を介して承った事柄への返答として、和歌の語句・心の扱いや玄与に申し付けた歌の出来を論じ、詠歌を送るよう求める。さらに祈念や女性衆の祈り、納戸衆・書奉行への手配、衣類、山野での馬追いに触れ、二十五日に必ず出向く意向を伝える。
元和十年二月十二日 / 冊子 806~808頁
元和十年二月十二日に島津家久らが催した「賦何船」連歌。春の花、霞、船旅、月、雨、秋、里山などを題材として、家久・久賀・紹嘉・玄与・日説・元綱・宗可・重位・久元・重長・喜庵・国隆らが百韻を連ねた作品。
元和十年二月十二日 / 冊子 808~811頁
元和十年二月十二日に島津家久らが催した「賦何人」連歌。柳・月・霞・旅・山寺・秋・雪・里・恋などを題材として、家久・久賀・紹嘉・玄与・日説・元綱・宗可・重位・久元・重長・喜庵・国隆らが百韻を連ねた作品。
年月日未詳 / 冊子 100頁
平松心岳寺で詠まれた四首の詠草。岩木、雪、月、霰、松葉などの景物を用い、寺の建立と仏法への祈りを詠み込む。
年月日未詳 / 冊子 919~920頁
竜伯・幸侃・貞親ら八名が、桜島、春の花、時雨、紅葉、鶴、月などを題材に詠んだ和歌をまとめる。 軍事・知行文書が続くなかで島津家中の文芸交流と季節感、各人の表現の違いを一度に比較できる貴重な詠草。
慶長十二年六月十八日 / 冊子 118~121頁
慶長十二年六月十八日、平松真岳寺で催された懐旧連歌。夏から秋・冬へ移る季節、月、風、雲、旅、故郷などを題材に、龍伯・義久をはじめ多数が付句を重ねる。
慶長十二年六月十八日 / 冊子 121頁
慶長十二年六月十八日の懐旧連歌を別資料から収録したもの。発句『露はたゝさなから玉のはちす哉』以下の連歌と参加者を記す。
年月日未詳 / 冊子 121頁
懐旧連歌における各参加者の句数を集計した記事。龍伯十二句、常久八句など、人物ごとの担当句数を列挙する。
慶長十五年五月二日 / 冊子 274~275頁
慶長十五年五月二日の和歌会で詠まれた、鶴の長寿を題とする和歌集。雲井・松・千代などの語を用いた賀歌を、多数の参加者名とともに収録する。