石谷梅久譜
年月日未詳 / 冊子 736頁
天文四年十月十日、実久方の軍勢が鹿児島へ乱入して村市を焼き、勝久が退去するなか、石谷梅久父子が密かに勝久を支援したことを記す。
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年月日未詳 / 冊子 736頁
天文四年十月十日、実久方の軍勢が鹿児島へ乱入して村市を焼き、勝久が退去するなか、石谷梅久父子が密かに勝久を支援したことを記す。
天文五年十二月六日 / 冊子 751頁
石谷梅久が萩別府で戦死した経歴、実久方での活動、伊賀守から梅久への改名、法名心傳中空と没年月日を記した墓誌銘文。
年月日未詳 / 冊子 744頁
十二月七日、石谷伊賀守梅久らが石谷口から攻撃した際、肥後方の援軍と戦い、町田氏らが戦死したことを記す。
年月日未詳 / 冊子 738~741頁
天文四年の政変と合戦を、新納忠勝が聞書形式で日を追って記録する。島津勝久・実久、新納・伊集院・北郷諸氏の帰属、各城の攻防、使者往来を列挙し、梅久・忠栄ら家臣の戦死と恩賞、城・所領の処置までをまとめて家中対立の実態を伝える。
年月日未詳 / 冊子 742~743頁
天文年間、薩摩・大隅・日向三州の諸将が離合集散する中で起きた伊集院城攻防を記す。島津実久方と伊集院忠朗・忠栄・梅久父子らが対立し、北郷忠相・町田氏も関与した。城下戦と籠城、家臣の戦死、忠栄・梅久方の退去までを追う。
年月日未詳 / 冊子 742~743頁
天文五年前後の北原氏との戦いと伊集院城攻防を、複数の系譜に基づいて整理した国史記事。島津実久、北郷忠相、伊集院忠朗・忠栄・梅久、本田董親らの軍事行動、城郭の陥落、家臣の戦死と退去を照合し、諸家の帰属変化を示す。
年月日未詳 / 冊子 745頁
天文五年の伊集院城をめぐる島津実久方と伊集院忠朗・忠栄・梅久らの抗争を記す。夜襲、城下への放火、籠城戦、家臣の戦死を追い、忠栄らが城を退去した後の処遇と伊集院氏の系譜まで記して、城の争奪が一族の継承に及ぼした影響を示す。
年月日未詳 / 冊子 745頁
天文五年、島津忠良・貴久方と実久方の戦いに伴う伊集院城攻防を記す。夜襲、城下への放火、籠城、伊集院氏家臣の戦死を追い、忠朗・忠栄・梅久らのうち忠栄らが退去した経緯と後裔の系譜を掲げ、敗戦後の伊集院氏の分裂と継承を示す。
年月日未詳 / 冊子 746頁
天文五年三月七日、貴久方が伊集院城を攻めた際、町田久用は伊集院忠朗・忠栄・梅久らと守城し、城中で戦死した。忠朗らは城を退き、石谷城へ移った後も反攻を試みたが、町田氏・伊集院氏の多くが戦死・離散した。町田氏庶流の継承、久用の子孫と所領の推移までを記す。
年月日未詳 / 冊子 744頁
天文五年、北郷忠相の臣池袋源左衛門尉宗政が安永城攻撃で戦死し、同年八月には調所新五郎も戦死したことを記す。
年月日未詳 / 冊子 327頁
町田氏の梅久・忠栄・久徳・久倍らの系譜と官途を掲げたうえで、久倍の奉公を詳述する。久倍は島津義久の豊肥筑六国への出兵に従軍し、九州征伐後は伊集院地頭として太平寺へ向かう義久の道中警固を担当、二子忠綱・久幸とともに供奉した。さらに義久の上京にも父子で従い、聚楽第で秀吉に拝謁した際には伊集院幸侃ら少人数のみが近侍したという。系図と服属期の随行履歴を併記する記事。