新納忠秀譜
天正八年夏 / 冊子 654頁
若年から新納忠元に従って各地で軍功を挙げた新納忠秀が、天正八年夏の肥後国葦北郡宝川内城攻めに先立ち、何度も現地へ忍び入って地勢を偵察し、詳しく報告した。攻略後も諸戦で敵首を得て、その中に合志玄宅がいたと記す。
SEARCH THE ARCHIVE
『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
15 件 (全巻)/ 1–15件を表示
ページ 1 / 1
天正八年夏 / 冊子 654頁
若年から新納忠元に従って各地で軍功を挙げた新納忠秀が、天正八年夏の肥後国葦北郡宝川内城攻めに先立ち、何度も現地へ忍び入って地勢を偵察し、詳しく報告した。攻略後も諸戦で敵首を得て、その中に合志玄宅がいたと記す。
年月日未詳 / 冊子 320頁
豊後から退陣し、肥後の関城を経て八代へ向かう途中、豊臣方の軍勢が近くまで迫った際の新納忠秀の動きを記す短い譜記事。追撃を受ける撤退路での忠秀の対応を伝えるが、本文量が少なく細部は限定的である。
天正五年十二月三日 / 冊子 524頁
天正五年十二月、日向山東がことごとく島津領となり、義久が大隅正八幡宮へ参詣したことを記す。福永丹波守が内通を申し出た際、新納忠秀入道慶雲が高原から野尻城へ急行したことも載せる。
「寛永二十年」六月廿六日 / 冊子 242頁
新納忠清が、江戸から帰国した新納忠秀への賀使が出されていないことをたしなめた書状。忠秀が鹿児島へ帰着して日が経つのに、任地の衆中から慣例の見舞い・祝賀使がないのは面目を失うとし、刑部が無事帰国したことにも触れつつ、衆中から一人の使者を立てるよう求める。あわせて係争がまもなく解決する見込みを伝えている。
天正五年十一月五日 / 冊子 524頁
福永丹波守の内通申出を受け、高原から野尻城へ馳せ籠もった従軍者として、新納四郎左衛門忠秀入道慶雲らを記す交名。
年月日未詳 / 冊子 600~603頁
新納実久の庶長子久吉を祖とする大崎流の系図。久吉が父命で大崎城へ入ったこと、忠秀の三俣小山戦死、志布志落城後の北郷氏臣従、久綱の朝鮮渡海中の戦死などを記す。
年月日未詳 / 冊子 606~608頁
新納忠泰の四男孝時を祖とする支流系図。市来城退去後に日新公から日置九十町を提示されても二君に仕えるのは士道に反すると辞退した忠苗の逸話、清水・馬越での戦死、忠成以下の生没年・母方・養子関係を記す。
天正八年五月十三日~十一月 / 冊子 656~657頁
天正八年の肥後進出に際し、事前偵察、宝川内城攻め、熊本番手、矢崎城攻め、合志方面出陣に参加して軍功を挙げた者を日付・戦場別に列挙する交名。鎌田政年ら足軽三百余の派遣、新納忠秀らの偵察、忠元・忠尭らの攻略、佐多久政・伊集院久治らの合志戦を記す。
正保二年十月~十二月 / 冊子 28~29頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0041
島津光久が北郷久加を物奉行として諸役を総督させ、新納忠秀らに郡郷横目の配置・巡察を行わせた記事。十月十五日の措置と十二月の横目任命を記す。
慶安三年春~五月八日 / 冊子 167~168頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0312
新納忠秀が琉球国で奉行を務めていた際、病客を殺害した事件をめぐり、関係者の取調べと処罰が行われ、忠秀もその責任を負って死に至った経過を記す記事。
(寛永9年)7月12日 / 冊子 16~17頁/原整理番号 17
新納忠清が、肥後・球磨の情勢を油断なく聞き合わせて報告するよう有村隼人佐へ命じる。肥後では百石までの馬乗が上洛するとの風聞があるため宮原景之・新納忠秀にも伝えるよう求め、他言を禁じて即時焼却を指示する密書である。
慶安三年五月八日 / 冊子 169頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0317
慶安三年五月八日、新納刑部大輔忠秀に殉死した田代諸右衛門、源兵衛、西田亀右衛門を挙げる。田代は大口衆、源兵衛は忠秀の小者、亀右衛門は家臣で同じく殉死した旨の注が付く。
(寛永十五年)正月十四日 / 冊子 733頁
新納次郎四郎を急使として島原へ派遣したことを知らせ、今回の軍勢と現地での飯米支給について申し送る。前段には新納忠秀が島原出陣に従ったことを記す系譜記事が付される。
年月日未詳 / 冊子 454頁/原整理番号 567
殿の下向について田舎では確かな情報がなく、伊地知杢右衛門尉重政の四月二十六日付書状以後も続報がないと報告する。異国船の雑説も確証がなく、求麻へ一人を遣わして聞き取ったが新情報はない一方、行先不明ながら鉄砲衆三百人を召し置き玉薬を調え、大畑町にも鉄砲衆二人ずつを置いたとの情報を伝える。本文は正保二年五月二十七日付で新納刑部忠秀宛だが、目録年月日は空欄である。
年月日未詳 / 冊子 161頁/原整理番号 284-1
伊地知季安の記事。この日、伊地知重政が新納二郎四郎忠秀・大口地頭宮原壱岐守景之・高尾野地頭仁礼左近将監景頼・須木地頭村尾源左衛門重候を有馬の陣屋で饗応した。季安は、新納忠秀が大口地頭新納加賀守忠清の嫡男で、重政の婿養子・伊地知主膳重頼の実兄であるため饗応したのだろうと考証する。